2006/2/10

やってきためだかさまたち
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今日もオフ。家事にいそしむ。
昼前に宅急便が。
そう、待ってためだかさまたちが到着。
だいぶ子供も増えてにぎやかになってきつつあるうちのめだかさまたちの水槽だけれど、
なんか同じ色ばっかりの子になってきたので、
もうちょいにぎやかにしてやろうと、違う色の子たちを送ってもらったのだな。
今回は半ダルマってやつとブチメダカという種類。
ダルマはなんか胴が短くてダルマのように丸い種。
ブチメダカは赤くてごまのような黒い斑点があるようなちっさな種。
これらが30匹ぐらいやってきた。わーい。
あたためたり水に慣らしたりして、合流させる。
一気に水槽がにぎやかになった。あ〜楽しい♪
2006/2/9
夕方、M'sHallにEDFのメンバーで集まって、ちょっと相談ごと。
14,5年バンドやってきて、実はこんなこと初めてだったりする。
だいたいリハーサル自体もほとんどやったことがない(^o^;。
T中くんがはじめて参加しだしたころに、ざざーっと曲をやったことがあるぐらいか。
毎回レパートリーは増えるたびにその場でちょっとやってみて、あとは本番でこなれていってるのだな。
おそろしや。
で、何の相談だったかというと、それは、ヒミツです(笑)
2006/2/8
オフ。昨日のRECで結構パワー使ったようでへたへただったので家のんびーり。
2006/2/7
ちょっとまえに突然頼まれてさるレコーディングに。
そういやプリプロ作ってるとき見てたなぁと思い出す。
いろいろ事情あって僕のところにきたそうな。
いってみるとベーシックの部分はできあがってたので、
そっからどういう上ものを乗せていくかっていう部分からの参加となった。
どういう仕上がりがいいのかーとかを相談しながら、いろいろ試していく。
ソロっぽいものをずーっと入れたあとに、
それと同時にやってたのか、まるでアレンジされたかのようなセクションもいれて、
あとちょっとお馬鹿なフルートまでいれてみた、うんうん、いい感じだぞ。
歌入れのあと、結局コーラスまで参加。最後の完成までつきあった。
とってもいいのが出来上がって(カバー物だったのだが、モノホンよりいいぞ)みんなで大喜び。
気楽というかすきにいろいろためさせてもらう時間をもらえるぐらい、ゆっくりした、
いろいろ曲のイメージをちゃんと伝えてくれたり、こっちのアイデアに耳を貸してくれるとか、
なんかえぇ感じのレコーディングだった。やっぱこういうバンドというか連中好きだワン。
出来上がったばかりの曲を仮MIXして車で何度も聴きながら帰る。うん、楽しい。
2006/2/6
朝はよから例の土建屋さんへ。やっぱりネットがぜんぜんだめで、
その様子をちゃんと把握するためにみんなが出社すると同時ぐらいからモニタしてみる。
結局予想通りだった。BフレッツのIP割り当てがどーもおかしいらしい。
NTTに連絡して、現状を伝えると、「そんなの初めての現象です」ということらしく、
結局NTT内の配線(つながり先)を変えてもらって様子を見ることに。それで直るといいのだが。
中途半端な時間になってしまったのだが、そのまま大阪で時間つぶしてるのも退屈なので、
いったん家に戻ってうだっと。んでからまた出かける。
14日のリハ。今回はタイコがA川さんに変わってのJ&S。
みんなは馴染みなんだけれど、僕だけはじめて。
A川さんのタイコもこれまた歌うえー感じのタイコで楽しい。
新しくやる曲とかなんだかんだを確認して、今日は軽めに上がる。
Mコちゃん、Yちゃんを送って帰宅。ねむ。
2006/2/5
昼前に起きる。ばたばたでしばらくやってなかった掃除やら洗濯やらをする。
やっぱりこうやって家事をしてるとなんとなく気分が落ち着くのよね。
ついでに一番やりたかっためだか様たちの水槽の掃除に着手。
これって簡単なことなのだけれど結構時間がかかるのよね、毎回。
大人水槽(子供水槽と2つあるの)のめだか様たちを退避させたあとに、
水草とかをあらってたら大量の卵発見。それらをいちいちとって
(めだかの卵は結構硬くて指でつまんでも割れないのだ。
逆にちょっと悪いやつとか腐ってるやつはつぶれる)
別の入れ物にいれるって作業をやってたら、1時間以上かかった(30個以上あった)。
大人水槽をやっつけた(笑)後、つぎに子供水槽に取り掛かるが、
まずちょっとおっきくなった子供たちを退避させて、
まだまだ小さい子供たちをまた別に退避させて(細かくて非常に捕まえにくい)、
水槽をあらう。やっとこさきれいになった。
大人水槽におっきくなった子供たちの一部を引越しさせて
(混ぜてしまうとどれがどれかわからなくなる)、子供水槽ももとにもどして完了。
あーきれいになった、うれしぃ。めだか様たちも何気にうれしそう(な、気がする)。
悲しいことに大人一匹調子くずしたみたいで(水変わったり、水温の変化に弱いからね)、
死んでしまった、涙。ちっさなものでもいなくなるのは寂しい。
2006/2/4
SOULFEVER@南堀江KNAVE
昼過ぎにお店に入るが、土曜日なのに、メンバーで仕事の人が多くぜんぜん揃わない。
なので逆リハのはずだったのだが、無理なので、
OpeningActのバンドNIGHT WALKERDに先にリハやってもらう。
その間にやっとこさメンバーも揃い始め(Mコちゃんがただいま腰痛で大変しんどそう)リハをやる。
時間もあまりないので、曲の確認とか、肝心な部分のつなぎの手はずを確認しておわり。
外はほんと寒い。ご飯を食べに行くだけで凍えそう。
久しぶりのHっくんとMコちゃんとうだうだしたり。
戻ってNIGHT WALKERDを聴いたり、楽屋でうだうだしてるうちに本番。
年末のセットと同じようにSOULもんをわっとやったあとにDISCOタイム。
今回は曲をまったくきらずに全部つないでやった。お客さんもよろこんでくれたようで、
みんな踊りちぎり状態になって、めちゃ楽しかった。
終わって片付けてから、ちょっとうだっとしてから神戸へ。
今日は2本立て。NO_QUARTER@深江ZINK
久しぶり(1年はいかないけれど)のZINK。なんか入り口付近がきれいになった気もする。
大量にあった漫画がなくなった(涙)。到着するとイベントは始まってて、
NO_QUARTERの連中もうだうだ。なかなか終わらないビリヤードしたり、バンド見たり。
今回もレベル高い感じで、naam'はまた見れなかったm(_ _)m けれど、
middle9もasanaもすごいカッコよかった。DJもVJもいい感じ。
で、NO_QUARTERの本番。
今回は自分でエフェクターもっていったのだけれど、事前にちゃんと確認してなかったので、
思った感じのエフェクトにならなくて(よくわからなかった)、自分的にそれがダメだった。
今回は少ない目の人数(最少か?)だったので、
全体的にちょっとJazzっぽい(ぼくがフロント一人だから?)感じだったな。
もっとアンビエントな感じになりたいのだが。
エフェクトをもっと使ってみたいなーと思う。
でも結局どんな出音になってたのか分からないので、録音(したのか?)聴いてみたいなーと。
オールになるとつらいので適当に切り上げて帰宅、眠い・・・
2006/2/3
故 市川修氏のお別れ会にいってきた。
ちょっと遅れて到着すると、すでに会は始まってたのだけれど、
びっくりするくらいたくさんの人が参列していた。
親族から友達、そしてミュージシャン諸氏。
彼と交流あったひとのほとんどが来てたんちゃうかな?
ミュージシャンもほんまよーけいた。関西の半分ぐらいいたような気がする。
その後もぞくぞくと人はやってきて、最終的には300人以上になった。
市川さんは、無論昔から名前とか話とか、見たりして知ってはいたけれど、
一緒に演奏するようになったのはごくごく最近で、タイガくんとかMITCHとかを通して。
だからそんなによく知ってる人というわけではなかった。
だから、倒れはって(その日一緒にライブするはずだった)、んで、先月31日亡くなって・・・
と事態が急展開しても、実感なかったし、
周りの縁深かった人たちのように、涙でてどーも、というようなことなかった。
今朝もふつうに家をでて、京都の会場までいった。
音楽葬をやる、ということだったので、MITCHをはじめとするブラスバンドからはじまって、
親交あったミュージシャンが入れ替わり立ち代り、
とにかくにぎやかなことが好きだった市川さんのために、いっぱい演奏した。
そこまではぜんぜん普通にいられたのに、いざ献花するとなったときに、
なんだかいきなりわけわからない気持ちがわーっとでてきて、
気づくとぽろぽろ(; ;)。
ついこないだピアノ弾いてくるくる回ってた人がなんでこんな箱の中におんねや?ぜんぜんわからんー、と思いながらも涙が止まらない。
うれしくて泣くことはよくあるけれど、悲しくて泣いたりしたことなかったのに、
まだ知り合ってそんな経ってない人を前にして、何故こんなに涙が・・・?自分でもわからない。わからないから、
棺桶にキスしてお別れした。
その後、ブラスバンドを先頭にみんなで階下に棺桶を順に運んでいった。
曲がゆったりした行進曲からゴスペルに変わると、階下の駐車場に集った人たちみんなで手拍子して、
楽器できるひと、タップの人はみんなで派手に派手に心をこめて演奏して、
最後、車に乗せる前にみんなでかかえあげて(まるで神輿のように)、みんなで送りだした。
お別れ会はこうしておわったけれど、
まだ何か物足りないというか釈然としないので、S水さんとかMITCHとかと連れ立って火葬場にもついて行った。
なんでそんなことをするのか自分でもよくわかんない。でも行きたかったのでいった。
市川さんのように、やりたいと思うようにやらないとアカン、と思ったのかもしれない。
約1時間ぐらいの間、みんなで市川さんの話したりなんだりうだうだしていたら、終わりました、というので、
お骨を拾いに。なんでこんなことしてんのか、やっぱり自分でもわからない。
自分の親族の葬式でもたしかお骨を拾いにいったことはない(多分)。
なのになんで市川さんのに来てるんか、自分でもわからん。
こないだまで、じっとしていられずに常に動きつづけていた人はいつの間にかいなくなって、
今、目の前には、白い骨が横たわってる。迷いのない真っ白。みんなが愛した人は、よくしゃべりよく踊った人は、
今、何か違うものになってしまった。あの人はどこにいってしまったのだろか?
人って何?誰?生きてるってどういうこと?
よくわからない気持ちだけがぐるぐるまわりながら、
いくつか骨を拾わせてもらった。
いっちゃんは頑丈だったけれど、やっぱり骨も頑丈そうな太い骨だった。
でも、よく分からない、これがいっちゃんだったのかどうかってこと。
目を瞑ったら出てくるもん「スイングしようや」って
しかしたくさんの人に愛された人だったのね。
人が単にたくさんあつまるお葬式っていっぱいあるけれど。
ミュージシャンって人種は、言ってしまえばお互い仕事の関係である(簡単には)はずなのに、
言い方悪いけれど、サラリーマンとかのああいう仕事関係とはぜんぜん違うようで、
こういうときになると、師であり仲間であり友であり、そして何よりも尊敬すべき先人である、
ってことを強く思うのかもしれないな(僕だけがそう思うのかも)。
市川さんは(字で書いちゃうととても陳腐になるけれど)偉大な人だった。
音楽を、人を、知る人だったと思う。
とくにJazz界にとっては大きな損失だ。もうあの人から何かを直接伝えてもらうことはできなくなってしまった。
僕にとってはレコードとかだけで知る偉大な数々のミュージシャン達と同様で、
この人がいなくなってしまったことのショックを(しかもこの場合はリアルタイムに)感じている。
なんかめちゃくちゃ悲しいぞ。別れをこんなに悲しいと感じるなんて。
僕の愛する人たち、どうか僕より先に死んでね。
みんなちゃんと見送るから。こんなに悲しい思いを愛する人たちにはさせたくない。
いっちゃん、安らかに。Amen。
2006/2/2
お昼からUNITED SOUL HORNZのミーティングというか音作り。
前回のミーティングではどうしてもヘッドアレンジだけではイメージ出きらなかったので、
秘密アジト(?)に集まって具体的なアレンジ作業を。
事前に方向性だけはだしていたので、思ったよりもいい感じに作業は進み、
Mコちゃんの調子もよかった(こういう作業では彼の意見が大きいのよ)ので、
途中で迷路に落ち込むこともほぼなく、しかも結構長時間にわたる作業だったのに、
3人とも我慢強くやって(途中からなぜか僕はパソコンのお守りだったけど・・・)、
なんとか完了、6時間ぐらいやったもんな。でも1曲しかしてないけど。
その後腹も減ったので鍋をしてまったり。おいしいやつをご馳走さま。
Mコちゃんを送って帰る。
2006/2/1
夜、梅田AZULへ。2度目。
今夜はA玉くんにAさん、んでT田さん。
ちょっとぎりぎりの到着になってしまった(なんだか遠回りしてしまった)ので、
準備して曲の相談してすぐにステージへ。
今回はちょっとテナーがやります的な感じの選曲にしてみた。
なんか自分的にちょっと勢いあまった感じで、
トリオがすごくいい感じにサポートしてくれるのに、こっちがひとりぎくしゃくしてしまって、
自分的にすごい残念。はぁぁ。
相変わらずご飯がおいしかった♪うれし。