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車に犬の名前が貼ってある 3/31/00

 自動車のリアウィンドウなどに犬のシルエットとその名前の書いてあるステッカーが貼ってあるのをちょいちょい見かける。あれはなんですか。
 なんとか連盟とかなんとか保護協会とかなんとか反対同盟とかそういうものかと思ったらどうも違うようである。犬のシルエットと名前以外にはなんにも書いていない。名前と言っても「シロ」とか「チビ」とか「よだれ」とか「モップ」などと書いてあるのではなく「シェトランド・シープ・ドッグ」とか「ラブラドール・レトリーバー」とか「セリーヌ・ディオン」とか「サミュエル・L・ジャクソン」といった犬の種類が英語で書いてあるのであるなんですかあとの方は人間そうかなあ犬に見えるけどなあ。
 とにかく犬の名前が書いてある。
 気になる。
 かつて戦闘機のパイロットは撃墜した敵機の数だけ機体に星を刻んだりしていたようだが、あれに似たようなものなのではないか。つまり、轢き殺した犬の数だけステッカーを貼っていくのである。よっしゃ今日はコリーとチワワをやったったわいけけけけコリーは三匹目やから一段目ビンゴややったやった。明日は二丁目の角のシベリアン・ハスキーやりにいったろ。たまに失敗して猫を轢いたりすると一点減点で、しもた猫踏んでしもたがなこないだのセリーヌ・ディオンは取り消し。とか。
 で、同じ趣味の人の中にも、犬畜生とはいえ殺してしまってはかわいそうだと考える優しい人たちもいて、こういう動物愛護派は犬が死なないように大きなフックかなんかで引っ掛けるだけにして、フックが刺さった傷口にはちゃんと薬も塗ってやってから獲物をまた道に放り出しておくというキャッチアンドリリースをするのである。
 犬を轢く人たちのための情報誌、月刊『ROAD KILL』日本版なんかもあって「特集! 春はオープンカーでランオーバー!!」記事はというと「このシーズン、せっかくのドッグヒットをクローズな空間で終わらせるのはもったいない。ランオーバーの瞬間、噴き出る血しぶきの音と匂いをじかに感じるオープンエアーこそ春のドッグヒットの醍醐味だ。もちろんここはセントバーナード級の大型犬をヒットさせたいところ。大きな4WDでチワワを轢くのもいいんだけど、軽いオープンカーで大型犬をヒットするときの衝撃と興奮はまた格別だ。本場アメリカじゃ自転車でバッファローに体当たりする強者もいるって話だぞ。さあ君もこの春はオープンエアーで大型犬をランオーバーする快感を体験してみよう!」
 すんなすんな。

キックボード 3/28/00

 最近キックボードというものが流行っているらしく、明石のようなファッションセンス皆無の田舎でもときおり見かける。以前、BMXの雑誌なんかにもうちょっとでかいやつが「スクート」というような名前で紹介されていたような気もするが、タイヤが小さくて持ち運びのために畳めるやつはキックボードというのだそうだ。タイヤの大きいやつはアクションスポーツの一種だったと思うがキックボードは単なるファッションである。スケートボードにハンドルを付けたような代物で、片足で地面を蹴りつつ移動するのであるが、いやあしかしその移動中の姿はあまりにもかっこわるい。なにしろ脚を揃え両手をちょこんと前に出したオカマチャンみたいな姿勢の男がまっすぐ突っ立ったまますすーっとやってくるのである。ものすごーくへんなのである。よっこらよっこらと地面を蹴る行為も、ぼく馬鹿なんだけど一生懸命考えたんだこうやればきっと楽に進めるぞでもあんまり進まないなあおかしいなあという感じでそうかそうかとかわいそうになる。
 実に中途半端な乗り物なのである。
 スポーツとして楽しむわけでもなく特になにが便利というわけでもない。しかもかっこわるくてみっともない。あ、おんなじか。まあなんというか、人類史上あれほどまでに頭の悪そうな乗り物はこれまでなかったのではあるまいか。
 しかしあれとてかっこよく乗る方法はある。きちんとやればいいのだ。毎日スクワット百回にランニング十キロくらいはこなして時速七十キロを目指すとか、一メートルくらいの高さは乗ったまま軽く跳び越え空中でひねりを加えつつ三回転半したのち後輪だけで着地してそのまま後ろ向きに一輪走行するという必殺オーリーロデオフリップセブントゥーバックサイドワンウィール(適当)をいつかはメイクするぞ、というような姿勢で日々道端や公園の端っこでがんばれば、スノーボードやスケートボード、BMXなどと同じように、たしかにとても頭の悪そうな人々がやっているのは事実ではあるけれども、彼らも馬鹿なりに必死なのだそれはそれで清々しいではないかなあがんばれよ、でもよそでやってという目で見てもらえるはずである。とりあえず段差でいちいちボードから降りるのだけはなんとかしないとな。見ていていーっとなるのである。ちょっとくらい跳んでみろと言うのだまったくまあちまちまちまちま。

アカデミー賞授賞式 3/27/00

 いやあ今年はNHKでなくて本当によかった。なにかが特によいというわけではないのだが、普通にちゃんとやってくれただけで本当によかった。二度とNHKではやらないでいただきたい。ああよかった。満足満足。

エリック・ザ・バイキング "Erik The Viking" 3/24/00

 NHKの衛星放送で、モンティパイソンに続けてやっていた。テリー・ジョーンズが監督で、ジョン・クリーズも出ている。主演はティム・ロビンス。映画そのものはまあまあだったが、最初のクレジットで"TSUTOMU SEKINE"というのが出て、これがあの関根勤なのには驚いた。大した役ではなく奴隷船の番人としてちょこっと出るだけなのだが、出ている間中ひたすら日本語で白人奴隷を罵るのである。「こんなによう、くねくねくるくるした字なんか書きやがってわけわからねえんだよおまえらは。字ってのはなあ、こうやってかくっかくっと書いてきちんとびしっと止めて書くもんなんだわかってんのか」みたいなことを言う。英語字幕などは出ず、わけのわからない言葉を話す東洋人ということなのだろうが、めちゃくちゃおもしろかった。エンドタイトルではちゃんとストップモーションで名前といっしょに顔がアップになったりしてしっかりゲスト扱いである。こんな映画があったなんて知らなかったなあ。

セリーヌ・ディオンのような顔の犬 3/21/00

 これは実際、あっちこっちにたくさんいる。なんであそこまで自分そっくりの顔をした犬を許しておけるのか、一度セリーヌ・ディオンに会ってその考えを聞いてみたいものである。

ルチアーノ・パバロッティのように笑うおっさん 3/20/00

 アラニス・モリセットそっくりの喋り方のおばさんというのはけっこうあちこちで見かけるが、あんなに声の通るおっさんというのは珍しい。近所の酒屋で見かけたのだが、さほど太ってもおらず小柄なくせに、笑うときだけルチアーノ・ハバロッティそっくりのすばらしい声で「わっはっはっはっはっはっはっはーあ」と声を張り上げるのである。それまでは腕組みというか脇腹を抱えるというか、なんとなくこそこそした感じの姿勢で人の話にうなずいたりしていたくせに、笑うときは胸をそらせ、両手を大きく拡げて顎を突き出し天に向かって朗々と笑う。もしかするとなんの取り柄もなく自分に自信が持てないので近所のカルチャーセンターかなんかで「笑い方教室」に通い、その他の性格はまったく変わっていないにもかかわらず笑い方だけうまくなってしまったのではあるまいか。ボールペン習字のおかげでボールペンで書くときだけ綺麗な字を書く猫背でスダレハゲなおっさんみたいなものである。そう思って見るとなんとなく哀れなのだが「わっはっはっはっはっはっはっはーあ」という笑い声は実にすばらしく耳にするたび顫えるほど感動した。まちがいなくあれは「笑い方」の有段者である。笑い方三段くらいではないかと思う。声の方が気になってなにを話していたのかはよくわからなかったがパバロッティの声で笑うおっさんはなぜか「誰も寝てはならぬ」と力説していた。

アラニス・モリセットのように喋るおばさん 3/19/00

 ボブ・ディランそっくりの顔をした老婆というのはけっこうあちこちで見かけるが、あんなによく声の通るおばさんというのは珍しい。近所のスーパーで見かけたのだがアラニス・モリセットとまったく同じ声で喋っていた。しかも驚いたことに声ばかりか、その話し方までがアラニス・モリセットの歌い方にそっくりなのだ。低くぼそぼそと喋っていたかと思うと突如激昂して息も絶え絶えの叫び声を上げ、なんじゃと思ってまわりが驚いているのにも無頓着にふたたび疲れ切った低い声に戻る。やがてまた低くくすくすと笑うと見せかけていきなり肩で息をしながら甲高い声で絶叫したりするのだが、低音部から高音部へ変化するときは必ず息を吸いながら発声する嗚咽のような裏返った声が混ざるのである。声の方が気になってなにを話していたのかはよくわからなかったが、誰かに会ったとか会わなかったとかそんなことを話題にしていたようで、アラニス・モリセットの声のおばさんはときおり「会うたの?」と絶叫していた。

牧野修と田中啓文の野望 3/18/00

 牧野さんから田中啓文氏宛のメールがぼくのところへ届いた。単なる宛先まちがいらしいので、すぐに転送してあげようと思ったのだがその内容を読んで愕然とする。なんと(訳あって削除)の(訳あって削除)など(訳あって削除)に過ぎないので(訳あって削除)を(訳あって削除)のうえ(訳あって削除)すれば(訳あって削除)の(訳あって削除)を(訳あって削除)することなど簡単だと言うのである。最近二人ともどこか世間を伺うような犬の目でこそこそしてたのはこんなことを考えていたからだったのか。恐ろしいことである。どえらい秘密を知ってしまった。ただではすむまい。この先ぼくの身になにか異変が起こった場合、それは彼らの計画を知ったため(訳あって削除)を母体とする(訳あって削除)の(訳あって削除)した(訳あって削除)に(訳あって削除)されたと考えてもらってまちがいない。恐ろしいことである。

"Driving Miss Daisy" ドライビングMISSデイジー 3/15/00

 アカデミー賞特集ということでWOWOWでやっていた。以前にも録画して持っていたのだが、友人に貸してやったところそこのくそったれなクソ中学一年生のクソガキがクソ益体もないクソアニメをクソ重ねにクソ録画しやがったため消えてしまったのである。
 ぼくにとっては、この映画と『ニュー・シネマ・パラダイス』と『天国から来たチャンピオン』の三本が、ラストシーンを思い出すだけでもじわっと泣ける映画のベストスリーである。
 ところでぼくのビデオをまちがって消してしまったクソガキは野球部に入っていて最近補欠の補欠ながらサードにしてもらったと喜んでいるのだが、目下のところ問題が一つだけあって困っているという。なにが困るのかと訊けばファーストまでボールが届かないのだそうだ。ほなサードなんかするなよと言うと目を剥いて鼻を膨らませてなにが嬉しいのかにこにこ笑いながら「でもな、調子のええときには届くこともあるねん」まあ好きにしてくれ。

確定申告 3/14/00

 去年はシンプルだったが今年は少々ややこしかった。何か言われるのではないかとおどおどしながら行ったのだが、今年からやり方が変わったようで一人の税務署員(だと思うがよくわからない)が数人の客(というか納税者)の書類をまとめて見るのであった。ちょうど将棋や囲碁の有段者が素人十人を相手に勝負をするみたいな形である。
 ざっと書類を見て「こことここ、書く場所が間違ってます。書き直して」かたかたかたっと電卓を叩いてどうじゃわたしゃこんなに電卓叩くの速いのよと小鼻を膨らませたドヤ顔(どや、という威張り顔)をしつつ「金額は合ってます」などとてきぱき指示を出していく。
 ぼくが当たったのは女性だったが、滑稽なほど偉そうな人であった。ぼくだけにではなく、おとなしそうなおばさんや初老の男性にまで「おまえら馬鹿どもになに言ってもしょうがないけどよ」という態度で接するのである。こっちは領収書の揃っていない雑費数十万円なんかが「これいったいなににかかったんですか」などと突っ込まれるのではないかとびくびくしているため、ろくに書類も見ずただただ偉そうにふんぞり返っていてくれるのはありがたかったのだが実になんというか「偉そう」だった。たしかにあんなこと一日中やっていたらこんなあほらしい仕事やっとれるかいという気持ちになるのはよくわかるが、でもあんなに偉そうな女は珍しい。あそこまで偉そうだと腹立たしい人とか感じ悪いやつとかいうレベルではなく、もうなにやら得体の知れない生物と言った方が正しい。非常におもしろかった。ああいう女性を見るとぼくは容姿年齢にかかわらず、面と向かって「おまえ可愛いな」とか言ってどんな反応するか見てみたくなるのである。

天満でお笑い講座 3/11/00

 天満で作家志望の人たちの前でお笑いについてのお話をする。なぜか来ていた田中啓文氏に先日空耳博士にもらった人魚が腐るビデオを渡す。さほどおもしろくもないビデオだったが、ぼくが持つよりやはり田中啓文か小林泰三でしょ。やはり持つにふさわしい牧野さんもなぜか来ていて「あー。それは見ました」当然のように言い放ったばかりではなく、詳しい解説までしてくれた。あとなぜか五代ゆうさんも来ていた。そのあとみんなでいつもの中華料理。牧野さんと五代さんがキングなんかより絶対クライブ・バーカーであり『血の本』全巻が揃ってない家などこの世には存在しない誰だって持っていると暴言を力説するので笑っていたら、たまたまぼくの横に座っていた青年が「これですね」と『ミッドナイト・ミート・トレイン』を出してきた。田中啓文はもちろん、ぼくも全巻持っているのでどうやら五代牧野説は正しい。

変な小学生 3/10/00 
 
 仕事場の近くを歩いていると、学校帰りの小学生がなにかを取り囲んでわあわあとはしゃいでおり、気になったので近づいていって覗き込んだら中心にいた愛らしい女の子がぼくに気づいてほらと両手を突き出した。死ぬかと思った。
 小さい両手に山盛りいっぱいマルムシがもざもざと大量に蠢いていたのである。なにをするのじゃアホと違うか。マルムシというのは実際にはなんという名前なのか知らないが、小豆を半分にしたくらいの大きさで灰色をした脚の多いやつで、触ると縮こまって球体になるあれである。一匹二匹ならなんということもないが、数百匹ともなるとさすがに気持ち悪い。
 どこでそんなに集めたんやと訊くとガキども我先に「あんな、運動場とか道とかな、あとヒサモト君の家の前とそれからな、あんな、あとな、えとな」そうかそうか。で、それどないするんやと訊くと女の子は嬉しそうに「家で飼うねん」飼うな飼うなそんなもんどんな神経しとるんじゃ二三匹ではなぜいかん。なんとなくおもしろくなったので、それ佃煮にしたらおいしいねんでと教えてやった。一瞬きょとんと全員が押し黙り、すぐさまいっせいに嘘やーとか笑い始めたのに両手にマルムシいっぱいの女の子だけははしゃがず騒がず可愛い唇をうっすら微笑ませると、くるりとした大きな瞳でぼくのことをじっと見つめるだけであった。
 あれは食う気だ。

大森さんとさいとうさんが来た 3/9/00

 昼過ぎ突然大森望さんから電話があり、今から明石に行くと言う。駅で待っているとだらーっと大森さんが改札から出てきて、続いてさいとうよしこさんも出てくる。とりあえず明石焼き、ということですぐ近くの店に行ったのだがこのことはのちに大森さんの日記に大いに不満として記されることとなる。ぼくは子供の頃から明石で「たこ焼き」を食べるというと決まってこの店に行っていたのであたりまえのようにここに入ってしまうのだ。あれでいいんです。あんなもの、特においしい店というのはないのではないかと思う。有名だけど味はまあまあで店のおばはんが偉そうで嫌味で感じの悪い薄汚いところはある。今度そこへ連れていってあげよう。
 そのあと「魚の棚」へ行ったところ、ほとんどの店が閉まりかけており、大森さんは突如なにかがとりついたかのように目につくものを手当たり次第に買いまくる。買わないと死んでしまう病気の人がもしいてもあそこまでは買わないと思う。五分ほどで一千万円以上使っていた。すごいすごい。
 それから居酒屋に行ってだらだらと喋る。というわけで大森さんには、先月書いたとおり本当におごってもらったのだった。今度は超高級寿司屋に連れていってくれるそうだ。ん。あんたも行きたいかよろしい来なさい何人でも来なさいだいじょうぶ。

散髪した 3/7/00

 だからどうというわけではないが、ここに書いておくとああ前回の散髪はこの日だったのだなあとわかるので便利なのである。去年は一年に三回しか散髪をしなかったが、今年はもしかすると二回ですむかもしれない。けっこう短くしたので雰囲気はかなり鳥の雛。外であくびをしたらすかさず親鳥がきて口の中にミミズを突っ込むので困った。
 
空耳博士にいろいろもらう 3/5/00

 いろいろあるでえいろいろあるでえと言うので飲みに行った。なにがいろいろあるでえかというとトワイライトゾーンのTシャツとか怪奇大作戦のビデオとか人魚が腐るビデオとかなぜかディズニーのピノキオのビデオとかいろいろ。
 三宮のニューミュンヘンで大使館ビールと鶏の唐揚げを食しつつ、なぜか空耳博士は露出計を取り出して明かりの強さを計り、なぜか学研の付録のようなプラスチックでできた上から覗き込むと景色が映る仕掛のレンズが二個付いた古いカメラで店内の風景やウェイトレスの写真を撮る。あいかわらず謎の行動である。そうそう。いつものことではあるが頼んだわけでもないのになぜトワイライトゾーンのTシャツを「ぼくのために」とりあえず「欲しいやろうと思って」買っておくのかも謎。たしかにあれが千円なら頼んででも欲しいくらいなので、それはそれでいいのだがやはりよくわからない。フランケンシュタインの毒々しいTシャツもあったけどさすがにこれは断る。どこで着るねんあんなもん。
 そののちもはや習慣化したかのようにUFOキャッチャーをする。博士はピンクパンサーの人形がたやすく取れることに気づくやなぜか鬼のように十個くらい連続でとりまくり、大漁大漁と大喜びであったがあんなもの一個だけでも持て余しそうなのに十個もどうするのかは謎。
 
SF大会に行った 3/4/00

 生まれてはじめてSF大会というものに行く。参加の手続きとホテルの予約は田中啓文氏が、近鉄特急のチケット購入は牧野修氏がそれぞれやってくれたので、ぼくは終止二人の言いなりとなっておればよく大変楽ちんだった。名古屋に着いて不幸にも真っ先に体験したのは死ぬほど気色悪い「きしざる」という食物であったが、さすがになるほどこの日にSF大会が名古屋であったのかと納得する人は少ないであろうから使い回しするのなら別の日のことにするべきだったかとも思ったが案外誰も気づかなかったり。

去年と同じ 3/3/00

 昨日の日記の大半は去年のものをそのまま持ってきただけのものなのだが、掲示板の反応などを見ているとどうやら初めて読んだという人の方が多かったようなのである。なんじゃつまらん。苦労していろいろと無茶苦茶な経験をひねくり出さずとも一個のネタを使い回せばよかったのだ。(台詞)言ってくれればよかったのに。というわけでこれからはときどき過去の日記をそのまま適当に使うことにする。

イカナゴの釘煮 3/2/00

 毎年三月初めになると、明石市内ではどこへ行っても醤油と砂糖が煮える甘辛い匂いが充満している。どこの家庭でも「イカナゴの釘煮」を作りはじめるからである。いつから始まった風習か知らないが、それほど古くはないと思う。少なくともぼくが子供の頃はやっていなかったはずだ。ところが今では、この時期明石の主婦たちは鬼のようにイカナゴの釘煮を作り、なぜかせっせと他人に配るのである。大量の釘を巨大な土鍋に入れて火にかけ、釘が熔けて赤くどろどろになったところでイカナゴをばどどっと放り込み、すぐさま大量の醤油と砂糖をぶっかけて鉄の温度を下げ、鉄が固まりきらないうちに鉈で五センチ角程度に切っていくのだが、この一見鉄のかたまりと見えるものが実はカルシウムを多く含んだ高蛋白物質で、これはイカナゴの体内に多く含まれるババロドンピリンによって変化した鉄分が、醤油の主成分であるベベロヤンカーチとともに熱せられることで空気中の酸素とドドンパ結合し、というようなダイナミックな料理を想像するかもしれないが実はそうではなく、なんだと去年もまったく同じことを。
 えらいえらい。よく気が付いた。
 というわけで今年も田中哲弥からイカナゴの釘煮専用箱に入った甘ったるい匂いのする荷物が突然届くことがあるかもしれませんが、怯えず落ち着いて対処すればなにも心配はありませんのでご安心ください。

餃子一日百万個 3/1/00

 先週から『王様のレストラン』の再放送をやっている。ぼくの住んでいるあたりではフジテレビ系列は関西テレビという関西ローカルなので、大阪近辺以外ではやっていないかもしれないがとにかくやっている。この関西テレビというところは、フジ系列でやるはずの「ツール・ド・フランス」の時間に吉本芸人のどうしようもないバラエティなんかをやってしまうので大変困る馬鹿テレビである。俺にツール・ド・フランスを見せろ。
 しかしこの『王様のレストラン』はいい。何回も見たけど何回見ても笑って感動する。脚本はもちろんだが、キャストも音楽もとんでもなくいいように思う。『今夜宇宙の片隅で』だったかすでにタイトルさえはっきり覚えていないが、あれだってわけのわからないタレントではなくちゃんとした俳優を使っていればおもしろかったのではないかなあ。舞台もテレビドラマもいろいろ見たが、三谷幸喜脚本の作品でつまらなかったのはあれだけだ。
 芝居は役者や演出によって出来が変わってしまうので、脚本家というのはけっこういろいろといらいらしているのではないだろうかと思う。ぼくはいろいろいらいらした。吉本興業でのぼくのデビュー作は梅田花月のポケットミュージカルで、出演は池乃めだか、間寛平の黄金コンビであった。なんでもいいから好きなキャスティングでコントを書いてみろと言われたので、好きなように書いてみたらそのまま採用されたのである。めちゃくちゃ嬉しかったのだがしかし飛行機の機長と副機長という設定で「高度二万フィート。気圧計異常なし。進路二十五度。機内温度二十二度。餃子一日百万個。鶏肉一日一千羽。卵一日十万個……」という冒頭いきなりのギャグを、めだかさんの「なんやこれこんなん知らんわ」の一言でカットされてしまったときはなかなかのショックで、今でもけっこうこれおもしろいのになあとときどき考え込んでしまうのである。「餃子の王将」のCMを知らない人にはわからないだろうけど梅田花月でなら受けたような気がする。
 このあとめだか機長の言葉を寛平副機長はいちいち復唱し「ああしかし離陸はいつやっても緊張するなあ」「ああしかし離陸はいつやっても緊張するなあ」「なんや」「なんや」「もうええねや」「もうええねや」「いやもう真似せんでもええねん」「いやもう真似せんでもええねん」「かなんなあ」「かなんなあ」と続きめだかさんは踊り狂って見せ、新喜劇での固定ネタとなった「真似すんな」ができあがったのである。ま、少なくともきっかけにはなったと思う。あれは俺の手柄じゃ。まあそれはともかく脚本は、特に吉本では書いたものがそのまま演じられることはまず皆無で、それがとてつもなく不満だった。その点小説は書いたものがそのまま完成品なので今は大変満足である。脚本家として成功するためにはおそらくチームプレーに適した性格でなければならず、ぼくはまったくチームプレーには適していないらしいのだ。だって仲間とはいえ他人のミスで自分まで「負け」にされるなんてあなた耐えられますか。ぼくはいや。ほな自分のミスで負けたらどうするかそんなことは気にしなければよろしい。


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