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ボツじゃボツじゃ 11/30/98

ボツじゃボツじゃとおっしゃいますが、ボツが下駄はいて杖ついてとにかくボツである。けっ。なーにが(訳あって削除)。気の悪い話じゃまったく。だいたいあ(訳あって削除)ているよ(訳あって削除)いなしょ(訳あって削除)くてなんで(訳あって削除)じゃ。どう考えてもこ(訳あって削除)うだ(訳あって削除)いではないか。よいかこの際はっきり言わせてもらうが(以下訳あって削除)。

というわけで、どろどろに酔ったまま明日は東京へ突入。


またしても天満 11/28/98

某小説講座の今週の講師は高井信氏で、題目はショートショートの書き方。これでぼくもショートショートが書ける。田中啓文氏、牧野修氏も来ていてキシザル工務店勢揃い。あとで芦辺拓氏も来られて、突如にぎやかになる。高井さんには著書を三冊、啓文さんには新刊(ちょーかわいいーのに中身はいきなりヌードショーで乳首はトカゲの頭)を一冊もらってめちゃくちゃ嬉しい。読む読まぬにかかわらず本ならなんでも欲しいようなところは子供の頃からあったが、やはり著者にもらうというのはなかなかに感動的である。先日編集者の一人がぼくの仕事場に来られたとき、最近読んだ本ではこれとこれとおもしろかったですよよかったら持って帰ってもいいですよと数冊渡し、しかし菅浩江氏の『雨の檻』は「これはご本人にいただいたものなので」と渡さなかったのだが、よく考えてみればほいほい手渡してしまった田中啓文氏の『十兵衛錆刃剣 Fire in the Shadow 爛熟の媚獣』(なんという長いタイトルじゃとても正気とは思えぬ)は著者にもらったものだった。忘れておった。はは。けどあれはおもしろいのでみんな読みましょう。でもまず売ってません。


車と接触 11/26/98

夜遅くマウンテンバイクで軽四の後ろにくっついて走っていたら、左側の道から右折しようと待っていた車がぼくの自転車(ちゃんとライトも点けていたのに)に気づかずぬそーっと出てきて、びっくりして必死で漕いで加速しつつ右に避けたところ、後輪をぐいっと押されるのを感じた。こけずにすんだし、すぐに後輪を見たがぶれている様子もなく、車の方も停車して心配そうにこっちを見ていたので(あー。車が見ていたのではなくて、運転手が見ていたのです。えっ車が心配そうな顔でこっち見とったんですか、みたいなことを必ず言うおっさんがいるので念のため)そのままぼくも手を振って「どないもないわ大丈夫や」ということを知らせ、そのまま仕事場へやって来た。けっこう恐かったなあ。四十キロくらいは出していたから、ヘルメットもかぶっていなかったしこけていたらたぶんものすごく痛かっただろうと思う。

今ふと思ったのだが「こけずにすんだし」というのは「苔酢に寸出汁」とか「コケズにスンダシ」とか、なんとなく昔話の題名のような趣がありませんかないかそうか。

『悪魔の国からこっちに丁稚』絶版の噂 11/25/98

昼間、ぼんやりメールのチェックがてら喜多さんのページの掲示板を見ると「『悪魔の国からこっちに丁稚』はどうやら絶版らしい。手に入ってよかった」という書き込みがあって仰天する。なにを隠そう、先日とある作家が、いや名前出してもなんのさしさわりもないのだがいっつもこのおっさん顔出してきよりますからなあ、でその田中啓文さんが言うには、いつ絶版になっても困らぬように、自著はある程度自分で確保しておく方がよいと思うよと。そやなあ、いつ絶版になっても不思議はないなあ。というわけで、編集者にとりあえずこれまで出たすべての著書十冊ずつ送って下されとお願いしたばかりだったのである。

絶版というのはどうやらまちがいだったらしくてほっとしたのだが、実際絶版と思われるのも無理はなく、どういうわけか『悪魔の丁稚』はめったに本屋で見ない。まあ他の本もあんまり見ないがあの上下巻は特に見かけないのである。メディアワークスのホームページのカタログのところにも載っていない。途中で消えたのではなく出版されたときからこれまで一度も載らなかったのである。理由は不明であるが最初から除外されているのだ。ほとんど売れていないのはたしかなのに、本屋で注文すると品切れだと言われることもあるらしく、どう考えてもこれはぼくに対するいやがらせ以外には考えられない。ぼくに恨みを持つ誰かが裏で糸を引いているのだ。『悪魔の丁稚』を本屋の店頭に並ぶ前にせっせとどこかへ隠している組織が存在するのである。誰や。知り合い全員の顔を順番に思い浮かべては全員を疑う。誰や。


友野詳氏宅に泊めていただく 11/23/98

22日は宴会をやりますぞと聞いたので、少々二日酔いだったがはるばる鶴橋まで行く。電車で七十二回ほど吐きそうになり、六十七回ほど気を失いかけたがなんとかこらえた。苦しかった。五時半の待ち合わせだったのにどういうわけか六時過ぎまで待ち合わせ場所でだらだらし、総勢十数人で焼き肉屋まで歩いた。仕切は友野氏であったが、いや歩く歩く。四十六時間ほども歩いただろうか、やっとついた店は畳に座って脚のないテーブル(つまり板じゃ)の上にカンテキと皿を置いて全員猫背になって煙に涙しながら肉を食うというスタイルの店であった。煙が苦しかったが肉はびっくりするほどおいしかったので生涯に食べるはずの牛肉の八割くらいを二時間弱で食べてしまい死にそうになる。せっかくメディアワークスの編集者の方も来られていたというのに、肉を喰らうのに忙しく、ほとんど話はできなかった。店を出たところで編集者全員を含む東京からの人々はタクシーに乗って帰ってしまう。一応仕事のつもりで行ったのだがこの時点でただの飲み会になりさがったのである。残りの人々で道頓堀の薄暗い店へ行くが、田中啓文氏はここで一時間ほど好きなだけボケにボケ、まわりを疲れさせるだけ疲れさせておいて自分がくたびれるとひょいっと先に帰ってしまうのだった。あれはいかん。

で、結局ぼくは神坂一氏といっしょに友野詳氏の家まで行って明け方までだらだらし、昼過ぎまで眠らせてもらい、ご家族と共に豪華なお昼ごはんをいただき、膨大なオタクコレクションを見せていただいて少々怯えながらも驚いて喜び、そのうえあろうことか去年のメディアワークスの忘年会で友野さんがビンゴで当てたヤマハキーボード(時価四万円相当)までもらってしまったのだった。ぜひまた呼んでいただきたい。ぜひまたなんかいただきたい。

しかし神坂さんはなんであんなに腰が低いのかなあ。おもろい人や。


やれやれ 11/21/98

某小説講座の講義を終えてほっとした。いやしかしもっとわきあいあいかと思っていたがけっこう殺伐としたもので怖かったぞ。若い人は希望に燃えた目で、それは理解できたが、三十越えたおばさんで十数年ずっと書き続けてきたのですがどうにもなりませんとにかくなにがなんでも作家になりたいのですという呪詛のような雰囲気にはびびった。高校生のときに「ブルー・フライト」のような作品を書いてしまう人もいるというのになあ。なんなんかなあこの差は。まあ才能のあるなしにかかわらずデビューできてとりあえず作家として仕事を続けていられるおのれの境遇に感謝する。人のことはわしゃしらん。


「和光デンキ」が開店 11/20/98

実家へ帰る途中、いつもなら西明石駅を越えたあたりから車の流れは順調になるところが、どこまで行っても混んでいる。事故でもあったかと苦々しく思っていたら国道沿いにできた「和光デンキ」が本日開店だったせいであった。初日に行ったら粗品をくれるからなのか、少々お安い値段になっているからなのか、夜の七時過ぎだというのにとてつもない混みようである。でかい駐車場があるにもかかわらず、道路脇に止めてある車も多い。ぼくは自分で車を運転して移動するのがあまり好きではなく、車に乗り込むだけで疲れるし、混んだ場所にさしかかるだけでむかむかする。なんで俺の行きたいように行けぬのかと腹が立つのだ。なんで一方通行なんじゃわしゃ右に行きたいのじゃ行かせんかい、なんでわしの方が停まってやらねばならんのだ向こうに停まらせんかい、なんでこんなに車が多いんじゃわしが動けんじゃろうさっさとどかんかいと四六時中怒る。したがって、あのようにあちこちから車が殺到して駐車場所を探すのも一苦労、前も後ろも車がぎゅうぎゅうで身動きができない、という状態へみずからわざわざ突っ込んでいく人々の気持がさっぱりわからない。他に楽しみないのかアホちゃうかと思っているのに、そこへまたそういう車が混雑の極みにある駐車場からのこのこ国道へ出てきて、一刻も早く帰りたいぼくの車の前に割り込むのだ。さらにほんまにこいつアホちゃうか後部ガラスには「赤ちゃんが乗っています」と貼ってあるぞ。なんかしらんがとろとろ走りよるぞ。絶対アホや絶対アホや。どんならんアホやでほんまにさっさと行かんかこののろまの泥亀のド不器用なぼっさくが、と毒づきつつ後ろを走っていると、またしても渋滞につかまる。すると前の車はすっとコンビニの駐車場へ入り、出てきた運転手を見るとおおと思うような美人であった。じっと見ているこっちに気づいておや、という顔をするのでぼくもにこっと笑う。美人は得やなあ。


黒い羊と黒い家 11/18/98

本間祐氏が、以前井上雅彦氏と高井信氏との対談で、おすすめの短編としてアウグスト・モンテローソという作家の「黒い羊」というのをあげていた。ものすごく読んでみたくなったので訊ねたら『ユリイカ』に載っていただけで出版されていないという。がっかりしていると、ご親切にもファクスで送ってくださった。いやあ、これはおもしろい。めちゃくちゃ短いのだが、短いのがまたいいのだ。実に一行二十文字で八行、文章四つしかないのである。他に原文では七語、日本語訳ではたった十七文字(句読点含む)という短編もあってこれもなかなかいい。ぼくもこういうのやってみたくなった。え。読みたいですか。ははは読みたいでしょうなあ。ぼくは読みました。はっはっは。

奇しくも今日、今頃になってやっと貴志祐介氏の『黒い家』も読了。いやあ怖かった。『ミザリー』より怖い、などと帯に書いてあってアホこけ今度は騙されるかいと思いつつ読んだが、嘘ではなくほんまに怖かった。かなり前に『天使の囀り』も読んで、あれもおもしろかったけど、ぼくにとっては『黒い家』の方が何倍も怖かった。ああこわ。


流星群 11/17/98

今18日の朝の四時すぎである。ついさっき海の方から帰ってきた。明石原人出土地のある「浜の散歩道」をずっと東へ行ったあたりで流星を見ていたのだ。雲が出てきてよく見えなくなってしまったのと、死ぬほど寒くなってきたのとであきらめて帰ってきた。テレビで煽ったせいかけっこう人出は多く、そのおかげで真夜中ぼんやり自転車の荷台に腰掛けて天空を見上げていても不審人物だとは思われずにすんだのだが、期待したほどは見えなかった。田舎とはいえ明石の空はそれほど星が見えない。山の方を目指せば、二年ほど前の夏、人工衛星がゆっくり空を横切るのが見えたとっておきの場所があるのだが、そこはどういうわけか年中アベックの車がやってきて夜になるとゆさゆさ揺れる場所であり、当然今日のような日は流星を餌にゆさゆさどころかがっくんがっくんだろうと思ってあきらめた。人工衛星を見たときは残念ながらぼくはアベックではなく酔っぱらった男たちといっしょだったためゆさゆさはなかった。誰かといっしょならそこへ行ってもよかったのだが、ひとりだとやはりちょっと行きにくい。なに友達おらんのかとな。おらんのじゃすまんのう。ところで流星のピークはぼくの見ていた範囲では二時半から三時の間あたりだったように思うのだが実際にはどうだったのだろう。二時から四時前くらいまでで二三十個は流れ星を見たが、おお、と嬉しくなるような、軌跡がしばらく光って残るような大物は五個くらいしか見なかった。とにかく寒かった。ジンの瓶を持っていってときどきラッパ飲みしたのだが、それでも脚がどうしても冷えてしまい、星空を眺めながらこのまま死んだらロマンチックかなあとも思ったが、ジンの瓶抱いて汚いママチャリの上で凍え死んでいたらこれはもうどう見ても貧乏なアル中、親は泣くわなと考えて死ぬ前に帰ってきた。何年か前、岡山の美星町というところへひとりで行って、ああそうや友達おらへんねんええやないか別に、夜遅く、たまたま泊まり客はぼくだけだったので宿の主人に車で展望台のある山の上まで連れていってもらい、宇宙空間にいるかのような星空を見て文字通り後ろにひっくりかえりそうになったことがあるが、ああいう場所でなければ雪のように降る流星群というのは見えないのだろうなあ。見てみたいなあ。来年行こかなあ。ひとりで。


女房が乗ってます 11/16/98

以前ここで「赤ちゃんが乗っています」と車に貼って走っているのはあれはなんのためなのだと書いたことがあるが、それを読んだ友人の医学博士が北海道での学会の帰り、土産に「女房が乗ってます」と書いたプレートを買ってきてくれた。北海道の土産というとまっ黄っ黄の地に黒で熊の絵が描いてあって「熊出没注意」というのをよく見るが、あれである。あれの熊の絵と「熊出没注意」のその上に「女房が乗ってます」と書いてあるのだ。そやからどうやねんと言うところである。わけわからんにもほどがある。あまりに馬鹿馬鹿しいのでさっそく車の後部に貼り付けた。知らないかもしれないがぼくは独身である。田中啓文氏はしょっちゅうぼくに「あんたはもう一生独身に決まった。わしが決めた。絶対もうとにかく決まってしまった」と言う。なんでか、という理由についてはいつ訊いても教えてくれないのだ。なんでやろう。

医学博士が買ってきてくれたもうひとつの北海道土産は、ねこぢるうどんのフィギュアキーチェーン(対象年齢6歳以上)それも二体セットだった。けったいな人やなあと思うでしょ。ぼくも思う。


おお 11/15/98

おおもう十五日。なんともう十一月は半分も過ぎたのか。わしはこの二週間なにをしておったのか。なぜ十一日とか十二日だとまだまだ今月も長い楽勝楽勝と思うのに十五日になると半分もなくなった気がするのだろう。いや本当になくなっておるのだ。えらいこっちゃがな。こんなん書いとう暇あれへんがな。テケリ・リリリリッ。


天満でいろいろ蹴飛ばす 11/14/98

今週から始まった某小説講座の来週の講師はぼくなので、第一回目くらいは聞いておかねばなるまいと思い、天満まで行ったところ、誰も来ない。ビルの守衛のおっちゃんに訊くと場所が変更になったと言うではないか。で、言われた場所へ行ってみると、またやさしそうなおっちゃんがいて、なに? というので、あのナントカ学校の……と言うととっくに終わってみんなお帰りになりました。…………とさ。とあっさり言われてひっくりかえる。時間まで変わっておったのか。なぜに連絡がなかったのか。それはまあ勝手に見学に来るのが悪いと言われればそれまでやけど。しかし明石から天満というとけっこうな距離ですぞ。あほぼけかす、と荒れ狂っていろんなものを蹴っ飛ばしながらこの仕事、やめてもうたろかどあほ、みたいなことを言いつつ田中啓文さんと飲みに行く。ま、やめてもええかな。ほんまに。来週わたくし講師でありますが、やるにしてももう徹底的にええかげんにやることを決意。そんなもんまともにやっとれるかい。ずりゃあっ。


三枝の笑ウィンドウ 11/13/98

朝日新聞金曜日夕刊に(もしかしたら関西だけかも)『三枝の笑ウィンドウ』というのが毎週載るのだが、今日の分に「最近の若い母親は阿呆で、テレビでおむつの宣伝を見て、うちの子のおしっこはあのように青くないのだがと相談にきて困る」というのがあった。三枝師匠の知り合いの「市民のいろんな相談に乗る課の女性課長さん(ママ)」が言っておったというのだが、これは都市伝説ではないのかなあ。かなり以前からあちこちで聞いた気がするぞ。けっこう有名な話ではないのか。その「女性課長さん」というのは実在するのだろうか。濡れているので乾かそうと馬鹿が電子レンジに猫や赤ちゃんを入れてしまったとか、ピアスの穴から出ていた白い糸を抜いたら失明したとかいうような話と同様、これは十中八九作り話だと思うのだがみなさんどう思いますか。それにしても、この三枝師匠のコラムだが、毎週毎週もののみごとにおもしろくない。どれもこれもつまらない中で今回それでもまだ一番ましかなあというのが、寿司屋で好きなだけ食べたあと、母親が「おあいそ」と言ったのを聞いた子供が、それをネタのひとつだとかんちがいして「ぼくもおあいそ」と言った、というのであるが、他のまったく笑えないのがすべて3000オヨヨであるにもかかわらず、これだけが2000オヨヨであった。やはり選者のセンスが疑われるのではありますまいか。3000オヨヨのネタの一つは、普段パン屋でアルバイトしている人物がファミリーレストランで注文を聞かれ、いつもの癖で「少々お待ち下さい」と言ってしまった、というようなものであるが、これおもしろいか。3000オヨヨ、となると「オヨヨ分の商品券」がもらえるそうだが、「オヨヨ」というのもなあ。

いやいや。ぼくはなにももっとこうすればよくなるはずだ、などと偉そうなことを言っておるのではないのであります。人様にそのようなこと指南できるほど立派な仕事もしておりませんわわしゃしょせん二万や三万部のヤングアダルト犬以下じゃ。けっ。


小泉今日子とデート 11/12/98

久しぶりにぐっすり八時間半ほど眠ったので、小泉今日子とデートする夢を見た。実に幸せであった。広末涼子のどこがいいのやらさっぱりわからん世代としては、やはり後にも先にもアイドルといえば小泉今日子であろうなあみんな。どう見ても広末はオサビシ山系の顔である。しかし広末はまだしもアムロとなると桂三歩さんのネタではないが茶色くて丸い猿にしか見えぬ。カハラトモミにいたってはわからんどころか抹殺したいほどである。アイドルとして適当ににこにこしているだけならああ可愛いけど馬鹿なんだなあで放っておけるが、あの超音波みたいな歌だけはどうにかならんのか。胃が荒れる。なんであんなものコマーシャルで流すのだ。なにゆえあってああも微妙に気持悪くはずせるのだ。わざとか。いやがらせか。俺のこと嫌いか。下手なのはいいのだ浅田美代子も大場久美子も下手なりに可愛かったではないか。小泉今日子だって別に歌はうまくはないが、あんなに可愛いではないか。アイドルの歌を音楽として聴こうという人間などおらぬ。あれはアイドルの声だから、あああの可愛いキョンキョンの声なのだなあと思ってそれが嬉しいわけだ。ララララ言っておればなんでもいいのだ。それをなんでまたあんな黒板爪で引っ掻くようなものにするのか。わけわからんぞ。なにあなたあの歌聞いてもなんともないとな。なにうまいと思うとな。なにマライア・キャリーと区別がつかぬとな。あほーっ。

(今回敬称略。今日四ヶ月ぶりに散髪)


いろいろあった 11/11/98

とにかく電話が多かった。寝たのは今朝の八時過ぎだったのに、十二時前には電話が鳴って起きてしまう。留守電になっていたのでとろとろベッドから出て、こんな時間になんじゃいなと再生してみると「おおーい起きろーっ」などと大声で入っている。またどこかの阿呆のおっさんがまちがい電話しやがったのかと思って聞いていたら、一年ほど会っていない学生時代の友人であった。そのあと続けざまに雑用の電話が二三件あって昼飯めんどくさいし今日はもうええかなあとあきらめかけていたら、またしても電話が鳴り、これは親切な女の子からで、今たまたま用事で近くまで来ているのだがどうせおまえはまだなにも食っておらんのだろう、ちゃんと感謝するのならモスバーガー買っていってやるがどうだと言う。ありがとうございますなんでもしますもうなんでもいいから買ってきてくださいと頼み、充実した昼飯をとる。モスバーガーはおいしいなあ。そうこうしていると野尻抱介氏からも電話。明石原人の話題で盛り上がる。みんな知らぬであろうが明石原人はおもしろいぞ。もっと気にせないかん。来年の明石原人祭りにはみんなしてどっと参加して原人の格好をしてパレードしようではないか。ぼくはいややけど。電話の最中に今度は近所の友人が訪ねてきて、数日前から渡す約束になっていた少々いかがわしい荷物を持って帰る。なんで今日に限ってこんなにあわただしいのだろうかと首をかしげつつ『やみなべの陰謀』のあとがきを仕上げると、今度はとある出版社の編集者から電話がかかってきて、先月ぼくが送ったはずの原稿がどこにもないと言う。そらえらいこっちゃとすぐにそれをニフティで送る。ぼくは心配性なのでプリントアウトした原稿を送ったあと、クロネコヤマトのホームページで逐一配達状況を確認していたのだが、ちゃんと締切の日に「配達完了」となっていたため安心していたのである。それがなくなったというのは絶対なにかの陰謀だと確信する。もしかしてニフティで送った分もどこかで妨害されていたりするのではないかととても心配である。知っている人間すべての顔を順番に思い浮かべては全員を疑う。実家に帰る途中本屋に寄って文庫本を四冊買い、実家でカレーを食べ、アホ犬をおちょくってげらげら笑ってから仕事場へ戻るとすぐさま某有名国立大学の医学博士から電話があって今度の日曜日飲みにいこうということになる。その電話の最中にもキャッチホンが二件あり、その後なぜかはわからないがガイナックスのホームページからリンクしていただいた。あそこには田中啓文氏の落語のエッセイが毎月載る。あんなに好き勝手なことを書いて仕事になるというのはめちゃくちゃうらやましい。ぼくにもあんな仕事誰かくれんかなあ。などと思いつつ人様の日記を読み歩き、このところ毎日三時間くらいしか寝ていないので今日こそは早く寝ようと思うのに全然眠くないのである。どうしたもんかとこれを書いていたら、夜中の一時過ぎだというのに電話がかかってきて、と書いているとまたかかってきた。いったいなんなんでしょうか。もう耳栓して寝てしまお。


犬に布団を取られる 11/10/98

実家で飼っているまぬけ犬よだれは大変寒がりで、真夏以外はちょっと日が翳るとすぐに顫え出す。昨日今日とかなり気温が下がり、こうなるともう小屋の奥でとぐろを巻いて真桑瓜程度の大きさに縮まってしまって動かなくなる。ちょっとやそっと呼んだくらいでは出てきてくれず、なんでこんな目にあわすんや、みたいな恨みがましい目でちらりとこっちを見るだけである。そこで毎年今頃になると、古い座布団やらぼろぼろの毛布などを小屋の中に敷いてやるのだが、今年はちょうどいいのがないというので驚いたことにぼくの使っている布団の一番薄いやつが「よだれ用」として徴収されてしまった。たしかに古いが、つい先日実家で寝たときもぼくはその布団にくるまって寝ていたのだ。それがもう今日からは馬鹿犬よだれのものなのである。なんとなく侮辱されたような気分になりながら布団を敷いてやるとアホ犬は餌のときでもあんなには喜ばないというほど、猛烈な勢いで小屋へ飛び込み、以降よほどのイベント(餌か散歩)でもない限り出てこなくなった。まあ、喜んでもらえたようでよかったよかった。

昨日までは逆上しそうになっていたのに、今日あらためて件の掲示板をすべて読み返すと心は平穏であった。なにやら妙な展開で気が抜けた。世の中いろんな人がおりますな。しかしもうすぐ36歳にもなるのだから、すぐに腹を立てるのはよくないなあと思う。いつも思うのだが。


批評 11/9/98

今日は、人の話にチャチャを入れることに命をかけている目の細い作家の誕生日だと思うのだが本人もわかっていないようなのでまあそれはよろしい。

とある作家のホームページで妙な「批評」が話題になっていて、いろいろ物議をかもしているようだが、全体にこの「批評」をした人物に対して「まったくもうしょうがないなあ」みたいな感じでけっこう穏やかに優しく接しているようなので非常に驚いている。人事ながら、その書き込みを見た瞬間ぼくは逆上しそうになったからである。理路整然と反論するなどということはまったく考えなかった。あ、喧嘩売りやがったな、と思っただけだ。なぜ唐突に一面識もない作家本人に面と向かって作品の「評価」などできると考えるのか。内容がどうとか言う以前に、その行為の傲慢さに腹が立つ。人の話でこれだけむかむかするのであるから、自分がやられたらどうなるかと想像し怒りのあまり手が顫え息が苦しくなって眩暈がする。どうしてくれよう。


長電話 11/8/98

朝早く起き、と言っても十二時だったが寝たのは八時を過ぎていたのでこれはこれで早起きであるわいなあとがんばって起き、ゲラの手直しをもう一度ざっと見直し、昼飯を食い忘れ、都市伝説の本を読み、眠ってしまいそうになったのでこれはいかんと思ってちょっとだけ走り、夜はわざわざ来てくれた編集者に神戸三宮で会ってゲラを手渡し、少々打ち合わせをし、ポテトとツナのピッツァとかビールをごちそうになり、仕事場へ帰って三階の友人のところへ寄ってビールをごちそうになり、自分の部屋へ帰って便所に行き、夜中十二時すぎであるにもかかわらず電話が鳴るのでパンツをあげるのもそこそこに便所から駆け出てみると田中啓文氏からで、京フェスであのそのというような話からどういうわけか四時間喋る。四時間。普通喋るか四時間。やっぱり『やみなべ』は売れへんやろなあとかいろいろと、哀れな作家の身の上話、お聞きなされてくださりませ。で、ここは鳴り物が入るわなあとか、ぼくは前座やから高井信さんは中入り前やなあとか、誰とは言わんがあれは変な人やでえ、なに言うてますのん安物だんがなあ、あほらしい、言うてほたらお酒はどうやあ、あかん割ってしもたがなあ三銭五厘だっせえ、ほたら竹の筒に銭入れて溜めなあかんわい、あーもう死んでまう、言うてね、まあ、今ぼく酔ってますのでな。なんのことかわかりませんわな。独楽蔦骨茶。


合唱コンクール 11/7/98

『やみなべの陰謀』の著者校に疲れた(一度書き上げてしまうとなんとなくどうでもよくなるというのもあるのだが、たいていゲラのルビはめちゃくちゃで、なんで「鍵」のルビをわざわざ「キー」にするんじゃとかなんでこの字をこう読むかなあとかその他あまり書くとさしさわりあるかもしれぬので我慢するけどまったくもう)ので、自転車でも乗ろうと思ったが外に出ると風が冷たい。ぼくは寒いのは大変苦手である。そこで三本ローラーを出してきて部屋の中で乗ることにした。三本ローラーとは文字通り三本のローラーがあって、自転車の後輪を後ろの二本に、前輪を前の一本に載せるようにしてその上で自転車を漕ぐと、あら不思議倒れずその場で自転車に乗れてしまうというトレーニング用具である。とてつもなくやかましいため、これは実家でなくてはできぬ。両親が旅行に出かけたので留守番をしていたのだ。

ローラーに乗るときは必ずビデオかテレビを見ながら乗らなければならない。法に定められているわけではないが、部屋の中で黙々と自転車を漕ぐというのはそれほどわくわくすることではないのである。そこで今日はBMXのビデオにしようかそれともスノーボードのやつかと迷いつつテレビをつけるとNHKで合唱コンクール、正確にはなんとかかんとか音楽コンクールのそれのどこが正確なんじゃというわけで、それの課題曲というのの作詞が島田雅彦氏の名前になっているのを見て、へえーと思ってそのままつけておいた。正直なところは、可愛い女子高生はおるかいなと思ってそのまま見つづけていたのだが、とにかくローラーを漕ぐとやかましいので歌声はまるで聞こえず、えんえんとわざとらしい変な表情をする高校生たち(驚いたことに特にわざとらしくない団体もたまにはあった)を眺めつづけることとなった。ときどき汗を拭いたりするときに自転車を止めて聞いたところによると、課題曲の歌詞は「友達って恋人ってそんなにそんなにそんなにいいもんですかあ?」というようなものだった。ほんまやがな。なに言うてますんやと他の部分にも一生懸命耳を傾けてみたがこれは見事にさっぱり聞き取れなかった。出場校は出番前にその練習風景が紹介されるのだが、ある学校の指揮をする教師のポリシーは「顔の表情が音楽の善し悪しに関わってくる」とかなんとかで、生徒に「そんな表情では感情が伝わらんだろう」などと言っているのを聞いた。そしてその学校の生徒たちは、男も女もみな一様にうっすら笑って歌うのであった。ぼく、あの人たちでなくてよかった。


覚えていない 11/4/98

覚えておらんのじゃ。なに。なんにもじゃ。全然覚えとらん。たしか三日の夜は神戸三宮へ突然呼ばれて行ったと思う。友野詳氏や清松みゆき氏の他SNEの人がいっぱいおった。なんでもどっと五百万人というようなことであったが、なるほどそれくらいはいたように思う。二十二歳だという可愛い女性もおったのう。あんな若い娘と話をしたのは数年ぶりのことじゃ。ひょひょ。ひょひょ。そのへんからすでに酔うてしまっておったな。うんうん。どうやって帰ったか知らぬがちゃんと風呂にも入ってから寝たようじゃ。翌日四日はなぜか九時頃目が醒めてしもうた。どろーっとしておると電話がかかってきて編集者が明石へ来たんではなかったかな。例によって「魚の棚」でいろいろ買って仕事場へ来て、それがたぶん昼の十二時くらいだったかのう、いきなりビールを飲んでジンを飲んで海老を食った。あとはもうなんにも覚えてない。でろでろじゃ。ゲラ? 著者校? はあなんかそんなもんが来たようにも思うがなあ。

車に猫 11/2/98

実家のガレージは前にも書いたがテントのようなものなので、雨が降るたびに猫が車の屋根に乗る。乗っている現場というのはめったに目撃しないが、フロントガラスに滑り落ちながらじたばたした肉球の、実にまあ怖い思いをしてこけそうになりながら転がり落ちたのだなあということを如実に語る跡がついているのでよくわかるのである。乗るときはどうやら車の後部から、バンパー、スペアタイヤ(4WDなので背中にタイヤがある)を経て天井へ登るらしい。これもここを踏み台にここで一度滑り、この部分で落ちそうになったらしく爪の跡がある、とはっきりと痕跡を残しているのでよくわかる。そして雨がおさまるまで、車の天井でのんびりしているらしい。天井も猫の足跡だらけである。新車ぴかぴかの頃はなにをするんじゃとけっこう腹を立て、猫の嫌がる匂いの薬(そういうものがホームセンターで売っていた)をガレージのところかまわずばらまいて、よしこれでもう猫はおるまいばっちりやでほんま、などと高笑いしながらガレージを開いたところ、たまたま横にいた母親がなにが嬉しいのかにこにこと「あら、車の上に猫おるやん」と言うので見てみると、たしかにそいつはそこにいて、え、おったらあかんの? みたいな顔をしているのであった。わっと叫ぶとものすごい落ち方でフロントガラスとボンネットにずるずると泥を残して逃げ去った。

最近ではあの猫はぼくの車を気に入っているのだなあと思って勝手にさせているので、猫も逃げなくなった。車使うんかしゃあないなあ、という感じでのっそり降りてくれるだけである。のっそり降りても、フロントガラスとボンネットではじたばたするので車が泥だらけになることに違いはない。しかし実家の方だけならともかく、このところ仕事場の駐車場に置いてあるときまで猫の足跡がつくのはいったいどういうわけか。他の車はぴかぴかで、猫の跡はない。なんでぼくの車だけ。猫が集会して、あの車は乗っても怒られへんからおもろいぞ、などと報告しているのではあるまいか。

ところでぼくは車を洗わない。そういうポリシーがあるというわけではなくただめんどくさいからである。買ってすぐのときは塗装が固まるまで数ヶ月くらいはときどきワックスをかけるようにしてくださいなどとディーラーの人に言われたので一回か二回ワックスをかけたが、それ以来ワックスをかけたと言えば、高校時代の先輩で、そのときすでに二児の母であった美人が「わあパジェロ、また今度乗せてね」と言うのですぐさま日時を約束し、そのあとあわてて磨いたことが一度あるきりである。え。その人とどうなったかですと。ええやんそんなん。水洗いだけなら、スキー場まで行ってきたあとなどはじゃぶじゃぶとかけるだけはかけていたが、ここ数年はそれもしていない。というわけで、猫の足跡がつくとそのまま次に雨が降るまでは足跡だらけのまま乗らなくてはならず、ちょっとかっこわるいなあと思っていたら、このあいだわざわざ犬の足跡のようなステッカーを貼って走っている4WDを見た。あほちゃうか。


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