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水疱が破裂 8/31/01

 右手首から肘へかけての水疱は、大きさに変化はなかったものの昨夜青紫に変色して固さを増した。これはいよいよ医者に行った方がよいのではと思ったものの、それも面倒なのでそうだ針では細すぎたため痛いばかりであったのだここはひとつナイフでぐさりとやってみようと考え、しかしそんな恐ろしいことはとてもできないのでそのまま寝たのだった。起きると水疱はさらに硬く黒紫というかいやもうこれはどう見てもブドウやなあと惚れ惚れするような姿になっている。食えばうまいのではないかと思うほどであった。痒みは鈍痛へと変わっていて、指で押してもさほど痛くない。
 よっしゃやったろと決意し、なぜか仕事場に常備してある無水エタノールで患部とナイフとを消毒したのち腫れ方の一番ひどい部分にナイフの切っ先をそっと突っ込んだところいきなりどぱーんととんでもない衝撃音がして最初の水疱が破裂し、続いて隣の水疱、そのまた隣の水疱が次々に破裂していってばんばんばんばん中国の祭みたいな騒ぎとなったおかげであたりは血膿だらけ耳鳴りまでする。
 血だらけの腕を撫でると皮膚が一枚べろんと剥がれ、おお痛そうと思いながら見るとじくじく溢れる血の中にびっしりと、蟻の卵みたいな黄色い粒状のものが付着している。水で血を洗い流すと、それらは付着しているのではなく細長いものが腕の肉の中に埋まっていて、その一端が丸く顔を覗かせているのだとわかった。なんと気色の悪いこれが水疱の原因だったのかと、つまんで引き抜こうと思った瞬間ぼくの意思を読んだかのように、それらすべてはいっせいにつるりと腕の中へ潜り込んでしまったのである。びっくりして押したり揉んだりしてみたが血が流れるだけで二度と出てこない。
 これからどうなるのか恐い気もするのだが、痒みは治まったし見た目もすっきりしたのでまあいいか。

ものすごい夢 8/30/01

 大地震がやってくるというので避難するのだが間に合わず、天を覆うような津波をうわあなんちゅう波じゃと見上げたとたん、なにかが大爆発し爆風で吹き飛ばされ舞い上がり、どういうわけか二十メートルほどの高さで安定したまま水平に、気を失いそうなほどの高速で飛翔したのち海に落下する。大爆発はあちこちで起こっており、
 とここまで書いて、なんとなくどこかで使えそうな気がしてきたのであとはやめておく。ここからがものすごいのだが。

痒い 8/24/01

 アホ犬をおちょくって遊んでいるとき大量に蚊に刺されたのだと思っていたのだがどうやら違うようである。蚊にしては刺された痕があまりにも密集しすぎている。一センチ四方内におよそ十個くらいの密度でぷつぷつと腫れがあって、右手首から肘の方へかけ幅五センチ長さ十センチほどの範囲に拡がっているのだ。蚊に刺されたのであれば、石鹸で洗ってムヒでも塗っておけば知らない間に治っているはずなのに今回の腫れはどんどんひどくなり、やがて小さく固い水疱へと変化してぼこぼこと膨らんできた。
 二時間も経ったころにはいかにも痒そうな赤色を帯び、種なしブドウが数房腕から横向きに誕生しようとしているかのごとき異様な状態となる。夜になってたまたま遊びに来た女の子にほらほら虫かなにかにやられてこんなんなっちゃったと見せたところひっと叫んで血相を変え、あんたいったいなにをしたのと泣き出した。いや、たぶん虫に、と言っても聞かずわあわあ泣くだけでなだめようと手を伸ばしたら悲鳴を上げて逃げてしまったのだった。逃げんでも。
 まあたしかにものすごい有様であって、こんなのは今までまったく見たことがない。一番腫れている部分では元の皮膚よりも三センチ以上盛り上がっていて、水疱ひとつの直径は今や約8ミリにも達しているというのにこれが普通の水膨れとは違ってかちかちに固いのである。針で突いて中の液体を出そうと試みたが、固くて簡単には針が刺さらずしかもめちゃくちゃ痛くてこれはあきらめた。腫れが大きくなるにつれ、痒みもどんどんひどくなり、しかし掻きむしると猛烈に痛いためそっとしか掻けず、そんな掻き方では痒みが癒されるどころかますます痒くなっていらいらするのでがりっと掻いて脳天突き抜ける痛みに七転八倒するということを夜通しくりかえすことになった。
 今も水疱は膨らみつづけているのである。ああかゆ。

第40回日本SF大会@幕張メッセ 8/17ー19/01

8/17
 どういうわけか今年も行くことになってしまっていたので早起きした。早起きしたと言ってもこのごろは眠くなったら寝る目が覚めたら起きるという生活なのでさほど苦労はない。しかし田中啓文バンドに参加するため重い楽器を持っていくのはつらい。汗だくになりながら駅まで歩く。
 やはりJRの陰謀は行き届いており新大阪から乗った新幹線の隣の席は若い美人とはほど遠い太って脂ぎった若い男である。一心不乱に窓の景色を眺めているのでおとなしいデブだと安心していたのだが、ときおり口から(だと思うがよくわからない)「きょぼっ」という甲高い破裂音を発するのはちょっと恐かった。あれはなんですか。
 さらに夏休みということもあってあたり一面ガキだらけ。走る騒ぐ泣く叫ぶ歌う踊るゲロを吐く。自由席が混んでいたらしく、指定席の車両にまでやってきた家族連れが扉を出たあたりに新聞紙を敷いてべったり座り込み、車両の扉が開くたびそこの子供たちが座っている我々を恨めしそうに悲しそうに物欲しそうにじっとり見るのであった。こっちはなんにも悪いことしてないのに、めちゃくちゃ居心地が悪い。煙草の煙がそれほど気になる方でもないし、この時期は喫煙席を選ぶ方がいいかもしれないと思う。
 夕方東京に着いて編集者と会う。なにやら奇妙な新しい仕事の話もしてから、明治ナントカカントカという由緒正しく美しい高級ビアガーデンに連れていってもらい、日本舞踊や盆踊りを見ながらビールを飲んだのはよかったが、東京は関西方面の暑さからは信じられないほど寒くTシャツ一枚では凍えそうになった。
 早めにきりあげてひとり幕張メッセに向かう。幕張プリンスというホテルに到着すると、驚いたことにチェックインするのに行列して待たされるのだった。どんなホテルじゃ。特別この日だけ並ばされたということではなく、きちんと印刷された立て看板まで用意して「ここに並べ」みたいなことが書いてあるのである。そんな看板作る前に行列せんでいいようなシステムを考えんかいボケナスそれがホテルのすることか腐って便所で死ね幕張プリンス。と怒りながら二十分ほど並んでフロントで名前を告げると「SF大会の参加者ですね」と言われる。そうだと答えると、SF大会の人の受付は別なのでそっちに行けと言う。耳を疑い怒りに視界が赤く染まる。行列に並ぶ前、係の女にぼくはチェックインはここに並んで待つのかと訊ねたのである。あなたさまはもしやSF大会の参加者ではありませぬかと、なぜそのとき訊かぬのだ脳味噌あるのかおまえはアホかアホはおまえか潰れて溶けて肥溜めで百年長生きしろ役立たずの便所虫の糞の汁め。
 死ね死ねの怒りを押し殺してというかいつかなんらかの報復は必ずやと必殺の怒りを腹の底に溜め込みつつなんとか部屋に入ると、同室の明るいトランペッターUさんはすでに来ていて、しばらくビールを飲みながらテレビでやっていた『ジュラシック・パーク』を見たりして時間をつぶす。夜中にバンドの練習するので待っておれと田中啓文氏に言われていたのである。
 結局夜中の練習はせず、一時ごろ到着した田中啓文他バンドのみんなで四時くらいまでだらだらと部屋で飲んだ。どうやって寝たかは覚えていない。

8/18
 朝八時半から練習、ということだったのでだいたいそのあたりの時間に会場入りしてバンドの練習。近所のレストランでびっくりするようなまずい昼飯を食って控え室でだらだら過ごしたのち、三時過ぎからまた練習。四時半から本番だったが客は少なく会場はがらがらで、ステージから見れば知った顔ばかりである。終わってから我孫子さんと井上夢人さんに、おまえはただトランペットをかまえて立っていただけかと大真面目に訊かれた。ぼくはずっとクラシックの正統派でやってきたため吹くときいくらハイトーンであっても大音量であっても顔も口も体もほとんど動かないのである。その方がよほど難しく高等であるはずなのにあんなこと言われるなんてひどい話ではないか。やる気なかったのかとか、調子悪くて吹けなかったのかとかその後もいろいろ言われたが、今回は息の出なくなる変なミュートをつけてではあったが毎日けっこう練習したし本番はちゃんと鳴っていた。アドリブソロはできないので断ったが、あんなにあっちこっちでぼろかす言われるのなら簡単なソロをなにか用意しておけばよかったと後悔する。とはいえ演奏そのものは楽しかったのでよしとする。またやりたいなあ。
 森奈津子さんと南智子さんがあとで、田中啓文さんのあのピーヒョロ吹いてたやつはあれギャグですよねえなどと言うので、いえいえあれは本人真っ向真剣なフリージャズですよと教えてあげたら仰け反ってびっくりしていた。まあ普通はああいうのを見ると頭のおかしい人だと思ってしまうにちがいない。ぼくも思った。
 一度ホテルに戻ってシャワーを浴び、八時ごろ大森望さんたち一行と合流してなぜか高級イタリアンレストランへ行く。ホテルニューオータニのレストランである。貧乏な人もいるというのになんでこういう店に行くかなあ迷惑やなあ見よ北野勇作夫婦は店の構えに恐れをなして逃げようとしているではないか。ハヤシライス千七百円というようなものすごいメニューに怯えつつも、こういうところのハヤシライスならさぞかしうまいにちがいないと思って頼むとこれがまあ全然うまくないのだった。舌のだめなぼくだけでなく同じのを頼んだ水玉螢之丞さんもこれはいまいちじゃと言ってたのであれは絶対うまくなかった。昼飯のカフェテリアもまずかったし幕張にうまいものなしということわざはどうやら本当である。
 会場に戻ってだらだらビールを飲んでいろんな人に会う。小林泰三北野勇作両氏から体験したばかりの抱腹絶倒話を聞かされ抱腹絶倒した。寝てないし酔っているしで腹が痙攣して冗談ではなく笑い死にするかと思った。詳しく書けないのが残念である。小林くんかそうか。
 ホテルに戻ったのは三時半くらいだったと思うが、なぜか我々の部屋で宴会となる。ぼくと同室のトランペッターUさんはこのときアイドルのような存在となり、ここでもぼくは抱腹絶倒する。詳しく書けないのが残念である。まあものすごい人もいたものでそうかそこで犬を選ぶんですか。
 翌日十時半からの企画に呼ばれていたので、またしても早く起きないといけなかったのに結局みんなが出ていったのは五時過ぎ。シャワーを浴び、寝ようとするとすでに眠り込んでいたUさんはとんでもない鼾を発しつづけており、ぼくは眼を開けていられないほど眠いにもかかわらず十五分おきくらいに目が覚めてしまうのだった。ああこれではもう明日はへろへろだ九時半に起きるなどというのはとても無理だとすべてあきらめ目覚まし時計をオフにする。どうせ十時半からの企画、直前までいっさい連絡はなかった程度のものだからドタキャンかましたって誰にも文句は言われまいなどと勝手に考えて捨てることにしたのだが、悪いことはできないもので八時半くらいからまったく眠れなくなってしまい、そのまま起きてしぶしぶ会場へ向かうことにする。

8/19
 チェックアウトもやはりフロントで並ばされた。死ね幕張プリンス、と呪いながらもフロントの女の子がにこにこ笑顔の親切な美人だったのですぐに機嫌はなおり、どろーっとしたまま会場へ。電撃SFの部屋というのに恐る恐る出る。司会の人がずらっと並んだ電撃文庫の作家に質問をし、ひとりひとりそれに答えると次の質問、というのを淡々と繰り返す異様なまでに静かなスタイルで、ぼくは眼を開けたままときどき眠ったので「田中さんはそのあたりどうですか」と突然言われても「そのあたりってなに」と思うばかり。夢現のなか耳に引っかかった断片的な単語のみを手がかりに適当なことを答えてごまかす。作家間のトークはまったくなかったため同じ企画に出演しながら最初から最後まで顔を見てない今も知らないという人がいたりするのだった。なにを聞いたかなにを喋ったかなんにも覚えていない。そもそもそんな企画あったのかどうかも今となってはおぼろげである。
 編集者に中華料理の店に連れていってもらい、ここで食べたフカヒレ丼は幕張で食した中では唯一そこそこうまいものであった。それから「三人のゴーストハンター大暴れ」の企画を見に行ってその楽しさに嫉妬し、そのあとなぜかサイン会に駆り出されたりした。誰も来なかったらどうしようと心配していたのだが何人かは来てくれたのでほっとする。
 さあ帰れるぞと思ったのだがやはりぞろぞろと流れに押されてホテルの喫茶店へ行ってしまう。みんなしんどないんかと呆れながらも森奈津子さんに肩を指圧してもらったり(痛くて死ぬかと思った)南智子さんとも話ができたので機嫌はなおった。横に座っていた藤原ヨウコウさんは、ぼくがなにかいうたびに「今のは本当ですか?」と訊く。「確認しておかないとどれだけ嘘つかれるかわからない」のだそうだ。
 やっと帰路につくが東京へ向かっているはずの電車が知らないうちにどんどん千葉の奥へと入り込みあげくのはてには「新松戸」などというところに到着してあわてて降りたり指定席の予約を変更したりいろいろばたばたし、新幹線に乗ったのは七時過ぎ。席につくなり田中啓文は沈み込むようにして眠ってしまい、我孫子さんはぼくの言葉に相槌を打ちながらうんうんと眠り込む。ぼくも眠かったのでうとうとしたが、牧野修と小林泰三は京都までずーっと大声でアホな話をしていた。アホや。最近では、この五人の中で実は小林泰三が一番アホなのではないかという声が高いがうなずける話である。
 ふらふらになって仕事場に帰ると十一時半。留守電がいっぱい入っていて、ほとんどが飲みに行く誘いだった。明石の海岸でバーベキューをするので来いというのもあって、ちょっと残念。このメンバーのバーベキューはどういうわけか味音痴なぼくでさえ嬉しくなるほどうまいものばかりなのである。風呂からあがって十二時過ぎにバーベキューのメンバーから電話があり、ああおったおった、まだ海岸におるねんけど今からけえへんかと言われたのにはたまげた。いつまでやっとんねん。今日は東京から帰ったばかりで疲れているので行かんと断ったら日焼けした酔っぱらいがみんなでどっとうちに来た。

西瓜売り 8/12/01

 殴るぞおまえ早朝八時から西瓜を売る馬鹿がどこにいる誰がそんな朝から西瓜なんぞ買うと思うのだとんでもない大音量でがなりたてやがって。あまい、あまい、すいか。さんち、ちょくさん、あまい、すいか。すいか、あまいか、あまいかすいか。どっちかなあ。知るかああっおちょくっとるのかおまえは。

散髪した 8/9/01

 一年ぶりに散髪屋に行った。一年間伸ばし放題だったわけではなく自分で切ったり、子供の散髪ならいつもしているという手先の器用な主婦が面白半分に切ってくれたりなんとなくできそうな気がするというだけの女の子に遊び半分に切られたりしていたのである。もしもめちゃくちゃになってしまったらそのときは散髪に行こうと言いながら適当に切ったり切ってもらったりしていたのだが、毎回必ずなんの問題もなく仕上がってしまうのだった。このまま一生散髪屋には行かなくてもいいのではないかとも思ったものの、いつもいく散髪屋は高校時代の友人であり、あまり行かないと怒られるので仕方なく行ったのである。やっぱり本職はうまいもので、へんなとこから長い毛が出ていたり耳の上だけ真横に立ったりこめかみにハサミが突き刺さったままというようなことはなくなった。あまり短くすると鳥の雛そっくりになってしまって親鳥がミミズをくわえて突進してくるのであまり短くしないでくれと言ったおかげであまり短くならずにすみ、今回親鳥はいまのところやってきてはいない。

『ワールド・イズ・ノット・イナフ』"The world is not enough" 8/5/01

 WOWOWでやっていたので観る。いつものことながら「それは無理やろ」の連続でおもしろかったが、今回もボンドカーBMWの末路はあまりにひどくて爆笑した。そんなにいやか。
 "Q"を演じるデズモンド・リューリンという人は、この映画を撮ったあと事故死してしまい本作品が遺作となったらしいのだが、まるでこれを最後に死ぬのだとわかっていたかのようなシーンがあって胸に迫る。シリーズ屈指の名場面だと思う。

体調ぼろぼろ 8/2/01

 まあ毎年この季節は睡眠障害みたいになってしまい寝てもすぐ目が覚めるし起きていてもすぐ眠くなったり夢現の生活が続くのだが、これに食欲不振と下痢が加わっているため二十四時間朦朧としている。昼間に猛烈な眠気に襲われたときなどはソファで寝てしまったりもして、それなのに起きると寝室だったりちゃんと寝室で寝たはずなのに夕方ソファで目覚めたり、寝室で早朝五時というような時間に目覚めてふと仕事場を見るとコンピューターに電源が入っていてやりかけの仕事が表示されていたりする。車を運転していても突如意識を失うように眠っていることがあって、どこをどうやって走ったのかまったく覚えていないこともたびたびである。実家へ帰るつもりで九州や沖縄まで行ってしまったことも二度や三度ではない。昨日などは自転車に乗っていて眠ってしまい目覚めたら知らない家のベッドに素っ裸で寝ていて見れば知らない美人がにっこり笑いながらあら起きたの朝ご飯食べる? と言いつつふわりと抱きついてくる。なんでぼくはこんなところにいるのでしょうかととまどっているともちろんそれは夢であり、はっと起きると便所で寝ていて下痢の途中。


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