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ふらふらする大晦日 12/31/00

 昨日ほとんど寝ずに大阪まで行ったり、帰ってきてからもとりあえずしばらく切羽詰まった仕事はないなあと安心して『裸の銃を持つ逃亡者』("Wrongfully Accused")なんかをだらだら見て結局朝四時に寝たのにどういうわけか朝の八時には目が覚めてしまった。どうせすぐに眠くなるだろうと思い、そのまま起きて今度はビールを飲みながら絶対我孫子さんが怒るはずの邦題の映画『エネミー・オブ・アメリカ』("Enemy Of The State")を見たらおもろいおもろいと興奮して眠れなくなり、しかたなくそのまま眠らず雑用を片づけて実家へ帰る。しかしウィル・スミスはどう見てもやり手弁護士には見えないと思う。
 夜になって年賀状もやっと書きすぐさま投函したが、よく考えたらこんな時間に出すのなら年が明けてから出してもおんなじことだったのである。あわただしく出したのでけっこう混乱し、ふと見ると余っている年賀状が多い。出し忘れている人がいるのはまちがいないのだが、去年来た年賀状と名刺入れとを適当に見ながら書いたのでもはや誰に出したかを確認するすべがない。もう一度年賀状と名刺入れとを見てみるが、やはり出すべき人にはすべて出しているような気がする。田中哲弥からの年賀状が来なかったあなた、それはぼくが忘れたのではなく郵便局の怠慢によって紛失したのだと思ってください。ぼくは悪くないぜんぜんわるくない。
 なにかイベントでもやっていたのか、実家のベランダから明石大橋のカウントダウンを眺めているとその直後、橋のたもとでどんぱん大きな花火が見えた。かなりでかかったし数も多く、やはりベランダから見た夏の花火大会より十倍豪華であった。新世紀お祝い花火大会でもあったのだろうか。夏の行事を無理矢理冬にやるのが流行っているのかなあ。なにあなたの町ではプール開きした。アホちゃうか。
 そのあとも眠いはずなのになかなか眠れず、立ったり動いたりするたびふらふらしながらも結局ひとりでビールを黙々と飲み朝の七時過ぎになってやっと寝るのである。こら新世紀もあかんな、と思いつつ。

怒濤のように仕事をする 12/30/00

 年末進行というので年の暮れは忙しいと風の噂には聞いていたが、常々人ごとのように聞き流しておった。まさか自分が巻き込まれるとはなあ。
 十九日に雑誌連載第一回目の二十五枚を書き上げて送り、二十日にはこれまた雑誌連載のエッセイを書いて送り、二十一日には友人と飲みにいってソープ嬢救出劇を拝聴し、二十二日には古い友人たちと集まって忘年会をし、二十四日は餅つきに呼ばれていたのにそれを断念してずっと伸ばしのばしになっていた書き下ろし長編のプロットをやっとなんとか形にして送り、二十五日に女の子と会い、二十六日にはなぜか幼なじみの年賀状を頼まれて作り、そこからあわてて雑誌連載第二回目の二十五枚を書いて今朝明け方に送る。
 ふと思ったのだが、このリズムを保ったまま来年一年を過ごしたとすると、もしかすると来年の今頃にはぼくはめちゃくちゃ金持ちになっていて結婚して若い妾も五人くらいいてゴールデンレトリーバーを飼ってよだれを山に捨てついでに珍しい南米の猿なんかも飼ってみたりしてどういうわけかうどん屋のチェーン店を全国七百店舗くらいかまえ発泡酒でないちゃんとしたビールを飲んで家賃もちゃんと払えるのではないだろうか。
 がんばってみよう。と決意しつつ夜はトランペットを持って大阪松屋町まで出向きe-novels田中啓文特集のためのバンドに参加し「どくろの歌」とか「三途の川の子守歌」とかわけのわからない曲を録音する。

友人のささやかな冒険 12/21/00

 とある友人がボーナスでおごってくれるというので飲みに行く。飲み屋のテーブルに着くやいきなり「俺今不倫もどきしとるんや」などと言う。不倫もどきというのもやっぱり死ぬとどろどろに溶けるのだろうかなどと言ってもわからん人にはさっぱりわからんだろうがやはり不倫もどきも喋るとき首を振るのだろうか。
 そんな話ではなかった。友人は同僚たちと毎月一万円ずつ積み立てをし、それが何万円かになったところでみんなでソープランドへ行ったのだそうだ。へんな職場。そこで出てきたソープ嬢が、なんでもその日初めて客を取るという若い娘で、いろいろと話を聞いているうちに外でも会いたいと言い出したという。まあここまではよくある話だ。で、何度か会って話をして深い仲になるでもなくなにをするでもなく優しいおじさんに徹した結果その娘はソープ嬢をやめてごく普通の会社の面接を受け合格したと連絡があったらしい。話はそれだけで、ところがそのソープ嬢が実はIRAの一員でありコロンビアでのテロ活動に失敗して蛇頭に追われているのだあなたいっしょにパキスタンに逃げましょうというような展開を期待していた身にとってはなんということもない話なのだが彼にとっては大事件だったようである。
 それはともかくこの友人は、ビデオデッキがどっと普及する原動力となったのはポルノビデオがあったからだと断言する。そそそそうかなあと思っていると話は続いて今携帯電話がこれほどに売れているのは、それと同じ理由であってつまり携帯電話は不倫をするときなくてはならぬ必需品でありめちゃくちゃに便利だからではないかと。
 たしかに別の友人は数年前、会社のお姉ちゃんとこっそり会うために携帯電話を無理して買っていたが携帯電話がなくても不倫はできる。ぼくはした。どう見ても現在携帯電話の主力購買層というのは不倫というような難度の高い行為などとは無縁な、よくがんばって万引きか落書き程度のアホなお子様たちのような気がするがなあ。ヒット商品を作るには馬鹿と子供を踊らせるのが一番なわけで、本当に必要だから携帯電話使っている人というのは全体の半分もいないと思うけどどうでしょう。
 
リーボック・ポンプフューリーふたたび 12/18/00

 靴を買った。去年買ったランニングシューズ、リーボック・ポンプフューリーは踵が半分くらいにすり減ってしまって、かなり我慢して使っていたがどうにもつらい。七十パーセント引きという破格の値で手に入れたものをここまで酷使するというのもあまりに貧乏くさいので、ここで一発新しいのを買おうと、靴の安売り店その名も「靴のヒラキ」へ行ってみれば、まさかあるとは思わなかった前のと同じリーボック・ポンプフューリーがどっと山積みで安売りされていた。同じだけど新型である。今度は靴紐がなく、足を入れてすこすこと甲の部分のポンプを押して空気を入れるだけ。前と同じくやはり毒々しい色をしていて、なんとなく子供向けの安物運動靴みたいなデザインだし普段履くには相当の勇気がいるが走るのはほとんど夜だから全然かまわない。しかもなんと今度は七十五パーセント引きで四千八百円だ。元は二万円以上するのである。
 思うに、ランニングシューズとはいえたとえばナイキのエアマックスなんか走るために買っている人などほとんどおらず、なんとなくかっこいいからという理由でただ履いている人がほとんどなのではないだろうか。ポンプフューリーは走るためには実によく考えられていて快適なのだが、そんなことはおしゃれを気にする若者にはどうでもいいことで、とにかく見た目がかっこよくないといかんのだろう。だからポンプフューリーは全然売れず七十五パーセント引きでも山積みとなり、おかげでぼくは分不相応な高級ランニングシューズを履いて日々だらだらと走るのである。ありがたいなあ。リーボックにはがんばってこれからも性能のよい不細工なランニングシューズを作り続けていただきたい。頼みましたぞ。

あの人そっくり 12/12/00

 びっくりしたなあ仕事場近くのほかほか弁当の店でミックスフライデラックス弁当ができるのを待っていると、あの人が来たのである。灰色の作業服を来て、なんとなく歩きにくそうなよたよたした感じでやってくるのはまぎれもない北朝鮮朝鮮民主主義人民共和国主席金正日氏ではないか。
 わっと思って息を呑んだら、隣で大関弁当を待っていたおっさんも同じことを感じたらしく、え、という声を出した。
 髪型も眼鏡もなにからなにまでそっくりで、これが明石の片田舎のほかほか弁当屋の前でなくテレビの映像で見たのであればなんにも疑わずに本人だと認識したはずである。よくよく見ればテレビで見る本物よりもやや細身で顔もほんの少し縦長だったが、あれはたまげた。金主席が海苔弁デラックスなどを注文するところが見られるかと緊張したが、弁当には興味がないらしくそのまま素通りしていってしまった。足取りはゆっくりだったがちょっと急いでいるようで、一歩踏み出すごとにふはう、ふはう、ふはうと言うのが妙に本物っぽく、単なるそっくりさんがたまたまいただけのこととは思えないほどよく似ていた。影武者もたくさんいるというような噂もあるし、もしかしてここ明石でなにかあるのだろうか。なにかってなに。なにかってなに。
 
東京から帰る 12/9/00

 そのままあっさり帰ったのでは、本当に飲み会だけになってしまうので秋葉原へ行くとか東京でしかやっていない展覧会に行くとか東京に住む女の子のアパートに行くとかしようと思っていたのだが、どうにも眠くて体もだるく人の多いところには行きたくない。なにを隠そう東京に女の子の知り合いもいないのでしかたなくどこへも行かずに帰ることにした。母親に頼まれていた「サザエさんサブレ」も買ったし、関西では売っていないが東京ではものすごい人気らしいので絶対買ってくるようにと気のきつい女の子に命じられた「グリコムースポッキー」というものも入手できたのでよしとする。

ただ飲み会のためのみに 12/8/00

 せっかく東京まで行くのであるから本当は仕事の打ち合わせなどもあれこれ入れたかったのだが、結局パーティーのためだけに行くことになった。めちゃくちゃもったいないことをしているような気がしたがたまにはよかろうと、急ぐわけでもないのに700系のぞみに乗ったりする。500系に初めて乗ったときは、車内がなんとなく紫がかっていたりしておおこれが500系かと感心したものだが700系の車内はそれほど変わった感じはない。そういえば500系初乗車のときは新大阪で買った弁当のせいか寝不足のせいか名古屋あたりで脂汗をかいて目覚め、便所に駆け込んで吐いたりしたがさすが500系の便所はゲロも吐きやすい広さで、そうだ700系はどうだろうと荷物を置くなりまず用もないのに便所に行ってその広さを確認し、よしよしやはり700系もゲロを吐くには余裕であると安心してから席についた。でも結局東京まで便所に用はなかった。
 JRの陰謀のおかげでまたしても隣の席は五十くらいのおっさんで、しかも変なやつである。なにやら香を焚きしめたような匂いがするしずっとガムを噛んでいるし十分おきくらいに新しいペパーミントガムを口に入れるし君はなにかねなにもしないとごっつい臭いのかねと言いたくなるほど匂いの人なのである。身のこなしもいちいち気障というか芝居がかっているというか、検札にきれいなお姉さんがやってきたときも普通に差し出せばよいものを伸ばした人差し指と中指に挟んだ切符をおのれはカッパーフィールドかというような仕草でしゅるっと渡す。しかもやたらと偉そうな態度である。けったいなやつが隣に来たなあと呆れていたら、しばらくじっとしていた匂いの人は、むくっと頭を起こしたかと思うや右手をぬっと胸の高さに上げると、小刻みに左右にしゅしゅっと揺すってからぐいっと前方に突き出した。じっと見ていたわけではないが本を読んでいたってそのあたりははっきり視界に入るのである。そのフェンシングのような動作になんの意味があるのかよくわからなかったが、名古屋あたりから始まったその奇妙な運動は、ときおり発作のようにくりかえされて東京まで続いた。それなにやってるんですかと何度か聞こうとしたのだが、そのたび恐くなって聞けなかった。白眼の血管どくどくさせつつあなたは蠅の群が指先から入ってきても平気なんですかっとか言われたらいやだし。でもなんだったんだろう。
 神田で行われたパーティーは『電撃hp』の忘年会というもので、誰も読んでいないようなエッセイしか書いていないぼくははっきり言って部外者みたいなものであって当然肩身は狭い。ひたすら黙々とビールを飲むしかあるまいと思っていたのだが、けっこういろんな人と喋ったような気がする。ほとんど覚えていないが、素っ裸でにこにこ笑っている美人の写真よりも清楚な女子高生の制服姿の方がどきっとすると友野詳さんに言ったら、それはよくわかると強く賛同してくれたのは覚えている。そこへあかほりさとるさんが来て、なにがそそるってメイドメイドメイド。メイドの恰好に首輪。などと早口に言ってげらげら笑っていたのも覚えている。その後はずっと編集者といっしょでホテルに帰ったのは朝の六時前であった。シャワーを浴び、習慣のように冷蔵庫からビールを取り出し、新幹線で読んでいた「これは反則だ」と喜多哲士氏絶賛の小説のいったいどこが反則なのか知りたくて知りたくてなんとかもう少し最後まで読もうとしたものの気づけばビールはほとんど口もつけていないまま残っており、本は床に落ちていてすでに十一時をまわっていた。あのビールは惜しいことをした。

特殊任務用か 12/4/00

 普段通らない田舎道を車で走っていると小さな交差点にペンキで適当に書いたような看板があって、いったいなんの広告なのかは結局わからなかったのだが「レーダーカラオケ、デンタルビデオあります」と書いてあった。どんなものなのだろう。

似ている 12/2/00

 ファクス用紙が切れたので近所のホームセンターに買いにいった。この店は阪神大震災の直後、ビニールシートを一万円で売っていたといういやな噂があってあまり買い物をしたくないのだが近いのでどうしても利用してしまう。震災当時、屋根瓦が落ちた程度ですんだ家はどこも雨にそなえてビニールシートが切実に必要だったのである。古かった我が家も瓦はぼろぼろと崩れ落ちたため必要となり、あちこちかけずり回って父親が一枚五千円で買ってきた。高いとは思ったがそんなことを言っている場合ではなかったし、うちのは実際にそれくらいするであろうしっかりしたもので、その後もなにかと重宝したのでふっかけられたわけではなかったのだが、よく工事現場などで見かける水色のぺらぺらのやつをいくら売れるからとはいえ一万円で売るというのは需要と供給のバランスというようなことを考えてもあまりに冷たい。ということで、その事実を知っている人々は今でもこの店を鬼畜のごとく憎んでいるのである。
 とはいうもののそういう店がある反面、フランスから犬をつれた救助隊が来たり、大阪の見るからにアホそうな鼻ピアスの兄ちゃんが献血の列に並んで「いやぼくにもなんかできることないかなあと思て」と言っているのをテレビで見たときは、みんなけっこうやさしいのだなあと感激したりもして、だからやっぱり人間ってすばらしいなあみたいな脳味噌花盛りなことは全然思わないけどまあそう捨てたものでもないとは思う。
 そんなことを書こうとしていたのではなかった。そうそう。そのホームセンターでどこか聞き覚えのある歌がかかっていて、どこで聞いたのやらさっぱり思い出せずいらいらしていたのをさっき思い出したのである。わりと最近NHKの『みんなのうた』でやっていた「しおさいの歌」というやつだ。まちがいない。このごろの『みんなのうた』はどれも全然おもしろくないのだが、この曲だけは二度ほど聞いてなんとなく気に入ったのだった。すでに放送ではやらなくなってしまっているようで『みんなのうた』なんてわざわざ照準合わせて見ることもなくたまたまつけたらやっていたというとき以外聞かないし、おそらくもう生涯二度と聞くことはないだろうとあきらめていたところが悪徳ホームセンターで流れているとは驚いた。もしかして流行っているのだろうか。ところでなぜ耳に心地よくなつかしい感じがするのか今日聞いてみてやっとわかったのだが、この曲のサビの部分はポール・モーリアの「恋は水色」(だと思う)のメロディでなのである。中学校の昼休みの放送でいやになるほど聞いた曲だ。しかしまあこういうのはパクリとは言わないんだろうなあ。
 というわけでそんなことを書こうとしていたのでもなく、そうそうそれでふと気づいたのだが、夕焼け小焼けで日が暮れて、というメロディと、村の鎮守の神様の、というメロディもよく似ているのである。村の鎮守の神様の、山のお寺の鐘が鳴る、どんどんひゃららどんひゃららどんどんひゃららどんひゃららあああなんとやかましい寺。

深海と宇宙 12/1/00

 便所で雑誌を読んでいると「深海と宇宙の共通点は?」という見出しがあった。私は即答しましたね。
 どっちにもエド・ハリスがいる。


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