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オアシスポケット2 9/30/98

先日オアシスポケット2というワープロを安価で譲ってもらった。最初に発売された通称オアポケ1も、当時はコピーライターをしていて金が有り余っていたので発売されるなりすぐに買ったのだが、これはあまり使いものにならず、マッキントッシュを使うようになってはまったく意味がなくなってしまった。しかし今回買った「2」は、MS-DOS文書が扱えるようになっており、外付けフロッピィドライブもついているのでマッキントッシュと文書のやりとりがフロッピィ一枚あれば簡単にできる。パワーブックDUO280というのも持っているが、これは1.9キロもあって重いし、なにより馬鹿みたいにどでかい充電電池のくせに二時間ももたないというのが致命的である。デザインはめちゃくちゃかっこいいので、あれで電池がせめて五時間くらいでももてば重くても我慢するのに。その点オアシスポケットはシステム手帳程度の大きさと重さで、電池は単三乾電池二本で五時間もつ。難点はキーが小さいので打ちにくいのと、これまでずっとマッキントッシュにOYA-UBという偉大なソフトをインストールした変則的1key親指シフトを駆使してきたため、本家の親指シフトになると少々勝手が違うことである。昔はそれでやっていたのですぐに慣れるとは思うけど。

しかしどう考えても合理的な親指シフトが普及しないどころか消えつつあるのはいったいどういうわけか。今さらローマ字入力なんかアホらしくてやっとられませんがな。なんで日本語書くのにいちいちichichiとかititiみたいなことやらにゃいかんのだ。いくら速く打鍵できても確実に親指シフトの二倍の手間である。どうしてこんなものでみんな満足しているのか理解できない。親指シフトを覚えるのが面倒だというのであれば、もっと日本語に適したキーボードをメーカーはなぜ作らないのだろうか。アメリカの陰謀と違うか。

それはともかくオアシスポケットのおかげでこれからは外でも旅行先でもどこでもばりばり仕事ができる。スピード倍増である。はっはっはなんですと。仕事場以外で仕事をしなければならないような状況がこれまでにあったかですと。

ほんまやなあ。必要ないなあ。無理にでも珈琲館行こかなあ古くさいぼろぼろの紙の箱に入れて。


飲みに行く 9/29/98

一昨日も飲みに行ったのに今日も飲みに行く。銀行通帳は真っ赤っかなのに飲みに行ってしまうのである。

しかし五時に待ち合わせで、ちょっと星電社に寄ったりもしたがあとは五時すぎから十二時半くらいまで、男二人でずーっとビールを飲みながらひたすら喋っておったわけで、こんなことは脚の綺麗な気だてのいい美人と意気投合したとしてもなかなかないことである。そうそう相手が美人の場合は話よりももっとすることがあると思うあなたは人生が悲しい。いやしかし、いったいなにを話していたのでしょうか。のちのち役に立ちそうな話もなかったと思うのだがそれでなんで七時間も話せるのでしょうか。不思議でならない。帰りは電車がなくなってタクシーしかないと言っておったが、なぜその前になんとかしようとしないのか。不思議でならない。仲のいい女の子にバドガールの格好をさせていろいろ遊ぶのはいたって正常で、変態というのはもっともっとあれでこれでというようなことを聞いてそうかぼくはいたって正常なのかと安心する。しかしバドガールの格好を喜んでしてくれる女の子は身近にいないのである。不思議でならない。


いろいろ腹立たしい 9/27/98

風邪はどうやら治ったものの咳はいまだに出るし鼻血は出るし、どうもあちこちで馬鹿にされているような気もして腹立たしく思っていると、次々と腹立たしいことが連続する。仕事内容について訊ねるメールを出しても返事は来ず、とある出版社からの原稿依頼の封書の宛名はおまえなんかよく知らんがしょうがないので送っているのだと言わんばかりに「田中哲也」となっており、気が悪いのでそんな仕事断ってやろうと思いながらも断れる立場ではないのでへらへらせねばならず、知人へのメールに軽い冗談を書けばそんなのは誰でも思いつくものであってなにもおもしろくないあんた本当にプロの作家かと匂わす返事が来、別の知人にちょっとしたことを訊ねたところ返ってきた内容がよくわからず、まだよくわからんと書いたところ、それでわからんのならなにをやっても無理なのであきらめろと馬鹿にして見捨てる内容の返事が来、実家へ帰ると雨で地面が濡れているせいもあってか犬はお座りをせず、十分ほども叱りつけてやっと座らせてから散歩に連れていくと突如思いがけぬ方向へ思いがけぬ力でダッシュするもので足を取られて濡れた路面に引き倒されることとなり、猛烈に腹が立ったので犬を裏返しに裏返していると全身どろどろになってしまい、そうやって路上で飼い犬と組んず解れつ暴れているところを近所の不細工な姉ちゃんに見つかっていやな顔をされ、実家にビールがなく、仕事場の隣の看護婦寮にはあいかわらず男の出入りが多く、駐車場の出入り口には違法駐車がますます増え、猫に玄関で糞をされ、雨が続くせいで新聞は濡れ洗濯物は乾かず生乾きのパンツを履かねばならんのだ。非常に気持ち悪い。いいかおまえら絶対このままではすまさんからな。がっ。


プリンターが直った 9/24/98

先月あたりからまともに動かなくなっていたプリンターがやっと直った。直ったといっても修理に出したわけではなく、インクカートリッジを交換しただけである。なんじゃインク切れかいと思ったあなたは思慮が浅い。約五千円もするこのカートリッジは、インクタンクをカラーと白黒と二個取り付けるようになっていて、単なるインク切れの場合はこのタンクを交換する。しかししばらく使っていると、カートリッジそのものがちびるというか磨り減るというか、とにかく駄目になってしまうらしい。こうなると単にインクがかすれるとか変な色になるだけではすまなくなってしまうのだ。カートリッジには電子回路のようなものも付属しており、どうやらこのあたりの接触かなにかがおかしくなっていたみたいで、コンピューターそのものがフリーズしてしまったり、アラビア語みたいなわけのわからんダイアログやら爆弾やら、いろいろ出てたいそうびびったことである。インクカートリッジが古くなっただけで、コンピュータまでおかしくなってどうするのだ。パートのおばさんが病気になっただけで本社ビルが倒壊するようなものではないか。しかも一年も経たないうちに交換しなければならないような消耗品が五千円もするというのはどう考えても理不尽である。プリンターそのものが三万円ほどで買えるんですぞ。便所の改築に二百万円かかったとして、トイレットペーパーが五十万円というようなものではないか。そんな高い紙で尻が拭けるものか。


天満へ行った 9/19/98夜

芦辺拓氏と堀晃氏の対談を聞きに大阪天満まで行った。地下鉄天満橋駅を降りてすぐの喫茶店から田中啓文氏がのそっと出てきて驚く。喫茶店には牧野修氏もいて、腹を探り合うようなアホ話を展開しはじめたところへ高井信氏もくる。喫茶店を出てぞろぞろ四人で歩きはじめると原田小百合氏と本間祐氏が出現。天満はそこらじゅう作家だらけである。しかしどこへ行ってもぼくだけは印象が薄いらしくて、すぐに忘れられてしまうのだった。たいしたもの書いてないというので無視されているのかもしれないけど。野尻さん覚えてますかあぼくのこと。読んでへんやろなこんなページ。

『鳩よ』は紀伊国屋に行くと二十冊くらい積んであった。なんで明石にはあんなに少ないのだろう。急いで大森氏の記事だけ読む。ほんの十行程度しか書いてなかったけど「成功している」と書いてあるので単純に嬉しい。「ヤングアダルト読者に合わせた翻訳」のつもりはぼくにはまっくたなかったのだが、そう言われるとたしかに「電撃文庫」でふざけているという意識はあったかもしれないなあと今読み返すとちょっと思う。まあ『悪魔の丁稚』に限らず、過去に書いたものはどれを持ってきても今読むとあちこち恥ずかしい。二度とこんなものは書くまいと思ってしまうのである。


電撃文庫五周年 9/19/98昼

田中啓文氏の日記を読んでいたら、電撃文庫五周年企画で「あなたが選ぶ新作グランプリ」とかいうのがあると書いてあった。そういえば『大久保町の決闘』をノミネートするのでそれに対してコメントを二百文字で書けと言われて書いた覚えがある。すっかり忘れておった。ちょうど今売っている電撃文庫に挟まっているチラシに載っているらしいが、ぼくは全然知らなかった。そこでメディアワークスのホームページに行ってみると、本当に投票をやっているではないか。しかも中間発表まであってすでに八千を越える投票があり、当然のことながら『大久保町』なんかかすりもしていない。人気がないのはわかっているが、こうやって「あんたは人気がない」「売れてないし」「誰も読んでませんわ」「能なしの屑作家やがな」とあからさまになるようなことをされるとがっかりしてしまいますなあ。このページを読んでいるあなた、今からメディアワークスのホームページに行って作品は『大久保町の決闘』キャラクター部門は『杉野紅葉』に投票してみる気はありませんか。なに、ここに来た人全員投票しても焼け石に水。そやなあ。風邪も治らんしなあ。鼻血も出るしなあ。

ところでぼくがノミネートに対して書いたコメントというのは以下のとおり。

いやいや。降って涌いた災難とはこのことでありますぞ。なにがてあなたノミネートですがな。のんびりつつましく暮らしていたらいきなりノミネート。結果がドンケツなのはやる前からわかっているわけで、そっとしておいてくれれば人気がないのも性格が悪いのもそれほどばれずにこそこそやっていけたものを勝手にノミネートしてはいあなたドンケツですよとはなんということをするんですかただでさえ友達少なくて結婚もできないのに。

以上、きっかり二百文字(句読点含む)である。さすが元コピーライター。

タコを送る 9/18/98

すでに廃刊となった雑誌『電撃アドベンチャーズ』のお正月読者プレゼントで、田中哲弥から明石の生ダコプレゼントというのがあって、今頃になってやっと送った。ずっと気になっていたので肩の狐が落ちたような気分である。当選者の名前や住所を教えてもらったのがずいぶん遅かったし、ぼくもぐずぐずしていたのでこんなに遅くなってしまった。他の作家の方々はパワーブックやウェディングドレスやモスラの幼虫なんかをプレゼントにしていたようだが、ぼくの場合は明石「魚の棚商店街」をこよなく愛する編集部の方から「タコタコタコにしようタコがいいタコにしよう」と勝手に決めてこられたのでそういうことになった。気になったのは、プレゼントが欲しいと応募してきた人が単にタコが欲しかったのか、それとも田中哲弥のファンだからなのかどっちなのだろうということで、まあこれは十中八九タコが目当てであろうと考えて本にサインしておまけに付けるというようなことはしなかった。なんじゃこりゃと思われてもつらいからである。しかしおそらく競争率の一番低いプレゼントであったはずだ。生ダコではなく干しダコを送ってしまったが、時間がかかりすぎて乾いてしまったというわけではなく、生ダコを送ることにはいろいろと問題があったためである。ちゃんと魚の棚で一番評判のいい乾物屋の一番上等を買ったのでかんべんしていただきたい。

あれからまた数軒本屋をまわったが『鳩よ』はない。なかったが『火の鳥』の復刻版に10巻と11巻が出ているのに気づいて購入する。「太陽編」前後編で二冊なのだが、こういうものがあったとはまったく知らなかった。これで本当におしまいらしい。残念なことである。


鳩よ 9/17/98

SF大会のとき大森望氏に『悪魔の丁稚』のことを『鳩よ』に書いたとお聞きしたので、発売日である今日いそいそと買いにいったところが、明石で一番大きい本屋である(と思う)ジュンク堂にはなく、訊ねると「今朝一冊入ったがもう売れました」ということだった。あと数軒、半日かけて本屋をまわったが「売れました」が一軒でその他は「取り扱っていません」という。人気あるのかないのかよくわからん。とにかく、ぼくが『鳩よ』の今月号を入手する可能性はほとんどなくなってしまった。誰か買って見せてくれ。

しかたなくクーンツの新刊を買う。『ドラゴン・ティアーズ』というやつで、クーンツどれも似たような話やからなあと思いつつも茶木則雄という人の解説に笑ったので買ってしまった。「〜われわれは何としてでもクーンツを取り戻すのだ。まともな訳で読める新潮文庫に。あるいは文春文庫に。あるいは"超訳"以外のすべての翻訳出版社に。」この本は新潮文庫である。ぼくはめちゃくちゃの超訳をしたことはあっても他人の「超訳」を読んだことがないのだが、そんなにひどいの?

筒井康隆氏の講演会 9/12/98

明石市文化講演会とかで、筒井康隆氏が講演するというので聴きにいった。入場料千円。テーマは「インターネットにおけるコミュニケーション」驚いたのは、客のほとんどが老人だったことである。告知の方法に問題があるのではないか。

まず市長の挨拶があったが、市長は明らかに筒井氏のことを知らず「えー本日は筒井タカ…? カ? あー筒井康隆氏をお招き云々」と言っておった。おそらく客の半分近くが似たような状況であったと思う。入り口付近でポスターを見たばあさんの一人が「ジェームズ三木とはちがうんやねえ」と隣のおばばに訊いたりしていた。たしかに写真はちょっと似ていた。

ポスターチラシには「講演には手話通訳、要約筆記があります」と書いてあって、この「要約筆記」というのが実に妙なものだった。オーバーヘッドプロジェクター、というのか透明の下敷きみたいなやつに字や絵を書くとスクリーンに映るやつです、そうあれあれ、あれで講演の内容をすぐさま手書きで書いていくのであるが、とにかくひどい。要約、というわりには脱線した話の細かいことも真っ向から書くので「明石大橋、まだ渡っていないがヘアーカット。行き帰りに見る明石は明石焼き小さい店」などとわけがわからんことになる。しかも筒井氏に関連したことなどなんにも知らない人たちがやっていたようで『朝のガスパール』はさすがに資料にあったらしく正確に書くのだが「パスカル文学賞」となるともうなんのことやらわからなくなって混乱し「朝のバスガール文学賞」になっていたりした。とにかく固有名詞はことごとく省いてしまうのである。高井信氏のことが出たときも「SF作家(高井)」なんだか犯罪者みたいではないか。筒井氏が大震災のあと地元ローカルFM局でDJをしたとき、七十歳の男性から「アーティ・ショウのスターダストを聴いて、素晴らしかった青春時代を思い出し、この災難の中で胸がいっぱいになってたまりませんでした」というお便りをいただいた、というような話は「たまらない気持になった」ということが何度か出たのと「アーティ・ショウ」というのがまったくわからなくて一瞬手が止まってしまったのとで「スターダストたまらない七十歳男性。たまらない気持になった。震災でたまらない。胸がいっぱい素敵な青春時代」講演よりもこっちが気になってたまらなかった。こういうこと笑ってはいかん、と叱られるかもしれないが、あんなことならやらない方がましなのである。耳の不自由な人がそれに頼って聴きにきていたとしたら、あれではなんにもわからんではないか。やるならきちんとやっていただきたい。風邪がまだ治らんのでやはりいろいろ腹が立つのである。本屋に行けば欲しい本はないし、昼飯を食いにいけばどこも満員でまずーいまずーいスパゲッティ屋しか空いてないのだっ。どりゃあっ。


ちっとも風邪が治らん 9/9/98

熱が下がって鼻の奥の痛みもとれ、やれやれ治ったと機嫌よく暮らしはじめるとふたたび熱が出る、というようなことを数回くりかえす。治ったと思っても数時間すると頭が重くなってくるのはいったいどういうわけか、このまま一生こういう症状を抱えて暮らすのだろうか、もしかしてこのまま死ぬのだろうかと怖がっていたのだが、どうやら治ったと思うといつも食後のコンタック総合感冒薬を飲まないのでそのせいかなあと三回目くらいで気づいた。治ったのではなく薬で抑えていただけらしい。しかし薬を飲むととりあえずは眠くなるので、一時間おきに目が醒めるもののこのところ一日八時間くらいは寝ている。それなのに快復するようすもなく、こういうしんどいときにプリンターが壊れて印刷ができなくなり、向かいのアパートの工事はやかましさを増し、駐車場の出入口には違法駐車が増え、スパゲッティーは炊きすぎてぼよんぼよんになり、実家に帰ると犬に無視され、自転車はパンクし、隣の看護婦寮には男が頻繁に出入りし、踏んだ覚えもないのに靴の裏に犬のうんこがこべりついてキリンあの頃ラガーは飲まれてしまうのである。とにかくいろいろ腹が立つ。なにが人工衛星じゃあ。ずりゃあっ。


熱が出た 9/8/98

血で固まったままうろうろしていたのが災いしたらしく、風邪をひいてしまった。すぐに治ると思っていつもどおり風呂で本を読んだりしていたらどうしようもないほど寒くなってきて、分厚い布団を出してきてくるまって寝るが寒くて寒くてがたがた顫える。もしかして異常気象で気温五℃くらいになっていたのかもしれないが温度計も体温計も仕事場にはないので確かめられなかった。翌日(7日)は田中啓文さんと飲みに行く約束だったのだが、朝になっても全身ずるずるだったので電話してとりやめにしてもらう。朝十時半頃でまだ寝ているだろうなあと思って電話したのだがやっぱり寝ておった。すまんすまん。

しかし熱が出たりしたのは実に久しぶりで、ここ数年はなかったように思う。生まれてこのかた今ほど体に脂肪のついたことはなく、今が一生で一番風邪のひきにくい体質だと思っていたのだが甘かった。熱にうなされながら見る夢というのは独特で気持悪くておもしろいものなのだが、ちょうど熱の出始めたとき風呂で読んでいた本というのが『死霊たちの宴』という創元推理文庫の海外「オリジナル・ゾンビホラー・アンソロジー」で、これがまたどの話も似たような話ばっかり(まあ当然でありますが)だったものだから、ゾンビが来て逃げなくてはならないのだが逃げ場はなく、どこへ行けばいいのかわからないのでひたすら田中啓文さんと牧野修さんについていくと、iMacは抽選で当たらなければ手に入らず今月中には『猿はあけぼの』を仕上げなければいけないのだがいったん過去へ逃げてからまた戻ってくるということをくりかえせばゾンビに食われることもないのでそうしようこれがつまりコペンハーゲン解釈などというわけのわからん夢を夜通し何度もくりかえし見た。おもしろかった。


鼻血が出る 9/5/98

先日、泥水で顔を洗わなければならないのだが、その中には血を吸う危険な虫も混ざっているので気をつけなければならないなどと怯えつつ顔を洗っている夢を見て、はっと起きると鼻血が出ていた。子供の頃はよく出ていたのでさほどあわてもせず、ちり紙を鼻に突っ込んで止まるのを待ったのだがそれ以来癖になったかしょっちゅう出るようになってしまった。ひどいときはくしゃみをしただけでもつつーっと出てきたりするのである。昨夜など風呂に入っているうちに眠り込んでしまい、そのときたまたま鼻血が出ていたらしい。寒いのかなんなのかわからない感触でふと目を醒ますとバスタブに溜まった血が首までになっており、しかも時間が経っているせいか固まってしまっている。ちょうどアーモンドチョコレートのアーモンドになってしまったような状態だった。バスタブと血の塊が接している部分はぬるぬると動くため、四苦八苦して体を起こし、転がり落ちるようにしてバスタブから出た。一度倒れると起きるのが大変で顔が下になっていたりするとこのまま死んでしまうのではないかと思うほどの苦しみである。亀のごとくじたばたしているうち手首と足首部分の血が溶けて動かせるようになり、なんとか必死で起きあがると血でできたヌリカベのような格好でよちよちと歩き回る。尿意を催したので、うまくすればそれで溶けるかと、後先考えずにやってしまうとどういうわけか手首や足首の方へは出ずに顎の下からばかり噴き出すのにはまいった。


悪いのは俺か 9/3/98

田中啓文氏のホームページに、牧野修田中哲弥の二人といるとアホな話の相手をしなくてはならず大変疲れると書いてあったので、インターネットの環境がない牧野さんにそのことを密告したところ、啓文さんはたしかに「仕方なく」相手をしていたのではないかというような返事が返ってきた。最初ははははそんなアホなと笑っていたのだが、よくよく考えてみるとぼく以外の二人が会っているときにはそれほどアホなことにならないわけで、となるとあの二日間のきちがいじみた滝のようなアホな会話はすべてぼくのせいかと思って落ち込んでしまった。なるほどそう考えると、あちこちで(と言っても二三人なのだが)『悪魔の丁稚』をほめられたりしたので浮き上がってしまっていたというのはたしかにある。まあぼくはけなされてなにくそとがんばるよりは、ほめられて調子にのるというタイプなのでそれはそれでいいのだが、あの二日間でお会いした人々に今頃「あの田中哲弥というのは本物の馬鹿だ」と言われているのではないかと思ってちょっと恐い。普段はおとなしい物静かな人間なのに。


変なものを書いてしまった 9/2/98

星新一ショートショートコンテスト出身作家などを中心に、星新一氏追悼ショートショート集を出そうという企画があって、それに三編ほど書いて提出することになっているのだがやっと一編書き上げた。ところがこれがめちゃくちゃへんなものになってしまい、とても変だと思ったのでたまたま電話をかけてきた読書や小説にほとんど無関心な女の子に話の内容を語って聞かせてみたところしばらく沈黙し「今の話を書くような人間が、わたしの知っている田中哲弥君であるとはまったく思えず非常に恐ろしい気がする」と言われてしまった。このショートショート集の企画は井上雅彦さんがしきっているようで、三編出したからといって全部載るわけではなく、もしかすると一編も載せてもらえないというようなこともあるようなので、ボツになったらこのホームページで公開することにする。おそらくここで公開することになる。

しかし「大久保町」でデビューして以来ショートショートを書くのは初めてで、しかもそもそも賞をいただいた「朝ごはんが食べたい」というのもなにがなにやらわからんものであったしで、けっこう悩んでしまったことである。長編の場合書くだけならば一時間にだいたい平均原稿用紙三枚くらいは進むので、その勘定でいくとショートショートは半日あれば一編書けてしまうのであるが、これがなかなかそうはいかず、一時間一行くらいだったりするのである。おかげで他の長編短編すべて滞っているのだ。そうそう。この言い訳はけっこう使えるな。うんうん。


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