舞踏舎 天鷄
鳥居えびす&田中陸奥子
Butoh-sha Tenkei
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「彼方」批評/ロサンジェルス・タイムス誌

魂の救済のフィナーレへ衝撃的なシーンの数々 by ルイス・シーガル

日米劇場の舞台奥、横長にこしらえられたひな壇から天鷄の舞姫、田中陸奥子がステージに舞い降り、息つくまもなく、憑かれたように巨大な柿色のマントを振り回し、リズミカルな打楽器の高まりに挑んでいく。よろめき、震え、グロテスクに頭を垂れ、時に鉤爪で空をかきむしる、彼女のソロはまさしく日本の新表現主義の精華、舞踏の最高峰である。しかし、その舞踏の果てしない広がりは同時代的な身体演劇が称揚する熱情と直截さへの旅立ちをも明瞭に示している。

舞踏舎 天鷄 こうした新鮮な驚きに満ちたシーンの数々で、鳥居えびすの新作『彼方』は、土曜の夜、ウェストコーストでの幕開けを迎えた。上田ユカリとサイトウカオリのデュオは、一方が天井から吊された縄に昇ろうとして果たせぬ様で舞踏の典型を、もう一方がラテンジャズのステップの奇妙な模倣を心も虚ろな歓喜の表情で踊ってみせ舞踏の非典型を、巧妙な対比のうちに展開した。

鳥居と田中はそれぞれの舞踏家としての一歩を、あの偉大なる混沌、大駱駝艦とともに始めた。大駱駝鑑の舞台がともすれば人生を終わることのない苦界、あるいは圧倒的な狂気の発露として描くのに対し、天鷄の『彼方』はそれを、横たわる二人の天女を従えた鳥居が差し招く他界へのきざはしとして捉えているようだ。最後のソロで田中は鳥居たちが待ちうける舞台奥のひな壇に帰っていく。人生で初めての、そして最後の奇跡に触れたひとの驚愕に満ち、彼女は情熱に駆られるまま一瞥だにしてこなかった世界に静かに別れを告げるのである。

『マラー・サド』にワイルダーの『わが町』を加えたものを思い浮かべれば、抑えがたい衝動の発露が彼等を暴力的に突き動かし、やがては深い諦観の海へ導いていく様も驚くにはあたらないだろう。残されたわれわれに対し曽我傑による絶妙な平行音楽、池亀誠一郎の照明プランの冴え、そして何より田中による狂気から正気に至るまで微妙に色わけされた悲しみの深さが、この世のものとも思われない魂の救済の劇を開示していく。サイトウ・カオリの狂乱マンボのはてにこのような世界が開かれると、誰が予想し得ただろうか。

天鷄は本作品を、昨年12月世を去った地元のプロデューサー、ダーリン・ニールに捧げている。大団円の魂の救済劇もまた意味無しとしない、のである


作品紹介→WORKS / 1999 彼方1999
出典HP→ロサンジェルス・タイムス


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