Back


大晦日 12/31/98

今日が一年の終わりで明日が一年の始まり、この差はでかい。地球はただだらだらと太陽のまわりを回っているだけなのに。まるで太陽の回りを一周する際、12月に入ったくらいからあたりはどんよりと曇りはじめ、身動きもままらぬほどどろりとした粘液の中でもがきにもがき、苦しくてつらくて死にそうだなにを言っているんだもう少しの辛抱だあと一息だ眠るな死ぬなと大晦日を乗り越え、1月1日になったとたん空は青空あたり一面さわやかな風の吹く花畑に美しい少女と子馬、丸太小屋には優しいお母さんとクッキーの焼ける香ばしい匂い、町にはサーカス湖には裸の美女がどっさりもうなにしてもいいのよいやんエッチというくらいの違いがあるかのような落差である。へんなの。

来年もよろしく。


いろいろ忙しい 12/30/98

大掃除をするわけでもなく、年末だから普段となにが変わるというわけではないのだが、なにやらいろいろと忙しくて困る。やっと年賀状も書いた。あとは一週間ほど家にこもって出歩かないよう気をつけることだ。年末はともかく正月はよその家にいくことを極力避けねばならぬ。なにが悲しうて他人の子供に金をやらにゃならんのだ。というわけで人との接触を避けに避け子供から逃げに逃げる正月のあいだに『猿はあけぼの』が書けてしまうと非常に嬉しいのだがなあ。どうかなあ。


屁の王 12/29/98

夕方仕事場に女の子が遊びにきて、牧野さんの『屍の王』を見つけて言うには「これなんて読むのヘノオウ?」笑いましたなあ。今度書こうと思っている短編がたまたま屁をあつかったものなので、そのタイトルを「屁の王」としようと思う。これはぼくのイタダキなので他の人は使ってはいけません。いいですね。


京都で忘年会 12/28/98

ガイナックス武田さんに誘っていただいて、京都河原町で忘年会。参加者は武田さんの他三馬鹿カルテットの四人と、途中から菅浩江さんも。あいかわらず無意味なことをのべつ喋りつつ蟹や海老など甲殻類を主にがつがつと食べる。最初にワインがみんなのグラスに注がれ、酒のまったく飲めない牧野修さんの飲み物が来るのをみんなじっと待っていたというのに、自分のコーラが来るなり牧野さんはグラスにささっていたストローを欠食児童のように慌ただしく取り去ったかと思うとグラスに食いつかんばかりの勢いでがぶっと飲み「乾杯しましょうやいきなり飲まんと」と武田さんに言われると、取られてはならじという形相でグラスを両手に掴んだまま「あんた誰ですか」なんでこんなことまでして笑いを取ろうとするのかなあ。本能かなあ。めちゃくちゃおもろかったけど。

牧野さんと田中啓文さんに『やみなべの陰謀』の格闘シーンがよかったと言われて嬉しいのだが、どこがどういいのかよくわからないのでちょっと面食らった。でも誉められると嬉しいので帰ってから格闘シーンらしき場所を探して読み、そうかそうかここがよかったかひょひょひょとほくそ笑む。でもどうしてあれがいいのかはまだよくわからん。小林泰三さんには『ホシ計画』の作品中「大阪ヌル計画」が一番あほらしかったと言われてそれも嬉しい。どういうわけかあんなあほらしいことよく考えたな、と呆れられるとなんだか嬉しいのだ。へんかな。


蚊が 12/27/98

驚いた。まだ蚊がいたのだ。耳たぶが痒いなあどうしたのかなあと思っていると目の前をぷーっと蚊が飛んでいく。天井にとまったのですぐさま叩きつぶしてやったがしかし年も暮れようかという時期に蚊に刺されるとはなあ。たしかに全然年の瀬を感じないほど毎日暖かいが蚊が出るほどの気温ではあるまい。なんやったんやあいつは。あほちゃうか。

今朝はちゃんと早起きをして餅つきに行く。仕事では起きられないのに餅つきなら九時前に起きられるのだ。昨日木の臼と書いたが石臼であった。餅米を蒸してはつき蒸してはつきするのだが、ぼくは一臼分だけついた。つきたての餅を丸めながら、大福や苺大福などを作ってはせっせと食べ、数十個お土産にもらってきた。こうしてちゃんと作った餅は固くなってから焼いたとき、とてもおいしい。餅は好きや。嬉しいなあ。明日はまた京都。


明日は餅つき 12/26/98

仕事場の近所で建材店を営んでいる友人の家で、毎年恒例の餅つきが行われるため明日は早起きしなくてはならぬ。ちゃんと木の臼と杵で餅をつくのである。楽しいぞ。おいしいぞ。正月なんか不便なだけでどうでもええが、餅は好きや。嬉しいなあ。


クリスマス 12/25/98

けっ。

『やみなべの陰謀』見本 12/24/98

『やみなべの陰謀』の見本が十冊送られてきた。表紙やイラストは前もってカラーコピーで見ていたが、本になってみるとまた雰囲気がちがう。いろんな人がいろいろとがんばって作ってくれたのだなあとしみじみ思う。綺麗な本である。99年1月10日発売。買うように。今これを読んでしまったあなたが、こうして著者本人から買うようにと言われてもなお『やみなべの陰謀』を買わない場合、確実に呪われます。ぼくが呪います。呪われると大変なことになりますよ。頭痛がするなあと感じるのがまず最初。つづいて全身に発疹が現れ痒みを感じ、たまらず掻きむしるにつれ皮膚が焼け爛れたようにぼろぼろと崩れはじめ、髪の毛はすべて抜け落ち、筋肉がやせ細り白く濁った眼球はぎょろりと剥き出しとなりどろどろに溶けだして視界には靄がかかり、歯が抜け異臭を放つ歯茎からは常時出血し、内臓が徐々に腐って血膿の塊となっていき、吐く息は腐臭がし、やがてすべての体液がどんよりとした焦げ茶色の粘液となって、そのうち吐血下血するがその血には腐った内臓のかけらやまだ生きて蠢いている蛆やうどんと見紛うほどの寄生虫が大量に含まれ、脳も腐るため幻覚幻聴に悩まされ近しい人物を次々に凄惨な方法で殺害したくてたまらないようになり、愛するものすべてを切り刻むようにして殺戮したのちその肉を喰らい、己の性器をむしり取って喰らい、もはやずるずるの腐肉と化している己が手足もすべて歯のない口で喰い尽くしてから踏まれた芋虫のような姿で全身を火で炙られるがごとき耐えがたい苦痛に苛まれつつ数十年を生きなくてはならないのだ。くれぐれも買うように。ね。


OS8.5.1 12/23/98

熱が下がらぬというのに、マッキントッシュのOS8.5.1アップデータとやらを手に入れてアップデートしたところ、フリーズの嵐となった。元の環境に戻すのに一日費やす。なにが無駄かと言うてこれ以上無駄な作業が他にあろうか皆様方よ。OS8から8.5は、0.5も進んだというのに特に問題もなくすべて順調で、たった0.0.1しか進んでいないアップデートでこれほどわやくちゃになるというのはどういうわけだ。10キロ遠泳大会で優勝した夜家の風呂で溺れ死ぬようなものではないかいらいらさせやがって。あれもしなくてはこれもしなくてはと焦っているときに限ってこういうことが発生するのだ。精根尽き果てて風呂へ入り、やり場のない怒りを必死で抑えつつ楽しみにしていたホラーアンソロジー、ロバート・ブロック編「サイコ」をさあ読もうとしていきなり湯船に落とす。びしゃびしゃで読めぬ。裏の字が透けている。ページをめくるとどんどん破れる。があっと吠えてぐしゃぐしゃにして百回ほど踵で踏んでしまった。また買わねばならぬ。900円もしたのに。熱があるのに。仕事が進んでないのに。友達少ないのに。結婚もできないのに。


本格的に風邪 12/22/98

熱は出るわ鼻水は出るわ頭は痛いわ首は変なことになるわ読む本読む本つまらんわビデオデッキは壊れるわテープ挟まってわややわ仕事は進まんわゴミは出し忘れるわ看護婦寮の洗濯機はうるさいわ新聞代の集金は来るわ犬は階段踏み外すわ外は寒いわ風は吹くわ明日は祭日やわどないかしてくれぐわあ。


首がおかしい 12/21/98

首が回らぬ。借金がどうのという話ではなく、いやたしかに銀行通帳は真っ赤だがそれはそうと文字通り首が回らんのである。数日前に寝違えてからちょっとましになったりまた痛くなったりをくりかえしていたのが、今朝、第何次かもうよくわからなくなってしまった早寝早起き計画を実行しようと眠いつらい苦しいのを振り切って起きたとたん首の筋が変になってしまった。ベッドの頭のところの柱にくっつけてあるG-SHOCKを見ようと無理な体勢をとったのがよくなかったらしい。左耳の下から肩へかけての筋が、くいーっと引き攣るのがはっきりとわかった。いかん、と思ったときはすでに手遅れで、それ以来首が回らなくなったのである。だから廊下の角などを曲がるときは、まるでロボコップみたいな気色の悪い曲がり方をしなくてはならず、とそこで気づいたのだがロボコップはまず顔を曲がりたい方向へ向けてから続いて顔を動かさずに肩を回すというやり方だったなあ。ということは今のぼくはロボコップにも劣る単純な方法でしか廊下を曲がることができないのか。ぼんさんが屁をこいたもしばらくはできひんなあなどと悲しんでいてもどうしようもないので、パテックスAという膏薬を買ってきて首筋にべったりと貼り「排ガス規制法」のプロットをほぼ完成させた。最近思いつくのはこのような実にアホなどうしようもないアイデアばっかりやなあなんでかなあと首をかしげようとすると激痛が走り、そうやった首が痛かったんやと思っているのにちょうどそのとき背後でなにかが落ちる音が聞こえたもので、ぎくっとした拍子に思いっきり後ろを振り返ってしまったのだ。痛かったというようなものではなく、視界が一瞬まっ黄っ黄に染まったかと思うとすぐに続いて金色に輝く己の後頭部が目の前に見えた。死んだかと思ったがもっとひどかった。今度は右斜め後ろを向いた状態で首が回らなくなったのである。これはつらいぞ。直進するだけでも大変である。右の方へ曲がるのは思いのほか楽だったが、左へは非常に曲がりにくい。横目も横目ほとんど白目を剥くほどにして左を見ながら、しかも蟹のように横歩きしなければならず、そこで思いついたのが右へ回転しながら左へ曲がるという方法である。つまり左へ90度回転するのではなく、右へ270度回るのだ。我ながらかしこい、みんなにも教えてあげようと思いつつ嬉しいので何度もくるくる回転していたら目が回り、足元が狂って廊下で倒れてしまってどこがどうなったのかまたしても首がぐきっと変な音をたてた。痛かったのだがその後不思議なことに首は痛みもなくスムーズに動かせるようになったのだった。ただ、左右だけである。上下はほとんど動かせない。ひっかかっていたなにかがころりと外れたようで、めちゃくちゃスムーズである。可動範囲は180度近くあって右も左も自由自在。くるくる回る。それはいいのだがまったくひっかかりがなくなってしまったため、勢いをつけて首を動かすと、左右の限界点まで回った頭がそこで見事に跳ね返り、こんこんこんこん際限なく首を左右に振りつづけることとなるので、いちいち両手で振り子運動をする頭を止めなくてはならんのが困る。


よく歩いた 12/20/98

忘年会の会場が西明石の駅前だったので、明石駅まで二十分歩いて電車に乗って一駅戻るというのがなんとなく損なような気がして結局仕事場から歩いた。二十五分ほどで着いた。得したなあと思う。宴会そのものはなんの盛り上がりもなく、ろくに食わずただビールを多少飲んだ程度であれで四千五百円は捨てたようなものだが、まあ食べなかったぼくが悪い。帰りは友人の家に寄り、ふたたびビールを飲み、そのまま機嫌よく実家へ送ってもらったのだが、よく考えてみると車もマウンテンバイクも仕事場に置いたままである。夜のうちに仕事場へ戻っておきたい事情もあったため、仕方なく実家から仕事場まで歩く。一時間十五分かかった。八キロ弱はあると思っていたが、本当はもう少し近いのかなあ。

去年の11月、須磨から宝塚まで歩く「六甲山縦走大会」というのに連れていってもらったのだが、奇しくも連れていってくれたその人に今日、そのときの完走記念の写真をもらったのである。このときは17時間歩いた。実際歩いていたのはそんなに長い時間ではないが、途中から膝が痛くなってしまい、制限時間ぎりぎりを狙ってゆっくり行こうと決めた結果そういうことになった。行く前は「56キロ歩く」というのを聞いてそんなもん楽勝もええとこじゃと思っていた。わたしゃ4時間ほどで40キロ走れますのよ、歩くなんてあーた。そう思っていたのだがこれが大まちがい。平地を歩くのではなく56キロのほとんどが登りか下りである。時間制限のないマラソン大会に出て、ちんたら歩いて完走する方が百倍楽だと思った。 山歩きはあれはまた別のものだ。体力よりも慣れであるらしい。女子供じいさんばあさんにひょいひょい追い抜かれまくった。痛くてつらくて帰ってから一週間くらい体がまともに動かなくなるのですがあなたもどうですか。ぼくはもうええけど。

今月創刊となったとある雑誌の創刊号が届いた。ぼくには特に関係のない雑誌みたいなのだが一応創刊お祝いのメッセージというのを頼まれたので百文字分書いたのだった。百文字と言っておきながらしかしできたものを見るとあきらかにまだ余裕があるというか、特に百文字である必要もないようなスペースで、こういうのはきっちり百文字で考えた者としては非常に気の悪いものである。全員きっかり百文字にせんかい。なに誰もきっかり百文字にしろとは言っていないとな。そうか。ただおもしろかったのは、七八十人のメッセージの掲載のされ方が、この編集部が大事にしている人ほどスペースもポイントも大きくなっているというところで、こうあからさまに差をつけるというのもものすごいなあと思って笑えた。当然ぼくのところは最小のスペースで最小のポイントで、しかも端っこの隅っこであった。同じページのど真ん中には先日の忘年会(今月の1-2日参照)でまるっきりぼくのことを無視したヤングアダルト作家のコメントがどーんとあって、なるほどこれだけの差がつくのであればもらったその場で見もせず名刺捨てるのも無理のないことだなあと納得した。なにをおっしゃいますぼくのどこが執念深いんですか。なにも怒ってませんがな。全然怒ってない。生涯忘れんというだけのことです。絶対忘れんぞ。


日本史 12/19/98

早急に仕上げねばならないはずの仕事が行き詰まってしまって楽しくもなんともなくなってきたので「排ガス規制法」(仮題)という短編のプロットをあれこれと考え、それから日本史の勉強をする。日本人の起源から飛鳥文化のとっかかりのところまでを学習することができた。なにを隠そうぼくは日本史世界史地理政経他にもまだなにかあったような気がするがそれすらもよくわからないほど社会科というのが嫌いだったのである。高校三年生の世界史の時間はもっぱら魔方陣(と言うのではないのかなあつまり縦横斜めのどの数字を足しても同じになるというやつ)の作成に没頭しており、卒業前には縦9横9のものを完成させたかその途中で断念したか、とにかくそういうことをしておった。これができたからといって、なにか大学受験なり就職なりに有利かというともちろん全然そんなことはなく、しかもせっかく完成させたそれまでの魔方陣もきちんと保管しておかなかったためすぐになくなってしまったのだった。もう一度やる元気はない。なんであんなことをやりはじめたのかはまったくの謎で、もし今そういうことをしている受験前の高校生を見たらアホかと叫んで張り倒す。日本史の時間は英単語を覚えることに決めており、とりあえず中途半端な二流校ではあったが受験に合格できたのはこのおかげである。世界史日本史の試験をどうしのいでいたかというと、試験当日の朝、初めて見る試験範囲の教科書を速読するというだけのことで、しかし答案に空白があるというのは悲しいため無理にでも全部埋めてはいた。雰囲気すらわからない場合の人名は必ず毛沢東にしていたように思う。それでもなんとか最低四十点くらいは取れていたので落第する心配はなく、どうでもええわとなめきっていたのだが、このたび時代物の長編(チャンバラですが)をきっちり書こうと決意し、そのための基礎知識が必要となったのである。おそらく普通の人々にとってはあたりまえのことをぼくはなんにも知らないのだ。どんなことでもきちんと勉強しておくべきやったなあとつくづく思う。稲作が始まったせいで貧富の差ができ戦争が起こるようになったのだそうですがあなたは知ってるんですかそういうこと。

あかんもう四時や。第三次早寝早起き計画を抛棄。第四次早寝早起き計画は20日夜開始予定。しかし明日は昔なじみが集まっての忘年会。さてどうなりますことか。無情の運命に翻弄される田中哲弥の早寝早起きが成就されるのはいつの日か。疾風迅雷の展開に息をもつかせぬ明日の日記を刮目して待て。(酔っぱらって寝てしまって書かない方に千点。)


計画崩壊2 12/18/98

第三次早寝早起き計画は19日夜開始予定。


計画崩壊 12/17/98

連続して発生した数々の不測の事態により、第一次早寝早起き計画はもろくも崩壊した。なにがあったかと訊かれても困る。なに夜毎大量のビール? 女の子と食事? 覚えてない。知らん。わからん。仕事進まん。風邪ひいて咳が出てそのうえ寝違えて首が回らん。つらい。苦しい。しんどい。ぼくはなんにも悪くない。

第二次早寝早起き計画は18日夜開始予定。


おお 12/15/98

おおもう十五日。なんともう十二月は半分も過ぎたのか。というのはもうよろしいかそうか。

早寝早起き仕事ばりばり収入倍増別荘購入海外豪遊妾宅十軒計画はかろうじて続いている。昨夜電話のあった友人は恐るべきことに夜中一時を過ぎてからやってきて、もう来ないのかと思っていたぼくはすでにパジャマだったのだがそのまま仕事場で四時までだらだら語らう。したがって寝たのは四時半頃であった。これで七時に起きたりしたら十中八九死ぬのがわかったので、予定を曲げて目覚ましを八時半にセットしたものの、かなりがんばっても結局起きたのは十時であった。これはいかんと、あわててマッキントッシュを起動し、顔も洗わずに仕事を始める。というのは嘘で、新聞を読んだり本を読んだり牛乳を飲んだりしているうちに十一時をまわってしまい、なんとか机に向かったのは十一時半だった。一時すぎに昼食。その後図書館の本を返さなくてはならぬことに気づき図書館まで三十分ほどの道のりを歩いていく。自転車にしなかったのは、天気もよいことだし、ぶらぶら歩いておれば次の展開の、いいアイデアが出るのではないかと考えたからである。全然なんにも浮かばなかった。しかも図書館は休館だった。なんでじゃ。とりあえず返却口に本を入れ、明石公園内をぶらぶら歩いてジュンク堂へ行く。牧野修氏の『屍の王』が『肉食屋敷』と並んでどっと平積みになっていたので買おうとしたが、ふと万一のことを考えて我慢する。『ホシ計画』が出ていたので、送ってもらえるとは思いつつもこっちは買ってしまう。『水霊ミズチ』は売り切れていた。すごいすごい。帰ってみると宅急便の不在連絡表が郵便受けに入っている。見れば「ご依頼主」は牧野修氏「品名」は本となっているではないか。電話をするとすぐに持ってきてくれやはり中身は『屍の王』買わなくてよかったただじゃただじゃ。それからしばらく『ホシ計画』を読みふける。半分ちょっと読んだがぼくにはよくわからんものがけっこう多くて悩む。そのわからなさがどれも似ているので悩むのである。ひょっとしてぼくはなにかトレンドから外れておるのではあるまいか、とひどく怯えてしま

あ。いや。読むもの読むもの、すべてがあっと驚くようなアイデアに満ちあふれており、ひとつ読み始めるともう次が楽しみで到底やめることなど不可能となる。恐るべき才能の集合である。必読である。というわけでみなさん買ってください。ぼくの書いた「ユカ」と「大阪ヌル計画」が載っています。

今日も予定をこなせなかったが、明日はおそらく完璧な一日になるはずである。と突如、夜の静寂を引き裂きまたしても鳴り響く不吉なベル音。電話の相手は何者か! はたしてその驚くべき用件とは!! 混迷の嵐吹き荒れる明日の日記を刮目して待て。


早寝早起き2 12/14/98

なんだかんだで昨夜寝たのは二時を過ぎてしまったが、ほぼ早寝早起き仕事ばりばり計画は予定どおり進んでいる。驚いたか。わしも驚いた。多少計画と違うのは、ほとんど原稿は進まなかったという点のみである。今朝はがんばって七時に起きる、ところを八時に変更。それでもがんばった。八時起床というのは思い出せるだけ記憶をさかのぼっても、前にそんなに早く起きたのがいつだったかまったく思い出せないほどである。新聞を読んで、と思ったら今日は休刊日であった。ちくしょう。ニューミュンヘンでもらってきた唐揚げを少し食べ、昨日の昼にも食べたのに、よくこんなもの朝から食えるもんだなあと自分でも思うがやっぱりあれはうまい。テレビのワイドショーを少し見て、九時半から仕事にかかる。ふと思いついて細々とした手直しを始めると、あれもこれもといやになり、結局大幅に削ったり付け足したりしているうちに一時を過ぎてしまう。昼飯にはやはりニューミュンヘンの唐揚げを食べる。やっとこれでもらってきた分すべて食べ終わる。よくもまあ何度も続けて食えるもんだなあと自分でも思うがやっぱり最後はちょっとうんざりした。二時半頃から仕事再開。五時までやはりあちこちいじりたおし、やっと続きを書き始めて、六時半頃とりあえずいったん終わりにする。結局枚数で言うと、十枚近く減ってしまったのであった。ちょっとだけ体を動かし、実家へ帰り、夕食を取ってから仕事場へ戻ると九時半。そこで突然設定の根本に問題を発見し、それを解決するにはどうしたらいいか考えに考えるがいい案は浮かばず。今、十一時過ぎである。もう少しがんばって今日も早くベッドに入り、明日はきちんと七時に起きて、と思っているのだが少々気になるのはさきほど友人から電話があって、今から遊びに来るらしいということである。久しぶりに玉突きにでも行こう、などと言っておったがどうなるんでしょう。怒濤の急展開に予断を許さぬ明日の日記を刮目して待て。


早寝早起き 12/13/98

昨夜何時に寝たのかまったく覚えていないのだが、今日起きて時計を見たら三時前であった。やはり人としてこれはいかんのではないかと強く思う。コピーライターをやっていた頃は、朝は七時に起き、九時半から仕事をし、なぜかいつも八時とか九時とかひどいときには十時十一時まで会社に残って、それから二時間弱かけて家へ帰り、飯を食い、それから小説を書いたりしていたので寝るのは二時とか三時だった。今とはえらい違いである。

そこで考えたのだがまず明日は朝七時に起きる。テレビの朝のニュースを寝る前に見るのではなくちゃんと起きてから見る。新聞も夜になってからまとめて読むのではなく起きてすぐに読む。朝ごはんも食べる。通勤時間がいらない分、本でも読んでのんびりして、仕事は九時から始める。十二時から一時まで昼食。一時から今度は五時まで仕事をし、五時から軽く運動をし、七時前に実家へ帰り夕食。十時頃仕事場に戻り、十二時まで仕事をする。で、一時には寝る。すばらしい、完璧な一日である。実働九時間。一時間に三枚書くとして一日二十七枚。調べものやらその他の雑用に要する時間も考慮しても一日軽く二十枚を、まったく眠いしんどい思いをせずに書くことができるのである。夢のような計画である。なにおそらく夢で終わるに違いないとな。そんなことはない今からすぐに実行する。おおもう十二時ではないか。今日の仕事は終わりじゃ。


月亭八天独演会 12/12/98

ワッハ上方で月亭八天さんの独演会。演出にも凝っていて、実に真面目なまっとうな独演会だった。落語はやっぱりこうやってきちんと聴くのが一番よいと思う。林家花丸さんもめちゃくちゃおもしろくて驚いた。終演後打ち上げにものこのこついていき、帰りにはミュンヘン大使館の唐揚げ一箱どっさり土産にもらう。三十人の予定に十二三人しか来なかったので料理が余りまくったらしい。ここの唐揚げはおいしいなあ。いい匂いがするので仕事場に帰ってくるなりがつがつむさぼり喰いつつビールを立て続けにがぶがぶ飲み、腹が満腹なのと酔っぱらったのとで今頭がどろんどろんである。ははは。なんかしらんがまあやはり医者は無口の方が値打ちがあります。そら痛いわいな切るんやからなあまあ立派なおっぱいおへそこちょこちょこちょ口は重宝なもんで丁稚を迎えにやらないかんわからなんだらこれはこっちへもらうということでああやっと人間が釣れたあんた夜這いしたやろそらうまいはずや元は提灯屋。どんどん。


ルミナリエ 12/11/98

震災の年、今年一回きりなので見逃すと大変なことになるぞ祟られるぞ死ぬぞと言わんばかりに宣伝しておきながら涼しい顔して毎年やっているルミナリエが今年も今日から始まったらしい。しばらく神戸には行くまい。そう言えば去年は人であふれかえるルミナリエの最中、三宮のオタク御用達書店「ギルド」の渡辺氏に田中啓文氏共々寿司をごちそうになったのであった。あれはうまかったなあ。また食べたいなあ。渡辺さんこれ読んでないかなあ。ひもじいなあ。そうそう最初のルミナリエのときイタリアから呼び寄せた職人さんたち十数名のコメントが地元の地方新聞に載り、それぞれに震災の被害を乗り越えてがんばって欲しいとかそのようなことを言っている中ただ一人だけ、若い兄ちゃんが「日本ではサッカーがとてもさかんなようだが、サッカーはイタリアの方が強い」(ほぼママ)とかなりずれたことを言っていて、椅子から落ちるほど笑った覚えがある。君の頭の中にはサッカーのことしかないのか。きっとええやつなんやろうなあ。

田中啓文著『水霊ミズチ』読了。内輪で誉めあっているみたいに思われるのがいやなのでくどくど書かないが、決して本を読むのが速くないぼくが千枚いっきに一日で読んでしまったということだけは書いておく。こういうことはめったにないのである。で、ミルキー・マウスてなんやねん。


アクセス数が 12/10/98

ここ数日、このホームページへのアクセス数が異常に増えているようなのだがなぜだろう。思い当たるふしがないので、ちょっと気持ち悪い。ひょっとして誰かがぼくを陥れようとしているのではないだろうか。おそらく組織的な陰謀ではないかと思う。十中八九まちがいあるまい。知っている人間全員の顔を思い浮かべて全員を疑う。誰や。カウンターの数字を作為的に増やし、なにかよからぬことを企んでいる人物がいるのだ。一人でこつこつやっているのも想像すると不気味で恐いが国際的な組織によるものだとするとぼく一人のみならず家族や親戚の命までもが危険にさらされる可能性がある。戸締まりに気をつけ、家のまわりに不審な人物がいないか確認してから行動するよう親戚縁者に言っておく必要があろう。なに。カウンターの数字を無理に増やすぐらいのことが、いったいどんな脅威につながるかさっぱりわからんとおっしゃるか。それがわからんから恐いんやないか。


田中哲也/みずちみずち 12/9/98

手紙などの宛名で「田中哲也様」となっていると、たいていの場合読まずに捨てる。引きちぎって丸めて百五十回ほど全力で踏んで犬のうんこにまぶしてから捨てたりもする。例外もあるが、非常に稀である。たいていは捨てる。うんこまぶしである。先日小林泰三氏からいただいた『肉食屋敷』の場合、宛名が「田中啓弥様」となっていたのだが、これはおそらく献本リストに田中啓文氏と並んで書かれていたため角川の人が混同したと思われ、こういうまちがいは別に腹も立たない。哲という字が手偏に残りを付けた奇妙な文字であったり、弥の字が称になっていたり、哲矢、となっていたりするのはああなんかしらんがまちがえたのだなあですむのである。哲也とされたときだけ猛烈に腹が立つのだ。侮辱されているような気がする。てつや、という名前を頭に浮かべ、ああ「哲也」か、とあたりまえのように納得するその頭の悪さはなんなのかと思う。ちょっと気をつければどうにかなるだろうに。こういう類型的な想像しかできないアホな人間が学歴崇拝や民族差別を助長するのである。死ね。

とつまらないことに全身全霊をかけて怒っていたら田中啓文氏の新作『水霊ミズチ』が送られてきた。角川ホラー文庫である。まちがえてもこれを「みずちみずち」とは読まぬように。まちがえても「ニューヨークニューヨーク」みたいでお洒落で軽やかなタイトルですねなどとは言わぬように。「キョンキョン」みたいで可愛いというのも駄目です。ましてや「プリンセスプリンセス」これは言ったとたん呪われて全身の肉が腐って頭がパーになって狂い死にします。なんでルビにせんかったんやというのも言うてはなりませぬ。しかし牧野さんも『屍の王』というかっこのええハードカバーを出したしで、なんかぼくだけ完全に取り残されとるなあと思ったりもするのだが、まあそのうちなんとかなるやろ。


年賀状 12/8/98

そろそろ準備をしなくてはならんぞ、と実家で父親に言われた。しかしこんなに早い時期に年賀状を書いてしまったことなどこれまで一度しかなく、一度きりだが12月8日にプリントごっこでどっと印刷し、宛名もすべて書き終えたその年は、書き終えた翌日父方の祖父が死んだ。いっきに喪中である。この年賀状はどうなるのだと途方にくれたが、まあええやんかという両親の言葉に甘えてそのまま出したのであった。大雑把な両親で助かる。このとき死んだ祖父は死の直前までめちゃくちゃ元気で、一日ゲートボールをしたのち屋根に上がって豆を干し、今日は疲れたと言いながら床についてそのまま逝ってしまったのであった。実に理想的な死に方だった。家で死ぬと一応警察が来る。やってきた警官が祖母に「おじいちゃんはなにか薬飲んどってやったんかいなあ」と訊ねると、祖母ははっきりと「そんなことはおじいさんに訊かなわからん」と言ったらしい。その祖母も翌年死んだ。

と、ここで重大なことにわたくしは気づくのである。実家には現在大量の年賀はがきがすでに買ってあり、父親はわたくしに早くかっこのいい年賀状を作れとせかす。しかしあなたお忘れか、今年の夏母方の祖母が死んだではありませぬか。我が家は今年喪中なのではありますまいか。なんであたりまえのように年賀はがき買うねん。それでええんかいな、と訊ねると両親は悩んだ顔でなにを言うかと思えば「親戚に出さんでええから今年はちょっと楽や」


尾骨 12/7/98

どうも尻のあたりが痛いと思っていたら、尾骨の皮が剥けてしまっている。もちろん首を不自然に伸ばしてねじまげてこの目で見たわけではなく、触って確かめたのである。原因は京フェスにまちがいない。畳の上に十数時間座りっぱなしだったから床ずれならぬ座敷ずれしたのだ。生まれてこのかた畳の生活をしたことがないうえ、ぼくは人より尾骨が(と言うて人の尾骨などほとんど見たり触ったりしたことがないけど。まあ「ほとんど」というとこがなかなかあれですな)突き出ているためこんなことになる。ぼくの尾骨はちょうど小指の第一関節の半分くらい突き出ている。これのまわりの皮がそっくり擦り剥けてなくなってしまったのだ。とても痛い。

実は生まれたときは二十センチほどのちゃんとした尻尾が生えていたのである。九歳の夏、お稲荷さんのお賽銭を盗んでいる現場を近所の婆さんに見つかり、えらく叱られてズボンをひん剥かれて尻を叩かれたのだが、あまりの痛さに逃げ出したところ婆さんは「こら待て」と言いつつそれまで股のあいだに隠していたぼくの尻尾を偶然にもしっかりと掴み、それを必死で振り切って逃げたら尻尾だけ婆さんの手の中に残ってしまったのだ。おかげでぼくの尻にはぽつんとした尻尾の名残だけが残ることとなり、くねくねと動く尻尾を持ったまま婆さんは泡を吹いて心臓麻痺で死んだ。

テレビの動物番組で、ライオンや虎が殺したシマウマの体内に顔を突っ込みがつがつと血塗れになりながら内臓や肉を食いちぎっているシーンなど見ると「あ、うまそうやな」と思うのはやはり尻尾を持つ血が騒ぐからなのではあるまいか。


京都SFフェスティバル 12/5-6/98

約24時間喋りつづけであった。いやあ笑った笑った。死ぬかと思った。薬でハイになるとああいう感じなのだろうなあと思う。詳しいことは田中啓文氏の『ふえたこ日記』を参照してください。補足として、ハンミョウおじさんに「京大会館」とはっきり答えたのはぼくではあるものの、あれは最初に牧野さんか啓文さんのどちらかが「会場は京大会館である」と胸張って明言したせいである(たぶん)ということと、夜中の馬鹿話から発生した三つのアイデア『超能力探偵』『ビュフェの塩』『パラサイトV』のうち『パラサイトV』の最初のネタフリをしたのはぼくではあるものの、元々このタイトルを発案したのはぼくではなく、ぼくの友人の医学博士O氏であるということをつけくわえておく。『超能力探偵』はぼくが必ず作品にします。

『明石原人になんとなく興味のある会』の原人氏が登場したとき、すぐさま入会しようとしたのだが、なにか大事なことで誰かにひきとめられ、そっちの話に気を取られているうち原人氏はいなくなってしまっていた。明石原人にはぼくもなんとなく興味があるので実に残念である。会員番号6番は大森望氏であったと野尻さんのレポートで読んだが、その会員証は我々が馬鹿話をしているあいだずっと畳の上に落ちていた。あのあとどうなったのかなあ。気になる。

他の方々にもいろいろと失礼があったのではないかとちょっと心配である。しかしなにが心配と言って四人で喋ったあの企画、みなさん怒っていることでしょうなあ。失礼しました。許してください。

三馬鹿風カルテット、というのはどう?


実にあほらしいこと 12/4/98

昼過ぎ昔なじみのとある友人と電話で話していて、実にあほらしいことを思いつく。起きてすぐの電話だったのでまだ頭は半分眠っており、適当に相槌をうちながら思わずあくびをしてしまったところ「あくびをしてはいけない」と怒られた。そこで、なぜあくびをしてはいかんのか、みたいな話になって、ではこうなったらああなったらとどんどん馬鹿馬鹿しい展開をみせたので「よし、これでひとつ短編が書ける」と喜んだら「昼過ぎまで寝ているのもいけないが、そんなアホを固めたみたいなことで仕事になるというような生活は人として特にいけない」とまた怒られた。そこで、なぜそれがいかんのか、という話になるかというとならず「ほんまにおまえは昔からええかげんでわけわけらんやつやなあ。ほなな」ということで電話は切れた。結局なんの用事の電話だったのか、肝腎なところがいくら思い出そうとしても思い出せないのだが、もしもこれを読んでいたら教えてくれ。頼む。

実家へ帰ってみると小林泰三氏から『肉食屋敷』が届いていたので喜ぶ。ハードカバーである。小林さんどうもありがとうございました。ここは読んでないかもしれないので明日直接会ってお礼を言おうと思う。明日は京都。


OS8.5 12/3/98

マッキントッシュのOSを8.5にアップデートしたらなにかにつけてぴこぴこ音が出るようになり、おもしろがってフリーウェアのいろんな音を試す。ウィンドウを開け閉めしたり、ゴミ箱を空にしたりするたびダースベイダーの呼吸音やワイリーコヨーテが落下していく音などが出て、おもしろいのはいいのだが、いったいこれはなんのためなのかなあ。


東京へ行った 12/1-2/98

メディアワークスの忘年会に呼んでいただいたので、東京へ行った。毎年、ぼくなんか行ってもいいんでしょうか、と電話で確認してから行くのである。場所は赤坂プリンスホテル。赤坂見附駅出口の交番の前に立つお巡りさんに「赤坂プリ」ンスホテルはどこですか、と訊こうとしたら途中まで言ったところで背後にそびえ立つ巨大な建造物を肩越しに親指で差して「あれ」と言われた。なるほどしかしたしかに見えているのにたどりつくまでにはいろいろと苦労があり、二度ほど変な場所へ入り込んだ後、なぜか裏口から入る。

恒例のビンゴはいつものとおりかすりもせず。これまでの人生で結婚式の二次会やらなにやらで数十回はビンゴを経験しているにもかかわらず、どういうわけか当たった例がない。実は一度だけ、これもメディアワークスの忘年会で当たったことがあるが、生涯最初で最後かもしれないビンゴの賞品は「東京都のゴミ袋」であった。

めちゃくちゃ綺麗なコンパニオンが優しくしてくれるので結婚を申し込もうかと悩んでいたら、友野詳氏が深沢美潮さんを見かけて、なんなら紹介しましょか、と言う。いやいやなにをおっしゃいますヤングアダルト業界であのお方は言うなればお大名、こっちは犬以下の虫ケラですぜ旦那、などと卑屈にふざけていると友野さんはさっさと深沢さんをつかまえて「この人、大久保町の田中哲弥さんです」すると深沢さんは「はあ」といぶかしげな顔でぼくを一瞥するとすぐに友野さんの方へ向きなおり「それで?」みたいな顔をしている。ぼくは酔っぱらったへらへらのまま「あのあの、以前一度ちらっとお目にかかったことはあるのですがあのときは」ご挨拶もろくにできずえーとあの、と言いつつサラリーマン時代の癖で名刺を両手でささげ持っておずおず差し出すが、そのときすでに深沢さんは友野さんとなにやら話をはじめており、ぼくの名刺を片手でひょいと取ると、まったく見もせずゴミでも捨てるようにぽいっと手にしていたバッグに放り込んでそのまま最後まで二度とぼくの方を見ることはなかった。いやしかしこれだけはっきりないがしろに扱われると実際まったく腹は立たない。立ちません。これぞ売れっ子作家がクスブリと接するときの正当な態度でありましょうと、ぽんと膝を打って納得し、感銘を受けたほどである。嫌味で書いているのではない。やはりあれくらいの気概がないと、人気作家はやっていけないのではないかと思ったのである。ぼくにはとても真似できない。あとで友野さんに「深沢さんはぼくのことはまったくなんにも覚えておらんのでしょうなあ」と言ったら「覚えてないやろなあ」と言っておった。なんのために紹介してもらったのやら。おもしろかったけど。

その後、あかほり氏や高畑氏や土門氏、さらに今をときめく上遠野氏など売れっ子の方々とも顔を合わせたが、みなさんごく普通に接してくださり、ああなんと慈悲深い心優しき人々であろうかと感激のあまり涙にむせぶ。これからは、神坂一さんをからかうのはあまりに恐れ多いのでやめようと思う。

翌日は昼から某出版社の編集者と打ち合わせ、というか仕事の売り込み。先日のボツじゃボツじゃは、ボツではなかったようで、言葉どおり「今回は諸般の事情で見送り」ということらしい。そのうち載せてもらえるかもしれないそうで、めちゃくちゃ嬉しい。それとは別の仕事(一応ホラー)もできそうでこれも嬉しい。

星新一氏追悼ショートショート集『ホシ計画』の装丁は、和田誠氏だそうだ。めちゃくちゃ嬉しい。12月15日頃発売。みなさん買いましょう。

東京駅まで行って次の約束まで時間が空いたので遅い昼食をとり、ステーションホテルでまた別の出版社の編集者と打ち合わせ、というか仕事の売り込み。ここでもなにか(たぶんサスペンス)書かせていただけるかもしれず、これも嬉しい。

忘年会の二次会でメディアワークスの編集者に浅田次郎氏の『天国までの百マイル』がすごくよかったというのを聞いていたので、帰りの指定席を取ってから駅の榮松堂書店へ駆け込み別に一分一秒を急ぐ必要は全然なかったのだがはあはあ言いながら大急ぎで買い、新幹線で半分ほど読む。まだ半分だが泣ける泣ける。たぶんこの後半からの方がさらにおもしろくなるはずで、そう思うともったいなくて読めなくなった。読めば必ずおもしろいものが未読のまま手元にあるというのはけっこう興奮する。ああ楽しみや。わくわくする。



Back to Index