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ゆめのsalon便り           9月 -2- 2005


 急に選挙が行われました。今回は、いつになく国民の政治への関心の高まった選挙でしたね。 今の政治をあなたはどう思われていますか。
人はそれぞれに、いろいろの考えがあります。選挙の時にはいつも思うことですが、立候補者も選挙する人も、自分の利害で動いていることが多い。そしてその上に、好き・嫌いで行動しているように思えます。自分を守るために、自分に有利な人の考えになびいている。そう思われませんか? 派閥がまさにそうです。
わたしが学校を卒業して、始めて社会人になったときに第一に思ったこと。      それは・・・・え〜ッ?! 大人の世界は子供の社会とおんなじ?!・・・・これが社会にふみだした第一歩の、第一の感想でした。
こないだテレビで、「どんな女性がお好きですか」というアナウンサーの質問に、若い男性のタレントさんが、「自分の考え、意見を持っている人」と答えていました。
どうしてあんな考えに賛成するんだろう。ちょっとおかしい、と思える人のもとに、どうしてつくんだろう・・と、子供の時も、いまも、思うことが多い。
自分の考えが無いのだろうか。本当のこと、正しいことがわからないのだろうか。
多くの人が、自分にとって得な人、そして好きな人の考えに同調している、と思えるのですが。 
人は、静かな心で、自分の良心に問えば、正しいこと、間違ったこと、善悪は、わかるはずです。慾 我 をなくし、本当に正しいことは、自分にとっては損でも、正しいことを選ぶべきです。もっともだ、と思う考えの人が、自分に好意を持ってくれていなくても、きらいな人であっても、常に純粋な心で、人を、事を、道を選ばなければなりません。とりわけ政治においては、国、世界、人類、この星の未来について、明日の幸せのために、真にあるべき道を見極めるべきです。己を守ることは大事なことですが、私利私欲で動いてはいけない。 
わたしは子供の時からグループに属する事を好みませんでした。どこにも属したくなかった。子供心に思ったこと。人はみんな身びいきばかり。まず家族、仲良しグループの言うことは、ちょっとおかしい、間違っていることでも、それを良し、とする。
それが大人の社会でも、ほんとにほんとに同じであることが、なんだかおかしくなります。考えてみれば、同じ人間です。子供をばかにしてはいけない。   
成人してからは、政治、宗教、それから色々な集団に薦められ、どんなに誘われても、決してどこにも属さないできたのは、属すると、自分の自由が制約されるからです。
政治の世界を見ていて、つくづくあらためて、子供たちが、ガキ大将・強いものになびいて、派閥?!を作っていた子供の社会と、何一つ変わっていない人間の社会、強いものが勝つ、人の狡さ 弱さ の見えることを、とても情けなく思います。
立場が違っても、相手の言い分に、なるほど、と思うことは柔軟に取り入れるということの、全くというほどほとんど見られないことがさびしいです。
真に正しい事を通すためには、強くあらねばなりません。
歴史を見るとき、それがよりいっそうよく見えます。
4年に一度、神戸で行われる、フルートの世界コンクールがこの夏、ありました。
その最後に、審査員たち・世界中から集まった、いま第一線で活躍しているフルーティストたちの演奏会が、ありました。
日本のジャズ界の大御所 サックスとフルートの渡辺貞夫さんと、そのバンドも出演。 
名にし聞こえていた金昌国氏はアンサンブルの指揮を・右手が怪我で・左手でなさっていました。ほとんどの人は始めて聞く名前、演奏でした。
ところで、世界的に活躍し、審査員までしている人が、楽譜を見ながら演奏をしているのを見て、ん?と思いました。NHK ピアノのお稽古 スーパーレッスンでも、世界的なえらい先生が、古典の曲を、譜めくりの人をそばに、楽譜を見て弾いています。  
ジャズポ・ピュラーの世界で、楽譜を見て演奏している人はありません
落語の人 浪曲の語り手 すべて字を読みはしない。政治家は、ときにより原稿を読んでいることがある。それは人が書いたもの、その内容が自分のものになっていないことがわかります。表現するものは、自分の中に消化されて、内から出てこなくてはいけない。
演歌があの歌手よりも自分はうまい、と思っている人もありますが、何千何万回、人の前で唄い、うたのすべてが体にとけこんだ人の歌にはかないません。
クラシックの世界では、暗譜すると言えば、何時間も楽譜の音符をピアノに落とし、意味を理解せずに弾いている人がほとんどです。一夜漬けに覚えた事を答案用紙に書いて点を取るのと同じです。いずれ忘れて消えてゆきます。
楽譜を見ては弾く曲は、その音楽の全体が把握できていない、まだ自分のものになりきっていないのです。それはまだ人に聞いてもらう時ではない。
同じ暗譜でも、音楽を理解して覚えるのと、音の意味を理解しない丸暗記とでは、同じ演奏でも全く違います。消化していれば、それは生きて、次へ発展してゆくのです。意味なく覚えたものは、せっかく覚えた曲がいずれは消え、いつも次の曲はまた新しくはじめから。音楽は目からではなく、耳、体から吸収すべきです。「以前に習った曲は、発表会で弾いた曲すら覚えていない。それがここで習い始めてから弾いた曲は、何年も経って、練習をしていないのに、ちゃんと弾ける、不思議・・」と何人もの生徒が言いました。
 一粒ずつの音符を紡いで音にしてゆくのではなく、和音の流れとして音楽を把握する、そして耳が開かれていれば、面白くない譜読みの勉強を、何年もがんばらないで、10倍100倍速習ができるのです。和音・コードを知り、その機能を理解すればいいのです。
音楽大学へ通っていたTさんが、ベートーヴェンの楽譜にコード名を書いていて、怒られたことがありました。その先生はコードが読めない人ですね。また、あぁそれはいいね、と作曲科の先生に言われたKさんは、“当たり前なのにね”と、言っていました。
クラシックの学び方が古い、間違っているのは、日本だけではありません。わたしが、教育が間違っていると言い続けている古いレッスン形態は、いまのえらい先生が新しい人に入れ替わるとき 変わってくるでしょう。時間のかかることです。

この夏、穐吉敏子さんの、ソロピアノのライヴを聴きました。2時間があっという間に過ぎました。渡辺貞夫さんと穐吉敏子さん、日本を代表するジャズの2人の演奏をきいて、あらためて、音楽について思いました。
穐吉敏子さんのこと、クラシックとジャズのこと、もっとお話したいです。

ゆめのsalon便り           9月 -1- 2005

今年も暑い夏です。あなたはどんな夏をお過ごしでしょうか。 私の話を聞いてください。今年も恒例、発明の旅に行ってきました。 今年は万博を含めて、その周辺。一つは陶器の「ノリタケ」日本だけでなく世界中に知られているノリタケチャイナの工場とミュージアム。明治開国直後に、日本の若い青年たちが海外へ進出する日本のエネルギーの、その第一に、まだ20になったばかりの青年が、アメリカはニューヨークに乗り込み、苦労してノリタケ陶器の店開きをする、その苦労のいきさつが、帰ってすぐのテレビに映り、あらためて感心をしました。 もう一つは「隅谷」というタイルの会社。この会社で作られるタイルは、なんと公害を吸収して自然を浄化する・・物理学者の研究がそこに入っている、不思議なタイルなのです!これから家を建てられる方は、是非このタイルを外壁に使ってください。それからこの会社・工場は、全部が平屋、冷房なし。それがまことにまことに美しい自然の中に、絵のように点在している?!のです・  会社を見学するたびに、いつも期待を上回り、面白く、感心し、大きなエネルギーが与えられます。ローマは1日にして成らず。思いつき、アイディアを、形にせずにはいられずに、日毎工夫をし、なみなみならぬ努力を積み重ねて人の目に見える形に生み出してゆく過程、人間の力に、いつも驚き、頭が下がり、力が沸き起こります。 万博 あなたはもういらっしゃいましたか?今度は、わたしはわざわざは行かないだろう、となんとなく思っていましたのが、行ってきました。やっぱり行ってよかった!  私の観たのは、自動車工業会の「観覧展望車」これは半分乗り物の歴史が壁面に映って、それからぱっと展望が開けて感激です。次いでソニーの開発した、「50メートルのスクリーン」そこに映し出される人間、自然、環境の映像、その迫力は、これは、見て体験してみなくては、話して言葉で伝えることは出来ません。ものすごい!感激です。それを出ると「マンモス」の展示。写真は見ていましたが、実物は、感激です。 それから、戸外の大きなスクリーンを広い芝生で見ました。同行の方の孫さんが主役のミュージカル「劇団四季」の子供劇。テーマは破壊される自然を守るドラマです。それから「ロープウェイ」で、会場を見渡しながら、帰りの出口へ向かいました。前の万博は平地、今度は起伏のある会場です。やっぱり行ってよかった。もっともっと見たいです。  後日談。帰ってすぐの友人からの電話で、わたしは見てきた事を色々報告。すると読書家の彼女、劇団四季の話で“浅利慶太さんの本を、今読んでいる”と。その詳しい内容を聞いてすぐにその本「時の光の中で」私も読みました。本当に面白い。 何気なくわれわれが当たり前と享受していることごとのすべては、その裏での人々の、ただならぬ苦労によって実現している。一人の演劇人の夢が形になり、存続発展してゆくために、政治、経済あらゆる人たちの、表には見えないところでの大変な努力がある。 戦後の日本文化の一つの歴史物語です。あなたにも読んでほしいなあ、と思います。 偶然、たまたまの電話で出会った一冊の本です。 いつも思うことですが、持つべきものはよき友! 自分だけの視野では出会えないことを、周りの人に教えられる。毎日ピアノをお教えしながら、習ってくださる生徒さんからも、私は日毎、多くを教えられています。             毎年いっぱい咲いてくれるひまわりが今年は発芽率がわるくてちらほら。さびしいです。        長田のピフレホールで「震災復興のコンサート」がありました。地震で、お父様をなくした人のフル―ト・ハープ伴奏・と、平原誠之さんのピアノ演奏。音楽会は2時間が普通です。それが4時間。その上にアンコールが1時間。5時間の会でした。 5時間、誰も退屈せずに楽しく聴ける演奏会!クラシックのコンサートで、そんなのは無いのではないでしょうか。彼は子供の時にちょっと手ほどきのピアノを習っただけです。 独学で18歳の時にピアニストになりました。名曲の再現に加えて、作曲、編曲、自由自在です。音楽学校を卒業してもなかなか難しい曲をいとも簡単に、楽しく弾きこなします。 音楽教育・常識のレッスンシステム・が間違っている、と思い、言い続けている私です。音符を一粒づつ拾って音にしてゆく勉強・・それが勉強だ、と誰もが信じている・・それは、しないほうがよい。とつくづく思います。私のところへ習いにこられる方のすべての方、年期が入っておられるほど、道が変えにくい、魔法にかかりにくくなっています。 習ってきた人は、結局また音符をたどってしまうからです。すると、音楽は体に入らないで、その場限りで、そのうち消えてゆくのです。 音楽は耳から、体から吸収、消化して、身につけてゆかねばなりません。  すると、それは生きて、自然に成長発展してゆくのです。 勉強の方法、道を変えると、魔法のように奇跡のように、速習が可能です。 はじめが大切、はじめが絶対なのですが、古い教育を受けてしまった人・私を含め・は、気づいたときから道を変えねばなりません。毎日楽譜を拾う勉強を・・一生続けていても駄目です。 いま語学教育では、これこそ、我こそ、と新しい方法・学び方が提唱されています。 それに対して、音楽はいまだに音楽学校を含めて、教育は昔ながらです。 それは才能のある人は教えることをしないで、それぞれに・作曲・編曲・演奏・指揮・・ひとかどの音楽家になり、教育が取り残されているのです。しかも、教育が商売になってしまっているいま、古いやり方・いまもそれが常識のやり方・は・商売にはまことに都合がよろしい・先生の後をいつまでもついてゆく、生徒は延々習い続けている、いつまで経っても楽譜を拾うことになれるだけで、自立できません。教師は未知の道の道案内人です。  それではどうすれば・・それは常識の根本的な変革です。・・柴田先生のレッスン公開・・ 理念と具体的な方法 を、早く世に示したいと思っています。 どんな世界でも頭角を現すと頭を打たれます。一生ものすごい時間ピアノを楽器を習い続けてきている人たちは、こんなピアニスト・平原さんの出現を小憎らしく思うようです。なんの縁も無い人から“平原ピアノを許せない”というメールが私の所へ?入ってきます。 平原さんを批判する人たちに集まってもらって、弾き比べや、討論などしてもらったら面白いなあ、と思います。が、おそらく誰も現れはしないでしょう。  彼は、子供の時に地域の子供歌舞伎に出て、将来は役者になろうか、吉本に入ろうか、どっちかと思っていたとのことです。

子供歌舞伎 公演 予告   ・・・平原さんが出演します・・・

日時  10月1日 (土) 13:00〜 

所   木津神社(神戸電鉄木津駅下車 徒歩1分) 入場無料 

あなたも是非一度平原さんのピアノを聴いて見てください。

HPも見てください。

  

 




   
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