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岩井志麻子さんサイン会 1/26/02

 大阪難波で岩井志麻子さんが『摩羅節』出版記念サイン会をするというので、田中啓文牧野修両氏とともにのこのこ出かけていく。大変おごそかなサイン会であったが、書名が書名だけに店内のアナウンスでそれを連呼するのが淫猥でおもしろかった。島村洋子さんも来て、静かな雰囲気の中あたりはばからぬ大声で「陰気なサイン会やなあ」と言うのでぼくはたじろいだのだが、他の人々は平気なようだった。
 岩井さんとはちょっと会っただけで、そのあと田中啓文牧野修と居酒屋に行ったが、田中啓文は子供が熱を出したとかであわてて帰り、結局牧野さんとふたりで喫茶店でだらだらする。煙草をやめたおかげで甘いものが欲しくなると言う牧野さんは、その言葉を証明するかのごとくレンガふたつ分はあろうかという特大ケーキを二口くらいで食べてしまった。食べるというよりそれは吸引するという方が正しいようなすさまじい摂取の仕方であり、ぼくは驚いたのだが牧野さんは平気な顔で、まだ食べたりない様子だった。
 なにしに行ったのかよくわからない日であった。

きれいなはなし 1/24/02

 短い綺麗な話を書き上げる。

電車で死にかける 1/19/02

 大阪シナリオ学校というところでどうでもいいような講義をして、そのあと生徒の人々および遊びにきていた北野勇作小林泰三牧野修各氏と中華料理屋でだらだら飲んだ。飲みながらの話題は主にミニモニと狂牛病と三鷹ういちゃん。
 みんなと別れてJRに乗る際、快速電車が来たというので便所から飛び出しいつもの調子で全力で階段を二段とばしに駆け上がって満員の電車に乗ったところ、とたんに血の気が引き動悸が激しくなって冷や汗が出てきた。そうやここのところ連日飲み過ぎに寝不足でオレ二日酔いやったんや、と気づいたときには目の前が青く染まって耳鳴りまで始まる。このままでは倒れるか、あるいは目の前で機嫌よく寝ている小太りのおっさんにゲロをぶちまけてしまう、ということが経験上はっきりと予測できたので、あわててしゃがんで深呼吸をする。おもしろいもので、噴出するゲロを頭から浴びる災難を直前で回避した小太りのおっさんは、なにも知らないはずなのに本能的に危険を察知したらしくぎくっと目覚め、迷うことなくしゃがんでいるぼくに怯えた目を向けた。血走った目を作ってにじりよってやったらさぞかし怖がるだろうとは思ったものの、そこまでの余裕はなかったので靴の紐を結び直すふりをしてごまかす。すぐに動悸はおさまって、そのあとは何事もなく無事明石に辿り着いた。こういうとき、もう若くないのだなあとしみじみ思ったりするのがあたりまえなのだろうが、ぼくはこういうこと二十歳くらいのころからくりかえしているのでそんなこと全然思わないのである。はははは。

また朝まで飲む 1/18/02

 東京から編集者が、大阪に仕事で来たついでに明石にも寄ってくれたので、昨年暮れに宴会をした魚屋の二階の店に行く。まあなんとものんびりしたおもしろい店で、頼んでいないのに奥にいたおばあさんが、味噌汁飲みますか、と持ってきてくれたりするのだった。余ったからといってやはり頼んでいない刺身もばんばん出してくれたため、魚ばっかりめちゃくちゃ食った。水族館のラッコになったような気分である。
 そのあとショットバーに行って飲み、つづいてラーメン屋でだらだらと結局朝まで飲む。とにかくたくさん食ってたくさん飲んだなあもう限界やと思った朝四時過ぎ、編集者O氏はさらに特製ナントカカントカラーメンを頼んできっちり食べるのだった。

北野勇作SF大賞受賞を祝う会 1/12/02

 どういうわけか京都河原町でやるという。めちゃくちゃ遠いが、行かないとあとで北野勇作にどこでなにを言われるかわからないので行くことにする。河原町の駅を出るととてつもない人混みで、大阪でももうちょっとましちゃうかというほど人々はどっすんどっすんぶつかってくる。今まで地球上で一番大阪が嫌いだったが、この瞬間断然京都の方が嫌いになる。おまけに言われた店の場所がわからない。蛸薬師通りとかいうあたりを行ったり来たり二十時間ほども彷徨ってやっと見つけた店は迷いながら何度か通った道端にひっそり隠れているではないか。ここにあるんならここにあると言うくらいのことがなぜできんのだっとますます京都が嫌いになる。
 参加者は大阪近辺のSF関係者で知った顔ばかり。当然すでに全員揃っており、遅れた身としてひっそりおとなしくしていたつもりなのだが、なぜかふつうに語った「アホの親子」の話が妙に受けて面食らう。ぼくは本気でむかついているわけで、決しておもしろい話ではないのになあ。他にもよくわからなかったけど「所詮わたしはヒマラヤ芸者。死ぬまでわかだんさんと五合目でビバークどすえ」とかなんやそれは。

田中啓文を絶賛するファンメール 1/5/02

 ぼくの小説のファンと称する人からのメールはおちょくりも含めてちょいちょいいただくが、今日来たのは田中啓文を絶賛していておもしろかった。大久保町のなんとかはけっこうおもしろく「田中啓文『銀河帝国の弘法も筆の誤り』と同じくらい素晴らしい」みたいなことが書いてあって、これがおちょくりではなく真面目に書いているみたいなので怒るに怒れない。頼むので、もうちょっとましなものと比べて欲しい。
 夜電話で田中啓文本人にそのことを言ったら、なんでその人は俺のところにメールを送ってこないのか、と不思議がっていた。基本的にぼくはファンからのメールには返事を書きますが、こういうのはどう返事していいのかわからずほっておくことにする。あー、あとおちょくりとか悪口に関しては、ただではすまさないので今まで匿名のフリーメールでいろいろ書いて来た人は覚悟しておくように。

女子アナの番組 1/3/02

 年末から正月にかけて、女子アナをメインに据えた番組が妙に多くてなんとなく見てしまう。ぼくの仕事場のアパートの三階に住む友人は「局アナの女」というだけで欲情するというほど女子アナ好きだがぼくにはそういう趣味はない。どちらかというと、男女の区別なくぼくはアナウンサーというのは嫌いである。わたしたちおもしろいこともできるけどほんとはちょっと偉いんだよ君たちとはちがうんだよと彼らはみんな思っているのである。決めつけるが実際そうなのである。この印象は、完全にぼくが通っていた大学の放送部のヌケサクたちのせいなのだが、でも基本的にアナウンサーとはそういう人たちなのである。決めつけるが実際そうなのである。
 とはいえ女子アナの世界というのは我々が想像する以上に過酷なのではないか。ぼくの知り合いにもひとり局アナをやっていた女性がいたが、入社した頃は若いというだけでいろいろ使ってもらえても特に人気がなければ数年であっさりお払い箱、主要な仕事からは完全に外され辞めざるを得ない状況に追い込まれてしまうようである。下積み二十年の末にやっと日の目を見ました天童よしみこんな顔でがんばりましたみたいなことは女子アナの世界では起こり得ず、数年で人気が出なければもうおしまいなのである。若い新人に次々と自分のポジションを奪われ追いやられていく女子アナが毎年何千万人とそんなにはいないだろうがいるわけで、夢破れた彼女たちがひとり淋しく炬燵の中で、正月の女子アナ番組を見るときの怒りや恨みといったものは尋常ではあるまい。それら怨念が積もりにつもって凶悪犯罪を誘発したり異常気象を発生させたりしているのである。決めつけるが実際そうなのである。



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