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『ハンニバル』"Hannibal" 5/30/01

 今月いっぱいが期限のマイカルシネマのチケットがあったので、あわてて観にいく。去年の暮れにもらっていたのに伸ばしのばしにしていたらぎりぎりになってしまった。いっつもそう。なんでもそう。子供のときからそう。
 先に原作を読んでいたため、さほど驚きはなかったものの映像はけっこうショッキングで満足した。映画のラストもよかったが、ぼくは原作の方が好き。
 今日は女性だけ割引というような日であるらしく、全部で十人ほどの客のうち八割が女であった。しかも夕方からの上映だったものでたいていみんな食い物と共にあり、そのせいか場内には異様な臭いが充満している。こんな日こんな時間には二度と行くまいと決意する。
 悪いことは重なるもので、がらがらにすいているというのになぜかわざわざぼくの席からひとつ空けただけのところに座った二人連れのOLらしき女たちはというと、映画が始まってもずーっとびちゃびちゃがさがさぬちゃぬちゃといろんな音を盛大にたてつつ食物を咀嚼する。脂ぎった田舎のおっさんでもなかなかあれほどえげつない音はたてないと思うのだがいったい横に座っていたあれは本当に人間の女だったのかなあ。
 ひっきりなしに携帯電話を操作し液晶をびかーっと光らせ、ミニのタイトスカートのくせに椅子の上で膝を抱え、映画の展開についていけないのかシーンが変わるごとにふたり頭をつき合わせて「今のんなんやったん?」「今の人どないなったん?」「さっきのんはなに?」などと相談しとはいえ元々わからない人ふたりが相談したところでなにかがわかるわけもなく、わからないままその間ずっとなにかをびっちゃびっちゃと音を立てて咀嚼しつつげっぷをして屁を放って股ぐらをぼりぼり掻くのだった。ラスト一時間くらいになってやっと食物の摂取およびげっぷと放屁反芻排便すべて終了したようだったが、ここからはショッキングなシーンに出会うたび「いやちょっとなによこれ」とか「うそーなんやのー」などと大声で怯えてさらにうるさくなった。エンドクレジットの端っこが見えるや、早く出なければ損とばかりにばたばた出ていったので顔を見ずにすんだのだが、ゲイリー・オールドマンよりもアンソニー・ホプキンスよりも人を喰らう豚よりも、ぼくにはこの人たちの方がよっぽどグロテスクであった。ああびっくりした。ストーリーはよくわからなくてもとりあえずは満足したらしく、二人連れは出ていきながら大変感心したようすのあたりはばからぬ大音声で「めっちゃ気持ち悪いもん見たなあ」
 おまえじゃ。

西明石でライブ 5/26/01

 田中啓文さんが西明石でライブをやるというので聴きにいく。ぼくの仕事場から歩いて二十分ほどのところにある酒屋の地下に、なんともいかがわしく薄暗いステージがあったのだ。ほとんど毎日この酒屋の前は通っていたのに、こんな場所があるとはまったく知らなかった。かなりいい雰囲気である。
 料理は食べ放題。酒は上の酒屋で自分で買うので、ライブに行ったというより友達のパーティーに呼ばれたみたいな感じであるなあと思っていたら、客として来ていたお姉さんたちがコロッケやらおつまみやらほらほら君も食べなさいとどんどん目の前に並べてくれるのだった。友達のパーティーというよりも親戚の家に遊びにいったみたいな感じか。
 音楽はめちゃくちゃおもしろくて楽しめた。つくづくなんで俺クラシックなんかやってたんやろなあ損したなあと思う。ほんま失敗した人生大失敗じゃ。しかし、これほど水準の高い音楽が西明石みたいな田舎の酒屋の地下でこっそり演奏され、ちまたにはアホみたいなへたくそな歌ばっかり流れているのはやっぱりなんかへん。もうちょっとどないかするのだぴょーん。

『三人のゴーストハンター』 5/24/01

 我孫子武丸・牧野修・田中啓文の三氏による連作短編集(集英社刊)を一気読みする。雑誌連載のときは読んでおらず今回すべて初めて読んだのだが、めちゃくちゃおもしろかった。作家三人だけでなく、作った人みんな楽しそうで羨ましい限り。田中、牧野、我孫子、というローテーションで話が進んでいくため、常に流れは、アホ→きれい→かしこ→アホ→きれい→かしこ、となってそれぞれの作風と他の作風とが互いに引き立て合っているのがおもしろい。特に牧野さんは駄洒落破戒僧の直後なので際立ちまくり。でもぼくにとっては我孫子さんの「ハネムーン・スイート」のある一節が、この本最大の大爆笑。
 この本は売れると思う。笑いもあれば恐怖も感動もあり、謎解きの爽快感もあってこれ以上なにがいる。イラストもかっこいいので文盲の人にもおすすめだ。必ずや大ブームとなり、この夏は「南無妙法善寺横丁」と大きく染め抜いたTシャツを着た若者が街にあふれるに違いない。君も欲しいだろう「南無妙法善寺横丁Tシャツ」ぼくは欲しいぞ誰か作れSF大会で売れ。
 
卵 5/20/01

 うちの実家は山の斜面に建っているため、玄関前の庭にはかなりの傾斜がある。下から登るのはもちろん、家の方から下りるにしてもけっこう勇気の必要な危険地帯である。そこに何日か前、芝生と雑草の間に生卵がぽつりと置いてあったのだ。位置から考えて誰かが置いたとはとても思えない。前の道路から投げ込んだのならひびくらい入っていそうなものだが卵そのものは汚れもなく綺麗な状態である。蛇かなにかの卵なのではないかとも考えたのだが、やはりどう見てもニワトリの卵。なんやこれはと家族一同不思議に思っていたら、今度は別の斜面の花壇の中にも生卵がひとつ見つかった。この調子でどんどん卵が増えたら集めて出荷しようと思ったりしていたところが、その後何日か経っても卵は増えない。
 カラスが落としていくのではないかというのが父親の見解で、我が家ではこれが今もっとも有力視されているのであるが、ぼくはちがうと思っている。いくら芝生の上でも落とせばひびくらい入るだろう。カラスがわざわざ芝生まで舞い降りてきて卵を置くというのも変である。だれがやったかも気になるが、どうやったかも考えるべきではないか。そしてなぜそんなことをしたのかも。
 そこでぼくはひとつの答に到達したのだが、そうなのではないか、と思いついて家に電話を入れるといきなり母親が驚いたような声で、庭から卵が忽然と消えたと言うのである。やはりぼくの思ったとおりだったようだ。ぼくの考えが正しければ、これは人類すべての存亡に関わる大事件と密接に繋がっており、詳しいことを書けばぼくやぼくの家族のみならず、ぼくと関わったあらゆる人々の命が危険にさらされることになる。だから書けないのである。

痩せて困ること 5/18/01

 痩せると困るのがぼくの場合尾骨である。尻に脂肪がついているなどと太っているときには思いもしないのに、脂肪がなくなるとびっくりするほど尾骨が飛び出してしまうのだ。なにかにつけ擦れるため尾骨の先の皮膚は裂け始終血が滲むことになる。痛くてかなわん。胡座をかいて座ったりすると激痛が脳天駆け上る。
 幸いぼくの生活空間には畳の部屋というのが一切ないので、まだ助かっているのだが、和室で暮らしていたりすると大変だろうなあと思う。日本には昔から尻尾の骨が飛び出した人があまりいなかったため椅子などなくても気楽に座れたが、欧米には尻尾の生えた人間がけっこうたくさんいたので椅子の生活が一般的になったのではないか。ちがうか。
 
よく言われていることなのだろうか 5/15/01

 友人と喋っていて、マラリアはハマダラカによって感染するというような話になり、ほなハマダラカはマラリア・キャリーやなあほんまやなあ、といっしょに感心したのだが友人は、けどそんなん絶対世界中で言われてるはずや、わざわざ日記に書いたりしいなやかっこわるいでと言っていた。どうなのだろうなあ。

USJに行ってきた 5/13/01

 今日しか使えない不自由なチケットだったので、直前までどうしようかと悩んでいたのだが、日曜でもけっこうすいているぞという噂を信じ思い切ってユニバーサル・スタジオ・ジャパンへ行ってきた。なるほどさほど混んではおらず、ちょっと工夫すればたいていのアトラクションは長くても二十分から三十分くらい待つだけで入れるのだった。結局昼過ぎから夜までで、主要なものほぼすべて見ることができたが、正直なところそんなに大騒ぎするほどのものではないように思う。大騒ぎするべきはただ一点、ビールが八百円もしたことのみである。おのれは帝国ホテルかっ。
 ぼくがおもしろかったのは『ジュラシックパーク・ザ・ライド』『ターミネーター2:3D』『バック・トゥ・ザ・フューチャー・ザ・ライド』あたり。でもジュラシックはディズニーランドのスプラッシュマウンテン、ターミネーターはキャプテンEO、バック・トゥ・ザ・フューチャーはスターツアーズと基本的には同じである。
 もしも行くのなら、人気アトラクションは夕方以降に狙うことをお勧めする。昼間二時間待ちという表示だった『ジュラシック……』も、夜七時くらいには三十分待ちの表示に変わり、実際には二十分も待たなくてよかったし、他も八時九時台にはほとんど行けばそのまま入れるようになるのである。それからウォーターワールドを見るときは観客席を右左中央と三つに分けたときの左側の、前方中央寄りに陣取ると、より楽しめるはず。あまり人気はないみたいだがカルロス&マイアミ・スパイスというショーはダンサーのお姉さんがめちゃくちゃセクシーなのでお父さんに断然お勧め。ジョーズとE.T.は夜帰り際、時間が余ればついでに見るくらいにしておきましょう。たとえ五分でも並んでから入るときっと腹が立ちます。
 
鼻の奥の異臭 5/8/01

 起きたときから鼻の奥に針葉樹の森みたいな香りがずっとつきまとっていた。あたりに立ちこめているというわけではなく、鼻の奥の粘膜に直接針葉樹の樹液がこびりついているようなのである。いやな匂いではないのだが、なんとなく気持ち悪い。
 風邪でもひいたのだろうかと思っていると、夜になって故郷の友人から久しぶりに電話があり、昔話に花を咲かせているとき、ふとその友人が声をひそめるようにして言った。
「おまえと子供のとき、よく遊んだ神社に大きい杉の樹があったやろ。あれな、今日切り倒されたんや」
 その樹は特別な存在感のある樹で、Tさんは東京へ出る決心をしたときも、なんとなくその樹に触りたくなって神社まで行ったのだという。
 ああ、あの樹が別れに来たのだな。Tさんはそう思ったそうだ。と、新耳袋なら書くところだがそんな話ではなく、やっぱりどうも風邪をひいたらしい。Tさんはそう思ったそうだ。

風呂でも使える電話 5/2/01

 風呂の中でも使える電話があるのだそうで、ぼくの知人はそのパーツを仕入れたり売ったりというような仕事をしているという。ところが新製品のパーツのひとつがどうも水に弱く、下請けの工場に言って大急ぎで改良品を作ってもらった。なんとか納期に間に合ったと思ったら、またしても同じそのパーツが機能しなくなる。普通に使う分には問題はないのだが、湿度の高い場所に持っていくと壊れてしまうというのである。工場は二十四時間フル回転して改良品を作ったが、三度目もだめだったと報告したとき、工場長のじいさんは電話口でうーっと唸ったのち怒り狂ったそうだ。「風呂の中でまで電話すんなっ」

騒ぐ子供 5/1/01

 珍しく明るいうちに実家に帰りアホ犬を散歩させていると、近所の溜池で小学生くらいの男の子が数人騒いでいた。この池ではぼくも子供のころザリガニを釣ったりフナを釣ったりしたが、最近の子供が外で勝手に遊んでいるところなどまず見ることはないので珍しいこともあるものだと思い、なんやどないしたんやと声をかけると全員が口々に「河童がおってん」
 ほー河童がおったか。とふざけ半分に真面目な顔をしてやると、田舎の子供にそういう皮肉はまるで通じずこれは話のわかるおっさんだと誤解されてしまい、おってんおってんほんまにおってんであれは河童やったなどと必死で叫ぶ。目の前の人間には必死で叫ばずとも充分聞こえるというのになぜかガキはこういうとき叫ぶのである。おおかたちょっと大きめのフナの腹でも見間違えたのだろうと思っていたのだが、子供たちはちゃんと顔も見たし手もあった体は蛙そっくりだった逃げるとき屁をかましていったなどとめちゃくちゃ言う。つきあいきれないのでそうかそうかよかったなあと適当にあしらっていると子供のひとりが「河童見たことある?」と真顔で訊くので、あるどころやないがな、この池は河童池いうて昔から八百匹ほど河童が住んどってやな、ぼくら子供のころはいっしょに泳いで遊んだもんや、と適当に口から出まかせを言ってやったら、全員目を見開いて驚嘆し「うそやーっ」と言いつつ八割くらいは信じた様子である。おもしろいので、おっあれ見てみい、あそこで動いとんのん河童の子供とちゃうかっ、ほれほれっと明らかに風で揺れているだけの木切れを指差してやると「うわっ、ほんまやっ」と死ぬほど興奮したガキどもは木切れに向かって駆けだしていった。アホじゃ。


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