内藤@総合図書館です
# 勉強しろ(^^;
S> でも、歴史屋としては、塩野七生とかをああいう風に推薦されるのは
S> (略)
先日、知人との話の中で、「司馬遼太郎の功罪」について少し話しました。
日本人の少なからぬ人々が幕末や明治といった時代に関心を持つ
大きな要因は、司馬氏にあると思います。
その意味で、彼は多くの人に歴史というものを身近ならしめており、
それは世界への扉という意味で啓蒙の役割を果たしていることは、
必ずしも否定されることではありません。
けれども、氏の個人的な愛着に基づいた視点が、
そういった読者の歴史観を形成、誘導しているということは、
Sさんの危惧された「ロマンチシズム」の問題と直結してしまう。
司馬氏の書く歴史は、生命があり、面白い。確かに、取材なども
比較的充実しているのだろう。しかし、学問ではないし、
実際の「事実」とは乖離している。そのあたりの事情について、
無批判にあるいは従順に「司馬史観」を受容してしまうだけでは、
かえって弊害にならないか、といった話でした。
これは、塩野七生氏の著作についてもそうなのではないかな。
多分、ローマ史の集大成として、調査はかなり充実している方
なのではないかと思いますよ。文芸書としては。
それが、学術的考察に絶えられるかどうかは別にして。
さすがに、論文レベルのものを期待してはいけないとは思います。
以前、ベートーヴェン研究の本を幾書も読みましたが、
音楽評論家、音楽史家、それぞれ、やはり思い入れが
ベートーヴェンという人間像に投影されてしまう。
客観的になろうとどんなに努力しても、それはあります。
時代的な考察については、西洋史の専門家ではないでしょう。
それらを総合してできた私の中のベートーヴェン像も、
個人的な虚像に過ぎません。
大事なことは、そういった、書物の中の人物像が、ひとつは生き生きと
感じられること、歴史というものが化石ではなくましてや
空想でもない実在であるということを感じられることであり、
それができるならば司馬氏や塩野氏の業績は大きい。
それと実際の史実とのギャップを理性的に判断できるかどうかは、
読者にかかってくる部分も多いのではないでしょうか。
科学でも、「教科書」にかかれていること、「権威」ある学説を、
人は信じますが、それを自分の目で客観的に評価できるかどうかは、
受け手側の知性と努力によるものです。
できない人が多いけどね。
うむ、長くなった。
しばし物理と格闘しに行きます。では。