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ダイエット 1/6/07

 ダイエットって「食事制限」みたいな意味であって体重を減らすことと同義ではなかったはずなのだが、もはや「体重減らす」とおんなじ意味になっているようである日本では。自転車でダイエット、とか違和感あるけどなあ。ダイエットのためご飯の代わりに最近主食に自転車食べてるんですちょっとずつ削って。うんうんそれは絶対痩せるがんばれ死ぬな。

「三人の名付け親」 2/26/07

『大久保町の決闘』新装版におまけで付く短篇書き上げる。なんでか書いているあいだリアン・ライムスばっかり聞いていた。たまに聴きたくなるあのなんともいえん声ブルーううウうウうーううーしかしなんでいっつも徹夜しないといけないほど切羽詰まるのかなあ。なんでもっと前からこつこつやっとかなかったのかなあとこれまでの人生で七万回くらい同じ後悔をくりかえしているのにまたやる不思議。

確定申告 3/14/07

 受付の女の子がとても可愛い人で、にこにこ愛想よく対応してくれた。軽い冗談も言って互いに笑うほどであった。しかもあっというまに終わる。税務署の、というか役所の対応としてこれはなにかまちがっているのではないだろうか。無意味に偉そうで無礼なおっさんか化粧の濃い幸薄そうな狐目で出っ歯のインテリブスがじゃまくさそうに対応して難癖つけてきて夕方までかかってこそ役所の醍醐味なのではないのだろうか。あんな可愛い楽しい子でいいのか。絶対なにかおかしい。なにか裏があるとしか思えんのである。

花見 4/10/07

 明石公園で花見した。こんなに満開のピークに花見するのはずいぶん久しぶりである。ここは火を使うことが禁止されているのか傍若無人な馬鹿が肉焼いたりカレー煮込んだりしておらず正統的平和な花見ができてとてもよろしい。イタリア料理店ピッコロベルゲンは火曜日定休日なので先日食べにいったときオーナーシェフのタカマツ君と火曜日平日は人少ないぞ花見行こう行こうという話になったのだった。というわけでそこでアルバイトしている美人テーコチャンも入れて三人で満開の桜の下だらだら飲む。弁当はタカマツ君が作ってきてくれた本格イタリアンである。めたくそうまいぞこんな豪華な花見は生まれて初めてじゃ。途中楽器修理人ヤストメ君も来る。仕事があるので酒は飲めないすぐ帰ると言いつつ、スパークリングワイン数杯と缶ビール数本を飲んでいた。そこまでできあがったんならそのまま夜まで飲めばいいのに仕事があるからとふらふら帰っていくのだったあれで仕事はできんだろうに。六時半くらいまで公園で飲んで、その後西明石の飲み屋に移動しまた飲み、Y氏も来てさらにだらだら飲んだ。
 平日昼間っから満開の桜の下で酔っぱらってげらげら笑うのは感動的というてもよいほどおもろかった。絶対来年もやろう。といいつつ今度の日曜も同じ場所で花見だ。

新聞の取材 4/18/07

 最初に電話がかかってきたのは去年の十月で、○○新聞の○○といいますが、と朝も早くの十時過ぎに電話してきた若い女性記者は、それだけ言えばあとはわかるでしょうとばかり黙ってしまうのだった。
 なんにも言わないのでこっちから「どういうご用件でしょうか」と訊くと「あー、えとー、いやーなんかあー、明石で作家なんて珍しいんでー、なんかー、会って聞いてみたりしようかなーとかー」あのこれ、全然誇張してませんからね。実際こういう話し方の人であった。
 いつ会えますか今からどうですか場所はどうしますかと、一方的にまくしたてられ「いきなり今からは無理で」すのでと言う前にかぶせて「じゃあ明日はどうですか」「はあまあ明日ならなんと「かじゃあ十時でいいですか」「いや、できれば午後からの「ほうがじゃあ何時ですか」ああ断ればよかったと思ったがそういうわけで、まるで面識がないのにどうやって相手を見つけるのかわからないまま翌日待ち合わせし、約束の時間を十分ほど過ぎたあたりででかいカメラ提げた女の人が待ち合わせ場所の近くをぬぼーっとやってきたのでぼくから声をかけてなんとか会うことに成功したのだった。どうやって相手を見つけるつもりだったのか訊くと「いやあどうしようかなとか思ってー」今までどうやって生きてきたんだ。
 その後一時間ほど喫茶店で話したのだが向こうはぼくのことなどなんにも知らず、もちろんぼくの小説を読んでもおらずなに書いたかさえも知らず、口を開けば「明石でどこかおもしろいとこないですかー明石のおもしろい話なんかないですかー」とばかり訊いてくる。「なんで小説書くんですかー」という目的のわからない答えようもない質問も何度となくくりかえされた。なんでぼくを取材しようと思ったかというと「田中哲弥という明石在住の作家のことが『朝日新聞』に載っていた」という話を「人に教えてもらった」からだそうだ。
 明石市内限定のページという超ローカルコーナー担当ということで本当に明石市のこと以外まったくなんにも興味がないらしく、ぼくの書いた小説に「明石の大久保町」の話があるとそこにだけ食い付き、今度再刊される予定ですと言うと、じゃあまたその本が出たころ取材させてもらいますほな今日はさようならということになった。それが去年の十月頃の話である。あまりに意味のない取材だったので、帰り際思わず今日は私たちなんで会ったんでしょうねと訊くと「あーなんかあー、作家なんだーとか思ってー、とりあえず会っとこうかなとか思ってー」とのことだった。人の迷惑とかは考えんのかなーとかとかとか言うなっ。
 で、それから何度かほんと迷惑な早朝たびたび留守電が入っていて、そのたび、あのえとー、○○新聞の○○ですけどー、オークラだったかオークボだったかの本の話はどうなったでしょう。お電話くださあーい080のおー……。一生ほっとこうと思っていたら今日夕方たまたま電話に出たところ運悪くこいつで、いきなり「あーえとーオークラだったかオークボだったかなんかの本のリニューアル版ってどうなってます?」君の新聞社には「ネットで検索する」という言葉は存在しないのか。新聞記者のくせして自分で調べることはいっさいしないのか。「もう出てますが」「あっそですか。じゃあ取材したいんですけど」いやじゃぼけとは言えず「えーと。すみません、取材の目的が、いまひとつよくわからないのですが」「あーいやー、なんかオークラだったかオークボだったか(最後まで本のタイトルは覚えられないようだった)の本とか出てるのなんか、みんなそんなの全然知らないから、おもしろいかなーと思うしー」それを失礼と思わぬおのれの花咲いた脳味噌がおもろいわ。「あの、どういう小説なのかはご存じでしょうか。実際の明石市とはなんの関係もないのですけど」「あー、なんか前に出たやつを図書館行ったときついでに絵だけぱらぱらっとは見たんですけどー」君が取材したいのは「リニューアル版」ではなかったのか。駅前の本屋でも売っているものをなぜ探さないのか。作家を取材するのに著書の一冊くらい読んでおこうとなぜ思わないのか。よくまあそんなアホで歯抜けの女子高生みたいなノリで今まで新聞の、いや待てそうかわかったこれは自分が新聞記者だと信じ込んでいるだけのただそのへんふらふらしている本物のアレなのではないかああそうだそうとしか思えんそうでないとおかしいまちがいない。
 恐かったので取材は丁寧にお断りした。恐るべし神戸新聞。

ヤッホの森 4/21/07

 ヤッホの森とその名はコアラのマーチ姉妹品的ファンシーなくせして最初から最後までがんがんに険しく狭い登山道に入ってしまい、全行程六時間ほどかけてY氏とぼくはただひたすら自転車押すか担ぐかして登山して下山した。ほとんど乗れなかった。自転車担いで切り立った岩場を降りようとしたら後輪が木にぶつかって前に押されそのまま頭から真っ逆さまに落ちそうになったり、正直三度は死んだと思った。なんかの罰ゲームか。いろいろな意味で疲れた。まあこれはこれでおもしろかったけどさ。

加西林道三昧 4/29/07

 先週自転車担いでの登山でストレスたまりまくったのでちゃんと走れるとこ行こうというわけで今日は加西の林道を走ることになった。今回はちょうどおもしろい斜度と荒れ方の未舗装道がばんばんあってめちゃくちゃ楽しいコースであった。このコースは当たりやなあと喜びつつしかしぼくは毎度のことながらどこ走ったのかまるでわかっていない。前にも行ったことのある根日女温泉というのにのんびり浸かってから帰り、ピッコロベルゲンでうまいもの食ってだらだら飲んで帰る。完璧な一日だった。ああ幸せ。

「ドクター・モヘーの島」 5/14/07

『大久保町は燃えているか』のおまけ短篇書き上げる。なんでいっつも徹夜しないといけないほど切羽詰まるのかなあ。なんでもっと前からこつこつやっとかなかったのかなあとこれまでの人生で七万回くらい同じ後悔をくりかえしているのにまたやる不思議。

クワガタムシ 6/3/07

 昨夜実家に帰ると玄関にクワガタムシがおり、両親に聞けば路上で死にかけておったので、ぼくの仕事場の階下に住む子供たちにやれば喜ぶのではないかと思い捕獲しておいたとのことだった。元は漬け物か梅干しが入っていたらしい透明のプラスチック容器に入れられたクワガタムシはたしかに元気がなくあまり動かない。まことにもって「死にかけ」である。コクワガタよりはだいぶましだがなんやノコギリクワガタちゃうんかと田舎の子供が少しがっかりするヒラタクワガタである。まあよいでは明日子供たちのところへ持っていってやろうととりあえず仕事場へ運び、ネットで少し調べてみたところ餌はキュウリなどではなくリンゴなんかがよいみたいなことも書いてあったので、母親が入れたらしいキュウリを取り出し代わりにバナナを入れてやる。湿気が必要だというので湿らせたキッチンペーパーも敷いてやる。暗い方が落ち着くだろうと灯りを消した玄関に放置してしばらくするとかりかりかりかり音がするので見てみたら、バナナ食ったせいか単に夜行性だったからかものすごく元気になっていて透明容器からなんとか出ようとかりかりがんばっているのだった。しかし元漬け物の入れ物の蓋はかなり頑丈にできており、さらにセロハンテープによる補強までなされているため、たかだか体長五センチほどのそれも死にかけのムシごときにどうなるものではない。と思ってさらにほっといたら、数十分後今度は玄関の方でがこっという少々大きな音が響いた。もしかしてと思い見にいくと、驚いたことにこのヒラタクワガタ、堅いケースの蓋をこじ開け脱出に成功しているのだった。信じがたいことであった。誇らしげに玄関の壁に取りついたその姿は大事を成し遂げた満足感にあふれ輝かんばかりであり、栄光へ駆け上るのは時間の問題かと思われた。ぼくは素直に感心し、尊敬の念さえ覚えすごいなあおまえと言いつつ、当然のごとくまたケースに戻しセロハンテープによる補強を念入りに施し二度と逃げるなと強く言い聞かせておいた。せっかく出たと思ったのにたちまちまた監禁されたという虚脱感からか、脱出に力使い果たしたからか、しばらくは静かにキッチンペーパーの下に潜り込んでじっとしていたヒラタクワガタであったが、その闘志は不屈でやがてまたかりかりと脱出への挑戦を始め、奮闘は夜通し続いた。全然「死にかけ」などではないがんがんに動くのである。子供たちの手に渡ってしまえば、この夏を生きることもなくおもちゃにされものの数日で死ぬしかないことがわかっているかのような必死の奮闘ぶりであった。
 というわけで情が移ってしまったので健闘を讃え山に返してやった。達者で暮らせ。

鶴光なトラック 7/16/07

 どこか壊れているのかバックするときの警告音が途中で終わる。
「ピーピーピー、バックしま。ピーピーピー、バックしま。ピーピーピー、バックしま」
 確認できなかったが「左に曲がりま」とか「右に曲がりま」とか「そうでおま」とかも言うと思う。

子午線 8/1/07

 最近ヘノオウの子は英会話に興味を持っているらしい。
「明石のこと英語で説明しよ思てんけど、東経135度の東経って英語でなんていうの」
「東経。なんやろなあ知らんなあ。子午線はメリディアンやな」
「あー、そういえばメリジャンいう喫茶店どっかにあったなあ」
 というのでメリー・ジェーンの節で「メリジャーン、オンママーイ」とボケたら、
「えっ。あの歌(メリー・ジェーンの節で)しごせーん、てうととったん?」
「ちがいます」

終わった 8/13/07

『さらば愛しき大久保町』新装版のおまけ短篇やっとできた。なんでいっつも徹夜しないといけないほど切羽詰まるのかなあ。なんでもっと前からこつこつやっとかなかったのかなあとこれまでの人生で七万回くらい同じ後悔をくりかえしているのにまたやる不思議。しかしまあこれで『大久保町』の三部作新装版でぼくの分の仕事は終わった。

氷上炎天下ツーリング 8/14/07

 お盆休みでY氏が珍しく火曜日に休めるというので、先日ゲイリーフィッシャーのマウンテンバイク買ったばかりのピッコロベルゲンのタカマツ君と三人でツーリングに行くことになった。ピッコロベルゲンは火曜日定休日なのである。ぼくは徹夜明けの翌日だったので体調を少し心配しつつ、タカマツ君は山なんか自転車で走れるかなあと体力を心配しつつ、Y氏は温泉入ったあとどこで飲もうかと心配しつつ、車に自転車三台積み込んだおっさん三人は兵庫県は氷上郡、気温三十三度の猛暑炎天下の山へと赴いたのであった。
 自転車で山は初めてというタカマツ君だったがさすがは高校のとき四国一周もしたという元自転車少年バテたバテたと言いながら機嫌よく完走。走りながら道端の溝や川を見つけては覗き込み、おーめっちゃ水きれいやーといちいち騒ぐので、なんでそういちいち水に反応するんやと訊いたら嬉しそうに「水好きやねん」なんやそれへんなやつ。
 Y氏はいつでもどこでも曲がりくねった下りをかなりのスピードで吹っ飛んでいく人で、よく恐くないものだ曲がった先になにかあったり曲がりきれなかったらどうするのだろうそのうち大怪我するのではなかろうかと常々ぼくは危惧を抱いておったのだが、狭い林道の下りに入ったときやはりどーんという感じでぶっ飛んでいったY氏は途中のカーブで見事にこけた。あーこれはまちがいなく死んだなと思ったがなぜかほぼ無傷で、ツーリングでこけたのはこれが二回目やなあと曲がったハンドルぐいっと直して平然としていた。そのうち死ぬと思う。
 気温三十三度とはいえ走り始めてしまうとそれほど暑くはなく、途中の峠もまあまあ緩やかで苦しくない程度につらくなかなか楽しいコースだった。特に空が美しくて感動した。実にまったく夏の空で、単に夏の空というだけではとても足りぬ校舎の屋上からクラス全員大声で『夏のそらあーっ!』と叫びたくなるような夏の空であった。四季があるって楽しいなあ。薬草が入っているという湯がまっちゃっちゃでへんな匂いのする温泉に浸かってから明石に戻り、みんないったん家に帰ったのちまた飲み屋に集合して夜中までだらだら飲む。

トークライブ 8/19/07

 つい先日十一日にも同じことをやったのだがジュンク堂ヒルトンプラザ店でトークライブというのに出演する。『ハナシをノベル!』関連のイベントというかなんかそんなんで、月亭八天さんと作家が落語の話をだらだらするだけである。今日はこのイベントのメインである田中啓文の他、暇だったから来たという北野勇作、やはり特に呼ばれてないけど暇なので来た田中哲弥でだらだらした。十一日はこのメンバーにプラス我孫子武丸でだらだらした。
 終わってからニュートーキョーで飲み、さらに前回も行った沖縄料理の店に行く。ここはステージで沖縄民謡のライブがあって、そこで歌うお姉さん二人組がめちゃくちゃ可愛いのである。聞けば沖縄にはああいう美人がうじゃうじゃいるという。そのうち沖縄に行こうと思う。なんなら住もうと思う。

天満天神繁昌亭 9/21/07

『ハナシをノベル!』出張版ということで、繁昌亭の夜席に出演。もちろん落語をやったわけではなくて、月亭八天さん他、田中啓文、我孫子武丸、北野勇作、牧野修といったメンバーとなぜか浴衣着てぐだぐだのトークをやっただけなのだが、それでも繁昌亭出演は出演。芸人でもないのにここの舞台に出られるなんてなんとも光栄なことである。立ち見はおろか入れなかった人が百五十人以上という異常な盛況ぶりで、これにはいろいろと問題があったようだがおかげで大入り袋ももらえた。繁昌亭出演者でなければ、しかも大入り満員でなければもらえないものなのでこれはあちこちで見せびらかして威張ろうと思う。
 しかし舞台で正座していなくてはならんというのがつらかった。たかだか三十分ほどのこととはいえ、胡座かいて座るのさえ苦手なぼくにはあまりにつらく、もう知っていることは全部話しますので許してくださいという感じだった。でもまた出られるといいなあ。

ハナシをノベル! 第九回 9/29/07

 月亭八天氏による新作落語の会も九回目。今回は北野勇作作作あ一個多かったな「みんなの会社」とぼくの書いた「わあわあ言うております」の二作。もちろんどちらも初演なのだが今日はいつにもましてものすごくいい寄席だったのではなかろうか。お客さんはあまり多くはなかったが、かなり受けていたように思う。自分の書いたもので人が笑っているのを見るのはかなりの快感だ。いやあ落語おもろいなあ。また書こ。


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