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大阪湾一周 10/10/04

 本当なら真夏の暑いときに行く予定だったのだがY氏が盲腸で入院したり予定した日がことごとく雨に降られたりしたため今頃になってしまった。「猛暑の中」という条件は非常に重要だったのに惜しいとY氏はたいそう悔しがっていた。なんでも、昨年のように「猛暑の中自転車で淡路島を一周した」というのはおおよそどのようなものか一般的にわかりやすいので世の人々に説明がしやすく自慢もしやすいということであるらしい。なので今年もやはり自慢しやすいコースにせねばなるまいというのがY氏の提案であったわけだがこの人が根本的にまちがっているのはこういうのは自慢しても誉められるより「あほとちがうか」と言われてしまうことの方が多いというところである。自慢する方は自慢だと思っていても聞く方にしてみると台風の日にサーフィンして死ぬ人とおんなじ扱いである。実際行く前から計画を話しただけでたいていの人にアホを見る目で見られた。なんでそういうことするのと怒られたりもした。まだしてないのに。
 大阪湾一周というのはまず明石を出発して国道二号線を東へ走り、そのまま延々と大阪湾に沿って和歌山方面へと向かい、そこからフェリーに乗って淡路島の南端へ渡ってまたしてもあのうっとうしい淡路島を北へと走ってまたそこからフェリーに乗って明石へ戻るというコースである。Y氏は中学生のときランドナーを買ってもらって嬉しいというのでいきなりひとりでこのコースを走ったのだそうだ。なんとも無茶なガキ。
 ところが和歌山と淡路の洲本をつなぐフェリーが今はもうなくなってしまっており、結局関西国際空港近くの港から淡路島津名へ渡るコースを選ばざるを得なかった。大阪湾一周というよりも三分の二周くらいになってしまうのだがそれしかないのでこれを大阪湾一周ということにする。法的にも許されるはずである。
 早朝、といっても九時半であるが出発し、あとはもうただ黙々と車道を走る。横を車がびゅんびゅん走り景色は単調で空気は臭い。上り下りもなくカーブさえほとんどない。まるでおもしろくない。それでも初めのうちはまだましだった。昼頃甲子園のすぐ横を通ったのだが、ここはどういうわけかそこら中ゴミだらけ、道行く人は好き勝手に歩き回り前触れなく道を横切り子供は四方八方から手裏剣のように飛び出してきていちいちぶつかりそうになる。たまたま無茶な人が寄っていたのかそれとも土地柄なのだろうか。なんと恐ろしい土地であることよと甲子園を過ぎたが、そこから先だんだん車の動きが凶悪になってくるのだった。普通に走っているだけでもクラクションを鳴らされ、道路を横断しようとしているのにわざわざ加速してきて邪魔される。明らかな殺意さえ感じる。さらには幅寄せされる吸い殻投げられる空き缶投げられる不細工な女こっちに顔を向ける下品に笑うノドチンコ見せる鼻くそほじる股ぐらかきむしる道ばたでうんこする。そういうことが五分に一回くらい起こるのであるああ気色わる。なんというか「本物の大阪」という感じである。弁天町では歩道橋を渡らないと前に進めない状況が何度となく出現してうんざりし、岸和田では路上駐車と渋滞に阻まれて前に進めずしかたなく歩道に逃げたら下品なおばばが横幅いっぱいにゆるゆる歩いていてやはり進めない。なぜか来園者のほとんどが肉を焼いて食べているせいで異様な臭いと煙に包まれた浜寺公園で休憩し、さらに凶悪化する車や、人に似た生き物などに気を使いながら泉なんとかを越えフェリー乗り場に着いたときには正直ほっとした。つくづく思い知らされたが日本の道路は自転車が走るようにはできておらず、車を運転する人々は車道を走る自転車に冷たい。そしてしかも大阪なのである。
 淡路まで一時間半ほどは船の旅となる。すでに日は沈んでおり、凶悪な土地も夜景だけは綺麗であるなあと感心しつつ甲板のテーブルでコンビニ弁当を食べ、そのあまりのおいしさに感動した。弁当がうまいのではなくこちらの腹が減っているせいなのだがめちゃくちゃおいしかった。珍しい高級食材や一流料理人の手による料理を探し求めるグルメもよいが、動いて飢えてからとりあえず目に付いたものを食うというのでも「食べる喜び」はものすごく満たされるわけで、絶対この方がお得だといつも思う。
 淡路では強風が吹き荒れていたものの完全な追い風だったためめちゃくちゃ楽。ところが淡路というのは街灯の全くない道がけっこうあって車が通っていないと真の闇になってしまうのである。ぼくもY氏もそれなりに明るいライトを自転車に取り付けてはいたもののそんな明かりなどなんの役にも立たないほどの田舎の闇が襲いかかってくる。うわーまっくらやなあとぼくは怯えていたのだがY氏はなにを考えているのかなんにも考えてないのか下りのカーブでもとてつもないスピードのまま闇の中へとつっこんでいくのだった。離されてしまうとよけいに暗くて怖くなるので必死についていったが、道になにか落ちていたり段差があったりしたらどうなるのかというようなことは気にならんのか。なんとも無茶なおっさん。
 一時間もかからず岩屋へ到着し、ビールを買ってまたフェリーに乗る。今度は明石へ向かうその名も「たこフェリー」である。関係ないが明石には新しく「たこバス」というのもできたらしい。なんでもたこ。
 明石海峡大橋の下をくぐって三十分ほどで明石到着。終わって振り返るとそれなりにいろいろあって充分おもしろいツーリングであったが二度とごめんじゃ死ね大阪。と呪いつつ仕事場に帰って風呂を入れようとしたら湯沸かし器が突然壊れて湯が出なくなった。くっそーみんな大阪のせいじゃ。死ね死ね死ね死ねと唱えつつ水浴びてビール飲んで寝る。死ねー。

たこちんちんになりたい子供 10/15/04

 昼過ぎ起きて顔を洗っていると近所のばあさんがどこかの幼児に話しかけている声が聞こえてきた。どこのどういう人かは知らないがぼくも顔を合わせれば挨拶をする、非常に感じのいい上品なおばあさんである。
 なんとかかんとかでなんとかがどうのこうのという挨拶めいたやりとりののち、舌足らずな子供は声高らかに宣言した。
「ぼく、たこちんちんになるねん」
 たこちんちん? なんやそれは。
 上品なばあさんは明らかに動揺したようすで「あ。え。そう。それはなにする人なん?」
「たこ!」
「たこをどうするの?」
「たこつるねん」
 ばあさんややほっとして「あー。漁師さんかあ」
「ううん」子供必死の形相で否定する。「たこちんちん」
「……ああそう。そういうのになりたいの」
「うん! ぼくたこちんちんになるねん」
「ふーん」明らかに、ああこの子供はものごっついアホなんやなあという顔をしてばあさんはあきらめた。「ああそう。怪我せんように遊びよ。ほんなな」
 しかしそのやりとりを二階の窓から眺めていたぼくはそこで突然理解してしまった。この舌足らずなガキの言う「たこ」とは「サッカー」なのだ。見よガキの足下にはサッカーボールと同じような大きさのボールがあるではないか。さきほどからときおりてんてんと聞こえていたのはボールを蹴る音ではなかったか。なるほど「ちんちん」と聞こえるがあれは「選手」と言っているのだ。つまり「たこちんちん」とは「サッカー選手」のことなのである。「たこつる」というのは「サッカーする」ということなのである。わかってしまえばなんということもない話なのだがしかしまあどう聞いても「たこちんちんになる」としか聞こえないのがつらいところで、ばあさんは結局謎の言葉「たこちんちん」とはなんであるのかわからないまま帰り、子供は近所のばあさんに「アホの子」として認識されてしまったのだった。ま、ある程度それは正しいかもなあ。舌足らずにもほどがある。

トカゲで避難勧告 10/20/04

 台風二十三号の名前は「トカゲ」なのだそうだ。トカゲなんかなーんも怖くないわと思うところだがぼくの仕事場のまわりに避難勧告が出た。いつもはちょろちょろとしか水の流れない明石川が危険水域に達したとのことで「近くのなんとか小学校へ避難してください」などと仕事場のすぐ横を広報車が通る。それほどたいした雨風でもないけどなあと窓から外を見ると驚いたことに道には数十センチの水がたまっていて川のようになっているではないか。ひやあえらいことやがなと思ったもののぼくの仕事場は二階であるしまあ大丈夫やろと避難はしないことにした。
 夜七時過ぎには避難勧告も解除され大きな被害もなかったようだが、しかしまあ「避難勧告」というのがどの程度大変なことだったのかは結局よくわからなかった。のんびりした声で「明石川が危険水域に達しましたあ。お近くの小学校へー、避難してくださいー。ほなわし飯食いに帰りますわー」みたいな調子で呼びかけられても新しい焼きいも屋さんかなと思うだけで、あれで危険を感じた人は少なかったのではないかと思う。こういう場合ある程度は実際よりも危機感をあおる方が防災には役立つはずで「なんとなく大丈夫そうやなあ」とのんびりさせてしまうようではいかんだろう。自爆装置が作動しました一時間後に二丁目全土が爆発しますいっしょにゴジラも来ますギララも来ますくらいの迫力でもってぎょーぎょーと耳障りな警告音を鳴らすくらいのことはしてもいいのではないか。危機感なさすぎ。だから明石では花火見るのも海岸散歩するのも命がけ。

奈良でいっぱい食べる 11/5-6/04

 このところなにかと親切にしていただいている『亜空間』の著者秋岡久太氏に、一度家に遊びにおいでと言われたので奈良まで行き、ひたすらおいしいものばかりごちそうになった。奈良というとコピーライターの頃のいやなイメージが集約されている忌まわしい土地であったため大嫌いだったのだが、わあええとこやなあといきなり好きになって自分でも呆れる。
 触ってもまったく動じない食い意地だけで生きているような鹿が観光客から略奪した鹿せんべいのみならずそれをまとめてあった帯のような紙までもしゃもしゃ食べているのを眺めながら大仏殿などを見て歩き、正倉院展というのをやっているらしいというので正倉院まで行ったところが展覧会は博物館にて開催ということで正倉院は外から眺めただけであった。なんとも不思議な建物である。大昔の大工というのはものすごい人々だったに違いない。
 秋岡氏宅では、自作のとてつもないパズルや迷路など見せられてまったくとんでもない人とがいたものだと驚いたのだが、ひとつ単純ではあるけれど不可能としか思えないようなパズルを出題され(この人にはしょっちゅうクイズやらパズルの難問を出題されるのである)その後ずーっと気になる。
 しかし世の中、まだまだ知らないおもしろいことがたくさんあるもので、皿の上に光が浮いて見えるくらいで驚いておってはいかんのである。

ボウリング 11/13/04

 たぶん二十年ぶりくらいだと思うが久しぶりにボウリングをした。メンバーはいつものY氏と、Y氏の同級生でぼくの生命保険を見直してくれたファイナンシャル・プランナーと、それからなんと妙齢の美人の四人。この美人は毎週かかさずボウリングするほどの入れ込みようだそうで、ボールや靴は自前である。しかもボウリングをするときだけはきちんとミニスカートに履きかえるという単なる美人ではない「よい美人」なのだった。
 普通に投げれば簡単にボールは曲がってくれるなどと聞かされ、以前から一度ぐんにゃーっと曲がったあげくにストライクというのをやってみたかったので言われたように投げると必ずガーターとなる。あきらめて力任せに投げた結果、三ゲームやって129、160,133とぼくとしてはけっこうないい点が出たと思ったのだが、四人中では最下位。一位は驚いたことにY氏であった。普段ぽやーんとしているくせに、なにをやらせてもそつなくこなす不気味なおっさんだ。
 明石駅前に最近出来たちょっとこじゃれた居酒屋へ行き、にぎやかにビール飲んで帰る。

八方美人 11/17/04

 ああなんと八方美人と言っていたのか。中島みゆきの歌に「見返り美人」というのがあるが、この歌詞でずっと気になっていた部分がある。何度もくりかえされるフレーズで「だって さみしくて見返りの美人 泣き濡れて 八方美人」八方美人かあ。
 今日たまたまこの曲を耳にしてふと気になり歌詞を検索してみてわかったのである。そうか八方美人か。ぼくはこれまでずっと「だって さみしくて見返りの美人 泣き濡れて アボリジニ」と聞いていた。なんかへんやなあとは思っていたもののアボリジニだと最初に思ってしまって以来そうとしか聞こえなかったのである。なるほどなあ。腑には落ちたがちょっと残念。

六甲全山縦走大会 11/23/04

 去年二度とやるかと思ったのにY氏に誘われ今年もまた参加してしまった。今回は、ゆっくり歩いてたくさん休憩を取り、終盤膝を痛めて苦痛の中泣きそうになって歩いている人々をにこやかに抜き去りつつ優越感に浸ろうというあんた最低の人間ですなあけどおもろそうやろけけけけけという計画だったので、それなら行きますわと参加することになったのである。なにを隠そうこの計画を立案したのはぼくである。
 で、結局計画どおりに事は進んだのでまあまあ楽しめたもののゆっくり歩いてもしんどいことに変わりはなく、だんだん腹も立ってきてどこの阿呆がこんなばかげたことを始めたのだこんなイベントなけりゃ参加することもなかっただろうにとぶつぶつ毒づきながら夜九時半ごろゴール。去年はY氏が四時半くらい、ぼくが五時過ぎくらいだったから、四時間から五時間も余計に歩いたことになる。ものすごく損をした気分である。
 汗をかいてもすぐ乾くと謳ったハイテク下着を着込んでいたにもかかわらず、十一月下旬とはとても思えぬ異常な暑さのせいで大量にかいた汗が全然乾かず髪の毛もびしょびしょでちょっと日陰にはいるととたんに寒くなり、ゴール後は夜の風が凍えそうなほど冷たくて死ぬかと思う。NASAで開発された素材を使っていて寒くなったら暖かくなり暖かくなったら涼しくなるというなぞなぞみたいなしかしそれがなんと驚け千二百九十円NASAで開発されたのに千二百九十円てどういうことや正気かユニクロというようなフリースを着てもまだ寒く、とてもビール飲む気にはなれなかったのでがたがた震えながらコンビニで買ったお茶飲んで帰る。二度とやらん。

パズルができた 11/26/04

 秋岡氏に出題されて以来ずっと気になっていたパズルがやっとできた。見事に美しい答えだったためめちゃくちゃ感動した。このような知的興奮は久々、というかもしかすると初めてかもしれない。興奮しつつ秋岡氏に解答をメールしたところ、ぼくの答えは秋岡氏が想定していた答えとは違うという。でも正解は正解やということで誉めてもらった。しかもぼくの答えの方が美しいのである。ぼく賢いかもなあ。
 先日六甲を歩きながらY氏にこのパズルの話をしたら、それからずーっと考えているようで、答えわかったでーとメールしたら歯ぎしりしながら悔しがっているような返事が来た。ああええ気分や。
 どういうパズルかというと「厚みのある正方形の板三枚を、それぞれ垂直に交わるように組み合わせるには、板にどのような切れ込みを入れればよいか」というものである。ただしひとつ条件があり、各板の中心には板の厚みと同じ長さで板の辺とそれぞれ平行な辺を持つ小さな正方形の穴が空いている。

 実はこの穴がなければ比較的簡単にできてしまうため、その方法を排除するための条件である。Y氏など話した瞬間たちどころに穴の空いてないパターンの解答を打ち出してきたほどだ。もちろん板をふたつに切り離してしまうのはアウトである。ゴムで作ってねじ曲げてはめ込むというのもだめです。(ひとり驚くべき強引なやり方で段ボールで作った板三枚を無理矢理ねじ込んでほらできたと勝ち誇った女性がいたのである。どんな性格しとるんや)とりあえず今のところ二種類の方法があることが判明している。別のやり方を誰か発見してくれ。とりあえずわかったという人はメールください。


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