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腕が長いことと小林泰三の奇行 3/30/03

 Y氏の新しい自転車のフレームができあがり、BBの面出しなどをしてもらいにいくというので姫路の自転車屋さんまでついていく。「BBの面出し」というと自転車に興味のない人にとっては「キーセルバッハ部位の出血」というくらいさっぱりわからないと思うが、知らなくても日常の暮らしになんの影響もないので無理に知ろうとする必要はない。Y氏のフレームは東京のフレームビルダーにフルオーダーしたもので、パーツ類を取り付ける前のそうした作業まではしてくれておらず、あとは全部自分で組み立てるとしても、このあたりはプロに頼むしかないらしい。
 なんとなくぼくも新しいマウンテンバイクのことなど気になって、いろいろ店の人と話すうちに、体の寸法を測ってもらってどのサイズがいいかなあハンドル位置はもう少し遠い方がなど具体的な話にまでなって、気がついたらなにかを注文してしまったような気がする。ぼんやりしていてはっきり思い出せないのだがなにかやらかしたような気がする。しかしそんなことよりも腕の長さを測ってもらった瞬間、店の人が心底驚いたようすで「うでながいですねー」と言うのにこっちが驚いた。たしかに腕が長いと人から言われたことはこれまでにも何度かあったがこんなに驚かれたのは初めてである。そんなに長いですかというと、普通では考えられないなどと言うのである。体のバランスが悪く、もしかして腕と比して脚がものすごく短いとかそういうことなのでしょうかと恐る恐る訊ねたら、脚も長い方ですと言われ勢いよくふんぞり返る。
 いったん帰宅し、夕方弁天町のラジオ大阪へ。大阪での録音はとりあえず今回で最後となるらしいので、前々から声優さんに紹介しろとうるさい小林泰三氏を呼んでいたのだが、今電車に乗っていますがなんという駅で降りたらいいのですかとか今弁天町ですがどこに行ったらいいんですかとかトイレどこですかとか水筒にジュース入れてきてもいいんですかとかいちいち携帯にメールをしてくる。なんとか会うことができ、聞けばぼくが説明したメールをプリントアウトし、安心してそれを忘れてきたのだそうだ。どんくさい人である。
 ラジオ大阪の入り口には、すでに声優ファンの人たちが集まっていて、小林泰三はこれ踏んでいっていいんですかなどと真顔で言っていたが、その中のものすごい美少女数名がぼくに気づいてきゃあきゃあ田中さんだあなどと喜んでくれたのでめちゃくちゃ得をした気分になる。アニメの仕事をしてよかった。
 小林泰三が奇行に走り始めたのはここからで、いったいなにがしたいのかよくわからないのだがとにかく最後は声優さんたちと写真が撮りたかったようである。そこへ至るまで本当におかしな行動をくりかえし、この人はもしかすると正真正銘のアブナイヒトなのではないかと現場にいた皆が思ったはずである。あまりに奇怪すぎて怖かったし、本人の名誉のこともあるため小林泰三の奇行について詳しく書くのはやめておく。いつも思うことだが、よくあんな人が普通に暮らしていけるものだ。今日は特に思った。

室津で犬に好かれる 3/21/03

 自転車で兵庫県揖保郡から赤穂を回る。同行はいつもとおんなじ先輩Y氏。天候にも恵まれ、大変充実したツーリングであったが、とにかく室津の浄蓮寺というお寺に寄った際、そこの犬にめちゃくちゃ好かれたのが今回最大の収穫であった。ぼくはどういうわけか犬と猫には大変好かれやすいところがあるようなのだが、これほどいきなり好かれると笑うしかないというくらい浄蓮寺の犬には好かれた。もう最初からなんでもして状態なのである。ぼくがちらりと見ただけで尻尾を振りながらそわそわし、近づくと跳ね、そばまで行くと転がってお腹を見せる。撫でてやると実に嬉しそうに体をのたくらせ、本当に幸せそうな顔をする。誰にでもそうなのかと思ったが、Y氏には全然そんなそぶりは見せなかったので、犬なりになんらかの基準はあるらしい。ほら、写真撮るからあのカメラ見るねんで、と言うともっと遊びたいのになあとちょっと不服そうにではあるもののちゃんとカメラの方を向く。つくづく、うちのよだれみたいに勝手な犬よりこんな可愛いやつがいいなあと思ったことである。
 車を置いた相生の「道の駅」にたまたま温泉があったので、風呂に入ってから帰る。風呂はあきらめていたのでこれはラッキーだった。総走行距離はアップダウンのあまりない約七十キロ。このくらいが翌日残らない程度に楽で、かといって物足りないこともなく今の我々の体力にはちょうどいいような気がする。

戦争 3/20/03

 アメリカがイラクへの攻撃を開始したおかげでつらい思いをしたと友人から携帯にメールが来た。中華料理屋で昼食の最中、テレビのアナウンサーが伝えるニュースを聞きつつへえとうとう始まったかとまったくなんにも考えずに機嫌よく、汽車汽車しゅぽしゅぽのメロディでつい「戦争だ、戦争だ、たのしーな」と口ずさんでしまったところ、店内全員静まりかえって人でなしを見る目でじろじろ見られたのだそうだ。あほや。

芋羊羹と火の用心 3/11/03

「芋羊羹」と聞くとどうしても「火の用心」という響きを思い出してしまう、とNHK教育テレビの中国語講座の先生がいつだったか言っていて、なんで中国語講座なんかぼくが見ているかというとこの先生がおもしろいというのもあるけどとにかく北川エリともうひとりの中国の女性が可愛いからで、おかげでけっこういろいろ中国語を覚えてしまってそれが見事になんの役にも立たないのはまあいいとして「芋羊羹」と「火の用心」ってそんなに似てるかなあとふとしたはずみでとある美人に話したところ「栗饅頭」と聞くと「キリマンジャロ」を思い出すのとおんなじでしょ、とけろっと言われた。普通「栗饅頭」と聞いても「キリマンジャロ」は思い出さないと思ったのでその旨伝えると「そんなん誰でも思うことやで」あんたアホちゃうかと断定されてしまい美人には逆らえないぼくとしては反論の余地がなかったのであるみなさんはどう思いますか。

スルメ 3/9/03

 前日寝てないとはいえいくらなんでも昼過ぎには目覚めるだろうと楽観していたところ起きたら夕方だったので仰天しわーっと身支度をしてわーっと駅まで走ってなんとかラジオの録音に間に合う。終了後、サエキのファンが差し入れてくれた(のだと思う)スルメが大量に置き去りにされていたのでもらって帰り、夜中に晩飯代わりに食べたのだが極端な空腹時に大量のスルメはあまり胃によくないことがよくわかった。よくないだろうなあとは思っていたものの、こんなによくないとは思わなかった。思うべきであった。胃が痛み胸焼けして全然眠れぬ。顎が疲れてじんじんする。イカの匂いが鼻の奥から取れない。喉仏の下あたりがずっとひくひく痙攣する。耳の中でなにかがこそこそ動いている。クローゼットの中からくぐもった女の声がする。甘い吐き気がする。胃液の臭いがする。息が苦しい。声が出ない。遠くで男がなにか叫んでいる。冷たい手で口をふさがれる。ベッドの脇に老婆のような少女が立っている。なにかを食べている。早く逃げろと誰かが言う。
 
緊急停止 3/8/03

 一時半頃どろーっと起きてきた我孫子さんと蕎麦を食べてから新幹線。独創的な自慰行為を発明したという人の話にげらげら笑いつつ新大阪に着いたが、そこからが大変だった。
 乗り換えの電車が来ないのである。一時間以上遅れているみたいなのだが、なにがどうなっているのかはなんの案内もないのでなんにもわからない。とりあえず来た快速電車に乗るがとんでもない混みようで、すでに人々はストレスのためか殺伐としている。ちょっと電車が揺れるだけで怒鳴り声までする始末である。電車の速度も遅く、普段新快速なら四十分ほどで明石に着くところが一時間かかってもまだ三ノ宮。そのうえどういうわけか神戸で新快速に抜かされる。空気は淀み暑苦しく身動きがとれない。前日ほとんど寝てなかったおかげで眩暈がする吐き気がする視界が青く染まる目と鼻から出血し髪の毛が大量に抜ける。あと二十分ほどの我慢だとくらくらがんばっていると恐ろしいことにここで誰かが緊急用のボタンを押してしまったのである。信じがたい展開であった。
 びー、びー、びーなどと言いつつただでさえ遅かった電車がついに止まり車内は静まりかえる。押されたのはぼくの乗っていた車両の非常ボタンで、ひとりのじいさんが間違えて押したのだということがすぐに判明した。じいさんならしょうがないなと思うところだが、中にはそうは思えない短気なおにいちゃんもいて「アホボケカス」など罵声も飛ぶのだった。やがて非常ボタン横のスピーカーから「お客様。どうされました」とのんびりした声が聞こえ、じいさんがなぜか嬉しそうに「いやあ、まちがえて押してしもたんですわ」と答えたのだが、一分ほど沈黙ののちまたスピーカーから「お客様。どうされましたか」がくーっと車内全員膝の力が抜け、ほとんど全員が同時に「せやからまちがいや言うてるやろっ」と怒鳴るも、また一分ほどして「お客様。どうされましたか」殺したろかと誰かが言った。その後も一分おきくらいに「お客様。どうされましたか」は数回くりかえされた。この電車はとんでもないアホによって運行されているのではいないかと誰もがあきらめかけたとき電車が動き出したので、ああやれやれと思ったのだが事態はそれほど甘くなく「非常ボタンが押されたため塩屋駅で緊急停止します」車内全員なんでやねんと肩を落とすのだった。しかし今だから思うことではあるが、これ間違いだったからまだよかったわけで、本当の緊急事態だったらこの時点でとっくに手遅れだったのではないかと思う。
 駅で停車してもドアは開かず、しばらくはまったくなんの動きもない。なにをやっとるのかさっぱりわからない。五分ほどして若い駅員が後方から走ってきて窓を覗き込むものの、特になにをするでもなくうろうろと車内を見るだけである。最近の車両は窓が開かないので窓際の人々がガラス越しに「まちがいで押しただけやーっ」とかいろいろ怒鳴るのだが、駅員はきょとんとした顔で首をかしげつつ右往左往するのみで、もしかするとJRというのは上から下までアホで固まった組織なのではないかと誰もがあきらめかけたとき、やっと車内の声が届いたのか駅員は頷いて去っていった。それからまたしても五分ほどまったくなんの動きもないまま寿司詰め状態の我々はほったらかしにされ、やがて間の抜けた「非常ベルはお客様の間違いであったことが判明しましたので、運行を再開いたします」というアナウンスののちやっとのろのろと動き出したのだった。ここまでひどい状態に追いやられると人間あきらめてなにもかもどうでもよくなってしまうらしくすでに誰も怒っておらず、いやあJRってものすごいもんですなあ呆れましたなここまでアホとは、ああびっくりしたみたいな感じでちょっと和気藹々となる。いや待てもしかしてそういう人間の心理をふまえたうえでの、あのアホ丸出しの対応だったのではあるまいかそんなはずあるかっ。
 ああ疲れた。

SF大賞のパーティー 3/7/03

 SF大賞授賞パーティーとSF作家クラブ総会のため久しぶりに東京へ行く。新人賞のスピーチは去年につづいて今年もまたあんなんだったので急いで逃げ場を探していたら、そのあと驚いたことに壇上に躍り出た北野勇作が大賞受賞者の顔面をトロフィーでどついたりしていた。牧野さんのお祝いのために行ったのに牧野さんとはほとんど会えず。
 いつもとおんなじようなメンバーとおんなじような話をしておんなじようなカラオケをする。ホテルに戻ったのは朝の六時頃で、明日というか今日は早起きしないといけないといって田中啓文が部屋に帰ってしまったので、我孫子さんの部屋でふたり九時過ぎまでだらだらした。食べ物にこだわってしまう人の愚かさについて、たしかに我孫子さんを言い負かしたと思うのだが、へろへろに酔っていたためどのようにして言い負かしたのかよく思い出せない。まあなんにしろあの我孫子武丸を言い負かしたというのはものすごいことだ。なんで違うと思うんですかとの質問に、だって違うでしょ、と答えるような人をいったいぼくはどのように言い負かしたのだろう。我ながらあっぱれだと思うのである。みんなも思うように。

おお 3/1/03

 もう三月か。なんで仕事は進まないのに月日は進むのか。世の中、科学では解明できないことが多いなあ言うとる場合か。


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