Butoh Dance Company "Butoh-sha Tenkei"
Ebisu Torii and Mutsuko Tanaka
Butoh-sha Tenkei
/ Works

マイナス・ルート・とりNegative Root Tori

舞踏舎 天鷄
Kitazawa Town Hall Kole, Tokyo
1994.2.26-27
舞踏舎 天鷄「ソウルの舞踏舎天鷄」
天鷄の舞台は濃密だった。1993年8月、韓国ソウル市のポスト劇場でのことだ。

ソウルの観客の熱い視線に晒されて、鳥居えびすが立っている。頭には洗濯物を干すハンガーを載せて、奇妙な衰弱の徴しを湛え、鳥居えびすが静かに慄えている。白い光の中で痔おり放たれる痴呆の坤き声。アウウウ…・アウウウ……。劇場の闇をさらってソウルの観客に届くのは、彼の内部で共振する死と生の心音だろうか。その坤き声は、いま立っている地点よりさらにマイナスの方向に、烏居えびすの夢みた場所があることを告げているよ帝だ。愚考の夢みた風景?両手を宙空に浮遊させて覚束のない歩行をくり返し、おもむろに投擲される身体。あきらめの通奏低音が響いている。誰か、見たことがあるのかなかったのか。不可思議の時間が過ぎてゆく。おかしみとかなしみが絢い混ぜになった時間。そこでは極めて自然に視線の転倒が行なわれるだろう。見ることと、見られること。最低の愚者と人いなる賢者と。月の光の下で、静かに発光する屍体から無垢の生命が立ち顕われるのを見たような錯角にとらわれる。それは呆けたように閑雅で陰影に充ちた情景だった。

舞踏舎 天鷄 天鷄の舞台は鳥居えびすの陰と田中陸奥子の陽によって造形されている。対峙しつつ融合する夫婦。ソウルでの田中陸奥子は地を這うアジアの舞姫として観客の視線を釘付けにした。舞うこと白体に内在されているだろう豊饒なるものへの畏れと祈りの感情が田中陸奥子の舞踏には溢れている。しかも彼女の豊饒さは、鳥居えびすのピョンシムチュム舞踏(韓国に古く伝わる病身舞いに通じるものがあるとキムメジヤは金梅子女史の言である)を内に孕みながら、むしろ舞踏白体を病みつきのカルマとして白らの身心に循還させてしまうしたたかさを武器にしている。地から天へ突きあげるようなアラビア風の歌謡を全身に纏って変幻する、終章近くの踊りは圧巻だった。滅び去った神殿の迷路の地図を舞い狂いながら次々と暴きたてて地上に踊り出た懐かしき太母の舞踏?もしも舞踏を見ることに至福の時問があるなら、この日の天鷄の舞台はまさにそれであつたろう。

ソウルの観客の熱い拍手が劇場をを包み込んだことは言うまでもない。
大きな劇場でやるのではありません。手に取るように観ていただけたら、うれしいのです。
南相吉
(舞踏フェスティバルinソウル制作者)

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