舞踏舎 天鷄
鳥居えびす&田中陸奥子
Butoh-sha Tenkei
/ Works /
1994年2月26日〜27日

マイナス・ルート・とり (マイナス・ルート・とり)

私は水死体として舞踏に
発見されたことを忘れるわけにはいかない
その水性の身体が眺めた天体は
理解しないで獲得する
野生の館である

反転して裏返った眼球は
内部の官能の理解者であることもあるし
また
奥行きのない光を見ている観客でもある

開かれた口腔が
ぼんやりした私の存在のように
空虚であったとしても
私と関係なく内と外とが交感し合う
濡れ場であると思うのは無茶であろうか
その口腔の後先で記号化された音と
出会いつつ……友 遠方より来たり

手足は嘘からまことを作り出す
いやらしき現実野郎で
足手まといがからだの辺境にはある
でしばしば関係を脱臼させたりもする

肉は私に何を問うているのか
不安の全景を
安息の全景を
可能性の先の何かを希求して
いるはずなのに
私は希求しない
ただ「やばい」という痛みに似た言葉
幻覚を頼りに
母なる大地に回帰するはずである

肉体についての思い出話も
空中分解した私事の
破片を眺めるだけで
いっかな全体像に届かぬまま
奇妙な生き物を引き止
めっぎはぎしている
これもまた
狂気を装う準備体操である
舞踏舎 天鷄「ソウルの舞踏舎天鷄」
天鷄の舞台は濃密だった。1993年8月、韓国ソウル市のポスト劇場でのことだ。

ソウルの観客の熱い視線に晒されて、鳥居えびすが立っている。頭には洗濯物を干すハンガーを載せて、奇妙な衰弱の徴しを湛え、鳥居えびすが静かに慄えている。白い光の中で痔おり放たれる痴呆の坤き声。アウウウ…・アウウウ……。劇場の闇をさらってソウルの観客に届くのは、彼の内部で共振する死と生の心音だろうか。その坤き声は、いま立っている地点よりさらにマイナスの方向に、烏居えびすの夢みた場所があることを告げているよ帝だ。愚考の夢みた風景?両手を宙空に浮遊させて覚束のない歩行をくり返し、おもむろに投擲される身体。あきらめの通奏低音が響いている。誰か、見たことがあるのかなかったのか。不可思議の時間が過ぎてゆく。おかしみとかなしみが絢い混ぜになった時間。そこでは極めて自然に視線の転倒が行なわれるだろう。見ることと、見られること。最低の愚者と人いなる賢者と。月の光の下で、静かに発光する屍体から無垢の生命が立ち顕われるのを見たような錯角にとらわれる。それは呆けたように閑雅で陰影に充ちた情景だった。

舞踏舎 天鷄 天鷄の舞台は鳥居えびすの陰と田中陸奥子の陽によって造形されている。対峙しつつ融合する夫婦。ソウルでの田中陸奥子は地を這うアジアの舞姫として観客の視線を釘付けにした。舞うこと白体に内在されているだろう豊饒なるものへの畏れと祈りの感情が田中陸奥子の舞踏には溢れている。しかも彼女の豊饒さは、鳥居えびすのピョンシムチュム舞踏(韓国に古く伝わる病身舞いに通じるものがあるとキムメジヤは金梅子女史の言である)を内に孕みながら、むしろ舞踏白体を病みつきのカルマとして白らの身心に循還させてしまうしたたかさを武器にしている。地から天へ突きあげるようなアラビア風の歌謡を全身に纏って変幻する、終章近くの踊りは圧巻だった。滅び去った神殿の迷路の地図を舞い狂いながら次々と暴きたてて地上に踊り出た懐かしき太母の舞踏?もしも舞踏を見ることに至福の時問があるなら、この日の天鷄の舞台はまさにそれであつたろう。

ソウルの観客の熱い拍手が劇場をを包み込んだことは言うまでもない。
大きな劇場でやるのではありません。手に取るように観ていただけたら、うれしいのです。
南相吉
(舞踏フェスティバルinソウル制作者)

舞踏舎 天鷄 北沢タウンホール
1994年2月26日〜27日

主催/舞踏舎天鷄
作・振付・美術/鳥居えびす
舞台監督/米倉健一
照明デザイン/阿部喜郎
照明オペレーション/紺野尚子
音楽/曽我傑
宣伝芙術/中内正明
写真/蛭田良一
制作/長件公彦(エヌ企画)、山下陽子

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