波照間の日本最南端の碑にて 1/1
今日は元旦だ、日の出は7時20分位だ。港に7時頃宿泊者と一緒に行くが、曇りで太陽が拝めず、3年目にして始めて負けた。(2年前の小笠原では起きたらとっくに日が昇っていた)しかたがないので宿に戻って朝食だ。今日はさすがにおせち料理みたいな朝食だ。宿代を払い、港に向かう。
9時前に港に着く。波照間行きの船までまだ2時間以上あるので急遽竹富島へ行ってみることにする。石垣島から竹富島まで約10分、小さな船室に自転車を積み込み、ジェットコースターみたいに上下に揺れ、竹富島に着く。港が大変綺麗だ。ここには港の建物が無く、石垣島で往復を買った理由が分かった。
しばらく自転車を走らせ、ンブフル展望台で島を360度見渡す。向こうには石垣島、また反対側には西表島が見える。ここからやたら綺麗なビーチが目につき、その方向へ向かって走らせる。しかし竹富島は舗装路が少なく、ロードレーサーでは非常に走りにくい。ビーチに着くと、そこの名はコンドイ浜だった。この海の色は白っぽい淡い青で、大変美しい。波照間行きの船に接続するために切り上げてビジターセンターで絵はがきを購入の後港に戻り石垣島へ戻る。
波照間島行きのチケットを購入しようとすると、近くにMTBとバックパッカーがいたので話しかける。MTBは西表に、そしてバックパッカーは波照間に行くとのこと。ターミナルで波照間までの往復のチケットを購入。まずは2人でMTBを見送る。その後11時発の波照間行きの船に乗る。
自転車を持って行き、船外で竹富島、西表島、黒島、新城島を見つつ約50分で日本最南端の島波照間島に到着。苦労しながら自転車を港に出し、バックパッカーと2人で港で記念撮影、住所交換をする。彼は西の浜でキャンプとのことで私達は別れ、私は一路日本最南端の碑へと向かう。途中、日本地図が壁に描かれている交番、標識のある小学校の壁を写真に撮りながら道を走っていると、MTBがやって来て、話をしてみると彼も記念碑を目指していたので一緒に走ることにする。名前を武田さんといい、先生をされているとの事だ。彼は西表島から船でここ波照間島に渡ったそうだ。
しばらくしてから島一周道路から外れ、南へ向かうと記念碑らしいものがあった。近づいてみるとそれはやはり日本最南端の碑であった。当初想像していた物よりもたいへん小さかった。我々2人はそこで写真を撮ったり、座り込んで1時間程しゃべったり、近くの断崖をみたりしたが、人はほとんど来なかった。2人で、「宗谷岬とはえらい違いだ」と言った。途中、私は日本最北の島礼文島のTシャツにここ日本最南の島波照間で着替えた。
それから一路島の西側へと向かう。武田さんが「製糖工場に寄ろう」と言ったので立ち寄ってみると今日は休みだった。それから砂浜を見た。その後、土産物屋のモンパの木に立ち寄る。店は開いていたが誰もいないので店の人を呼ぶと、何やら酒ビンとコップを持って来た。おお、酒は幻の泡盛「泡波」ではないか!店の人が言うには「今日は正月でめでたいからどうぞ」、といただいてしまった。なかなか飲みやすい泡盛だ。私はTシャツと絵はがきを購入、今度は日本最南の島波照間のTシャツを着て礼文島で8時間コースを歩くつもりだ。
それから取りあえず走っていくと今日の宿泊地の民宿たましろ荘があった。武田さんは宿を決めずに来たので泊まれるか、と聞いたらまだ空きがあったので一緒に泊まることにする。道端に座っていた人が挨拶してきたので挨拶を返し、しばらく3人で話す。彼もここの宿泊客で、坂田さんといい、昔バイクで日本一周したそうだ。その時に知り合った人たちを集めてゴールデンウィークなどに宴会をやっているそうだ。今回は冬休みを利用してここにバックパッカーとして来ている。
荷物を部屋に入れ、再び外に出てから話し込む。それから私は自転車で付近を散策。その後夕方になったので食事だ。ここの食事は量が多く、幻の泡盛「泡波」が出て来るので有名だ。カレーが丼1杯、ソーメンがまた丼1杯、刺身その他、おまけにソーダが1ビン付いていた。それに泡波だ。我々宿泊客はこの食事との格闘が続いた。食事が終わってから泡波を飲みつつ談笑だ。波照間が11回目というおじさんや、バックパッカー坂田さん、MTB武田さん、大阪の女性、そして私で話し込む。ふと空を見ると、月明かり、街灯があるものの星が結構見えた。明日は晴れて欲しいと思いつつ寝る。
本日の走行距離 23.2km