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e-Novelsの寄り合い 8/1/05

 大阪でe-Novelsの寄り合いがあって、どういうわけか罰ゲームかと思うほど大量のあんかけそばと麻婆豆腐が出る。ひとりあたりあんかけそば三つ麻婆豆腐五つくらいそれもそれぞれ巨大なお椀に入ったものが目の前に次々と並んでいく様はとても現実の出来事とは思えず見ているだけで頭がくらくらした。実に偏った献立だった。隣のテーブルには揚げ物があるのに我々のテーブルにはそれがないと田中啓文はぶつぶつ文句を言う。こっちには揚げ物がないなあ、なんでやろなあ。こっちには揚げ物来てへんやんなあ。向こうは揚げ物あるのになあ。こっちには揚げ物なんでないんやろなあ。あっちは揚げ物あってええなあ。揚げ物なんで向こうだけなんやろなあ。知らんがな。
 しかしまあそうなるのだろうなあと思っていたとおり結局北野勇作アホ大爆発に終始した。「俺親日派や言うてるやん。みんな親日派ちゃうんか」とか「小春がオタマジャクシやったら落ちるとき下に水がいる」とか。あとなんの脈絡もなく突然「俺は味方やで」と真顔で断言したりするのだった。なんの味方なのかは誰にも、おそらく本人にもわかっていないのである。「北野勇作はアホや」というのが常識となって久しいが、それでもなにかあるたび「ここまでアホとはなあ」と毎回人々を呆れさせるパワーには恐れ入る。誇張でもなんでもなく笑いすぎて疲れた。なんぼなんでもアホすぎや。

二度と巡り会えぬあれ 9/4/05

 味や匂いには鈍感なせいかあんまり食べ物に対して興味がなく、自分で料理するときもいつもめちゃくちゃ適当である。先日も買い物に行くのが面倒だったのであるものだけで適当に作ったのだが、これがびっくりするほどおいしくてびっくりした。
 材料はカレーのルーの冷凍したやつ、ご飯の冷凍したやつ、豚肉の冷凍したやつ、キムチ、玉子。
【作り方】
 ご飯と豚肉を解凍しておく。水だいたい350ccに凍ったカレールーを入れて溶かししばらく煮込む。醤油とか胡椒とか他にもなにか入れたかもしれないがそのときの思いつきなので覚えていない。豚肉を塩胡椒で炒める。ぐつぐついうカレーにご飯と炒めた豚肉とキムチを入れてしばらく煮込み、丼に移して玉子を落とす。
 真っ赤でどろどろしただけのへんなものになった。上に乗った玉子はともかくとても食べ物には見えないなにやら工業地帯の地面にあるなにかみたいである。ところが食べてみるとなにがよかったのか実に深みのあるよい味で、これなら人に出しても喜んでもらえるのではないかと本気で思った。あまりおいしかったのでもう一度食べたいと思い、ふたたび似たような材料をそろえておんなじように作ってみたのだがこれがまあびっくりするくらい似ても似つかぬまずいものでしかしなにをまちがえたのかわからず、今日またもう一度やってみたのだが、また今度は第三のへんなものができてしまいこれまた悲しくなるほどまずかった。あれはもう二度とできないような気がする。おいしかったのに。
 似たような経験を昔したことがあって、あれはボーイスカウトとかいうものに入っていた小学生のころだが、キャンプというか「野営訓練」の最終日のお昼ご飯でめちゃくちゃうまいさつま汁(のようなもの)ができた。最終日の昼ということは、それが終わると後かたづけをして帰るだけの状態であって食材が余ると帰りの荷物が重くて面倒なのである。だから我々じゃまくさがりの少年たちはなにひとつ余らないようありったけの食材を切り刻んで飯盒にぶちこんだのだった。材料はサツマイモと味噌の他なにがあったか覚えてないのだがタマネギとかあとなにか野菜ものはあったような気がする。水の量や調味料もすべて手当たり次第の適当である。そしてできあがったものは、さつま汁によく似たどろどろと黄土色をしたコロイド状の物質だったのだがこれがもう今思い出してもわくわくするくらいおしいかったのだった。食べたやつ全員目の色を変えて奪い合いになったくらいうまく、あれうまかったなあというのは会えば毎回話題になるほどで、その後野営訓練があるたび必ず「さつま汁みたいなあれ」をもう一度作ろうといろいろやってみたものの、さすがにあれほどいいかげんに作ったものを再現するのは不可能で、今に至るもあのとき以来一度もあのさつま汁みたいなあれを食べたことがない。こればかりは探偵ナイトスクープに依頼しても再現は不可能なのである。いったいなにをどうやったらあれになるのかなあ。

明石海峡大橋てっぺんツアー 9/10/05

 明石海峡大橋というのは神戸と淡路をつなぐ世界一の吊り橋で、二本の主塔は地球が丸いため下と上では十センチほど差があるというほどにでかいのだそうである。利用する人はそんなにいないのでとにかく大きい橋を架けたというその事実だけが自慢なのだそうだ。で、この主塔のてっぺんに登って景色を楽しみましょうというツアーがあって、高校時代の後輩である美人がぼくとY氏の分まで申し込んでくれたので橋はともかく美人の誘いを断るはずもなく犬みたいに喜んで参加する。
 ぼくは橋のケーブルに沿って主塔のてっぺんまで登るのだとばかり思っていて、それは大変そうやなあ恐いやろなあジェームス・ボンドみたいやなあと期待していたのだがそうではなくて車が走っている道路の部分の下にある点検用かなにかの道を通って主塔の下まで歩き、そこからエレベーターで上まで上がるのだった。なんじゃつまらんと思ったが、この通路というのの地面はグレッチングというのかよく溝の蓋に使われている網みたいなやつで、六十八メートルも遙か下方にある海面が丸見えなのである。実際体験しないとわかりにくいとは思うが六十八メートルというと六十八メートルなのでこれはもう人間の耐えられる高さではない。下を見るたび尻のあたりがきゅーっとなって恐くてたまらず見ないように歩いたがめちゃくちゃ緊張した。このツアー、犬には絶対無理。
 主塔のてっぺんは海上三百メートルである。一粒三百メートルはたいしたことないが海上三百メートルはとてつもない高さで、ちょっと下を覗くだけで尻から喉にかけてきゅーっとなる。めちゃくちゃ恐い。身を乗り出して下を見たり、あろうことか脚立の上に立って写真を撮ったりしているなにするねんあんた危地害か的な人も多かったがよくあんなことができるものだと思う。一メートル五十センチあるという柵から顔を出し両目を真下に向けるだけでも相当な勇気が必要だった。今思い出してもくらくらするほどだ。ああ恐かった。

ウーロンハイ 9/12/05

 ウーロンハイというものがあるのはずいぶん前から知っていたのだが飲んだことはなく、たまたま先日ウーロン茶があったので焼酎をそれで割って飲んでみたらけっこううまかった。それはいいのだが「ウーロンハイ」という呼び方は根本的にまちがっていると思う。チューハイというのは「焼酎のハイボール」を略しているわけで焼酎を炭酸水で割ったもののことでありましょう。なあ君ゆっくり考えてみたまえ焼酎をウーロン茶で割って、どこに「ハイ」がある。「焼酎のウーロン茶割り」をチューハイと同じように略すのであればこれは「チューウー」と呼ぶべきものなのではないか別にチューロンでもかまわないけどさ。なんでこんなアホな呼び方が定着したのかわけがわからん。だいたいそもそも「チューハイ」という名前からしてオリジナリティに乏しく語感も不細工で実にかっこ悪いのである。ウイスキーのソーダ割りのことをなにがどうなってか「ハイボール」などとかっこつけて呼ぶのなら焼酎のソーダ割りだって特に意味もなく「フォースダウンギャンブル」とか「バックサイドロデオフリップ」とか「円月殺法」とか「秘剣神隠し」とか「押し出し」とか「寄り切り」とか「うっちゃり」とかでよかったのに。いやどうしてもというのなら「小股掬い」でもいいよ。だれかなんとかせい。

甲子園で阪神ヤクルトを観戦 9/18/05

 プロ野球にはあんまり興味ないけど、先日明石海峡大橋のてっぺんにいっしょに登った美人がチケットをくれたのでY氏とふたり阪神ヤクルト戦を見に甲子園へ行く。グリーンシートといってバックネット裏の特等席である。ぼくの隣の席のおっちゃんは、ダフ屋からその席を二万三千円で買ったと言っていた。「二枚でですか?」と思わず訊いたものである。「いやいやひとり分やがな」「ほんまですか」「ほんまやがな」偉い高こついたわーと笑っておったがにわかには信じがたい額だ。その後もそのおっちゃんはずっとなにかと話しかけてきて「なんで能見やねんな安藤どないしとんねん。なあ」「あの真中いうのんには気ぃつけないかんのや」「おしっこ行ってくるわ」「わし和歌山からきましてん」と、たぶんまわりの人たちはぼくとそのおっちゃんが連れで、Y氏はひとりで来ているのだと思ったはずである。
 試合の方は前半でタイガースがボロ勝ちを決めてしまったので五回くらいからは退屈した。心地よい風が吹く涼しい中ぼくはうとうとしかけたがY氏はぐーすか寝ていた。単に野球の試合を楽しむだけならテレビの方がおもしろいかもなあ。ただあのとてつもない声援は実に異様で、どばーっと風船が飛ぶ光景とともになかなかの見物だった。
 大阪方面からの客が多いからだろうけど来ているのはほとんどがガラの悪いのばっかりで、選手ごとに決まっているらしい珍妙な応援歌を歌う人々はへんな宗教にはまりこんだアホの人たちにも見え、いったいなにがこの人たちをここまで熱狂させるのかと不思議でならない。不思議体験としてはめちゃくちゃおもしろかったが、ちょっと恐かった。
 あとストライクひとつで試合終了となると場内は「あと一球! あと一球!」の大コールの嵐となるのだが、その中ヤクルトのラミレスがファールを打ったとき、ぼくの後ろに座っていたアホ声のおっさんが「ラミレス空気読めーっ」と叫んだのはなかなかおもしろかった。ビール売りのお姉さんに中山エミリ似の明るい美人がいたのもよかった。

ロールシャッハキャベツ 9/21/05

 起きると枕元に置いてある夢のメモ用ノートに「ロールシャッハキャベツ」とだけ書かれていた。そういえばなんとなくそんなことを書いたような記憶があるが、どういう夢を見たのかはまったく覚えていない。そういうキャベツなのか、料理の名前なのか、それとも心理学に関係するなにかなのか。気になる。

吉備路の空 10/13/05

 なんとなくひとりで岡山へ行く。吉備路サイクリングロードというのがあるというので総社駅前からレンタサイクルを借りて備中一宮まで走る約二十キロのコースをだらだらと走った。総社の観光センターのおばさんがめちゃくちゃ親切な人で、と思っていたらその後レンタサイクルのおばさん、途中道を訊いたいろんなおっちゃんおばちゃん兄ちゃん姉ちゃん駅員タクシーの運転手薬局の美人うなじの美しいポニーテールの制服女子高生美少女(連れ去ろうかと思った)寺で話しかけた兄ちゃんおばちゃん、あらゆる人たちがみーんなびっくりするくらい親切でびっくりした。なんだかものすごく優しい土地柄のようである。
 さらに今日は明石でさえけっこう空がきれいだったのだが、吉備路の空はさすがに澄んでいてその美しさはいつまででも眺めていたいほど。田舎ではちょっと上を向いただけで視界のすべてが空となる。上向いて自転車走らせながらなぜか笑ってしまった。

中川家みたいな親子 10/14/05

 岡山へ向かう電車で、後ろの席に座っていた親子の会話が中川家の漫才みたいだった。声は聞こえるが姿は見えず、たぶん若い父親と三歳くらいの幼い男の子だろうと思う。
「これは? これは?」
「そんなんええんや。こっち先に食べんかいな」
「ほなこれは?」
「そっちはええねん。こっちを先に食べ……あっ、こぼしたやないか。なにをしとんねんおまえは」
「これは?」
「これはこれは言うな。そんなもんどうでもええねん、ほんまこぼしやがってめんどくさい……」
「んとな。あれ乗り換えるんは山行ってから?」
「なに急にわけわからんこと言うてんねん。山てなんやねん」
「ははは。だーれだ」
「ここにはおまえしかおらんやろ」
「これは?」
「ええから先にこっちを食え」
「だーれだ」
「もうええねんっ」
「あー、次の列車らつぎろつりろれっさ」
「舌まわってへんやないかアホやなあ」
「あははー。これは?」
「もうなんでも食うとけ。あっ、またこぼしたこいつはほんまに……」
「だーれだ」
「しるかいっ」
「これは?」
「やかましわ」
 子供のボケはともかく、この父親のつっこみは実にすばらしかった。

シチメンソウ 10/18/05

 ヘノオウの子と話していたら突然「あたしは実はシチメンソウやねん」と言い出した。
「それはなに。クリスマスに食べるやつの親戚?」
「そら七面鳥やろ。あたしはシチメンソウ……ちゃうな。そうや二十面相やった」
「二十面相? 変装するんかいな」
「あれ? なんかちゃうな。なんて言うの? 裏表のある性格の人」
 二重人格と言いたかったらしい。「二重人格」→「二十面相」はなんとなくわかるが「二十面相」→「シチメンソウ」の飛躍がよくわからない。

月 11/17/05

 夜遅く自転車で走っていたらほぼ真上に月があって、満月やなあきれいなあと思ってぼさっと見上げてみると月の周りに輪っかがあった。薄く曇っているときなどぼんやり輪が見えることがあるが、ああいうのとは少しようすが違ってとにかくめちゃくちゃ大きいのである。雲に反射して見える輪はたいてい月の直径の十倍くらいのものだろうけど、今夜のやつはだいたい四十倍から五十倍くらいあった。それほどはっきりしたものではなく煙か霧のように半透明の白色でおぼろげな、しかし見事な真円である。細い帯状なのだが内側はすかっとエッジが立っており外側に向かうにつれ薄くなっている。不思議なのは円の内側は少しも曇っておらず月を中心に澄んだ星空がくっきり見えていることで、まるで地球を覆う大気の一部分だけが丸く切り取られているかのようだった。そしてそのど真ん中に満月が輝いているのである。こんなに壮大できれいなものはめったにあるまいとどきどきしたが、数分で消えてしまった。なんだったのだろう。

またしても六甲縦走 11/23/05

 もう今年はやめとこな、とY氏もぼくも思っていたのだが共通の知人であるファイナンシャル・プランナーと飲んでいるとき縦走の話をしたら「出たい」「ぜひいっしょに連れてってくれ」などと言い出し、しかしそういうこと言う人は多いけど実際出る人なんかまずいないので安心していたらさっさと申し込んでしまったのだった。
 というわけで今回はファイナンシャル・プランナーを完走に導くことのみを目的として参加したのだが、さすがに営業で毎日十キロ程度は歩くというだけあってファイナンシャル・プランナーはがんがん歩く。摩耶山の登りで「ちょっと待ってくださ……」と息が切れて動けなくなりぜえぜえはあはあと倒れ込んだのでそれを眺めながらああこれはこのまま死ぬなとぼくはあきらめたのだが驚いたことに復活しアスファルトの道路に出たとたんものすごいペースで歩き出した。結局最後の方では口もきけず亡霊か昔のゾンビか夜中に叩き起こされた幼児かと思うほどに知性を失いどんよりよちよち歩きになってしまってはいたけど、ろくなトレーニングもしてないのに膝を傷めることもなくちゃんと完走したのだった。ファイナンシャル・プランナーってすごいなあ。

ハードゲイネタ 12/10/05

 毛皮っ、ファー! というのはどうでしょう。

江坂遊さんの講義を聴く 12/24/0
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 怒濤の忘年会アンドクリスマスパーティーラッシュもなんとか一段落もう鍋とケーキは食べたくない。今日は高井信さんに呼んでもらって神戸ハーバーランドまで江坂遊さんの小説講座の講義を聴きに行く。星さんのショートショートコンテストつながりで西秋生さんも来られていた。西さんとは初対面。ごっつい貫禄のある人だった。せっかくの機会なので同じくショートショートコンテスト受賞者の輝鷹あちさんにも声をかけてみたのだけど「カニ食べにいくから」ということで断られた。
 驚いたのは江坂さんの講義である。プロジェクターを持参したうえ、なんかいろいろとものすごくちゃんとしたものを見せつつものすごくちゃんとした話をされるのだった。ショートショートを書く方法というのをびっくりするくらい具体的に解説してもらったので、ぼくでもいくつかは書けるのではないかと思うというか絶対書けるという確信がある。かなり特殊なやり方だとは思うけど。
 終わってからの飲み会で江坂さんとゆっくり話をしようと思っていたのだが、酒が入ってまもなく江坂さんはただのアホのおっさんと化しまともな話などできなくなってしまっておった。「研修生」という名札をつけた店員(なぜか店員のほとんどが研修生というバッチをつけていた)に江坂さんは「そうか、君の名前はケン・シュウセイというんか」とか絡んだり誰かが「鶏の唐揚げ二人前」と注文するや「トリノカラアゲッ! ニニンマエカイッ!」と甲高い声で叫んだりそれはまさに北野勇作飯野文彦に並ぶアホっぷりであった。安心した。


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