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発音の悪い男と耳の悪い女の会話 11/30/00

 久しぶりにおもしろい映画を観たのでやっぱり映画館で観ないといかんなあと思いその興奮をとある女性に電話で話したところ、よくそんな余裕があったわねと驚かれた。ぼくのことをまったく暇のない極貧だと思っているのである。で、事実そうなのである。理由を説明しようとしたのだが。
「今月いっぱいまでしか使われへん只の券があったからあわてて行ったんや」
「猿の毛ぇ? 猿の毛ぇなんかなにに使うん。なんで映画行くん」
「猿の毛ぇちゃう只の券」
「猿の毛ぇちゃう猿の毛ぇってどういうこと? 山男とかの?」
「それを言うなら雪男とちゃうんかいな。山男はただのおっさんやろ」
「はあはあ。なんでもええわ。ほんで雪男の毛ぇがあったらなんで映画行くのん?」
「せやから只の券やて言うとうがな」
「猿の毛ぇがどないしたんよっ!」
「たーだーのーけーんーっ!」
「なんや。只の券言うとったんか。あんた発音悪いでめちゃくちゃ」
「おまえの耳が悪いんじゃ」

スペース カウボーイ "Space Cowboys" 11/29/00

 ワーナー・マイカル・シネマ無料招待券というのを一枚もらっていたので映画を観にいく。特にこれといって観たい映画はやっておらず、しいて選ぶならこれかなあとさほど期待せず観たのだがめちゃくちゃよかった。ほんまによかった。スペースシャトルの打ち上げシーンもフライ・ミー・トゥ・ザ・ムーンも他もいろいろよかったがゲロを吐いた少年に連れの女の子がいることを見て取ったトミー・リー・ジョーンズが、とっさに自分の体で少年を隠してゲロを拭き取ってやり大声で、おまえはたいしたやつだなあおじさんびっくりしちゃったよみたいなことを言うシーンが特によかった。

夕方以降のニュースをみていてもわかるように 11/20/00

 テレビでニュースを読むアナウンサーたちが最初にかなりの確率で「こんばんま」と言っているように思うのだが、あれはわざとなのではあるまいか。吉本新喜劇で末成さんが登場いきなり「こんにちはー」というあれといっしょでと書いてしまうとまったく伝わらないところがおもしろいがつまり最後のハをWAと発音せずにHAと発音するあの脱力する笑いと同じで、アナウンサーたちは内輪で受けようとして「こんばんま」と言っているのではないだろうか。いやけっこうみんな言っているのであるこんばんま。
 以前やはりテレビの天気予報を眺めていたら「滋賀県北部 雨」とか「三重県南部 くもり」といったテロップに続いて「兵庫県北部 はね」と出て爆笑したことがあるが、まさかあんなまちがい本当にやらかすわけはないので、あれもやっぱりスタッフの中のふざけたやつが受けようとしてやったのだとぼくは今でも思っている。
 というわけで、消毒液のうまい店というのはあれは広告屋がわざとあのお父さんに言わせて話題づくりを狙っていることはまちがいないのであって、冬樹蛉氏がぼくの説を却下するのは大変なミスなのである。だってあなたテレビ見たことないのかあの親子の目の前に店員が差し出しているのは「ショートケーキ」そのものではないか。いかにも贅沢に育てられており高校生にでもなればわたし外国の物語が大好きなのだってテレビは見ませんからバイオリンを習いたいって三つのときにパパにお願いしたの大好きなダージリンを飲みながら聴くのはだからいつもヴィバルディやがて大学のオーケストラに入ってはカラヤンやオザワは軽い気がして好みじゃないのわたしは断然ワルターねなどといやみな面でえんえんぬかしたあげくなんじゃ結局小学校の先生かいなというような感じの悪い女に育つであろう娘が今まさにショートケーキを食らわんとしているあの状況で、実はあれは『本当に「消毒液のうまい店」』であるとする林譲治さんの説は相当に無理がある。五光年譲って実際に「うまい消毒液を出す店」がどこかにあるとしてもあんなに気取った親子がそんなものを飲ませる店に行くはずもないのである。ヨーロッパで消毒液を飲むのが大流行というのであれば話は別だが、少々無理してでもドイツ車に乗りレトリーバー犬を飼い自然食とウォーキングを好むあの親子は、ワインについてはねとねと御託を並べても絶対に消毒液など飲まない。いいや飲みません外国のワインしか飲みません。だからあの店は「消毒液のうまい店」ではあり得ないのである。わかりましたか。

待ちくたびれる 11/19/00

 東京の知人が久しぶりに関西方面へやってくるというので近くに住む友人と三人で飲もうと一昨日電話があり、ふたりはぼくの仕事場へ来ることになった。しかしふと見渡せばぼくの仕事場はぐちゃぐちゃで、いくらなんでもここへ人を呼ぶのは失礼であろうと昨日数カ月ぶりに掃除をする。やり始めるとどんどんゴミは増えどんどん埃は舞い、いくら片づけてもきりがない。別にしなくてもいいのに洗面所や寝室まで意地になって掃除し雑巾がけまでし、ここまでしたのはたぶんこのアパートに来て以来ほぼ三年これで二度目なのではないかなあと感慨を深く覚える。結局一日丸々使ってしまいへとへとになったがそうやビールも買っておかなくてはならぬと、自転車に乗って閉店間際の酒屋へビールを買いにいく。東京から来る人はけっこう食通だし口うるさいしなあということで気を使いこれまた何年かぶりに発泡酒ではないビールを買う。部屋は美しく雑巾までかけて冷蔵庫にはちゃんとしたビールがある。ものすごくえらくなったような気がし、満足感にひたりつつ昨夜はすっかり片づき埃もたたない寝室でちゃんとしたビール二十四本を想いながら眠った。あとにして思えばささやかながらも幸福な時間はここまでであった。
 明日から一泊で広島に旅行しようという話もあり、三日も続けて遊ぶのはかなり気が引けたため今日の昼間はぼくは仕事場にこもり残るふたりは大阪でパーティ、終わったら明石に来てぼくが駅まで迎えに行くという完璧な計画ができあがっていたはずなのであるが、ところがこれがなかなか予定どおりにはいかないのだった。
 パーティが終わった三時頃電話がかかってきて、まだおなかがいっぱいで四時に明石では早いように思うので今からふたりで海遊館へ行くという。大阪にある大きな水族館である。前から行きたいなあとは思っているもののぼくはまだ行ったことがない海遊館。というわけで、六時頃明石ではどうかということになる。それからぼくの仕事場に来るのだなと思っていたら当たり前のようにそこで明石の飲み屋にでも行きましょかということに向こうではすでに決まっていて、おおこれはなんということ哀れ儚き乙女の夢はさかまく怒濤に翻弄される一葉の木の葉のごとく為すすべもなく波間に消え去るのでありました。まったく意味のなくなった美しい部屋に佇み、ちゃんとしたビールを眺めつつ五分ほど呆然とする。
 まあええわどうせ俺が飲んだらええことやし部屋もいつかは掃除するんやしと強引に納得しさらに待っていたら今度は六時過ぎに電話がかかり、明石に着いたのかと思えば今まだ海遊館なので七時過ぎに新大阪からもう一度電話するという。昼を大きくまわってから起きたうえ四時半にはふたりと会うつもりだったぼくは昼飯を食っておらずめちゃくちゃ腹が減っていたがしかしどうせもうすぐ、七時半くらいにはどこかで食べるのだから今食うわけにもいかぬ。と、がまんして待っていた七時過ぎやっと電話がありやれやれやっとかと安心したところ、考えてみればまた明日会うのだから今日三人で飲むのは中止にして、今日はもう疲れたし今からふたりでどこかでなんか食べてとりあえずもう帰るわほな明日な、ということであった。
 はあそうですなと脱力し、しかたなく晩飯を求めて実家へ帰ると悪いことは重なるもので今日は帰らないと宣言してあったこともありほとんどまともな食い物はなく、なんじゃこれは仕事場で焼きそばUFO食うとった方がなんぼかましやったがなと悲しくなるようなひからびたよくわからないものをいやいや食う。ともすれば爆発しそうになる暴力衝動を抑えつつげんなりしているときまたしても電話が鳴り、のろのろと出れば酔ってごきげんの友人が嬉しそうに明日は何時に待ち合わせようかなあと言い出したので結局どこへも行かずに仕事をすることにした。まあなんにしろ仕事場は綺麗になり冷蔵庫にはちゃんとしたビールがあるのでよかったよかった。ああしんどかった。

公衆トイレの落書き 11/15/00

 まーさかりがついた金太郎、熊にまたがり……。

しゃぶしゃぶの値段 11/13/00

 神戸の繁華街を歩いていると若い白人女性ふたりに声をかけられた。ふたりともめちゃくちゃでかいが、どちらもすらりとした美人である。特にひとりはユマ・サーマンによく似た溜息が出るような美人で(実際出た)よしこれならもてあそばれてもいいかなと思ったのだがそんなことは全然してくれず、にこにこかたわらのショウウィンドウを指差して「しゃぶしゃぶ。これ、安い?」とどちらかというとちょっと平凡な顔の方のひとりがたどたどしい日本語で訊くのだった。
 しゃぶしゃぶ食べ放題三千円とそこには書いてあり、安いといえば安いのかなあでもなんとなく安っぽい店だしなあと悩んでいるとまた同じ人が「高い?」と訊くので、いや高いことはないどちらかというと安いのではないかと思いそう言おうとしたらそれまで黙っていたユマ・サーマンが真剣な表情でぼくをじっと見つめ「まあまあ?」
 爆笑しながら「うんまあまあや」と答えておいた。

肩に激痛 11/11/00

 突然右肩に激痛が走った。左手を下に伸ばしながら右手を前に伸ばし肘を曲げたまま後方へ動かそうとしたらそこで目の前に閃光が走るほどの痛みに襲われたのである。なぜそんな謎のような運動をしたかというと特に意味はなく、ただなんとなくそんなことをしてみただけなのだがいやしかし痛いの痛くないの。どの方向へ動かそうとしても完全に固定されてしまったかのように動かず、無理に動かそうとするたび刺すような痛みが走る。
 しかし右肘を直角に曲げた腕を斜め前方に掲げたままこの先の人生をすごすというのは到底不可能に思われたので、痛みをこらえてあれこれ試すうち頭をゆっくり左に倒すと多少痛みが和らぐことに気づいた。それでもめちゃくちゃ痛かったが、その方向でがんばった結果なんとか腕をおろすことに成功したのだった。
 すると驚いたことに痛みはほとんど消えてなくなってしまい、恐る恐る腕をあげてみてもなんともない。今のはなんだったのだと思いつつ今度はさっきと同じように肘を曲げながらやってみると、またしてもがちっと固定されてしまいそうな痛みの前兆とでもいうべき感触があった。どうやらあの動きをしたときのみ肩や肘が固まってしまうらしい。
 なにやら裏技のようではないか。
 つまり田中哲弥の身体には「左手を下に伸ばしながら右手を前に伸ばし肘を曲げたまま後方へ動かすと肩と肘が上方に固定されてしまう」という隠された機能があるのである。ひとつあるなら他にもあるにちがいない。そう思って様々な動きを試してみたところ、やはりあった。いろいろあったが一番すごいのを紹介する。
 右手左手左手左手右手右手右足左足舌耳の順に、上げる上げる横に伸ばす肘を曲げる肘を曲げる何度か振るジャンプする突き出すひこひこ動かす、という一連の動作を途切れることなくなめらかに五回くりかえすと十分間不死身になるのだ。ああびっくりした。

小京都 11/8/00

 小京都と呼ばれる土地は日本中あちこちにあり小京都連合というようなものまであるのだそうだ。人が呼ぶのはしかたないとしても自分からぼくたち小さいのと宣言するばかりかそれを売り物にしさらに群れ集うというのがよくわからない。プライドないのか。と常々せせら笑っているのだがしかし小京都はいっぱいあるのに小奈良というのは聞かないのである。あってもよさそうなものなのに。
 おそらく町興しみたいなことを考えるときに、ではわしらのあたりは古い仏像も多いし「小奈良」と呼んではどうでしょうなあというような意見は日本のどこかで絶対出たはずなのである。ところが小奈良が小京都のようにあちこちに発生すると当然小奈良連合というのも作る必要が生じ、待てまてそんなもの作ったらあんた全国の屁コキが集まってえらいことでっせやめときまひょやめときまひょといった経緯があったに違いないとぼくは確信しているのだがどうでしょう。

渦巻き顔 11/7/00
 
 夕方、ぼんやり仕事場の近くを歩いていると前方からやってくる人が変なのである。非常に小柄ではあるものの子供の体型ではなく強いて言えばちょっと背の高い地蔵みたいな雰囲気で、ゆらゆらと左右に揺れながらゆっくりこちらに歩いてくる。体重のあまり感じられないその歩き方はなにやらその場で回転しているようにも見え、いったいあれは本当に人間なのだろうかとさえ思ったときその人の顔を見て全身が凍り付きそうになった。
 ボーリングのボールほどの、ほぼまんまるの薄い灰色をしたその顔は鼻のあたりを中心に渦を巻いているのだ。ところどころ色が濃い部分が目や口らしいのだが全体にぐにゃりと捻られているのでなにがなにやらわからない。それなのにこっちをじっと怒ったように睨んでいることだけはなんとなくわかるのである。先日読んだ栗本薫氏の『顔』(ハルキ・ホラー文庫)に出てきたのはこれではないのか。本当にこんな人がいたのかと恐くなり、とてもではないがすれ違うことなどできない逃げようと立ちすくんだとき、なんだとわかって力が抜けた。近所の婆さんが真下を向いてふらふら歩いているだけのことだったのだ。いやしかし恐かった。頼むので変な歩き方はしないでいただきたい。

プリンターを買う 11/6/00

 以前ぼくの使っていた古いマッキントッシュを父親が使うというのでプリンターを買おうとしたら、驚いたことに現在店頭で売っているもののほとんどはすでに別の規格になってしまっているのだった。しかたなく中古で探すことにし、二年ほど前に欲しかったプリンターを「YAHOO!」のオークションで見つけ九千円ほどで落札した。これが高いか安いかはよくわからないのだが他にないのだからどうしようもない。中古だと言われなければわからないくらい見た目はきれいだし、以前買おうかと悩んだときは四万円くらいしたんだからと無理矢理納得する。
 しかしなあ。二年くらいのことでまったく別の規格しかなくなるというのはどうなっとるのだ。店員がみんな美人で脚も綺麗でしかも全員ミニスカートの感じのいい喫茶店を見つけ翌日友人も誘って行ったらいきなり相撲部屋に変わっていたというようなものではないかちがうか。みんなそれでいいのか困らんのか。しかも先日買った雑誌の記事によると今度新しく出るマックのOSXというやつは、ぼくの使っているPowerPC604e/200という機械では動かず、ではボードだけをG3とかG4というのに交換すればよい(とはいえこのボードだけで五万円とか七万円とかするのである)かといえば、そうしたアップグレードカードを使用したマシンではやはり動かないのだそうだ。この機械を買うときドータボード交換でいくらでもアップグレードできるとぬかしたのはどの口だ。今のシステムなら別に今以上速くする必要などないわけで新しいシステムが使えぬのならなんのためのアップグレードじゃあ。なめとんのか。

マッキントッシュの雑誌を買う 11/5/00

 情報が欲しかったのではなく付録のCDが必要だったのである。Jeditのバージョン4というのが出たのだが、これをネットで買おうとしたらネットスケープのバージョンが古いのでなんだか知らんが駄目だと言われたのだ。気むずかしくて客を叱ったりいろいろ命令したりする傲慢で馬鹿な寿司屋のおっさんみたいで非常に感じ悪い。そんないやな店で食べる腰抜けの弩阿呆がぞろぞろいるからいかんのだもろともにさっさと死ね、とは思うもののJeditはやっぱり欲しい。最近はネットスケープもエクスプローラーもただで配っているらしく、雑誌を買えばついていると聞いたのでしぶしぶ買ったのである。九百八十円もした。
 さっそくCDを開くとネットスケープナビゲーター6というのがあった。これやなと思いクリックするがインストールにめちゃくちゃ時間がかかりしかもめちゃくちゃでかい。百二十五メガとかもあるぞアホちゃうか。そのうえ見た目もなにもかもまったく変わってしまっていて全部英語だしなんのことやらさっぱりわからん。しようがないのであきらめ今度はネットスケープコミュニケーター4.7というのを入れることにした。6より1.3も損するがまあ仕方あるまいとしぶしぶインストールすればこいつがまたややこしいしろものでなんかわけのわからんものがどさどさ入って画面の上のメニューバーにもアイコンが出てきたりしている。ここになにか入るとたいていあとでややこしいことになるので、即座に消そうとしたのになかなか消えぬ。いろいろやっていると何度もフリーズし、とにかく誰でもいいから殴りたくなったころやっと件のアイコンは消え、なんとか使えるようになったのだが怒りはいっこうにおさまらない。変なウィンドウは出てくるし、なんだかかったるいしどうも気に入らないのである。
 もしかするともっと腹立たしい事態を招くのではないかとは思いつつ、そのままの勢いでインターネット・エクスプローラー5というのを入れてみたところ、これが思いのほかすっきりしていて使いやすそう。メニューボタンの色がなんじゃこりゃというような毒々しいキミドリだったのだが、これは簡単に換えられて地味なものを選べば問題ない。色のモチーフはどうやらiMacのようで、マイクロソフト社の製品なのにポリシーもプライドもなく真似すんなよかっこのわるいとは思うけどもう慣れたなあ。
 などと考えながらも結局これを使うことにして、他のはみんな捨てる。調子にのってメールソフトも今まで使っていたユードラプロのバージョン2からアウトルックエクスプレスというのに換えてみたら、これも使いやすそうなのでこっちにする。なんとなく裏切り者になったようなまるめこまれたような騙されているような犯罪組織の一員となったような、どんよりいやな感じはつきまとうのだがとりあえずは使えるようになった。
 一度落ち着いた環境はできるだけ長い間、できればずーっと変えたくないのに、結局こうやってばたばたといろんないやな目にあわされるのである。どうにも腹立たしいので実家に帰ってひさしぶりによだれを踏む。
 
高井さん宅に泊まる 11/4/00
 
 昼前にどんよりと起きると高井さんはすでに起きて仕事をしていた。専門学校での講義の準備らしいが、とにかくものすごい力の入れようである。話を聞くうち、自分もいろんな人にお世話になったのだから後輩には精一杯のことを伝えなくてはならぬというような使命感を持っておられることに気づく。SF関係の人はこういう考え方の人が多いみたいで、そこでなるほど眉村さんの講義があれほど熱のこもったものだったのは、そうかみなさんそういうことだったのかとさらに気づく。大変驚いた。ぼくなんか、人のことどうだっていいもんなあ。反省し、ちょっとくらいは人の面倒もみなくてはならんなと思ったりしたのだが、ぼくに面倒みてもらって助かるような人など存在しないことに気づく。ああよかった。
 新神戸オーパというところでハンバーガーをごちそうしてもらい、地下で古本市をやっているというのでぶらぶら本を眺めにいき、そこで高井さんは仕事へと戻っていった。お金がないので買ってはいけない買ってはいけないと念仏のように唱えながらそれならさっさと帰ればいいのに二時間ほどもその場にとどまり気づけば資料だから資料だからと呪文のように唱えながらけっこうたくさん買ってしまっていた。
 三ノ宮に出て本屋をまわり、なんなら誰かに電話してそのあと飲もうかなと思ったのだが、体がめちゃくちゃ汗臭くしかも髪の毛には寝癖がついており、かなり限定された人としか会えないことに気づく。昨日にひきつづき今日もいろんなことに気づいたなあと感心しつつ、孤独なアパートへひとりで帰宅。

西中島南方へ行く 11/3/00

 とある専門学校でショートショートの講義をしている高井信氏から、今日は眉村卓氏がゲスト講師としていらっしゃるので遊びに来ないかと誘われた。眉村さんとお会いするのは初めてなので、どきどきしながら行ったところ生徒の中に田中哲弥のファンだという珍しい人がひとりいて、少々異常ではないかと思うほど歓迎してくれたものの残念ながら男であった。
 眉村さんの講義は驚くほど内容の濃いものであり、聞いているうちぼくもショートショート集を一冊書いてみたいと思ったりしたのだが、ショートショートでデビューしながらまともなショートショートはほとんど書いたことがないことに気づく。
 講義が終わってから眉村さんを囲んで少し歓談し、眉村さんが原稿を書くのに使用されるという万年筆で落書きさせてもらったりした。ひどく興奮し、なんだかめちゃくちゃかっこよかったので、ぼくも手書きで書いてみようと思ったりしたのだが、すでに手書きの能力がほとんどなくなっていることに気づく。
 その後眉村さんはお帰りになり、高井さんと残った生徒たちとで飲みにいく。自分ではまだそれなりに若いと思っていたが、現実に若い人々と話しているとけっこう取り返しのつかないところまで来てしまっていることに気づく。短時間のうちにいろいろと大変なことに気づいたものである。しかしまあ二年間、小説を書くことだけ学んでいればよいとはなんと贅沢な学生たち。
 奥さんがいなくて(事情は知らないが実家に帰っているという)寂しいので家に泊めてやると高井さんが言うのでのこのこ泊めていただくことにし「NULL」や「宇宙塵」の現物を見せてもらって感動する。その他にも高井さんの、本のコレクションはすさまじくSFファンとしての歴史の長さに圧倒された。
 絶対言っちゃだめだよ、というような話を山ほど聞かせてもらい、明け方寝る。
  
眠い 11/2/00

 そういえば昨日も早く起きたのだった。朝早く宅配便が届き、当然寝ていたので居留守を決め込んでいたところがめちゃくちゃしつこく、もしかするとものすごく重要な緊急事態なのではないかともそもそ出たらおっさんが意外そうな顔で「おったんですか」おらんと思うたのならなぜにあれほどしつこく呼び鈴をならすのだまったく。
 で、なにが来たかというと救急箱。メディアワークス創立八周年記念の品だそうである。ぼくみたいにぼうっとひとりで生活しているところにはまず救急箱などなく、ないよりはあった方がいいに決まっているので大変ありがたいのだが中身はあんまり入ってなくて包帯とか絆創膏とかなぜかとてつもなく大量の綿棒とかあとなんでなのかよくわからないのだけど毛抜き。やることと名前がおんなじというのはなんとなくまぬけですなあ毛抜き。絵描き。屁こき。
 というようなわけで朝の九時過ぎに起きてしまったというのに、昨夜は十二時ごろにメディアワークスの編集者から電話があって、そのまま朝の五時過ぎまでだらだらと話をしていたのだった。メディアワークス内部で「田中哲弥を眠らせてはいけない」という決まりでもできたのか。
 で、そのあと雑用を片づけたりして結局寝たのは七時を過ぎていたのだが、今朝九時またしても宅配便が来た。しつこく鳴らせば死んだ人間でも受け取りに出てくると思ったか出ていくまであきらめない。出てみればやはり昨日とおんなじおっさんで「ああやっぱりおった」おると思いましたんやそうかそうか。
 結局そのまま起きてしまったため眠くてしかたがないのに現在朝四時を過ぎてもなぜか眠れず、しかも明日というか今日は朝九時頃に起きる必要があるのだ。起きられるかどうか非常に不安である。あのしつこい宅配便のおっさんが来てくれればまずまちがいなく起きられると思うのだが来てはくれないだろうなあ。

気のせいか 11/1/00

 なにか忘れているような気がするのだが、よくわからない。まあ、とにかく今日から十一月だ。それだけはまちがいない。



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