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被災地の一診療所からの報告

"Inspired Piano Star"(MIDI 6K) written by T.Fukui(c)1998

1995年1月25日、診療開始から2日目に兵庫県保険医協会の原稿依頼を受け記事を書きました。1995年2月5日発行の兵庫県保険医新聞、1995年2月15日発行の全国保険医新聞に掲載されました。ここに全文を紹介します。

被災地の一診療所からの報告

長田区 福井クリニック 福井俊彦

 この度の震災により被災されたすべての方々に謹んでお見舞い申し上げます。私はこの大きな災害を共通の踏み台にして総ての人が力をあわせ新たな時代を築きあげることができると信じます。

 一月十七日の朝、私は北区の自宅で激しい揺れで目覚めました。揺れが収まるのを待って、家内と二人の娘を連れて車の中に避難しました。ラジオを聞いても十分な状況が把握できず、とりあえず家族をおいて新神戸トンネルに向かいましたがこの時は通行止めになっており、あきらめて自宅にもどりました。七時四十分頃もう一度出かけ、今度は中央区の加納町までたどり着くことができました。その変わり果てたビル群を目の当たりにして私は恐ろしくなり、家内の両親の安否を確かめてから引き返しました。しかし、「こんな時こそ医者が必要なのでは」と思い直して、昼頃もう一度家族全員を車に乗せて診療所に向かおうとしました。湊川付近で車は全く動かなくなり生命の危険も感じたので結局引き返しました。すでに長田方面からまるで原爆でも落ちたように見たこともない巨大な黒煙がたちのぼっていました。

その夜のテレビ報道では長田区、兵庫区、須磨区の火災が延々と映され、よもや自分の診療所が無事であるとは思えませんでした。明くる日、決死の覚悟で廃墟となった街にある診療所にでかけました。幸い火災は免れたものの診療所内部はカルテや検査機器が散乱しレントゲンの現像液が床に流れ出て悲惨な状況でした。職員とはまったく連絡がとれませんでした。

それから5日間懐中電灯を頼りに診療所をかたづけている間にも何人か患者が訪ねてきたので、その都度できるだけ薬を処方したりしました。二十三日やっと事務員一人と連絡がとれ、眼科医の家内に応援を頼んで子連れで診療所を開けました。この日電気が復旧しましたが、水は今でも毎朝ポリ容器に汲んで運んでいます。予想外でしたが幸いレントゲンやコンピュータなどの医療機器は現在までにほぼ復旧できました。

 震災発生から二週間がたち、その間私の心境も日々変化しました。最初は診療所を再開する準備と医師としての使命感でとりあえず頑張っていましたが、さいきんでは長田区がこれからどのように再建されるのか不安になってきました。新長田駅はJR、地下鉄ともに復旧の見通しがたっていません。最大の地場産業であるケミカル業界は壊滅的で辺りは焼け野原です。毎日通ってきた貼工さんがやってきません。住民の多くが家を失い、また家が残った人でさえ被災時の恐怖のため疎開してしまっています。蓮池小学校や、神楽小学校に避難中の人々はこれからどこに行くことになるのでしょうか。

 この地区では私の診療所だけでなく、近隣の先生方もたとえ診療所が半壊の状態でも頑張って診療を再開しておられます。反省すべきことですが、私は今まで開業医の先生方がこれほど医師としての使命感をもって仕事をされているとは思っておりませんでした。住民の方々は自分の通っていた診療所が無事でそしていつものように診療してもらえることを心から喜んで、また頼もしく思っていらっしゃるようです。近年医療政策の変化により、私たちは自分たちの仕事に誇りを失いつつありました。しかしこの大きな災害が私に教えてくれたのは開業医師の本来の使命でした。

 避難所を訪れてみると、他府県からの派遣医師がきているという理由で内部を回診することを拒まれることがありました。しかし多くの患者さんは避難所内に地元の医師が来ることを望んでいます。震災直後のような野戦病院的な診療は、現在では意義がうすれています。むしろ中長期的な、被災者とくに社会的弱者の健康管理が重要な段階となっています。この困難な状況下で開業医の半数近くが診療を再開している今、派遣医師と地元の医師が連絡をとりあい、バトンタッチをして新たな診療体制に移行することが必要であると考えます。

また、災害で保険証や現金をなくされた患者さんが来られますがこの場合自己負担金はいただいておりません。その一方で倒壊した自宅から持ち出したわずかな現金で無理をしてもお金を払おうとする患者さんもいらっしゃいます。兵庫県に問い合わせをしましたが持ち合わせのある人からは負担金をとるように指示されました。保険証と現金を持っておられても被災された方々から負担金をいただくのは気の毒ですから、被災地では一律に負担金を免除するくらいの通達がほしいところです。

 ところで現在当院の平均患者数は震災前の約二分の一に減っており、家賃、医療機器のリース料、借金の返済、人件費などの固定費がそのままでて行くなら毎月二百万から三百万円の持ち出しになる見込みです。

 未曾有の出来事にすべてが混乱し、一方その中に色々な発見がありました。私たちは復興にむけてがむしゃらに努力し、そして先が見えず現状に絶望しています。関係省庁の方々には私たち現場の開業医の苦悩もお汲みおき頂き、希望を持てる救済策を示していただきたいと切に望みます。


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