舞踏舎 天鷄
鳥居えびす&田中陸奥子
Butoh-sha Tenkei
/ Works /
1997年11月11日(火)・12日(水)・13日(木)/シアタートラム

『女中たち』

ギャッとしたものを ギュッとつかみとりたい
キッチュでキャッシュな取引き
劇場 浴場 鉄火場
このオニギリ状の
このヨダレ状の身体感覚
マイとマヒのフルマイ
あねさんつぼふりお願いします
舞踏舎 天鷄

作・振付・美術:烏居えびす
舞踏手:田中陸奥子、勝又敬子、桜井ゆり、
上田ユカリ、海老根由姫、永野雅子、
市木裕子、鳥居えびす
舞台監督:伊藤重弘
音楽:曽我傑
照明:阿部喜郎
宣伝美術:鳥井孝嗣
写真:今井由佳
協力:草莽塾、族長の足袋、
株式会社イーストクルー、
ペンションコスモラマ
制作:長井公彦
主催:エヌ企画
共催:世田谷パブリックシアター
協賛:トヨタ自動車株式会社

華麗なる「女中たち」

古代母神の如く、らくだのライオンたる田中陸奥子。
豹の如く敏捷さとノビを持つ勝又敬子。
東北の風を充分に妊み何気なく運ぶ桜井ゆり。彼女達は大駱駝駝艦の一時期を担った女流名舞踏手達である。
無垢にしてなおしたゝか、土方巽をして何故か陛下と言わしめた鳥居夷の振鋳(演出、振付)による「女中たち」は個性ある三態の様を見るだけでも楽しみであるが、遊びゴッコの軽快さ、楽しさとその裏に潜む醜怪さと華麗さとで織り成される水中楼閣へ誘なわれたいとの期待をも持てる演し物である。

麿赤兒(大駱駝艦・主宰)

燗熱の母胎舞踏

年代が少しずつ違うが、大駱駝艦に在籍していた女三人の舞踏會とは、大駱駝艦やその他舞踏の男どもをまとめて盆にのせ、動く白い尻をナイフで突きまくるイメージで迫る快挙である。
少女期に大駱駝艦に拉致され、そこで男と女を識り、麿赤兒たちと離別して成熟の度合いを深めていった女たちである。片時も舞踏を忘れず、母胎としての安定と凄みで男を支えてきた、これは女二人の燗熟であり男への復讐である。
女は男に作られる前に母胎であり、生まれた時から膣に武器を仕込んでいる。孕み嘔吐して女が年齢を加える内側を、だれが覗きうるだろう。男達は征服感に酔いしれるだけ、女達の熱成の度合いを伺い識ることはできない。日焼けした肌から、ポロリと剥げ落ちる魔窟の叫び、聞いてみよう。メラメラと爪先から炎をあげ、赫い舌ちらっかせ、巨き尻ふるわせる母胎舞踏、いまこそ技(わざ)の榮える時期である。
その証拠に、異国人も絶賛する田中陸奥子の舞踏舎天鷄のニューヨーク公演、田中、勝又敬子がアートスフィアの.『パ・ドゥ・カトル』で見せた技の冴え。桜井ゆりの桜吹雪道中の結末。どれも盛りを得た女達の盤石の舞踏であった。
来年は土方巽の十三回忌舞踏年、「死は時が経つと強烈によみがえる」ことを、彼女たちも身をもって具現してくれるに違いない。

長谷川六(ダンスワーク編集長)

女中「みちの」について

戦前のことだが、私の家には「たけの」「すえの」「みちの」という三人の女中がいた。華道の家元であった母は外出がちで、三人の子供の世話を女中にまかせるしかなかった。女中頭の「たけの」は姉付きで、色は浅黒いが、気風のよい江戸っ子であった。「すえの」は山形県出身で、ぽってりとした丸顔で頬がりんごのように紅かった。動作が鈍く廊下を雑巾掛けすると、ガラス戸がガタガタと嶋った。時折、柳行李から手紙を出し、読んでは泣いていた。「すえの」は私付きであったが、私は弟付きの「みちの」が一番気に入っていた。「みちの」は丹後の出の面長の美人で、やゝ下り眉、性質が穏やかで、やさしい声で弟をあやしていた。
ある日、なぜか「みちの」と二人きりの時、なかなか寝付かない私に添い寝をして乳をふくませてくれた。いい匂いがした。私は思わず千切れるほど乳首を噛んで傷を負わせてしまった。
その事件がもとで、女中三人の文字通り姦しい騒ぎが起きたらしい。やがて「みちの」は里へ帰り、それから五十数年が経つ。今「みちの」は琵琶湖のほとりで孫たちに囲まれて幸せに暮しているという。
男はおおかた母に女の原形を見るのだが、私は「みちの」にそれを見ていた。
私は今回の『女中たち』を、そんな私の「女の原風景」に重ね合わせて観ることになるであろう。
こがらしや女は抱く胸をもつ   加藤楸邨

千羽理芳(古流松應会・家元)

CopyRight © Butoh-sha Tenkei All Right Reserved.