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綴る徒然


ここは日々の生活を綴った随筆ページです。
最近は着物でのMobile
和装機付をテーマにしています。

和装される方がMobileする。
Mobileされる方が和装をする。
あまりいらっしゃらないかもしれませんが
これからの季節、お正月や成人式の時等
何かの参考になれば幸いです。



2001/01/13

貝の口

和服を着るようになって
日本文化や伝統について意見を求められる機会が増えた。

しかし残念ながら私は
質問者に対して期待に答えられるような回答はできない。

ただ酒がうまいから和服纏っているに過ぎないからだ




しかし、それだけの答えでは
どうも納得してもらえないらしい

舞台裏を見せるのは
創作を志すモノとしては
なんとも情けない所業であるのだが
ちょっとだけ真意を語るとしよう




まず現在の国という概念は
文化や伝統を語るには大きすぎると思うのだ
それを一つくくりにするのは無理があるような気がする。
(話を、はぐらかされていると感じる方がいるだろうか
まあ最後まで読んで欲しい)

文化や伝統というのは、町や村といった単位
いや、もっと小さい家といった単位でも存在する。

海が近くにあるとか
小高い丘の上にあるとか
盆地にあるとか
とれる作物だとか
その土地の風土だとか季節によって変化する。
(日当たりとか、水はけとか
家ごとに違いがあっても不思議はない)

わかりやすく一例をあげれば、、、
太陰暦に従えば、まだ年末だ
成人式など一月以上先である。

太陰暦は種のまく時期だとか
収穫時期だとかに密接に関係している

農作物の生産をしている地域の方が
年中行事を太陰暦にしたがって催す事が多いのも
その日に行う本来の意味をご存知だからゆえであろう。

厳しいしきたりがあるのも
厳しい風土に耐えて生きていくためだ

しきたりをたもたなければならない
本来の意味である風土に気づかずに
ただカタチを守ったとしても
文化や伝統を守った事になるかどうかはわかりかねる。

かといって
「自然を守る」とか「自然と共存する」という主張にも
ひねくれものの私は首をかしげてしまう。

「自然を守る」とは人が自然より優位な存在であるという表現で
「自然と共存する」とは自然と対等な存在であるという表現で
自然に感情があるとすれば
「思いあがりもはなはだしい」とあざ笑うかもしれない。
(例え人類の生存する環境、いや全ての生物が死滅したとしても、宇宙はありつづけるわけだ)




自然は厳しく雄大である
その変化を感じて生き残る手段にする
それが文化や伝統して残そうとするモノの根源であると思う

海の近くにくると風に潮の匂いを感じるとか
季節ごとの蕾のふくらみ具合だとか
鳥の鳴き声だとか
つぶさに感じる事が何よりではないだろうか
鼻をヒクヒクさせ、耳をそばだてる小動物のように

だから私は、花鳥風月が旬のモノなんかを肴に酒を飲む、、、と言う訳だ。

空っぽの入れ物について討論するのも趣向としては悪くはないが
討論はチョットしたすれ違いで口論になる
なにより酒と会話は楽しい方が良い




下手な講釈をうってしまった
まったく格好悪いったらありゃしない。

貝の口、男は背中で舌を出し
静かに微笑んで杯を傾ける
ただ、それだけの男になりたいものだ




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