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体脂肪計 8/1/03

 実家に帰ると、乗るだけで体脂肪率もわかってしまうという便利な体重計があったので、何日か前から何度か計っているのだが、最初体脂肪率20パーセントもあって驚いたのだった。ぼくよりよほどぽっちゃりぐんなりしている友人が17パーセントくらいだと言っておったのにぼくのどこにそんな脂肪があるのだろうなにかまちがえておるのではあるまいかと翌日計ると体重は変わらないのに19パーセントになっている。その翌日はというと不規則な食事のせいか体重は一キロほど増えているのに体脂肪率は18パーセント。その次はちょっと長めに走ったせいか体重がそれよりも二キロほど減って体脂肪率は17パーセント。昨日は体重変わらず16パーセント。でもって今日は体重が一キロ減って体脂肪率15パーセントと表示されたのである。特に運動量を増やしたわけでもなく、どちらかというと有酸素運動は少なくあまり動いていないのに体脂肪率が毎日1パーセントずつ減っていくのはどういうわけか。このままでいくと、あと半月ほどで体脂肪率は0パーセントとなってしまい、なんとその翌日にはマイナス1パーセントとなるはずなのである。体脂肪率マイナス1パーセントというのはどういう状態なのだろう。

体脂肪率 8/2/03

 なんと今日は29パーセントになっていた。なんでやねん。

台風を追い越す 8/9/03

 昨夜台風が明石近辺を通ったので、電車が時間通り動くかどうか心配しつつ駅に行ったが在来線も新幹線もダイヤどおりだった。やれやれとのんびり新幹線に乗っていたのだが、どうやら静岡あたりで台風を追い越したようで、東京では台風を待っている状態である。幕張メッセで開かれているアニメ関係(たぶん)のイベントに行かないといけないのに京葉線が強風のせいで停まっているという。ではタクシーで来いと言われたのでタクシーに乗るが「幕張メッセまで」と言ったとたん運転手はえっ本気ですかというような反応をする。狂人を見る目である。そんな人今までいなかっためちゃくちゃ遠いぞということらしいが電車台風で止まってますねんと言ったらああなるほどと走り出してくれた。ほんまにそんなとこ行ったことありませんわと地図を見ながら川のようになった道路を蛇行しつつ幕張メッセに到着するが、会場がどこかわからない。携帯電話で担当者に電話してもはっきりせず、運転手といっしょに地図を見ながら「ナントカカントカ館」ですかと訊いたらそうだというのでそこに車をつけてもらう。風も強いし気をつけていきなさいよという親切な運転手に別れを告げて車を降りたが、目の前にある建物(2001年のSF大会があったところだ。たぶん)の入り口は固く閉ざされていてイベントが開催されている雰囲気は微塵もない。またしても電話して訊くが探してみてくれと言われるだけでなんにもわからない。とんでもない強風と豪雨の中、傘を差していてもあっという間にびしょ濡れになるこの状況の中あちこち探してまわるというのは相当大変もう行くのやめて帰ろうかなあと思っていたらたまたま警備(たぶん)の兄ちゃんが立っていたので、アニメかなんかのイベントやってるのはどこですかと訊ねたところ、これまたこんなやつ警備会社もよく雇ったなと感心するほど頭悪そうなどんよりした兄ちゃんで、アホの犬にお座りを教える要領でどうにかこうにか答えを引き出し服を着たまま風呂に入ったような状態となって会場に到達する。
 どういうわけか浴衣に着替えさせられてラジオの公開録音。自分の声もよく聞こえなかったしなにをしゃべったのかまるで覚えていない。集まった人々の視線はすべてユンピョウさんのビキニ姿に注がれていたようである。まああれはびっくりするわなあ。ぼくも驚いた。サエキはずっとセックスがどうとか叫びつづけていたしよくわからないイベントだった。
 終わってから、武田さんのまったくワックスがかかっておらずしかも前輪の片方がパンクしているのかと思うほどペシャンコの廃車みたいなジャガーで銀座へ行く。あんなに大事にされていないジャガーも珍しいと思うのである。歌舞伎役者がコーディネイトしているとかいうコジャレタ焼き鳥屋で鶏ばっかり御馳走になり、電車に乗ってホテルへ。
 ホテルに着くか着かないかというところでさっきまでいっしょにいた担当者から電話が入り今から打ち合わせをしたいと言われる。ほないっしょに来たらよかったのにと思いつつホテルの居酒屋で担当者と会って、あまりに驚いたのでとりあえず全部忘れてビールを飲んで寝る。

スター・ウォーズ展 8/21/03

 京都国立博物館で『アートオブ スター・ウォーズ展』というのをやっていて、そろそろ終わりだというので見に行く。いやあ入っていきなりのスター・デストロイヤーの模型には感動したなあ。ぼくは見るなり「うおーかっこええー」というような声をあげてしまって係員のお姉ちゃんに笑われたのだが、そのあとすぐ入ってきた兄ちゃんも「おおーう」というような歓声をあげていきなりスター・デストロイヤーのケースに貼りついたし、またすぐやってきたアベックの若い男も「うわっ」と喜んでおった。みんな仲間だアホばっかり。しかしこの入ってすぐのスター・デストロイヤーは本当に圧巻で、全部見てからもう一度戻って見たほどである。軍艦はでーかいーでーかいー。
 博物館の向かいが三十三間堂だったのでついでのように見にいったのだが、こういうのを見せられるとスター・ウォーズもまだまだやなあと思うのであった。観音さんえーらいーえーらいー。

淡路一周 8/23/03

 自転車で淡路島を一周する、というのは近畿地方の自転車少年にとってはとりあえずの夢であるらしい。ぼくは少年時代青年時代ほぼ毎日自転車に乗ってはいたものの真剣な自転車少年ではなかったためそのあたりよくしらないのだが、昔からそういうことになっているらしい。途中をショートカットせずできるかぎり島の外周を走ると全行程百五十キロくらいあって、一日で走り抜けるにしてはやや長いかなあという距離である。
 真夏の淡路は暑いでしょうなあ、とぼくは言ったのだが、Y氏によると「暑いやろなあと覚悟して暑いところを走るのはそれなりの快感やで」ほんまかいなと思ったが行くことになってしまった。
 明石からフェリーで淡路へと向かう。港は近いので車は使わず今回は最初から自転車である。自転車を持ち込んで明石から淡路の岩屋まで四百円ほどの料金だった。フェリー乗り場でトレックのロードレーサーを押している兄ちゃんがいた。訊けば我々とは反対回り(我々は左回り)にショートカットして百キロほど走るのだという。こんな暑い日に我々以外にもアホな人がいたと思って嬉しかったが向こうも同じ気持ちだったらしく乗船してからいろいろくれたりあげたり三人で和気藹々。
 しかしまあ昨日二十二日はアホと違うかと呆れるほどの猛暑で、ここまで暑いと外に出るだけで瞬間的に死ぬ人もいるくらいなのだが今日二十三日は暑さも少し穏やかになるでしょうなどと天気予報はぬかしておったのであるいっつもいっつも嘘ばっかりぬけぬけと言いやがって気象庁はまったく。帰ってニュースを見るまで我々は知らなかったのだが、実は今日はさらに暑かったのである。この夏最高の猛暑だったそうだ。
 八時過ぎ岩屋を出発。すでに日差しは痛いほどである。しかも、前日調べたところによると淡路島西淡町というところが他の地域よりも最高気温が二度ほど高く三十五度とか冗談みたいなことになっており、狙ったわけでは決してないが我々はその日の最高気温を記録する正午から二時にかけてその西淡町を走ることになった。この夏一番暑い日一番暑い地域を一番暑い時間に走ったのだ。アホじゃあほじゃ。暑いというより文字通り痛かった。あれは本当に下手すると死ぬ。
 一時間に一回は休憩を取るようにし、水分補給だけは欠かさないように気をつけたがときおり意識が朦朧とするほど暑い。ここまで暑いと一周百五十キロは相当きついなと思っているのにY氏は「うずしおを見に行こう」などという。それがどういうことなのかよく理解してなかったぼくは、はあええですよと言ったのだったが、これはつまり本来の周回コースからいったん外れて「うずしお展望台」というところまで行ってまた戻るといういわば「無駄な行程」なのである。さらに加えてこの「無駄な行程」はおそろしいまでに「無駄な高低差」があり、意味もなく登り、そして意味もなく下る精神的ダメージの大きいいやないやな軍隊の訓練みたいなコースだったのだ。山や峠を走るときは、登れば下りがやってくるわけで、頂上に至った達成感があるわけであるが、ただ登りがありまた下るだけというコースにはそれがない。ただしんどいだけなのである。これにはかなり参った。いろいろ呪った。
 うずしお展望台に着いてもべつに嬉しくもなんともなくただ暑いだけである。観光客のおばばたちが、汗だらだらでけったいな格好をした我々を病原菌を見る目で見るがこっちはそんなもの気にする元気もない。ビワのアイスクリーム(めちゃくちゃうまい)を食べ「ポンカンいよかん夏みかん」という清涼飲料水(めちゃくちゃうまい)をがぶ飲みしたおかげでなんとか茹でられたような体がやや冷めやや元気になってふたたび走りはじめる。水風呂からサウナに戻ったかのような強烈な熱気の中ぜえぜえ上り下り走りつつ、Y氏はアイスクリーム売りのお姉さんがとても感じのよい美人だった可愛かったええ感じやったなあと嬉しそうに熱く語るのだった。こんな状況下でさえそのような些細なことで人生の喜びを感じられるあんたはほんまにえらい。周回コースへと戻る途中で頭にタオルを巻いてすっかり茹であがった真っ赤っかの顔をしたマウンテンバイクの青年とすれ違う。わあまたアホがおったと嬉しくなったが向こうも同じ気持ちだったらしくものすごく丁寧にお辞儀をしてくれた。にこにこ手を振ってすれ違う。結局淡路で会ったサイクリストはこの兄ちゃんだけであった。
 ぼくは淡路島の外周というものはずーっと平坦なのだと思っていたのだが、これがそうでもないのだった。ちょうど半分を過ぎたあたりから道は山へと入り込み、けっこう坂道が多くなって峠道みたいなハードな状況が増えてくる。そしてなぜかときおり玉葱の臭いが襲ってくるのだ。最初のうちなんの臭いかわからなかったのだがあとで玉葱を、中国の祭りみたいにうじゃうじゃ吊り下げた小屋をいくつも目撃してああ玉葱が臭いのかと気づいたのである。熱風とともにやってくるその臭いは信じがたいほどに凶悪で、急坂をこちこち登っているときの状況は暑いつらいしんどい臭いという悪夢のようなものとなった。
 アップダウンを克服し暑さのピークを過ぎた頃、気が緩んだかY氏が熱中症かもしれない眠くて頭がくらくらする、というので冷房の効いた喫茶店に避難したりもしたが、その後は追い風にも助けられて楽に走る。楽に走るが景色は単調で日は沈んで暗くなってくるしただただ黙々と走るだけである。すでにスタートから十時間を超え暑さよりも尻の痛みの方がつらくなってくる。まだ終わらんのかあとだんだん淡路のことが嫌いになってきたりもしつつ走りつづけ、巨大な観音さんの足下で最後の休憩を取り夜九時過ぎフェリー乗り場に到着。結局総走行距離は162キロであった。
 ビールを買ってフェリーに乗り、暑かったけどなんとか走れたなあとY氏とふたり祝杯をあげる。ゆっくり揺れて見える明石大橋のイルミネーションと神戸の夜景が美しかった。終わってみれば実に満足である。


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