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二日酔い 4/20/05

 さほど飲んだ覚えはないのに、昨日起きるとふらふらの二日酔いだった。かなりやばい感じだがしかし水飲んでも吐くというとこまではいってないだろうとがぶがぶ水を飲み、数十分後胃液とともに吐く。胃がひからびてしまってなんにも受け付けてくれないのだ。水も飲めない。こうなると人はどんどん干からびるしかないのである。これまでにもこういうのを数回経験しているからよく知っているのである自慢するわけではないけど。どんどん体力は失われ手はかさかさ唇ぱりぱり胃は痛くなり息をするのも苦しく立っていられなくなる。
 金曜土曜と続けざまに飲みに行き(一応金曜は仕事)日曜夜もひとりで機嫌よく『ブルース・オールマイティ』など見ながら少々多めに飲んだのは事実だが、ここ数年これほどまでの脱水症状に見舞われたことはない。先月ノロウィルスにやられて急に五キロほど痩せたのも一因か。
 病院行って点滴やってもらおうかとも思ったが、外出するのはもちろんもはや歩く気力もない。もっとひどくなると死の恐怖に襲われるため這いながらでも行かざるを得なくなるのはわかっているのだがまだそこまでではないという微妙な状態である。
 吐くのはしんどいので胃をからっぽにしたまま胃の痛みをこらえつつひたすら横になっていると夜になって手先がしびれはじめた。ああこれはやばい病院へ行こうしかし今は真夜中だとびびり這うようにベッドから出てとりあえずポカリスエットを飲む。数十分後気持ち悪くなって全部吐いたが多少元気が戻っているような気がする。もしかして吐いてしまってもほんの少しは体に養分が吸収されているのではないかと気づき、それから「ポカリスエットを飲む」「横になる」「気持ち悪くなる」「吐く」というのを数千回くりかえしてみた。その結果なんと最後にはなかなか吐き気がこなくなり胃の痛みもやわらぎ眠ることに成功したではないかこれはびっくり次に起きたときは水飲んでも吐かなかったすごい点滴なしで乗り切った。なるほどこうすればよかったのか二十年前にこのことを知っていればなあ。しかしこれはよいことを発見したはっはっは次回からはこの手でいこうもう安心だというかその前にもうあんまり酒飲まないようにしよう絶対そうしようと二日酔いのときいつも思うことを思う。体重はまた二キロほど落ちたけどこれはまあ水分が抜けた分だから水飲めば戻るはず。それが証拠に飲んでものんでも小便がほとんど出ない。ああしんどかった。

夢の中で空を飛ぶ 5/12/05

 空を飛ぶ夢を見た、というのとは少し違っていて夢の中で「これは現実ではなく今自分は夢を見ているのだからなんでもできるはずだ」と認識し自分の意志で飛んだのである。以前から明晰夢には興味があったので、夢の中でこれは夢に違いないと認識することはたまにあったもののなかなか飛ぶところまではいかなかった。とうとうやったのである実にいい気分だ。
 渋谷で飲んでいるとどうやら東京の一部が中国人に占拠されたらしいという声があちこちから聞こえる。帰ろうかと華奢な美人(誰かわからないがたぶん芸能人。ここは便宜上ニコール・キッドマンにしておく)の肩を抱いて駅の方へと歩いていくと突然高層ビルの明かりがいっせいに消え、次の瞬間すべてのビルが窓の光を利用した文字(クリスマスなんかにやるやつ)を表示し、それはどうやら中国語であるらしい。ぼくには意味がまったくわからなかったのだが他の人々は悲鳴を上げて逃げはじめ、ぼくもニコール・キッドマンとともにスーパーマーケットの地下倉庫のようなところへと逃げ込んだ。奥の方の事務所らしき場所に閉じこもったのも束の間すぐに中国人たちは怒号とともにやってきて事務所の扉は打ち破られてしまうのだが、そこで襲いかかってきた中国人たちというのがもはや人間ではなく牙を剥いた醜悪極まりない化け物たちで、その瞬間ぼくはああこれは夢なのだと考えたのだった。夢ならどうにでもなるはずと思い、咆吼する中国人の群へと突進しその体をいくつか突き破った後宙へと浮いた。天井まで上がってオフィスを抜け、窓から出てなぜか六本木ヒルズ上空をしばらく自在に飛行したのである。気分はマトリックス。これだけ非現実的なことをしているのに感覚は現実そのものであるところがなんとも素晴らしい。そのあと状況はふたたび悪夢へと変貌して恐怖のあまり目が覚めてしまったのだが、めちゃくちゃおもしろい体験だった。

ヒゲッ娘 5/18/05

 近所のコンビニに行ったらレジに見慣れないアルバイトがいて、若くて愛想もよくて可愛い女の子なのになんと鼻の下にヒゲを生やしているのだった。くっきり黒々とまではいかないので産毛といえなくもない範囲なのかもしれないけれど、それにしてはちゃんと黒いしどう見てもヒゲである。
 好みが細分化する今の時代眼鏡っ娘を好む人がいるようにヒゲっ娘も人気があったりするのだろうか。いやもしかしてあれ男なのか?

ドクターデビアスの斉藤さん 5/28/05

「ドクターデビアスの斉藤」と名乗る女の人から電話がかかってくる。今日で三度目である。「はい」と出ると「ドクターデビアスの斉藤ですけど」と言って、それさえ言えばみなまで言わずともすべてわかるであろうとばかり黙り込む。しかたないので「はあ」とだけ言って待つと今度は「奥様でいらっしゃいますか」と言うのだった。いつも「奥様『は』いらっしゃいますか」ではなく「奥様『で』いらっしゃいますか」と言うところが不思議なのである。ぼくの声、女の人の声と聞きまちがえるほど高くはあるまいどっちかというと無愛想で低い方だ。で、もちろんぼくは「奥様」ではないのでなにを言うとんのやこの女はと呆れつつ「いいえ」と答えるのだが、すると「ドクターデビアスの斉藤」さんは「す、すみません」とうろたえるようにして突然電話を切るのである。一度ならともかく二度も三度もおんなじことを。この人はなにがしたいのだろう。あほなん?

ホークスの松下選手 6/2/05

 松下かと思ったら「バティスタ」だった。テレビで野球をやっているのをふと見ると黒人らしき選手が映っているのにアナウンサーは「バッターは松下」と言う。へえーっこんなびっくりするほど黒人みたいな日本人がいるのだなあとせっかくびっくりしたのに。

美人の先生が 6/9/05

 教育テレビをふと見たら若い美人の先生が小学生に算数を教えていたのだけど、大きな三角形の中にたくさん平行線を引いた図形を見せながら何度もなんども「マスをかいて考えてみると」「マスをかかなくてもいいけど」「マスをかいたら」「マスをかく場合は」とくりかえし、黒板にもはっきり「マスをかいて考えてみよう」と書いているのだった。やるなあ教育テレビ。

フォーガットン 6/14/05

 少し前冬樹蛉氏が『フォーガットン』という映画の邦題はへんな表記で、なにやら播州弁みたいだと書いているのを読んだ。ほんまやなと思っていたのだが今日実家に帰ると手当たり次第に映画を見るうちの母親が「『フォーガットン』見てきてん」と言うので「へー、ふぉーがってきたんかあ」と言ってみたところ、あたりまえのように「そうそう、今日はふぉーがっとってん」と返してきた。やっぱり播州弁としてちゃんと使えるようである。
「忘れる」とはちょっとニュアンスの違う「ど忘れした状態が持続して心が落ち着かない」くらいの意味の言葉だとすると、うまく使えるのではないだろうか。「ふぉーがる」は実際にはそのように発音されるとして文字表記は「ほうがる」とする。
「あかん、まだほうがっとうわ」
「なにあんた、まだほうがっとんかいな。昨日もなんかほうがっとったやろ」
「そやねん。ずーっとほうがっとうねん」
「そういうたらな……、あ、わたしも今なに言お思たんか急にほうがってもた」
「あんたもほうがったん?」
「うん、ほうがった」
「なんやあんたらまたふたりしてほうがっとんかいな」
「そやねん」
 実際映画の内容もこのような会話がえんえんと続くものだったそうだ。

アマチュアのシャンソン歌手は言いにくい 6/17/05

 さっきNHKのアナウンサーが、あまつやのしゃんしょんかす、と言っていた。

チーム力の差 6/26/05

 阪神巨人戦のテレビ中継で、どういうプレーがあったのかは特に見てなかったので知らないがアナウンサーが解説者に「こういうのはやっぱり、チーム力の差と言ってしまっていいんでしょうかねえ」と訊ねたのだった。すると解説者はものすごく偉そうな口調で「いやいや。チーム力の差というのとは違ってね、まあなんというかプレーへの集中力ですわ」それから各選手の試合中の態度みたいなことをしばらく喋って「結局そういう集中力が今の阪神にはついとるというわけでね、もうこれはチーム力の差としか言いようがありませんわ」なんやねんそれとずっこけたことである。

へんな夜 7/4/05

 夜遅くコンビニでビールを買って店を出ると、自転車の前カゴにレジ袋に包まれたものが入っている。誰かがゴミを入れていったのかと思ってうんざりしたが、中を見ればまだ買ったばかりのいなり寿司が二パック。レシートや弁当屋の名前が書かれた割り箸も入っていて、いかにもこれから食べようと買ったものをそのまま入れた感じである。すぐ横にぼくのとそっくりな自転車があったので、これとまちがえたのかもしれないと思ってしばらく待っていたのだが誰も来ない。しかたなくとりあえずその自転車のカゴにいなり寿司を入れて逃げるように帰ってきた。なにも悪いことはしてないのだがなぜか後ろめたい。
 へんなことがあるものだと自転車を走らせていると仕事場のすぐそばにある公園にめちゃくちゃ大きな猫がいる、と思ってよくよく見たらタヌキだった。それも二匹いる。珍しかったのでそばまで寄ってみたがすぐには逃げず、なにかくれるならはよくれというような顔でこっちを眺めながらゆるゆる逃げる。なぜこんな住宅街にタヌキが。二匹も。
 ああびっくりしたと思って仕事場に戻るとしばらくして酔っぱらった友人が女の子をふたりつれて遊びにきて、驚いたことにスナック菓子とビールの他にいなり寿司を買ってきていたのだった。さっき見たのとは違う店のものだけどなんでまたいなり寿司。で、さっきそこでタヌキ見てんけど、と教えてやるとみんな口を揃えてそれはタヌキではなくアライグマにちがいないと言うのだった。そう言われるとアライグマだったような気もするのだがやはりあれはタヌキだったと思う。
 とにかく混乱する夜だった。

トレーニング特化型iPod 7/7/05

 最近はランニングするときiPodShuffleで適当な音楽を聴いているのだが、どうしても走るのに適した音楽とそうでないのがある。ジャズやクラシックではなかなか力が出ないような気がするのである。曲にもよるけど、やっぱりビートの効いたある程度テンポの速い曲の方が調子よく走れる。というわけで、トレーニング専用プレイリストを作ってみた。どういうものかというとつまり全部映画『ロッキー』のサントラにしてしまうのである。これは効きそうだ。
 たとえばウェイトトレーニングで、あと一回、もう一回、と苦しくなった十二回目十五回目、というとき、シルベスタ・スタローンのあの「ほんむっ」というようなちょっと頭悪そうな声を出すと不思議に、もう限界なのにもう一回できてしまうということがある。これをぼくは勝手に「ロッキー声」と呼んでいるのだが、この効果は予想以上に大きいので筋力アップを狙う人はぜひロッキー声を身につけることをお勧めする。
 嘘だと思うなら『ロッキー4』のサントラ「War」とか「Training Montage」を聞きながら、ロッキー声を出してみるがいい。多少疲れていてもがんがん走りたくなり、普段は上げられないウェイトがなせがぐいっと上がるはずだ。ほんむっ。

トレーニング特化型iPodの効果 7/8/05

 昨日作ったトレーニング専用プレイリストをさっそくランニングで試してみた。いやー元気もりもりやる気出る出る。想像していた以上に気持ちが高揚していきなりけっこうなハイペースで走りはじめマフェトン理論もふっとばして最後までとんでもないハイペースのまま走りきった。なにしろしんどくなってきて息が上がっても気分はロッキー"Eye of the Tiger" のイントロなんか流れてきたらいっそうペースも上がろうというものである。ときどきほむっほむっとロッキー声を出しそうになるのをぐっとこらえ異様なハイペースで走っていると今度は「ロッキーのテーマ」である。曲が終盤にさしかかるにつれほむほむほむほむ全力疾走に移り公園のベンチを飛び越えたりしたくなってくるが夜中にそれやってたらほんまもんのキチガイと思われるかもしれないし手頃な公園もない。けどこのときランニングコースに階段があったらぼくは確実にそのまま駆け上がって一番上で子供たちに囲まれジャンプしながら万歳してたな。なくてよかった。しかしまあこれはめちくゃちゃ楽しいのでみなさんもぜひ。

危険なロッキー効果 7/9/05

 ロッキー効果は今日も続く。あんまりハイペースで走るといろいろ体に問題が発生する可能性があるので、少しペースダウンを心がけて走ろうとしたものの恐るべきロッキーの影響からは逃れられず結局昨日とおんなじくらいがんばってしまった。なんせ走りはじめから十数分間いろんな種類の「ロッキーのテーマ」ばっかり続いたものだからどうしたってやる気まんまんにならざるを得ない。へとへとになってもうそろそろやめようと思ったときの"Burning Heart"にはよしとりあえずあと五キロ走ってみようくらいの威力がある。ここまで効果があるのなら、この世のスポーツ選手はみんなロッキー関係の音楽を聴きながら競技すればめちゃくちゃ記録が伸びるのではないかと思うのである。あまりにも効果がありすぎて体への悪影響が懸念されるとかでオリンピックをはじめとするあらゆる競技会ではそのうち「ロッキー関係聞くの禁止令」が出るようになるにちがいない。
 とぼくは思い、たまたま電話をかけてきた女の子にその旨熱く語ったところ馬鹿ではないのかという調子で「そんなんあんただけやで」と言われたので驚いた。もしかするとそうなのではないかなあとちょっと思っていたので余計に驚いた。だいたい人と話をしているときでもふとテレビからスター・ウォーズのテーマが聞こえただけで、異音に驚く森の小動物みたいな素早い反応をする人間がまともであるはずはないし、毎日夜中に走り回るのもどうかと思うし、雨の中自転車で走るのもまったく気が知れないし、とそこからえんえんとぼくがアホな人である証拠が語られたのだがそれはともかく、ロッキーの効果があるのはぼくだけなのかどうかが気になる。ぼくアホちゃうのになあ。

雨の日の夜の光景 7/17/05

 仕事場と実家の間にかなり長いまっすぐな道路があって、途中五百メートルくらいかけてゆっくり下りまた五百メートルくらいゆっくり上る超巨大ハーフパイプみたいなところがある。夜、そこを下りはじめようとするとき向かいからやはり下ろうとする車がやってくるとそのヘッドライトが道路に反射し、車が斜面に沿って下を向くと同時にこちらの足下から遙か遠くのその車めがけて光が一気に走る。雨で路面が濡れているとこの光は小さな発光体の集まりのように見え、それが猛烈なスピードで瞬時に路上を移動するさまはなかなか非現実的で美しい。
 先日雨の降った日の夜、ふと近くのガスタンクの方を見上げるとオーロラのような不思議な光が見えた。人がひとり浮かんでいるくらいの大きさに見えるのだがどうも距離感がはっきりしない。見ているとゆっくり形を変えているようにも見える。いったいなんなのだろうかとしばらく自転車を止めて眺めていたところ、どうやらどこかのネオンがガスタンクの表面に反射しているらしいとわかった。ガスタンクは巨大なもので薄いエメラルドグリーンに塗られており、その少々現実離れした大きさのせいもあってか街の灯りを反射した雨雲を背景にすると空との境目がまるではっきりしないのである。しかも表面はかすかではあるものの歪になっていて、反射された光がぼくの右目と左目とにはそれぞれ少し違った形で入ってきていたのも距離感を失わせる一因になっていたのではないかと思う。なんにしろ、美しく異様な光景だった。

モルモン教 7/24/05

 夕方コンビニを出たところでモルモン教の勧誘に掴まった。ワイシャツ黒ズボンに自転車用ヘルメットの白人二人組である。にこにこ「コンニチハ」というのでめんどうなものに掴まったなあと思いつつこんにちはと返すと、驚いたことにひとりがこう言ったのである。
「ロシアの方デスカ?」なんでやねん。明石の片田舎のコンビニでビール買って自転車に鍵をつっこんでいる見るからに日本人の男に向かっていったいなにがどうしてロシアノカタなのだ。
「いえあの、日本人ですけど。なんでですか」するともうひとりが「ナトナク、ソカナと思ッテ」理由になっとらん。なぜそう思ったのかを訊いとるのだ。
 すぐ近くに教会があるのでよかったらお話しませんかおいしいケーキもありますなどと言うのを、うちは代々隠れキリシタンだからとか適当なことを言って逃げ帰ってきた。あほやろあいつら。

お通夜での出来事 7/27/05

 友人の奥さんが病気で亡くなった。残された娘はまだ五歳である。通夜には大勢の人が集まって、友人は落ち着く暇もない。夜半も過ぎやっと一段落したとき、疲れとともに妻を亡くしたという実感に襲われたのだろう部屋の隅でがくりと半ば眠るようにうずくまってしまった。まわりのみんなもなんとなく声をかけづらく重苦しい雰囲気に包まれた中、携帯電話の呼び出し音が鳴った。生気を失った顔でゆっくりとポケットから電話を取り出した友人は、ぎょっとしたように身を強ばらせた。
「えっ?」と大きな声を上げたので、そばにいた何人かが携帯電話を覗き込む。「嫁さんからや」と言う。驚いたことに亡くなった奥さんからメールが来ていた。「お父さん、元気出して」と書かれていた。
 どういうことだとみんなでどきどきしていたのだが、見れば少し離れたところにいた娘が、奥さんの携帯電話を握りしめて目に涙をためている。幼い娘が奥さんの携帯電話を使ってメールを送信したというだけのことだったのだが、居合わせたみんな笑っていいのか泣いていいのかよくわからなかった。

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