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六月は特になにもなかった 6/29/03

 なんにもなかったのだがテレビを見ていて、とある男性がアメリカ・インディアンのことを指して何度も「ネイティブ・インディアン」と言うのが気になった。それはインド人のことだ。

自転車初期点検 5/25/03

 店の人からだいたい二百キロほど走ったら最初の点検に持ってきてくれと言われていたのだが、結局三百五十キロほど走ったところで持ち込むことになった。フロントディレイラーのワイヤーが少し伸びていた程度で他に問題はなかったが、ハンドルの幅がやや広すぎる気がしていたのでとりあえず両端一センチずつ切ってもらう。時間がかかるようならそのうち自分でやろうかとも思っていたのだが、びっくりするくらい短時間にしかも正確に作業は終了した。たった一センチのことだがポジションに違和感がなくなり、ほぼこれでベストセッティングになったのではないかと思う。
 山で走ってきたらしいちょっと悪そうな兄ちゃん数名が酷使しきったズタボロの自転車二台を持ち込んできて、相当ハードな修理を施してもらったりもしていた。見れば二台とも元々は数万円の自転車なのにパーツ類はほぼすべてトップグレードのものに交換されていて、こつこつ交換していったんやろなあこいつらほんまに自転車好きなんやなあと笑ってしまうような状態である。フレームのいいやつを新しく買ってパーツを全部載せ換えればたちまち五十万円クラスの自転車になるわけで、これ元々ついてたパーツどこか残ってんのかと訊くと、シートポスト(サドルの下についていてフレームに突っ込む棒である)だけかなと笑っていた。えらいえらい。この店で買った自転車の修理やパーツ交換は手数料がいらないのだそうで、見た目悪そうなのに実は純朴な兄ちゃんたちは皆丁寧に礼を言うと直ったなおったよかったよかったとわあわあ言いながら金も払わず帰っていったのだった。

弁天町でラジオ 5/24/03

 今回から生放送ではなく公開録音ということで本番は午後一時から始まった。土曜のお昼という時間のせいかギャラリーはこれまでにないほどたくさん集まり寿司詰め状態である。驚いたのは、わざわざぼくにまで差し入れがあったことで、しかもくれたのはサエキのファンの美少女ふたり組だどうじゃうらやましいか。
 終わってからヒルトンホテルの高級中華料理店でクルマエビなどを非常に残酷な方法でいただく。冬がクルマエビ、と口ずさみつつ汗だくになって帰宅。

へんな人 5/21/03

 夜中にランニングしていたら、公園の木陰から若い女性がぬっと出てきて「すみません」と言う。なんですかと立ち止まると「あちらから来られたんですね」とぼくの走ってきた方向を指さすのだが、どうもなにかに怯えているようすである。はあはああの看板が出ているあたりから出てきてこっちにずっと走ってきましたが。「あの、途中にへんな人いませんでしたか?」へんな人。小林泰三が近くまで来ているのかと一瞬思ったが誰にも会わなかったのでそう言ってあげると「ありがとうございました。本当に助かりました」と言ってまあまあ美人な女性は嬉しそうに歩み去ったのであった。なんだったのだろう。
 それはともかく真夜中近くに人気のない道を袖も襟もよれよれに伸びたTシャツを着て汗だらだらに走りながらときどき野良猫に向かってダッシュをかけてその驚く様(尻尾と全体毛が逆立ちものの見事に縦長になるときがある)を楽しんだりしているぼくは彼女にとって「へんな人」ではなかったのである。ものすごい得をした気分だ。

赤坂でラジオ 5/14/03

 なんだかよくわからなかったが東京にいるのならついでにということで『アベノ橋』のラジオに出演することとなった。四谷からタクシーに乗ったらめちゃくちゃ親切な運転手で驚く。スタジオの場所がよくわからなかったので、もらった地図をそのまま見せたらはいはいわかりましたと走り出し、目的地近くまで来るとだいたいこのへんですけどはっきりわかりませんねえあのあたりだと思うんですが車ここに置いていっしょに探しましょうかなどと言うのであった。いやもうだいたいわかりますので自分で探しますどうもありがとうと降り、五分ほど彷徨ってやっと見つけた。いったいあの運転手はぼくのことをなんだと思ったのだろう。よほど田舎者に見えたのかなあ。
 二日酔いでスッピンのサエキをおちょくりつつ録音は終わり、帰り少し楽に帰ろうと思いもらった新幹線のチケットをのぞみに変更したら差額二千三百五十円も取られてひっくり返る。そんなにするのかのぞみ。いつからそんなに偉くなったのだ。前は千円くらいだったのではなかったか。買おうとしたのが自動販売機で後ろにたくさんおっさんが並んでしまったため引くに引けず身悶えしながら買う。どうせ新大阪で乗り換えないといけないのでそれほど早く帰れるわけでもなく落ち着いて考えれば別にひかりでもよかったのになあもったいないことしたなあと帰ってからもずっとくよくよくよくよ後悔した。

渋谷で鯨 5/13/03

 仕事の打ち合わせで渋谷へ行った。打ち合わせは三十分ほどで終わり、その後鯨の肉を食べさせてくれる店で飲む。鯨のベーコンとか竜田揚げとか、懐かしいけどなんか学校給食みたいやなあと思うのに一皿二千円とかするのだった。なあ君どう思う鯨やでクジラ。うっとうしい外人なんかほっといて好きなだけ捕ったらいいのに。

猫かペリカンにしてくれろ 5/5/03

 二日ほど前の夜、留守の間に宅配の「不在通知」とかいう紙が郵便受けに入っており、それから何度か書いてある電話番号に電話したのだが全然出てくれない。ベルは鳴っているのだが出ないのである。いったいどういうことなのだろうと今日の昼過ぎ会社の方に電話すると頭悪い女子高生みたいな口調の人が「ああその配達員は昨日から連休で休んでて」と言うのだった。はっはっは翌日から休むのに夜八時に来て「不在通知」に自分の携帯の電話番号を書いておく配達員はえらい。すごい。あっぱれじゃアホにもほどがある。ここまでくると腹が立つより笑ってしまいますよくこんなものすごい会社があったものだはよ死ね。で、今日はいらっしゃいますかというので、用事もあるので早くきてもらった方が助かるけど七時くらいまでできるだけいるようにしますと言っていらいらしつつ待っていたら七時十分過ぎに来た。飛脚にしては上出来であるえらいえらい。みなさん、頼むので飛脚でぼくにものを送るのはやめていただきたい。

田中啓文と飲みに行く 5/3/03

 長編を脱稿しぱーっと遊びたいのだが誰に声をかけてもみんな忙しくて遊んでくれないので飲みに行かぬかと田中啓文氏から電話があったので、ほな行こかと飲みに行く。ふたりで飲むのは久しぶりである。長編脱稿というのは実にうらやましいなあなんとかこのぼーっとしているうちにあっなんかしらんけど脱稿しているっというような幸運は訪れないものかなあなどと言いつつ、我々こんなんでいいのかなあと反省してしまうほどだらーっと飲む。こんなのは本当に久しぶりだと思うほどだらーっとした。

用務員さんの優雅な暮らし 5/2/03

 小学校の用務員さんから転属になって今は幼稚園の用務員さんとなった友人と飲みに行き、用務員という仕事がいかによい仕事であるかという話をたくさん聞かされる。小学校で働いていたときの方が幼稚園の今より楽だったというが、それでも相当楽ちんであるらしい。掃除とかお茶くみといった簡単なことさえしておれば残業もないし明るいうちに家に帰ることができ、しかも給料はそのへんのサラリーマンよりずっとたくさんあってよほど社会的地位も信用も高いのだそうだ。青少年よ用務員さんを目指せ。


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