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火球 8/25/06

 二三日前のことだが夜自転車で走っていて火球を見た。流れ星のでかいやつのことを火球というのだと思うのだけど、かなりでかくて長くて色も橙色をしていたのでああいうのはただの流れ星ではなく火球と呼ぶにちがいない。そんなにしょっちゅう見るものではないが長く流れる星を見るたびいつも、ああ009がついにブラックゴーストを倒し002とともに大気圏に突入したのだなあと思ってしみじみするのである。世界中の人がなかよく平和に暮らせますように。

久しぶりにツーリング 9/9/06

 土曜日、やることはいろいろあったのだが、あまりにも久しぶりでどうしても走りたかったのでY氏とともに自転車を車に積んで加西市の山へと向かう。具体的にどういうところを走ったのかはやはりY氏まかせだったので今回もよくわからない。未舗装の山道もけっこうあってガレ場の下りで五回ほど前転しそうになり百六十七回ほど崖下へ落ちかけたがかろうじて生き残った。ぼくの自転車はクロスカントリー用なので基本的に乗車位置が高く前傾姿勢で、そのままガレ場の急斜面を下るとブレーキをかけるたび安物のフロントサスペンションが大きく沈み込んで前転しそうになるのである。前転とはいえくるりと回ってはい元通りというようなわけにはいかずこれは確実に顔か鎖骨から着地します。ジャンプするときみたいにサドルの後ろに尻を落とすポジションをとればなんとかなるのだけど、うっかりぶかぶかのズボンを穿いていたため股ぐらの生地がひっかかってそれができず、なんとかしようと焦れば焦るほどズボンがずれ下がってきて尻の方パンツが半分ほど剥きだしになってしまい、白目ひん剥いてたぶんめちゃくちゃ必死の形相だっただろうし、誰かが見ていたら相当滑稽な姿だっただろうと思う。誰もいなくてよかった。
 今回もまた封鎖された古い林道を見つけふたつチャレンジしてどっちも先に行けず引き返すことになった。ひとつ目は険しい登山道にぶつかったため断念したのだが、ふたつ目のやつは途中に古いトンネルがあってその入り口がごつい鉄格子で封鎖されていたのだった。とにかく不気味なトンネルで、木々生い茂る山中そこだけ白く靄がたちこめいかにもここは入ってはならぬと言いたげなおどろおどろしい雰囲気なのである。惑星ダゴバかと思った。覗き込めば中は真っ暗向こう側の出口も遠くおぼろげに見えているのになぜかその向こうはほとんど光がなく暗いまま。それまでは暑くてたまらなかったのにトンネルからは冷気が流れ出し、なんの音かはわからないがコンクリートをひっかくような音も断続的に聞こえる。頭上でカラスもやかましく鳴き叫ぶ。通行止めのために鉄格子が嵌められているのではなく、中にいるなにかを閉じこめているようにしか思えない。鉄格子がなくても絶対入りたくなかった。どう見てもあれは心霊スポット。ももも戻りましょかそそそそやなと引き返す。
 というようなわけで後ろからへんなものがついてきているのではないかと気にしつつ峠を三つか四つ越え、根日女温泉というところの露天風呂にだらだら浸かってから帰ってきた。なんか呪われたような気もするが、しかしまあやっぱり自転車で山を走るのはおもしろい。

乱歩賞パーティー 9/15/06

 乱歩賞のパーティーに行くのはめちゃくちゃ久しぶり。前に行ったときはせっかく帝国ホテルなのに人と喋ってばっかりでなんにも食べられなかったので、その教訓を活かして今回は終始食べまくる意気込みで臨んだのであったがなかなか食べることだけに集中できず結局食べられたのはシュウマイ四個、フカヒレのスープ一杯、カレーライス少々(これはカレーを食べている人を見たとたん血相を変え、えっカレーあるのっ! と叫んで走り出した牧野さんについていったおかげで食べることができたのである)と、あと鮭のなんか凝ったフライみたいなやつ三つほどですべてである。鰻丼があるというので探しに行こうとしていろんな人に捕まり、喋りながらあっ鰻丼見つけたと横目で見ていたのだがそのままお開きとなってしまった。なかなか思うように食えんのだった立食は苦手だ。とりあえずその日の晩ご飯がひととおり食べられるようトレーひとつにいろいろ盛った簡単ディナーセットみたいなやつを用意してくれればいいのに。別におもちゃは付いてなくていいけどサイコロキャラメルもいりません旗もいらんっ。ウィスキーの水割りやワインはいくらでも持ってくるくせにビールがなかなか手に入らないのもものすごく不満。帝国ホテルはいろいろ反省するように。
 仕事の話もあれこれとできたし、めったに会えない人たちにもたくさん会えたのでたまにこういうのに顔を出すのもいいものだとは思うが、もっと食べたい。

漫画 9/30/06

 漫画を読んでそれについてなにか書くという仕事を『週刊アスキー』ですることになったので、取り上げる漫画の候補などあれこれ数十冊も送られてきた。なにがおもしろいのかよくわからないのもあるが、おもしろいのはめちゃくちゃおもしろいので驚いた。がつがつ読みふける。漫画ばかり読んでないで勉強しなさいとたいていみんな子供のころに言われたことがあると思うが、今わたくしは漫画ばかり読んで、それが仕事なのである。どうじゃうらやましかろう。

ピッコロベルゲン 10/5/06

 中学時代からの友人が近所にイタリアレストランを開いたので、開店祝いをかねて食べにいく。ひとりではなんなので同級生の美人も誘った。
 こういう小さめの店は正確にはレストランではなくトラットリアというのだそうだがこれを人に伝えようとしてぼくはあやうく「テトペッテンソン」と言いそうになった。トラットリアー! タラットリアー! タットリラットレラー!
 晴れてオーナーシェフとなった友人であるが、もともとベルゲンという神戸では有名な一流店で長年働いており、その店の誇りを胸に「本格イタリアン」しか作りたくないのだという。そのベルゲンがなくなってしまい、他の店でしばらく働いていたのだが「へんなもの」を作らされそうになったので辞めて独立したのだそうだ。へんなものってなに。
 子供のころからのつきあいなので、この男がどちらかというと不器用な人間であるのはよく知っているのだけど、出てきた料理は本当にベルゲンと変わらぬというか、もしかするともっと立派な本格イタリアンで、どれもびっくりするくらいおいしいのだった。こんなすごいものを、あのド不器用だった男が作るのかと心底驚きましたよほんとに。人間どこにどんな才能が眠っているかわからないものだ。
 仕事場から近いので、ちょいちょい食べにいくことにする。

首切地蔵 10/8/06

 西脇市に首切地蔵というのがあって、なかなかおもしろそうな道があるようなので自転車で走ろうということでY氏と出かけたのだが、途中で入った未舗装の林道をこつこつ登ったところ、山の中でいきなり道がなくなっていて驚いた。
 これまでも、先が険しくなりすぎて自転車担いでは無理だとか、川があって向こうにいけないとか、すでに道なのかどうかもわからなくなっていてどっちに行っていいかわからないなんか暗いし怖いし獣の気配がするしこのままでは迷う飢える襲われる食われる死ぬというようなことは数知れずあったが、ここまではっきり道がなくなっているのは初めてである。
 突然道の途中が盛り土のように盛り上がっていて、十メートル四方くらいの台地が作られており、その周囲はただの森なのである。今来た道以外ぜーんぶ森。呆然とした我々は、そのわけのわからない台地の上で首を傾げながら弁当を食べ、首を傾げながらまた山を下り、首を傾げたまま帰ってきたのだった。あれはなんのための道なのだろうなあ。

日本シリーズのオプション 10/21/06

 プロ野球日本シリーズのテレビ放送をちらちら見ていると、日本ハムファイターズの先発メンバー名がずらりと並んだ一覧表の一番下に「ダルビッシュ有」と書いてあるのだった。当然「ダルビッシュ無」という場合もあるのだろう。さすがに日本シリーズともなると日本ハムもダルビッシュ装備仕様である。監督、どうします? そうやな、初戦は大事にいきたいから、ダルビッシュ付けといてもらおか。わかりました。聞いたかみんな、今日はダルビッシュ有りでいくぞーっ。おー。みたいな。
 ダルビッシュがあるとここぞというところで必殺の攻撃がくりだせたりするにちがいない。そして一発逆転のダルビッシュを使うとき選手は大声で叫ぶのである。「くらえっ。ダルビーッシュッ!」かっちょいー。

パソコンが壊れた 10/22/06

 最近フリーズばかりするなあと思ってOSを再インストールしてみたらろくに起動しなくなってしまった。あのなー珍しく締め切りが四つも五つも重なっとるというのになんで今壊れるわざとかいやがらせか祟りか呪いか地獄に堕ちるかモンキッキーかーっ。
 仕事関連の書類以外バックアップとってないし。全部消えるしかないのかiTunesの四千曲よ。途方に暮れ、とりあえずなんにもしないことにした。つーかなーんもできーんもーん。もうしらーんもーん。ぱっぱかぱあー。

なんとかデータは取り出せた 10/25/06

 親切な女子高生がiBookを貸してやろうというので、なんとかハードディスクの中身をいったんそのiBookへと移しDVDに焼く。やれやれ。大昔のG3を引っ張り出してきてこつこつデータを移しては恐ろしくとろいくせに一時間ほどかかったあげく「失敗しました」とぬけぬけぬかすボロCD焼き機で最小限のデータをいちいち焼くしかないかとあきらめかけていたところだったので助かった。
 物理フォーマットというのをやってからOSをインストールするとなんとか起動はするがやっぱりフリーズしまくり。でもしかたないのでおそるおそるだましだまし仕事する。なにがどうなっとるのかわからん。ときどき目の前のMacを真剣にぶちまわしたくなる。

親指シフトやめます 11/1/06

 いいえやめると言ったらやめます。ああやめてやるとも後悔なんかするもんかなにしようと俺の勝手だろっ。というか今回Macがクラッシュしたせいでしかたなくローマ字入力で文章を書くことが多く、まあこれも慣れたら使えるんちゃうかなと思うのである。Macの新しいOSに対応した親指シフト用ソフトがなくなりそうでもあるし、ローマ字入力でいいのなら今の不細工なJISキーボードでなくすっきりしたUSキーボードが使えるしUSキーボードのMacBookだって選べるし。いずれ新しい環境では親指シフトがまったく使えなくなる日がやってくるのはほぼまちがいないだろうし。
 だけどときどきくじけそうになるのだった。だって女の子だもん。というわけでここに宣言しておく。

片鉄ロマン街道ふたたび 11/4/06

 いろいろ余裕が無くあらゆる遊びの誘惑を振り切って暮らしているつもりだったが、突然「通の人が見てもかっこいいと思うような自転車が欲しい」となぜかやたらと見てくれのみにこだわって自転車買った輝鷹あち氏が初めてのロングライドにいっしょに行こうと言うのでそれならしかたないよなあと自分をごまかし数年前にも走った岡山和気の片鉄ロマン街道をのんびり走る。いつものY氏もいっしょ。
 輝鷹さんの自転車はTREKの6500というマウンテンバイク。買ってからまだそれほど経っていないのに見ればチェーンは油まみれで真っ黒のぐちゃぐちゃサドルはやたら低くなにやら不格好なジェル入りカバーがかけられておりまるでママチャリみたいな有様となっている。それでは力が入らんでしょうと忠告したらそうかなと適当に少し上げて、まあこんなもんかと無頓着に跨ってしまうのだった。職人技の名匠『TOMATO』による絶妙のセッティングはいきなり台無しである。
 結局コースの三分の一ほど、約五十キロを這うようなスローペースで走ったがそれでも後半輝鷹さんはものの見事にばててしまってさらに速度は落ち、ラスト付近など乳母車押した地元のおばあさんに抜かれたりした。
 しかし今の時期は自転車乗るのに最適だし天候にも恵まれたし、このコースはとにかく快適で楽しいし前にも思ったが地元の人たちはみんな親切で愛想いいし、亀よりのろいツーリングでも感動的に気持ちいいのだった。なんでこんなおもしろいこと今まで教えてくれなかったのだと輝鷹さんは興奮気味に言っていたが、あんたが聞く耳持たなかっただけでたぶんこれまで百万回くらい教えてあげたと思うよ。

解脱の気分 11/8/06

 親指シフトだと高速打鍵が可能なので思考を妨げられることなく文章が書けると今までぼくも思っていたし、多くの親指シフターは今なお主張するわけだが、ローマ字入力でも結局は慣れたらその点は同じなのではあるまいか。だいたい昔は手書きだったわけだし。絶対的な速さでは一音一打鍵の親指シフトが圧倒的に早いのは事実だが、大量の文書を書き写すとでもいうのならともかく、文章を考えながら打つとき打鍵のプロセスをほとんど意識しないのはローマ字入力でも同じであるような気がする。つまりは「手が勝手に動く」ほどに慣れてしまえばいいのである。ストレス無くある程度の速さで打てさえすれば、それ以上いくら速く打てたとしても小説を書くのには関係ないわけで、たしかに親指シフトはすぐれた入力方法ではあるが、作家の環境としては親指シフト一筋のとき考えていたほど突出してすぐれているわけでもないと、今回ローマ字入力を生まれて初めてきちんとやってみて強く感じた。
 親指シフト関係の掲示板なんかで「作家を目指しているので、最近になって親指シフトを始めました」などという人がいるけどあほか待てまて誰か止めてやれ。たしかにプロの作家でかたくなに親指シフトを使いつづける人は多いが、それは最初にたまたま覚えてしまったのが親指シフトだったから無理して使いつづけてきただけで、これほど環境の整えにくい状況の中でわざわざ(どうでもええが「わざわざ」はローマ字入力ではめちゃくちゃ打ちにくいのー)そんなもの使ってどうするのじゃ。少なくとも「小説を書く」というための文章入力であれば親指シフト環境を整えるためにあきらめなければならないことの多さを考えるとハードウェアの進歩に合った方法を選ぶ方が効率的なのはまちがいない。もっと早く決断すべきだったなあ。田中啓文さんももうあきらめた方がいいと思うよ。

とはいえ 11/14/06

 さすがに初めてのワープロ以来二十数年やってきた入力方法は体に染みついており、指が勝手に親指シフトのキーを叩くためタイプミスは頻繁に発生する。りゃ、とかちゅ、とかぴゅ、とかが打ちにくいなあ。ふぉとか、うぇとか、じゃとかはかえって打ちやすいけど。
 締め切りは今のところあと四つ。どんどん追い詰められて、焦燥感のあまり三船敏郎と淡路恵子の出ている寅さんとか『あらしのよるに』をぼんやり観たりする。昔のことわざにもあるとおり、こんなとき逃避しなくていつするのだ。

無償修理だそうだ 11/20/06

 JISキーボードがいやでなかなか買う決心がつかなかったMacBookだがぼくもう親指シフトいらんからUSキーボード使えるもんねとモデルチェンジした瞬間に新しいのを注文して、とりあえずそっちでなんでもできるようになったのでフリーズしまくりeMacに最後の手段「8回ランダムデータを書き込む」でフォーマットしようとしたら約二十時間かかっても終わらずどうやら途中で止まってしまったようす。虹色ぐるぐるが数時間続いている。途中で中止するとハードディスクが使えなくなる可能性がありますなどと警告が出たりしていたのでどうしていいかわからなくなりアップルのサポートセンターに電話してみた。
 驚いたことにぼくのeMacは無償修理の対象になっており、出ている症状はまさにその対象となるものなのだった。
 結局言われるがまま強制終了して修理に出すことにした。非常に感じのよいゴトウさんという女性が親切にあれこれと答えてくれたのでちょっと驚いた。アップルのサポセンサイテーみたいなことをけっこう耳にしていたのにそういうのはすでに昔話なのだろうか。待たされることもなく一発でかかったし。フリーダイアルだし。家まで取りに来てくれるというし本体のみ渡せば梱包など全部してくれるそうだし。
 しかしなあ買ってすぐにアップルに製品登録してるわけで、こういう不具合の可能性があるならメールくらいしてくれよ。わかってたらハードディスクのフォーマットなんかしなくてよかったのに。まあなんにしろパソコンが壊れるというのがこんなに精神的に応えるものかと今回身に染みて思い知ったことである。新しいMacBookを使っていてもまだちょっとしたアクションのたびにまたフリーズするのではないかとびくびくしてしまう。これはもう立派なPTSDだと思う。

Happy Hacking Keyboard 12/1/06

亜空間』の秋岡久太氏がいいよいいよーと勧めるので新しいキーボードを買った。ちょっと高かったけどProfessional2というのにする。色は白でキートップに字が書いてある方。さすがに無刻印や漆塗りを選ぶ根性はなかった。
 独立したテンキーやファンクションキー、矢印キーまでもがないのでかなりいろいろソフトの方でカスタマイズしないと使いにくいのだが、秋岡氏は必殺のA-K式というキーカスタマイズ方法を長年の試行錯誤の末に開発されており、ぼくはそのまんまを導入すれば簡単に快適な環境を手に入れることができたのだった。どういうものか詳しく書くと本一冊分くらいになってしまうので書かないけど、ひとことで言ってしまうと「文章作成のほぼすべての作業をホームポジションから離れることなく行えるようにする」ということである。なんだそんなことかと思う人も多いと思う。親指シフトを信仰していたときはぼくも秋岡氏が熱く語るのを聞きながら、別にホームポジションから離れてもええやんと思っとった。しかし実際やってみるとこれは想像以上に効率的である。本にして出版すればいいのに。
 ここまで徹底したカスタマイズを施してしまうと、自分の環境に慣れたとき他のマシンが極端に使いにくくなるということにもなりかねないのだが、親指シフトみたいにまったく別物ではなく基本的にはローマ字入力だし、自分のマシン以外での作業が日常的だというような人以外なら全然気にならないはずだ。これはすごいぞ。
 文字の入力という部分だけを取り出すとどうしても親指シフトでやる方が早いが、A-K式の場合その他の作業、つまり漢字変換や常時細かく行う編集作業などがびっくりするほど効率よくなるので、結果としてはもしかするとこっちの方が早いかもしれない。
 なにより今まで渋々使っていたeMac付属のJISかなキーボードとは比べものにならない快適なキータッチと、シンプル極まりないデザインが手に入ったのが嬉しい。昔使っていたアップル拡張キーボードというののタッチがぼくはとても気に入っていたのだが、あれよりさらにいい。長いことしょぼいキーボードで我慢していたせいか、気持ちいいキータッチが実に幸せ。仕事もはかどろうというものである。いやほんと。

ローマ字入力初 12/9/06

「羊山羊」四十枚とりあえず脱稿。生まれて初めてローマ字入力で小説書いた。

ひとまず終了 12/21/06

 とにかく厭な話を書けと言われた短編もなんとか脱稿。ギャグなし笑いなしスプラッター的描写なしという、武器を全部取り上げられたような依頼だったのでめちゃくちゃ時間かかった。これで追いまくられた状況からはとりあえず抜け出したが、しかしまだやることはあって、今日は国家プロジェクトの忘年会に参加するため大阪まで行ったが帰ってきてからまだ仕事する。とても働き者だ。

ピッコロベルゲンでひとり打ち上げ 12/27/06

 締め切りが重なったうえパソコンが壊れさらになんやかんやと面倒事が発生するという頼むもう勘弁してくれ二度としませんので許してくださいお願いしますどうか娘だけは的状況をなんとか脱したので、ふと思い立って打ち上げにひとりイタメシを食べにいく。というても開店以来しょっちゅう行ってるので別に特別でもなんでもないけど。
 ぼくはもともと食べ物には無頓着で、錠剤ひとつで一食分というようなものがあればそれですませたいと常々思っているし、化学調味料満載のコンビニ弁当でも自転車で山走りまくったあとなら死ぬほどうまいのでグルメを気取っているやつなんか食い意地はったただのあほやと思っていたのだけど、こうやってちゃんとした料理人の技によるちゃんとした料理を味わうのはそれはそれで幸せなことであるなあとここで食べるたび思うのだった。飢えたらなんでもうまいというのとはちがって、どう作ればよりおいしいかという職人の工夫を楽しむわけで、なるほどグルメな人の気持ちが少しわかった気がする。しかし開店当初に比べて客が増えてきていて、ひとりカウンターでだらだらビール飲みつづけるのはちょっと気が引ける。あんまり流行らんといてほしいなあ。

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