note No.23

いのち短し襷に長しの章


19980302

春だ!!元気だ!!焼肉だ!!男やもめダ!!立ち食いダ!!の巻

誰がなんといっても今日から春デス!!
体の奥底から「焼肉食え、食え、食え、食わんかい」という叫びが聞こえてきましたからデス

そこで本日は食い放題に行こうかと思ったのですが
そのお金で材料買った方が安くつくと思い(オヒオヒ)、お肉と、たれがわりの小てっちゃん(たれと同じ値段で買え肉倍増&コンソメダシのスープに少し入れてみたりする)、野菜は冷凍のアスパラとなすび(調理いらずで、残りは明日からの材料になる)を買って帰って即調理

フライパンに例によってチューブのしょうがとにんにく、七味とうがらしをふって下拵え完了
後は焼きつつ、食う、おもむろに食う台所で立ったまま焼けるはしを食う

(しばし堪能)

食い終わったら、そのまま流しへポイ(あ、これ便利)




19980226

二本立ての巻

昨日サボったカラ、今日ハ二本立て

「その状態」

あまり高潔な意思は持たない方が良いのかもしれないと思う
志高い人には、だれだって長生きして欲しいものだ

例え考える事ができなくても、鼓動が聞こえる、息だってしている、そんな人から命を分けてもらうのは忍びない
もう二度と話をする事ができなくても、このままの姿でもいて欲しい、、、と思うかもしれない

また超自然的な力があるとすれば、意思は執着に転ずるかもしれない
そうすると他人様の中で、激しい自己主張をするかもしれぬ

超自然的な力が、この世に無いとしても、超現実的な力が作用する
あの人は、もっと生きたかった、あなたにはあの人の分も強く生きて欲しいと
関りあった人から受ける、限りないプレッシャーは
せっかく受け継いだ命のともしびに
絶える事無きプレッシャーという名のそよ風を与え、消し飛ばすかもしれない

ならむしろ、、、と考える

たとえばある日突然、体が丈夫だとしても、考える事ができない状態になったと仮定しよう

ずっと寝たままでいるにも、お金がかかる
それならいっそ使える部分でも、他人様に使ってもらった方が
残されるモノにとっても、妙な気を使わせなくて済むかもしれない

「手前勝手ならあきらめもつく、あまったモノを利用してもらえるなら、かえってうかばれるってモンダ」

常日頃から、そう話していれば、周りも同調するだろう
そんな環境ならば新しい所有者だって気を使わずにすむのではなかろうか
とかく貴い考えは正論だ、正論は理屈だから、理屈に基づけば反論もできる
皆に理解してもらえる話であればあるほど、あーでもない、こーでもないと外野が騒ぐ、話が大きくなりすぎて、最初の目的が見えなくなる

けれども単なるわがままならば身軽なもんだ、むきになれば相手も折れる
「好きにすれば」と、あきれてもらえばしめたもんだ

(ポンとひざを打って)良い考えだ!!

、、、とは思うものの、行動におこすとなるとためらってしまう、意思が弱くても執着はあるのだ
なんにせよ多少は高潔なキモチを持たなければ、行動にはうつせないのかもしれな


そうなると話は堂々巡りで、単なるイイワケにしかすぎなず
己の業の深さを感じつつ、お茶を濁す毎日である。

ミャー大工
(明治時代、日本に滞在した、ある欧州の小国の大使の手記より)

古来、日本では「ワビ(wabi)」や「サビ(sabi)」が尊ばれている

その技法は建築物にも活かされており、我々には奇異に思われる作業もある。
中でも猫を利用して行なわれる「ミャー大工」は他に類をみない手法である。

高貴な家では、たいていミャー大工と呼ばれる猫を幾世代にも渡って飼い
その家の持つ独特の「枯れた」雰囲気を醸し出している。

ミャー大工の作業は、たいてい人間の大工が作業をした、すぐ後に
その家の家長の母親(グランド・マザー)によって指示される。

「ミャー大工さん、居間の柱に爪をたてておくれ」
グランド・マザーが、こう声をかけると、鳶色の毛をした一匹が
新しい柱に5、6回程ガリガリと爪をたて「ミャー」と鳴く
彼の本日の仕事は、これで終わりだ、後は縁側へ行ってあくびを一つし、もう寝息を立てている。

その様子を満足げに見送ると、グランド・マザーは、今度は虎縞のミャー大工へ「畳を、けばだてとくれ」と声をかける。

グランド・マザーもミャー大工もけっして、その日のうちに仕事を完了させようとはしない
だが毎日仕事は確実に行われ、翌日、その翌日と彼らの作業が進められる
一週間もしないうちに柱は黒ずみ、畳はけばだち、古びてみえる。

つい先日まで漂っていた、改築した場所だけ新しいという「違和感」が消え
古くからある家に似つかわしい、自然な、ごく落ち着いた光景になる
その仕上がり具合をみるにつれ、成る程、この家にふさわしい雰囲気になったものだと彼らの仕事ぶりに関心する。
人間の大工では、新しい家屋に遠慮して、こうはいくまい

ミャー大工は、生後半年から一年すぎたミャーと鳴く猫だけが、そう呼ばれ、また実際の作業をこなしている

ミャー大工になる前の猫は、ミー大工と呼ばれ、その家の子供と砂場でころげまわるように戯れる
ときたま誤ってミー大工が爪を立てる事があるが、そんな時、ミー大工は家人の怒りをかうとともに、誉れたかき事と喜ばれる

その日、狭い額にコツンと家長の拳骨による制裁を受けたミー大工は
「人に対して決して爪をたてない」というミャー大工の心得を知るとともに
ミャー大工の仕事道具である立派な爪を持った事を称えられ、一人前の証に、めざしを丸ごと一匹与えられるのだ

一度だけ、私はその映えある場をともにした事があるのだが、家長の拳骨に刻まれた爪痕が印象的であった
聞けば4代前のミャー大工から受けた傷で、その傷は屋敷に立派なミャー大工がいることの、なによりの証であり、誇りなのだそうだ

年をとりミャーと鳴けなくなった猫は、ミャー大工の仕事から引退する。
しかし彼らは、自分自身の体をつかって、日本流の趣き深い世界を作り出すのだ

彼らの新しき仕事場は、かもいとタンスの上のわずかな空間である
かもいに刻まれた牡丹の花を背に、タンスの上に座り、家の中をこまごまと動き回

家人を見下ろし、つまらなそうに横を向くのだ
(この家の家人は、これが彼流の愛情表現であると心得ている)

そこには言葉や文学では表現できない「世界」が存在する
日本人は、この猫に特に呼称する呼び名は無いと言う
私は彼らが時折使う「隠居」という言葉こそ、語意を含め彼らの呼称にふさわしいのではないかと思う

私は、この家の家人に嘆願し、ミー大工を一匹譲り受けた、2年後の帰国の時には祖国に連れてかえるつもりだ

残念な事に、我が国の煉瓦つくりの家ではミャー大工の活躍する場は少ないかもしれない
ただ私には一つの計画がある。

帰国とともに私は大使の任を終えて引退する、その時は故郷の家の裏手にある納屋を改装し、そこで老後を日本での体験を書物にまとめる等して暮らすつもりだ

納屋には、私が若い頃、過ごした部屋がある、そこならミャー大工も爪のふるいがいがあるだろう
私は、ミャー大工の仕事ぶりを眺めながら、隠居猫のように私の一生を振り返りながら暮らす予定だ
その時には、私の腕にも、立派なミャー大工がいるという証の爪痕が刻まれている事であろう



19980225

命の洗濯の巻

勘のイイ方は今日のハナシのオチを読んでいるのではナイデショウカ?
ハイ大当たりデス〜本日は手抜き更新で、空いた時間に命の洗濯、、、

でもテーマには沿っているデショ(^^;




19980224

ニアイコールゼロ・イコール・ノットイコールゼロの巻
記号は機種依存文字なのかな?文字化け防止にカタカナ使ったらなんか間抜けなタイトルだ(^^;

地球が生まれてから45億年、宇宙とか、「この世界」が誕生してからとなると、もっと比べ物にならないほど、長い長い年月(もう、そんなレベルのハナシでは無いか)が経っているのでショウネ、、、

星や宇宙の命に比べると、人間の一生は短いですね、ほんの一瞬、いや皆無に等しいかもしれません。

でも寒い冬の夜、暖かいお風呂に肩までトプンとつかると、冷えた指先に「ゴゴ、ゴゴ、ゴゴ」と血潮が流れて行くのを感じます、とても良い心持ちデス、何でもない事ですガ、確かに自分自身がここにいる事を感じます。

皆無に等しい存在でも、全くの空虚では無いのですネ。


この世界から比べたら、それこそ芥子粒みたいなノーミソで「生きている意味」を考えるよりは
体全体を使って、この世界を感じた方が「ちったあマシな答え」が出るかもしれません。

春近しとはいえ、まだまだ冷えますね、、、あったか〜いお風呂につかって、ホカホカ気分で寝ますか!



19980223

小猫はか弱く守られるべき存在では無い
むしろ敬意を払うほど強い命であるの巻

皆さんは、この季節、雪がチラツク空の下、着の身着のままで生きていく事がデキマスカ?ttanabeは無理ですネ、、、凍えてしまいマス

私が岩手県で暮らしていた6年ほど前、、、ちょうど今ごろの時期の事だったでしょうか、、、
雪深いその日、仕事を終え、青森市内から宿泊先である浅虫へ向かう途中
晩御飯を仕入れるために立ち寄ったコンビニのそばに「小さな彼」はいました。

彼=生まれて二月くらいの小猫は、自動ドアの前の雪除け(東北のコンビニには、自動ドアが開いた時、雪が吹き込まないように雪除けがある)で、必死になって身を縮めながら風をよけていました。

その日だけでなく、前日も、前々日も、その小さな体で雪の中を生きてきたのでしょうネ
私がチッチと舌を鳴らして呼び声を、ふりはらうように夜の雪の中に姿を消しましタ

(猫はコタツでまるくなる〜)なんて鼻歌を口づさみながら、ホタテマヨネーズのおにぎりとHOTのお茶を入れたビニール袋をサイドブレーキに引っかけて、私は車を走らせました。



19980222

ヌードルの巻
(時代を感じさせるタイトルなんスが意味わかります?)

今週は「命」をテーマに更新します、、、とはいえ、あまりヘビーな話題をいきなりしてもナンですんで、本日は軽くハヤリモノのハナシから

短絡的な発想ですが命といえば切っても切れないのが死、死といえば最近「リング」って流行ってマスネ(F.DOLLYも見にいったソウナ)
ところで、このリングって5〜6年前にテレビの2時間ドラマ枠(3時間だっけ)で、やっていましたが、覚えている人はいますか?
高橋克典様や三浦アヤネ様、原田芳雄様等が出演されていました。

ttanabe一家は原田芳雄ファンのttanabeの母の指示のもと、一家揃って見ました(F.DOLLYは覚えていないそうデス)
このドラマでは、貞子は悲劇の女性(おっと正確な表記では無いですね)として、ある意味美しく描かれていました
最近の映画では貞子の「不気味な怖さ」が強調して描かれているようですネ、「なんだかドラマで見たイメージと違う〜」なので見たく無いデスネ〜(- -)う〜ん

ありゃりゃドラマや映画を見ていない方には「よう知らん」ハナシになりましたネ(しかも命とはアマリ関係ないヤ(^^;)







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