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元禄名槍譜 俵星玄蕃 12/31/99

 なにげなく新聞のテレビ欄を見ていたらおおなんと今年の紅白歌合戦で三波春夫が歌うのは俵星玄蕃ではないか。昔『題名のない音楽会』だったか、そういうテレビ番組で忠臣蔵の特集をやったとき三波春夫がこの俵星玄蕃を歌い、そのときぼくは伴奏のオーケストラでトランペットを吹いたのである。驚いたか。このときは二本録りで、もう一本の方は小林幸子と八代亜紀のルーツを探るというような内容だったと思うがこれも伴奏した。驚いたか。いやしかし俵星玄蕃。これはかっこいい。
 見逃してはならじと聞きたくもないあーちーちー(アホちゃうか)なんかをちらちらと我慢してやっと聞いたがやっぱりかっこよかった。長台詞の途中「槍を蹴立てて」というところでパパパンと吹くのである未だに覚えている。覚えているといえば、舞台袖で待機しているときは真顔で、というより仏頂面とでも言った方がいいような表情でじーっとしていた三波春夫氏が、司会者の「三波春夫さんですっ」という声を聞いたとたんスイッチでも入れたかのように一瞬にして見事な笑顔に豹変したのも忘れられない。プロやなあ、とあまりの見事さに惚れ惚れしたものである。
 俵星玄蕃が終わり、いいものを見せてもらったと満足して新しくなった実家のベランダに出、2000年になる瞬間を待つ。なったとんたにばばっと町中すべての灯りが消え、車があちこちで衝突電車は脱線船は転覆ビルは倒壊火山が噴火巨大隕石の衝突、というような阿鼻叫喚を期待したのだがなんにも起こりませんでしたな。明石大橋がカウントダウンに合わせてイルミネーションを点けたり消したりするのをぼんやり眺め、来年こそはちゃんとしようと去年とおんなじようなことを考えるのだった。来年もよろしく。

大掃除 12/30/99

 仕事場の、なんにも使っていない一室を使えるようにしようと大掃除を始めたらよけいにがちゃがちゃになって他の部屋や廊下までほこりまみれとなり、ゴミばかりが大量に出て置き場所に困り、結局掃除をする前よりも居心地は悪くなった。でもまあなんとか物置と化していた一部屋が人の暮らしに使えるようにはなったので、真夜中に明石で追い剥ぎにあって身ぐるみ剥がれたりしたときには、ご連絡いただければ泊めてあげます。

空耳アワーと怪奇大作戦と広末涼子と緒川たまき 12/29/99

 空耳アワーの最新作二時間分が録画できたというので空耳ドクターと飲みにいく。いっしょに怪奇大作戦のビデオももらったのだが壁抜け男は田口計だったんですなあぬははは越後屋ぬしもわるよのうしかし子供のときはあれ、どれほど怖かったことか。
 この医学博士によると広末涼子が『さんまのまんま』に出たとき、いろいろ突っ込んだことを言われて狼狽していたということで、先月わざわざその録画をくれたのだが、ぼくはこのビデオを見て広末涼子をとても可愛いと思った。それまではどうも変な顔だしちょっとわざとらしい感じもすると思ってあまり好感は持っていなかったのだが『さんまのまんま』に出ていた広末涼子は可愛かったのである。好きになってしまった。で、そのことを言ったら医学博士は顔をしかめ「違うんや。わかってないなあ。それはいかんで」断じていかん、と怒るのだった。みなさん広末涼子を可愛いと思うのはいかんのだそうです。そう言われて、今日帰ってきてからもう一度ビデオを見直してみたのだがやっぱり可愛い。似たように緒川たまきという人もイヤだという人が多いらしい。ぼくはこのあいだ『SF サムライ・フィクション』を見て非常に美しいと思い、以来とても好きなのだがそれも違うそれもいかんと言われた。なにが違うのかいかんのかよくわからないのだが綺麗ならそれだけである程度偉いようにぼくは思う。顔が綺麗だとかそんなことは問題ではないと言う人だって、はっとするような美人に面と向かって会ってしまったら細かいことなどふっとんでふわーっと言いなりになるのだいいやまちがいない。少なくともぼくはそうだまちがいない。

屁の王の女の子ふたたび 12/28/28

 牧野修氏の『屍の王』を見て「これなんて読むの、へのおう?」と名言を吐いた女の子がぶらっとやってきて、仕事場のテレビの横に置いてあるウルトラセブンの人形に目を留めた。医学博士からもらったUFOキャッチャーの景品で、アイスラッガーを発射しようと頭の後ろで両手を揃えている上半身だけのウルトラセブン像である。一番かっこいい決め技のポーズだというのにその子は首を傾げ「あのウルトラマン腹筋してるの?」そうだと言っておいた。

カレーは右か左か 12/27/99

 冬樹蛉氏が、カレーライスのカレーはライスに対して右か左かというようなことにこだわっていらっしゃるようなのだがぼくは自分がどちらかと訊かれても答えようがない。まるで気にしていないからである。なるほどカレー右派にもカレー左派にもいろいろと言い分があるようで、よくもまあこんなどうでもいいことを真剣に考えるものだと感心して呆れながら大学の学生食堂でのちまちました光景を思い出した。
 麻婆豆腐というのがメニューにあって普通はこれを普通に食べる。ところがその男子学生はめちゃくちゃちまちました食い方をするのであった。まず散り蓮華で飯をすくうのだが、ざくっとすくえばいいものをなぜかちょちょ、ちょちょ、と小指を立てたどことなく淫猥な手つきで突っつくようにし、散り蓮華に半分ほど飯を載せる。とりあえずそれを見ただけでぞっとし、テーブルに跳び載って空から襲いかかろうかと思った。そうやってほどよく散り蓮華に飯を載せたその男はそれを食べるかというと食べず、今度はその散り蓮華をまたしてもちょちょちょ、ちょちょ、と麻婆豆腐の皿に突っ込んで、多からず少なからずという量の麻婆豆腐を散り蓮華の上の飯にかけるように載せんがため三回から五回ほどの試行錯誤をくりかえし、やっと納得のいく分量が載ったのを確認するためか目の前で小刻みに揺すってから、やっと口に運ぶのだった。一回か二回ちょっとやってみたというのではなく、最初から最後までずーっとそうやって食ったのである。その時間のかかることといったら並大抵ではなく、見ているだけでいらいらした。では見なければいいのにと思うのだがどうしても気になって見てしまうのであるああ今思い出すだけでもいらいらする。あのちょちょ食い男は今どうしているだろう。
 
餅つき 12/26/99

 今年も餅つきに行く。朝が早いのはつらいので起きられたら行くと言っていたら、主催者である親切な先輩は電話で起こしてやると言い、きちんと朝九時過ぎに電話をくれた。しかしこっちは寝たのが朝六時だったため電話をもらった九時から三十分ほど、ベッドの中でこのまま寝てしまおうか起きて餅つきに行こうかと命がけで苦悩する。死にそうだったが結局ちゃんとした餅を食いたいという欲求が勝利し、なんとか十時頃現場に到着。二臼分手伝って、苺大福などを作ってたらふく食い大量に餅をもらう。ちゃんとついた餅がパックで売っている餅と決定的に違うのは焼いたあと冷えてしまったときで、パックの方は糊が固まったみたいになってしまうのに、ちゃんとついたやつはぽりぽりとしてこれはこれで大変うまいのだ。餅米を蒸す独特の匂いも、ああもう年が明けるのだなあというほのぼのした気分になっていいものである。こういう伝統はなくなって欲しくないぜひとも残していくべきだ、などと普通は締めくくるのだろうが、ちゃんとした餅つきのやり方を知ってしまったぼくにしてみれば臼と杵が手に入る今のうちに手に入れ、他の人々がクリスマスだハロウィンだと植民地みたいなことをやっているのをせせら笑いながら由緒正しい餅をこっそり食って優越感に浸りたいのである。さあみなさん餅はパックのやつを買いましょうあれで充分です。

クリスマス 12/25/99

 けっ。
 と終わらせようと思ったのだが、いろんな人からなんやかんやとプレゼントをもらって喜んでいる。まずスノーボード用のジャケット。普段着にでも使えるデザインなので普段着に使おうと思う。実際にスノーボードをするときはバートンのかっこいいのを持っているのである。しかしもう七年も前のやつなのでズボンは尻から水が入ってパンツが濡れるのだだれかスノーボード用のズボン買ってくれバートン希望あんまり生地が薄いのはいや身長170センチ色は赤がいい。それからジーパン用のベルトをもらった。これも古くなってびろびろだったので見かねてプレゼントしてくれたらしい。リーバイスの太いやつでなるほど新しいベルトだとしっかりしていて気持ちがいい。あとクワイ・ガン・ジンのライトセーバー。もちろん本物ではなくバトルドロイドを破壊したりはできないのだがボタンを押すと四段階に黄緑色の刃が出現する。おお、と喜んで出したり戻したりうん、うん、うん、と言いながら振り回したりしていると、くれた本人は「まさかとは思ったが本当にそこまで喜ぶとは思わなかったやっぱりあんたほんまのアホやな」と呆れていた。でも嬉しいのである。あとマフラーももらった。なんじゃとクリスマスなどアホの祭だとか言っておったのではないかとな。ははは。知らないだろうがぼくはカトリックの洗礼を受けたれっきとしたクリスチャンなのだ洗礼名だってあるのだ死んだら神父さんに弔ってもらい墓に刻まれる名はTetsuya M. Tanakaとなるのである中山手カトリック教会でのクリスマスミサではアホ面さげて外から覗き込む大阪近辺から来た頭の悪いボケナスアベックと違ってちゃんと教会の奥に座ることだってできるのであるどうじゃまいったか。まったく信心する気持ちがないので教会には近寄らないだけのことである。なんで洗礼を受けたかというと、めちゃくちゃつまらない理由なので言わないでおく。洗礼名はなにかというと、聞いた人がたいていぶっと噴き出すのでこれも言わないでおく。
 とにかくいいクリスマスであった。

アベックだらけ 12/24/99

 夜遅く、十一時過ぎくらいだがいつものごとくだらだらとランナーズハイを求めてジョギングに出たらそこいらじゅうアベックだらけで辟易した。
 まずいきなり仕事場の階段をおりたところで、道路のど真ん中にエンジンをかけたままヘッドライトを煌々と点けて停まっている車を見つけて驚く。なにかあったのかと思うではないかちょっとくらい脇に寄せられぬものか。覗き込んでみたら運転席の男が助手席の女らしきものに覆い被さっているのであった。かなり熱烈に別れのキスをしているようだ。ボンネットに載ってフロントガラスに顔をつけ、じっと無表情に見ていたら気づいたとき中の者どもはさぞかし驚くだろうなあと考えて、なんとか車を揺らさず載る方法はないかと思案したのだが助手席のシートから出ている脚がぎょっとするほど太くてだらりとしていたのでげっと叫んで逃げる。いやなものを見てしまったあれは絶対変態性欲や俺には無理や絶対無理やと怯えながら、いつものコースを走っていくといるわいるわ。たいていが女の子を家の前まで送ってきて別れ際になにやらごちゃごちゃとやっているわけである。死んだら坊主呼ぶくせになにがクリスマス。どうしてくれようと武器を探しつつ走っていくと、公園のそばに一台またアベックの乗った車が停まっていたのだがこれは他のやつとはようすが違う。助手席の女の子は下を向いてじっとしているだけ。ははあ別れ話やなと思い嬉しくなってもう一周約一キロを走って戻ってくると、今度はヘッドライトが点いている。でも車は動かず女の子は下を向いたまま。なるほどなるほどわかるわかるもう遅いから帰ろうとして女の子が「でもあたし、やっぱりだめだと思う」とかなんとか言ったのだまちがいないまちがいない。なんであかんねんもうわかったんやからこれからはちゃんとするやないか俺にチャンスくれたってええやないかあかんのかあかんのかそうかほなどうしても別れるんやったらしょうがないからあきらめるけどとりあえずとにかくあと一回だけでもいやもう二回か三回めちゃくちゃ変態な好きなことさせてくれあんなこととかこんなこととかあとあんなこととか、とかなんとか言っているのだろうたぶんあとになって思い出すとなんであんな子に必死になったのだろう、と恥じ入って後悔するのだかわいそうになあと思い、楽しくなってもう一周走って戻ってみるとライトが消えている女の子は下を向いている。よしよし揉めている。それからしばらくはずーっと同じ姿勢のままで泣き喚く殴る絞める刺す縛る嬲るビデオに録って脅すといった展開は見られず、結局最後には車が消え、ひとり下を向いてとぼとぼと公園の横を歩く女の子とすれ違ったのだった。泣いていたようだが相手の男がそのうち後悔とともに思い出すであろう程度に不美人で、着衣に乱れはなかった。
 しかしまあおかげで十五周も走ってしまった。

お好み焼き屋で忘年会 12/23/99

 高校時代の友人たちとお好み焼き屋で忘年会。このお好み焼き屋、よく知っているのだが最近生ビールで表彰されたとかで、そう言われるとたしかにビールがうまいような気がした。めちゃくちゃ飲んだので今年は割り勘でも損はしていないはず。その後明石ではちょっと有名なレゲエの店でワインを飲み、それから友人の家で発火遺産おおなんという変換をするのかそんな物騒なものではなく八海山だったと思うがうまい酒だと評判の日本酒を飲んでへろへろになって帰る。

要領の悪い宅配便 12/22/99

 午前中、寝ているときにそれはやってきて、呼び鈴が鳴ったのは知っているが起きて出るほどの根性はない。放っておいて、昼過ぎ郵便受けを見ると「不在だったので持ち帰ります」という票があった。電話番号が書いてあり、これがクロネコやペリカンの場合そこに電話をするやたちどころに反応があってその日の都合のいい時間に持ってきてくれるのであるが、ここはそれができないのだった。まず電話が何度かけても話し中で、何度かに一度呼び出し音になるもののこれが十回鳴っても二十回鳴っても誰も出ない。腹が立ったので一度五十回くらい鳴らしっぱなしにしたのだがやはり出ない。電話が通じないとなると、こっちはただひたすら次にいつくるかわからないのを待つしかなくなるわけで、これでは郵便よりも不便なのである。郵便局の場合は、いなかったおまえが悪いのだからこっちまで取りにこいとはっきりしていて、不親切が徹底しているためこっちもそれなりの対応ができる。相手がはっきり馬鹿だとわかっていると、まともに相手をするのをあきらめてそれなりの対応をするしかなくなるのと同じである。
 しかしこいつは民間企業、クロネコやペリカンと同じサービスを期待するではないか。ところが一時間おきくらいに電話をしてみてもやはり通じず、そろそろ帰ろうと思った夜七時半頃ついに電話が通じておっさんが出た。荷物が来たみたいなんだけどね、とこっちが言うか言わないうちに「ちょっと待って」と投げやりに言うやおっさんは他の電話に出てしまい、五分ほど待たされる。郵便局でも市役所でもJRの駅員でもめったにやらないことである。呆れ果て、よほど切ってしまおうかと思ったのだが半日の苦労を思うとそうもできず我慢しているとやっとおっさんは戻ってきて、事務的に荷物の番号を訊き「今日はこれからはおりますの?」などと非常にぞんざいな口調で言う。いったいこいつらなんなんじゃと天を仰ぎつつ何時頃になるのかと訊くと、遅くなると思うが何時かはまったくわからんなあドライバーに訊いてみないと。ほなすぐ訊かんかいおまえはなんのためにそこにおるのじゃ。もはやなにを言っても無駄な気がしたので、では今日はもうこれから留守にするので明日の午後にしてくれと言って電話を切る。むかむかしつつ実家に帰り、夜十時半頃仕事場に戻ってみると郵便受けにまたしても「不在だったので持ち帰ります」という票が入っていた。見れば八時前に来ている。もう十五分ほど待てばよかったのだ。あまりの不手際に脱力し、もうどうでもよくなってしまった。大丈夫か飛脚。

ヘシオドスとししおどしくらい違う 12/21/99

 うーむ。これもなかなかの出来だ。

今年もルミナリエ 12/20/99

 ちょっとした用事ができたので神戸ですませようかと思ったりしたのだがルミナリエの最中であることを思い出してあきらめる。聞くところによるとルミナリエで光っている通りに限らず三宮近辺は誇張でもなんでもなく朝のラッシュの満員電車のような状態なのだそうだ。初詣なんかもそうだが、ああいう人混みの一員になることを厭わない人がぼくにはわからない。好んでうんこの池に浸かる人を見ているようだ。精神的にタフなのか、アホかどっちかだろうと思うのである。しかしこのうっとうしいルミナリエ、資金の問題で今年で終わりかもしれないとか言っているがあれは絶対嘘だ絶対またやる。去年もそんなことを言っていたし、そもそも最初のときは震災復興のための行事なので今年限りなどとぬかしておったではないか。みなさんのおかげでなんとか今年もみたいなにやけたことを言いつつ来年もその次の年も機嫌よくやるに決まっているのである。そしてこの時期神戸市は儲かり一般市民および近隣の住民は身動きがとれなくなるのだいい迷惑だ。

出産祝いにランプ 12/19/99

 友人夫婦に子供ができたというので、出産祝いになにか欲しいものはないかと訊ねたところランプが欲しいのだそうだ。ランプってなに。いやぼくだってランプは知っている。怒ると頭の後ろに蝋燭が立つおっさんや、こすると魔人が出てくるものもあるらしいが、この場合油を燃やして灯りに使うあれのことにまちがいあるまい。でもなぜ出産祝いにランプ。出産祝いといえばとりあえずは「子育て」関係のものであろうと勝手に考えていたぼくは面食らってしまった。ははあもしかするとこの夫婦は馬鹿で、ランプと言えば必ずこすると魔人が出てくると思っておりランプさえ手に入れれば巨万の富を得られるとでも考えているのだろうか。そんなものは東急ハンズには売っていないのである。変わった夫婦なので少々外れた物を欲しがるかもなあとは思っていたもののまさかランプとくるとはまったくの予想外であった。見合の席で相手の女性の趣味を訊ねたらにっこり「ウェルニッケ中枢です」と言われるくらい驚いた。いやしかしなんでランプ。

編集者と明石天文科学館 12/18/99

 初対面の某社編集者と明石で打ち合わせ。明石焼きなどを食べながら打ち合わせをしたのち魚の棚をぶらぶらし、その後なぜか明石天文科学館へ行く。プラネタリウムは時間の都合で見なかったが、どうでもいいような展示は一通り見て回った。昔はめちゃくちゃ古くさくて独特の雰囲気があったものだが、震災から復活して綺麗にはなったもののごく普通になってしまっていたのでなんだか残念な気がする。以前の古くささというのの、どこがどんな風によかったのかと言われると困ってしまうのだがなんだかよかったのである。展望台へ向かう螺旋階段はてっぺんの望遠鏡に震動が伝わらないよう外側の壁と階段の間に十センチほどの隙間が空いていて、上から隙間を覗き込むと下の方まで見えてしまっていつも見るたびくらくらした。その隙間もふさがってしまっていた。この階段による恐怖は未だに夢に見るほど強烈で、たいていこの階段を上りきるとどういうわけか最上階は姫路城の天守閣になっているのである。

明石で宴会 12/17/99

 ビールとボジョレーヌーボーが飲み放題という宴会に参加する。参加者の大半が明石で商店などを営む方たちだったため、みんな手に手に当店自慢の差し入れを持ってきており、そうやって集まった新鮮な魚介類や肉や野菜をぶちこんだ豪華な闇鍋がメインであった。しかし間抜けなことに昼飯をすっかり忘れて極度の飢餓状態にあったぼくは、ビールをがぶ飲みしつつ最初に出た中華料理を豚のごとくむさぼり食ってしまい鍋ができたころにはもうなにも食べられなかったのである。めちゃくちゃおいしそうだったのに実に惜しいことをした。酔ってわけのわからないうちに可愛いけれどどこにでもいそうな尻の軽いOLとできてしまいそのままずるずる結婚が決まってまあ結婚なんて実際はこんなもんなのかなあと感動のない自分を見つめながらしみじみしていると結婚式の二次会で入社以来憧れつづけていた会社一の美人から「ずっと好きでした。でもあきらめますお幸せに」と涙目で言われたような気持ちである。待ってくれせめて一回だけでも。
 しかしおみやげに明石の味付け海苔一箱とボジョレーヌーボーのボトル一本と葉月里緒奈のヌードカレンダーをもらったのでよしとしよう。また呼んでください。

変なファンレターだったので全文掲載 12/16/99

 いつも田中先生の本を楽しく読ませてもらっています。
 つい先日も、田中先生の出版された本が、シリーズごと店頭に平積みになっており、まだ持っていないシリーズの一冊をまよわず手にとってしまいました。
(まとめて、平積みになっていたのは、フェアをやっていためです!)
 レジでお金を払って、いそいで家に帰って、もう、とても楽しくよませてもらいました。楽しいひとときをありがとうございました。いや、ほんとうに面白かったです。
 アルスラーン戦記の最新刊。

 書き方から見て、わざとやってるんでしょうなあ。冗談なのかいやがらせなのかよくわからないのである。最近、ちょっとアブナイ感じのメールが増えてきたので困るけどおもしろい。

簡単にランナーズハイになる方法 12/15/99

 さていよいよその方法である。
 ウォーミングアップというのはした方がいいに決まっているのだがそれはめんどくさいので、まずいきなりだらだらの一キロ六分以上かけるつもりで一キロを走る。次の一キロは全然しんどくない一番楽なスピードで体を慣らす。最初にだらだらやっておかないと膝などが痛くなったりするからであるほなウォーミングアップせんかい。そして次が肝腎なのだが、二キロを越えて体がほぐれ、つらくも痛くもない状態で走れるようになったら思いついたとき適当にダッシュするのである。この「思いついたとき適当に」というのが重要で、どれだけの距離をどれだけの速さでなどと事前に決めてしまうと(体を鍛えるのならたぶんその方がいいのだろうけど)しんどいつらい思いをすることになる。へらへら笑う余裕はあるもののちょっときついかなあ、くらいにしておくのだ。すると走り出して初めて心臓が少しばくばくとなり、息もほんのちょっと苦しくなる。ここでちょっとだけでも苦しくなっておかないとあとが楽しくないのでがんばるように。できれば息がおさまったかなあというときもう一度ダッシュをかけるとより苦しくなって効果的だと思うけどしんどいのであまりおすすめしません。さあしんどい思いをしたあとは、ただもうのんびりふらふらと走るだけでよい。何分で何キロとかペースをもう少しどうとかそんなことはなんにも考えない。できれば目をつぶって走ったりするといいのだがこれは危ない何度か死にかけた。なんでもいいから頭の中でどんどん妄想を膨らませ、考え事に没頭するような感じで走りつづけるのだ。赤信号にも気づかずそのまま走りきってしまうくらいがちょうどいいと思う。そのうち体が軽くなって、ふわふわしたようになってくる。実際このとき足は宙に浮いており、念じればかなりの高空まで上昇することが可能である。走っているときにはさほどハイな感じでなくても、走り終えた瞬間ふわりと浮いたようになることもある。『マトリックス』でやっていた、あれが実際にできるようになるのだが真に受けて死んでもぼくのせいではないのでそのつもりで。この状態になるとふわふわと十キロくらい走れてしまうこともあるが、そんなに走るとあとでしんどかったり脚が痛くなったりもするので五キロくらいでやめておく方が、ぼくの場合は無難なようである。本格的な中毒になっても困るし。
 つまり走ることも大事ではあるものの、頭の方をなにかに強く集中させることも重要であるやめんか誰が塀に頭突きをしろと言った。ぼくは車を運転していてもぼんやり考え事をしてしまって、しばらくどのように走ったか覚えていないことがしょっちゅうあるのだが、そういう人の方がランナーズハイになりやすいのではないかと思う。むむそれはランナーズハイではなくてただのアホではないかと今あなたは思いましたね。

走る理由 12/14/99

 この日記を読んで、風邪気味でも走ったりするなんてなんだか禁欲的な感じで偉いですねというようなことを言う人がいるのだが違うのである。そもそも走る癖がついたのは高校生のときだがこれは学校の体育教師が横暴で、ほとんど毎日無理矢理走らされているうち慣れてしまったわけで、卒業するとしばらくは走らなくなった。ぼくはどちらかというと短距離タイプなので、長距離は苦手なのである。
 その後やっぱり体を鍛えねばならんなと思って走り始めたのは映画『ランボー』を見たからで、その頃はまだ速くなりたいとか、筋肉をつけてかっこよくなりたいという欲求もあった。しかし今は違う。遅くても全然かまわない。
 すべてはランナーズハイのためである。長距離を走ると脳の中に麻薬のような物質が分泌され気持ちよくなるというあれである。いらいらしているときにこの状態を味わうと、見事にいらいらは解消される。しかし脳内麻薬というくらいなのでやはり習慣性があるのか、しょっちゅうこれを分泌させていると多少依存症気味になるらしい。ランニング中毒、というのは冗談ではなく実際に存在する。走らないと指先が顫えたりじっとしていられなくなったりしてしまうのだ。ぼくはそれほどひどくはないが、やはりときどき走りたくなるのはそのせいなのである。
 通常ランナーズハイになるためには十キロ以上、時間にして四五十分から一時間半くらい走らないといけないと言われている(たぶん)。しかし十キロも二十キロも走っていたのでは、時間がかかるし疲れるし、膝を故障したりする危険もある。ただただ脳内麻薬が欲しいだけなのだからそんな面倒なことはやりたくない。そこでできるだけ短時間にしんどい思いをせずになんとかおいしいところだけを取り出せないかと日々工夫した結果、とりあえず五キロ程度でハイになる方法をぼくは編み出した。必ず毎回ハイになるかというとそうもいかないのだが、かなりの割合で成功する。どういう方法か知りたいだろうが今日は教えないでおく明日書く。どうせ一度に両方書いておるのだろうから今日書けと言うかいいやどうしても明日書きたいのだ明日書く。
 
リンク 12/13/99

 リンクを張る方法を忘れてしまっていたのだが、やっと思い出した。もうばんばんリンクを張ってしまえるのである。なんでこんな簡単なことがわからへんかったんやろう。人間どこでなにを忘れるかわからんもんやとつくづく思うたね。しかしリンクの張り方というような日常生活にはあまり関係のないことならともかく、俺の場合まず忘れそうにないようなことを忘れるからやっかいなのだ。忘れるというのとは少しちがうな。英語でならばforgetというよりむしろslip from memoryといった方がしっくりくるかもしれない。ではそこへ上陸するとなんでも忘れてしまう呆気島(ほうげとう)というのはどうでしょう。体調はあいかわらず最悪だったが今日も喫茶店で仕事。バイメタルとはなんなのであろう。誰か教えて。いや難しすぎてわからないというのであれば無理に教えていただかなくてもけっこうですよ。ところで熱力学の第二法則はご存じですか。熱力学はオレ的にはどうでもいい分野なので関わらない方が吉。ある種義憤にかられてやっている冬樹蛉野尻抱介と違って単におもしろがっているだけなのでやはり小林泰三が一番邪悪か。それよりも宇宙開発における軌道力学がロケットでロボットするシミュレーションをSETIがNASAからNASDAまで女子高生は宇宙へいくときも眼鏡をかけていなくてはならず、もうああいうのはほっとくに限ります。そうそう別に怒ってないけどだいたいあれはいったいなんなの? どう考えたってやっぱりカレーでしょう普通のやつは臭い。あんなものは食べ物ではない。もんじゃも絶対だめ。

田中哲弥情報 12/12/99

 田中哲弥に関する情報を集めるという不思議なホームページができたらしい。ネット上のあちこちで好き勝手に書かれた「田中哲弥に関する噂」にリンクが張ってある。さっそくあまり好意的でない「本の感想」にまでリンクが張ってあって参考になった。実にありがたい。今後のための反省? なにを言うとるなんで俺が反省せにゃならんのだしかえしするために決まっておろう。インターネットという、相手の目に触れる可能性の高い場所で悪口を書いているのだから向こうだって反撃される覚悟はあるはずだ。しかしいちいちすべてに文句を言い返していると一日中インターネットで書き込みばかりやることになるし、そのうちもしかすると名前を増やさないといけなくなるかもしれないわけわからん人はそのままいってそのままいって。というわけで悪口を見つけたらとりあえずそれを書いた人物の名前を彫り込んだ人形に猫の生き血を垂らして三日三晩呪い、しかしそれだけで腹の虫がおさまるわけもないのでその人物の情報をできる限り集め覚えておき、ときどき思い出してはその腹立ちを飼い犬に向け、もしかするとやってくるかもしれない報復のチャンスを待つのである。ひひひひ。

指の皮が剥がれてきた 12/11/99

 なぜか指の皮がぼろぼろと剥がれる。指から始まって全身の皮がべろりと剥けたら一回り大きくなって角も生えたりするのかなあとちょっと思ったがそんなことはどうでもいい。いやなことを思い出した。小学校四年のときのことである。
 クラスの誰かが剥がれた指の皮をめくっているのを見た担任が「そんなことをしてはいけません」と叱ったことがある。「人の皮というものは、最初は少しだけめくれていても、そのままめくっていくとどんどん厚くめくれて大変なことになる。絶対にしてはならぬ」というようなことを言ったので、ぼくは素朴に「じゃあ指の皮をどんどん引っ張ってめくったら、最後には指がぼろっとちぎれたりするのかなあ」と疑問を口にしただけだったのだがそのあと一時間くらいねちねちと「あげあしとり」だとか「嘘つきのくせに」とかあることないこと言っていじめられたのだった。誰がいやな子供じゃ可愛い質問ではないか。
 他にもこのおばばは「坂道を上るときは斜めに歩くと斜度が緩くなるので楽である。だからわたしはいつもそうしている。階段でもそうしている」などと言いだし、やはりまったく素朴に「階段も楽になるのかなあ」と可愛い疑問を口にしたぼくに激怒してねちねちと数時間にわたって嫌味を言いつづけた。日頃からなにも言わなくても嫌味を言われ、たまに喧嘩をすると「また田中か」とぼくだけ叱られ教室の前に立たされ、あろうことかクラス全員に「田中の悪いところ」を言えと強要した。そういう毎日だったのである。これが人間のすることか。この担任、顔はイボイノシシに似ていた。
 ほとんど一日中同じ教師と過ごす小学生の場合、担任にいびられるというのは言葉で聞くほど生やさしいものではない。他の子供たちも教師の言葉を鵜呑みにするし、ぼく自身教師に対して怒りを持つよりも先に、どうやら自分は駄目な人間のようだと認識していたくらいである。一年ですんだから円形脱毛症になった程度ですんだものの、あれが何年も続けばきっと今頃はスキンヘッドで全身三百カ所にピアスをし入れ墨を入れ麻薬中毒になり百人くらい惨殺して裁判でにやりと笑い看守に唾を吐きながら死刑を待っているのではないかと思う。おかげで今でもぼくは学校教師という肩書きを聞くだけで一瞬嫌悪感を覚えるのである。
 噂によるとこの教師は老齢ながらまだ生きているらしい。昔のことであるし、ぼくは根に持つ方ではないのですでに恨みもなにもないが暇を見てとどめを刺しにいこうと思う。

新阪急ホテルで天ぷらとギネスビール 12/10/99

 大阪で某社編集者と打ち合わせののち飲み会。バイメタルも知らない作家と猫を振り回す人と五代ゆうさんがいっしょであった。「いっつもおんなじ顔ばっかり」と五代さんは迷惑そうに笑っていた。

今度はC-3PO 12/9/99

 ペプシで今度はC-3POが当たるらしい。欲しいなあ。と、別になにを期待しているわけでもないのだが一応書いておこう。欲しいなあ。

流行語 12/8/99

 だーれも知らない言葉が流行語大賞に選ばれ、あちこちで物議をかもしているようだが「ブッチホン」なんか聞いたことないぞなんじゃそれは、とみんなが首を傾げて話題にする結果ちゃんと流行ってしまって何年かして振り返ると今年の流行語はちゃんと「ブッチホン:世間ではまったく認められていないのに、有名であると勘違いすること」などと認められているのでは。で、ブッチホンてなんなの?

メールがたくさん来る 12/7/99

 このところどういうわけかメールが多い。それも「田中哲弥の日記を読んでおもしろかったので本も買ってみたらこれもおもしろかった」とか「田中哲弥の本を読んでとても幸せな気分になった」とか「田中哲弥の本を読むだけで一ヶ月で十五キロも痩せ、恋人もできて今は最高にハッピーです」とか「田中哲弥の本を読んでアトピーが治った」とか「田中哲弥の本を持っているだけで金運が高まり巨万の富を得た」とか「田中先生の本に書いてあるわたしへのことをすべて実行したらちゃんとテレビを通じて宇宙意志の見守れる人たちと交信できるようになった一番強いのはキムタクでずっとそうだと思っていたらやっぱり強かったずっとわたしへ呼びかけていたのだそうなのです近々キムタクと私は宇宙意志に見守れる白い広い外の明るいで結ばれることが決定したのだこれは本当のことですキムタクは宇宙意志の代表なので私もそうなのでこれは数億年前から決まっていた結婚なので日本の結婚とはレベルがちがうのだ気高いので最高な完璧結婚であるのです。先生も同じ宇宙意志の見守れる人だと宇宙は外の明るい白い広い確信しますキムタクもそう言ってました私が教えました絶対本当だから嬉しいですか」とか好意的なメールがほとんどなのである。嬉しいです。

PEPSI R2-D2 CAN HOLDER 12/6/99

 当たり券をもらったペプシのR2-D2 CAN HOLDERが送られてきた。だからどうなのかということは別にないのだが、ものすごく欲しかったのに当たらなかった人も大勢いるだろうと思って。へっへっへ。

『エンド・オブ・デイズ』はクリスマスの話ではない 12/5/99

 うちの母親は近所のワーナーマイカルシネマで『タイタニック』を観て以来ハリウッド映画に取り憑かれたようになってしまい、週に一回くらいの割合でマイカルシネマに足を運んでいるのであるが、最近しきりに『エンド・オブ・デイズ』という映画は大変おもしろそうだと言う。予告編を見て気に入ったようなのだが、どんな話なのかと訊ねてみるとクリスマスの話でなにやら恐ろしげな感じだと言うのである。ほほうそうなのかと聞き流していたのだがテレビでその予告編を見てずっこけた。敵は「サンタ」ではない「サタン」じゃ。

『ゴジラvsメカゴジラ』 12/4/99

 WOWOWでやっていたので観る。いつものことながらこのシリーズはギャグ満載でおもしろい。毎回なんであれだけ大暴れしたゴジラが海に入るだけで「あー帰っていく」としみじみできるのかまったくの謎。ハリウッド版ゴジラも笑えたけど、やはり本家はすごい。

使える夢 12/3/99

 まだ熱っぽいためおかしな夢を次々と見るが今日のは使える使えます。めちゃくちゃ得じゃ。それも二個じゃ。毎日こうならなあ。と浮かれていたら口の悪い友人に電話で「そんなネタばっかりあっても書けへんかったら意味ないやん」と言われた。そりゃそうなのだが気が悪いのでいつか陰湿なしかえしをしてやろうと思う。

いやな思い出 12/2/99

 この日記を書くのもめんどくさくなったので、去年のやつをそのまま数日分書き写してはどうだろうかどうせ誰も気づくまいと考えて去年の日記を見ていやーな気分になった。ちょうど去年の今日メディアワークスの忘年会で深沢美潮氏に名刺を捨てられているのである。なにが大袈裟かあれは「捨てられた」のだまちがいない。今年はメディアワークスの忘年会はないのだそうだ。陰湿なしかえしをいろいろ考えていたのに。

いやな夢 12/1/99

 熱のせいか実にいやな夢を見た。生きる気力を完全に失うような事実を告げられショックのあまりがくっと膝の力が抜けた。そのとたん目が醒めたのだが夢だったとわかったときの安心感は並大抵のものではなかった。これからはちゃんと生きます勤勉に生まれ変わります毎日三十枚書きますわたしが悪うございましたと神に誓ったほどである。これがしかしものすごく独特な内容の夢であればネタの一つにもなったのに、ごくありきたりのものだったためまるで使えない。いやな思いをしただけめちゃくちゃ損をした気分である。熱もあるし仕事する気にならんのでまた寝る。


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