〜 過去の日記 〜

May 1 - 10



2000/5/10
引き続きからだの調子が悪い。 今週は今日だけ夜の予定のない日で、 本当はツアーのメンツたちと寿司食いに行こう!と行っていたのだけど、 降り積もった仕事の片付けに追われて時間がなくなる。

帰りがけに少し買物をしてついでに食事もするが、 もうふらふら。 腹が減ってたせいもあったと思うが、 今回は希に見る熱の引かなさが原因。 大丈夫かなぁ。


2000/5/9
日本はほんと平穏だなぁとつくづく実感。

だからか、それとも張り詰めていた気が抜けたか、 単に休みがずーーーっとなかったせいかダウン。 一向に熱が下がらない。 が、仕事をサボる訳にもいかないので、 つらい体に鞭打ち中。 あぁ、日曜日が待ち遠しい。

夜、米ちゃんのコンサートを見にいった。 前回のツアーを見た時もそうだったんだけど (というかコンサートとかを見に行くと大抵そうなってしまう)、 コンサートを楽しむより先にいろいろ研究してしまう癖が。

特に今日の場合はツアー直後なんで、 自分達がやってきた事との差がよく見えて、 大変勉強になった。 やっぱり設備って大事・・・・・・・・・

それとステージ上の人間の完璧さ、ね。 バンドもそうだけど、 米ちゃん自身もダンサーの皆もよくあそこまで徹底してできるな、 とほとほと感心させられた。

先日までのツアーで自分ができなかったこと、 反省点がよく見えた。 よーく反芻して今後に生かそう。


2000/5/8
帰国日。

ふと思った事。 今日僕らはこうやって飛行機で日本に帰る。 疲れ果てて帰る人もいるし、帰るのを惜しんで帰る人もいるだろう。 でも同じ飛行機に日本へ「行く」人がいる。 旅の終わりと旅のはじまりの人たちが同じ空間に同居している。 これってなんだか不思議な感じ。

広州から関空への中国南方航空の直交便は一日一本でしかも朝早い。 しかも僕らは荷物が無茶苦茶多い(=ウェイトチャージが掛かる)ので、 その交渉にも(また交渉で条件が変わったりするのが凄い、 さすが中国)時間がかかるので、 ホテルを出たのは朝6時。

やっぱり交渉は難航したけれど(って中国側スタッフの苦労の賜物です)、 前回よりは大分余裕(出発まで30分程度)で出国。 一番お世話になった劉さんと挨拶を交わし、国外へでた。

関空までは飛行時間は4時間弱。 ほんとに近い。 少し眠ろうかな(というか前の晩寝てないので)とも思ったけど、 機内上映の映画(ターザン:中国語だと泰山(笑))を見てしまったのと、 すこし原稿の下書き・整理をする必要があったので、 眠らずに作業をしているとすぐに着いてしまった。

11日ぶりの日本。 みんなは24日ぶりの日本。 やっぱり整理されているというか綺麗というか・・・。 あの中国の独特のごちゃごちゃ感が懐かしい。

今回初めて、税関で荷物をひっくり返されなかった。 風貌と持ち物(たいてい楽器)のせいだとおもうのだけど、 今までは100%の確率で荷物をどれか開けさせられてたんだけど、 今日はなかった。 なんだか得した気分。 でもなんだか物足りないような気も(笑)。

空港内でみんなとしばらくダベる。 さすがに荷物が多いので、 大半のメンバーが車無しでは帰れない。 その段取りに手間取っている様子。 僕はぎりぎり一人で動ける(笑)量なので、 先にバスで帰る事に。

帰宅後、 部屋はあわただしく出発したときのまま。 疲れていたのでそのままソファーに倒れ込んだ。


2000/5/7
最後のOFF。朝少し寝坊する。 昨晩はうれしくて疲れているにもかかわらず飲み過ぎた。

広州市へ移動。 みんなは2度目(そう、ここ広東省の最初の都市だったのだ)だけど、 僕ははじめてのところ。 ここも都会、大きな都会。 でもどこか中国っぽいのは街自体の歴史が古いから。 昔の建物、たたずまいが新しい街のあちこちにのこっている。

午後から街に繰り出す。 「食は広州に在り」といわれるが所以のひとつでもあろう、 町中の大きな市場「清平路市場」へ行く。

この市場がもう、予想を遥かに上回る、 表現のしようのないすごい市場だった!! 全体でいくつかのブロックに分かれているようなんだけど、 最初に行ったのが漢方薬の原料を扱っている小路。

「これも原料?!」と思わせるような、見た事もないものばかり。 どう見てもただの木の皮とか塵にしか見えないものもある。 あとは棒状に伸ばして束ねたムカデとか、 開き干しにされたトカゲ、 生きてるサソリ、蜂、ヘビ、なんかわからん虫類などなど、 ちょーーっとキツイものばかりだった。

さらに鮮魚のコーナーから、カメのコーナー (何千というカメが山積みだった、しかも生きてる!)、 野生動物のコーナー(鳥なんでも、犬、ネコ!まで)、 などなどいろいろなコーナー(小路)がつらなっている。 さすがにメンバーもギブアップ。 全部は回らずにそそくさと脱出した。

その後は街一番の繁華街である上下九路や北京路 (なんと歩行者天国だった)で買物・美食堪能したりして、 それぞれ楽しんだ。

夕食後、メンバーの一部(自称「美食銃撃隊」)で五つ星ホテルのレストランへ。 どれもこれも美味い美味い。 いままでここ広東省で食べてきた中でも一番ウマイ広東料理を堪能。 最後には値切っても随分高い伊勢エビ(とおんなじエビ)を1匹買って、 それでスープと一品を特注。

これが美味いの何のって、ほんと、もうどうも表現できないくらい美味しかった。 広州の食、やっぱり凄かった!!!


2000/5/6
このツアー最後の公演、深せん(土へんに川)公演。

昨日はこの後半戦で唯一移動がなくてからだが少し休まった。 でも今日はまたまた長い移動距離。 韶関から深せんまでは6時間強らしい。またしんどいなぁ。 大体移動の無駄が多すぎるんだよねぇ。

途中の大きな峠のひとつで大渋滞に巻き込まれる。 この道を行かないと仕方ないので渋滞に並ぶ。 見渡せる先までずーーーっと車が続いている。 原因は不明。

痺れを切らしたスタッフ達は渋滞を横目にバスを進めた(無論反対車線だな)。 でも行けども行けども渋滞の先は見えてこない。 今日の公演のために早く出発したのに、 これで公演が、しかもラストなのに、できなかったら非常に悔しい。

その思いが通じたのか、やがて車の列がゆるりと動き始めた。 結局原因は?のまま。峠にトラックが2台とまっていたが、 事故った様子でもなく・・・・単に道の真ん中で故障したのか?

眠りこけて起きたのは数時間後。 いきなりパスポートを持ってバスを降ろされる。 「?」と思っていると、 どうもここ深せん市に入るのは厳重に管理されているそうなので、 外国人は身分証明させられるとのこと。 簡単なイミグレーションを通って深せん市へ。

深せん市はケ小平のお膝元だけあって、 もうほんと大都会。 絵に描いたような綺麗な街。 あの中国のごちゃごちゃ感が全くないといっていいほど。

公演は一大アミューズメントパーク内のイベントホール。 なんと直前まで別の出し物(ロシアのダンサー達)があるらしく、 準備時間が皆無といっていい状態らしい。

ホテルで時間潰しをする。 なかなか連絡が来ない。 スタッフ達がどういう状態なのかも分からない。

ようやく連絡が来たのは6時前。 えー、本番まで2時間やんかー!! 早速会場へ行き、前の出し物の終了を待つ。 このロシアのダンサー達はここ深せんの前は旭川にいたそうな。 何ヶ月かおきに移動しているらしい。すごいな。

スタッフ達の計画的な準備のおかげで、 なんとか開演時間までには準備ができた。 でも準備&リハーサル中にもぞくぞくとお客さんがはいってくるし、 なんか変な状態。 しかもいちいち拍手してくれるしー、調子狂うなぁ。

実は中国では今年からGWみたいな長期休暇ができたそうで、 それで人が沢山いたのだった。 しかもアミューズメントパークなので若者ばかり! 公演会場も満杯になるし、 公演は凄く、ほんとに凄く盛り上がった。 彼らが知っている曲は全部一緒に歌ってくれるし、 反応も敏感。 ほんとに演奏しているこちらがわがうれしくなるほどに、 いいライブになった。

ほんとにありがとう!!


2000/5/5
世間(日本ね)では子供の日だなぁ、 と思いつつこちら中国ではなんでもない一日。

今日は移動はないので少しゆっくり起きて、 街を散策。 といってもミッチーの散髪に付き合っていただけ。 今日の公演は体育館らしいので体力を温存しておかねばと、 そんなに動き回るのは止めた。

体育館自体は年代を感じさせるかなり古い建物のようで、 それなりにあちこちが古びているのだけれど、 僕らがつかう控え室だけ妙に綺麗だった(壁までぬりなおしてあった)。 少し変な感じもしたけれど、 もしかしてこのために部屋を改装してくれてたのなら、 なんとありがたい話だろうか。

地元の音響屋がすべてのPA機材を貸し出してくれた (というかこれらは店頭品というか売り物)上に、 設置作業まで手伝ってくれたので、 今回のツアーの中で最速に準備が整い、 リハーサルも十分にすることができた。

公演自体もいっぱいお客さんが来てくれ、 (どうも田舎町のほうが得意な模様、このバンドは(笑)) すごくもりあがることができた。 あと残りわずかなこのツアーもこうやってひとつひとつの公演の 積み重ねなんだなと、当たり前のことを考えた。

この体育館での公演は、 建物自体が古いこともあってか冷房がぜんぜん効かないので、 予想以上に体力を消耗した。 バスでの長距離長時間移動、 そして毎日のようにある公演。 生活自体は楽でいいのだけれど、 やはり体力的にはかなりつらい。

いよいよ残り一公演。 明日はまた6時間ほどの移動をして、 深せんへ行く。


2000/5/4
関係ないけれど、 中国でもやっぱり時代劇というか時代モノのドラマは人気があるらしい。 TVのチャンネルを回せば一つは必ずやっている。

大まじめな史実に基づいているのであろうものから、 少しカンフー系のモノ、 そらウソやろというアクションまであるモノまでいろいろ。 もちろん台詞はさっぱり分からない(でも中には字幕がつくものがあるので、 なんとなく意味はわかるのだ)んだけれど、 面白いものでじーーっと見入っているとなんとなく筋は追える。

さて、今日は実は休みなのだ。 29日以来、飛んだ公演もあったけれど、 実質予定がなにもないのは今日が初。 なんとも長くハードな数日間だった。 ほんと疲れたのでゆっくり寝てほっと一息つきたい・・・・・・・ ところなのだが、 明日の公演はこれまた遠い都市なので、 今日移動するという。

昨晩も遅かったのでしんどいのだけれど、 みんな我慢して早起きしバスに乗り込む。 移動先は広東省でも大分北の方、韶関という街。 なんでもここ東莞市から6時間かかるらしい、あぁ遠い。

バスでの移動は広東省の中央部では高速道路だったけれど、 どんどん北にいくほど、普通の道路になり、 細い道になり、、、、、やがて山々が迫ってきた。

「いったい何処に連れていかれるのやろ」
そんな不安を抱かせるに充分なほど田舎になってきた。 しかもその田舎町をこえてまだまだ奥地へ。 ついにはただの山の中になってしまった。 山々はなんとなく中国風のなんだかとんがった感じの山。 それらをへーーっと感心して眺める余裕もあまりなく、 何処にどんなところに行くのかという不安が充満。

大きな峠を2つほど越えると、ようやくまた人の住む(笑)街が現れた。 そこからまだまだ小一時間揺られてようやく韶関へ到着。 結構大きな街。 川に挟まれた中洲が中心地のよう。

夕刻街を散歩。 観光地ではないので普通に普通のものが売られている。 ものめずらしくはないけれど、なんだかほっとする感じ。

お茶屋さんで欲しかったジャスミンティーをがばっと購入。 上海の5分の1くらいの値段。 いいお茶にめぐり合えて大満足、 ついでに茶器も買ってしまった。

ついでにホテルで夕食もしたけれど、 外食もしてしまえということで餃子屋さんに。 これが大当たりでむちゃくちゃ美味かった! 4人で満足するくらい食べて飲んで48元、安い!!

ようやく精神的にゆっくりできて、リフレッシュした。 また明日の公演もがんばろう。


2000/5/3
東莞市黄江公演。

同じ市内を移動。 1時間かからない移動だったらホテルをわざわざ替えなきゃいいのに、 と思うのだけど、 この広東省での公演は現地のホテルにスポンサーになってもらっているので、 公演毎に移動させられるはめになるのだ。 まぁいいんだけど、落ち着かない。

今日はまたまた野外らしい。 会場は昨日のような公園にあるただのステージ(というか台やね)ではなくて、 ちゃんとした野外ステージ(野音のようなものか)らしい。 これなら少々の雨でも風で降り込んだりしなければ大丈夫。

午後、訪れた会場は予想をはるかに上回る大きなステージ。 半球状の屋根のついた立派な舞台。 機材も今日のプロモータの好意で新品ばかり! これはかなりちゃんとした公演ができそう。

リハーサル中にはその辺の近所の人達がものめずらしげに集まってくる。 特にマイクチェックをしているPAのT氏が面白いらしく、 えらく注目している。 日本人もこういう楽器類も珍しいらしく、 熱心というか暇なんやなーというかじぃぃぃーーっと見ている。

少し小雨のぱらつくなか、 今回のツアー中では異例としか言い様ない早さで準備が進行し、 リハーサルとなった。 が、何にも起こらないわけがないなーと心の奥で思っていたらやっぱり問題が。 照明が灯ると音響にノイズがのる問題が発生。 これがやっかいで結局電源ノイズなのか他の原因なのかわからないまま、 リハーサルは終了。あとは時間との勝負となった。

試行錯誤するものの原因はさっぱりわからない。 もうダメか、このまま我慢してやるか、と思っていたところ、 中国音響スタッフのハンさんがケーブルを一部短絡するとノイズを消すことができることを発見。 もうハンさん大手柄! 問題のあるケーブルをすべて半田で短絡して問題は解決!

公演は雨も止み、 野外というシチュエーションもあってとてもいいものになった。 公演途中からも音を聞きつけてか、 お客さんはどんどん増加の一歩だったし ラスト近辺には大半のお客さんがステージ前まで詰め寄せて えらい騒ぎになる始末。 とてもうれしかった、ほんとに今日はできてよかった!!


2000/5/2
東莞市長安公演。

東莞市は中山市と珠江をはさんで反対側に位置する都市。 移動はそうかからずに二時間ほど。 途中、珠江をわたるときにかなり大きな橋を渡った。 昨年、長江を渡ったときもすごく川幅のある川だなと思ったけど、 この珠江も同じように反対側が見えないほど広い川だった。

天気は昨日に引き続き悪い。 小雨がちらつくどんより曇り空。

到着したホテルはこれまた立派なホテル。 部屋から見渡す町は大通りが立派に整備されている。 が、空が曇っていてぱっとしない印象になってしまっている。 今日の公演はまたまた野外らしいのだが大丈夫かな。

と、しばらくすると雨が。 また昼過ぎのスコールかとおもいきや、 全然止む気配無し。

先に会場入りしていたスタッフ達も引き上げてきた。 無論雨が止んだら公演は行うつもりだが、 どうも舞台が大理石でできているらしく、 ぬれていると危険とのことで、 雨が止んで、且つステージが乾いたらとの条件が付いた。

雨は止むどころかどんどんひどくなっていく。 まだ昼間だというのにもう夕暮れ近くの暗さになってしまった。

そして公演の中止が決定された。

夕食のとき、部屋でTVがついていたのだけど、 番組やCMに混ざって今日の公演が延期になったことを伝える画面が何度も出た。 そうか〜、こうやって知らせるのが一番早いよな・・・・・・ え? 延期? なんどか現れる画面(無論中国語だけど、意味はなんとなくわかるから)を 読んでみると、 どうも「今日の公演は雨で14日に延期になりました。 だからチケットはそれまで持っててね」 というような内容に読める。 延期って、14日って、僕ら帰国は8日なんだけどー。

夜、雨なので出歩きもせず、 仕方なくホテルのバー(兼喫茶店)にいくと、 えらく流暢な日本語を話す人を発見。 中国人にしては上手いなぁと言っていると、 なーんだ日本人だそうな。 もう数ヶ月こちらに出張しているそう。

この方に中国での生活(内容はいろいろね(含笑))について聞かせてもらう。 いやー、いろいろあるみたいだわ、中国生活がながいと。


2000/5/1
中山市公演。

中山市は一昨日滞在した佛山市の南に位置するところ。 ということは、再び昨日走った道を逆送することになる。 とても長い道のりになる。 僕達はまた6時間弱、路上の人となった。

昨晩遅かったせいもあり、 車中ではほとんど寝ていた。 バスがよくなったので1人で2人席を占めてごろ寝。 といっても体は窮屈に折り曲げないといけないので、 寝にくいことこの上なしなんだけど。

中山市は香港にかなり近いせいもあってか、 街の様相は都会そのものかと思ったけど、そういうわけでもなく、 小さな村があつまって大きくなって、 衛星都市になって・・・というような感じで、 きれいなマンションがならんでいるかと思ったら、 突然専門店街があったり、 突如エビ(だとろうと思う)の養殖池が並んでいる地帯があったり、 旧態然とした中国の町並みがあったり、、、、 となんだか脈絡がなく見えた。

ホテル(金島酒店。なんだか「金」という字の入るもの好きみたい)にチェックインし、 今後の段取りを聞くが、的を得ない。 なんでも今日は北京、香港、そして我々日本代表の3者5歌手が揃っての 合同イベントだとか。 とくに北京からはたぶん軍楽隊の方なんだろうけど、 国家一級の資格をもつ女性歌手が2名も登場するそうな (なんだか国家一級とか聞くとある漫画を思い出すなぁ)。 いままで公演をやるばっかりで、 ここ現地の方々の公演を見たこと無かったのですごく楽しみ。

結局段取りは二転三転し、 我々が会場入りしたのは午後5時を大きく回ったころだった。 普通の公演ではもうクリティカルな時間になる。

が、時期がわるかったのか、ちょうどいま、 この辺りは雨季にはいったところで、 突然のスコール(ほんとスコールって感じでざざーーーっと夕立がやってくる)に見舞われ、 ステージの準備はほとんどすすんでなく、 ステージ上に屋根をつくっているところだった。 そう、今日は野外。 会場をざっとみまわすと5000くらい席がある。 大げさに言うとFUJIロックフェスの小規模版みたい。 こりゃー、ぜひやりたいやりたい!!

ががが、、この屋根というのが、 そう、中国で簡易な足場とかを組むのには竹をよくつかうようなのだけど、 この屋根を支える支柱などなども全部竹製。 だいじょうぶなのか、すこし心配。

控え室でリハーサルを待っていると、 雨はひどくなる一方で、おまけに雷まで鳴り始めた。 舞台設営中には主催者たちがブタの丸焼きのお供えまでしてたのに。。。。 どうなることやら、先は見えない。

そんな雨の中のろのろと準備はすすみ(すでに気の早いお客さん達も集まり始めていた、この雨なのに!!)、 なんとかリハーサル(サウンドチェック)まではこぎ着けた。 が、雨はひどくなるばかり。

ついに僕達も決意し、用意した舞台上の機材を撤収することに。 その時!!! 簡易なビニールシート+竹の屋根は、たまった雨水の重みに耐え切れずに崩れ落ちた!!! 僕はまさにその時舞台上で撤収を手伝っていたところだった。

「崩れる!!」
だれかの悲鳴にも近い声を聞き、即座にその場を放棄して安全な方に逃げた。 屋根はメリメリと音を立てて崩れ、 真中部分が落ちてしまった!!

右往左往する中国スタッフ達。 僕達ももう危険から逃れるのが精一杯。 なんとか残りの機材も回収し、 このままでは埒があかないと見て、会場を去った。

結局その後どうなったかというと、 雨もましになったのと、 お客さんが大分集まってしまった(かなりチケットは売れていたみたい)ので、 イベント自体は続行していた。

中国側から我々もせめて顔見せだけでもしてほしいと懇願されたので、 生のバンドは無理だから、 カラオケで歌うということにして、再び会場入りしたのだった。

中国一といわれるその国家一級をもつ女性歌手(トゥさん)はすばらしい歌声だった。 それ以外が聞けなかったのが非常に残念。 もし悪天候に見舞われなかったら素晴らしいイベントになったのは間違い無かっただろうなと思うと、 くやしくてならない。

僕達も舞台に上った。 舞台上からは一面に埋まったお客さんの顔顔顔が見える。 あぁ、ほんとにくやしい。 この舞台でやりたかった・・・・・・・・・。

改めて、 これは中国と日本の風習の違いだから仕方ない面もあるんだけど、 やっぱり中国での公演には危険がかなりつきまとう。 いくら気を配っても見えない部分もきっとある。 自分の身は最後には自分で守らないといけないことが、 今更ながらはっきりと身にしみた一日だった。



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