Date: Wed, 26 Apr 2000 02:30:29 +0900
From: S
Subject: 日本人と「科学技術」の歴史は?



Sです。
先週来、風邪気味でネットにも思うように接続できておりませんでした。

東武城巡りツアーは春休み実施予定でしたが、
連休に延期になり、しかも連休はゼミ準備&五月祭執筆で
到底時間が取れそうにありません。何時になったら
実現することやら。

五月祭では「戦略爆撃」というテーマになりました。
当然、ツェッペリン・シュターケンや国民党軍のマーチンも登場予定。
(つうか小生が書くんでしょうが)

内藤> 最近は、政治も経済も、めまぐるしく変化していますが、
内藤> それはどれも、当座を凌ぐのに躍起になっていることの現われに過ぎない気もします。
内藤> 今日の食い扶持がなければ、明日はないのかもしれないけれど、
内藤> それにしても、「当座」ということ、即物的、即効的なことが、
内藤> すべても面において価値にされている気もします。

日曜日にNHKの「世紀を越えて」を見ました。
バイオテクノロジーの発達は驚くべきものがあり、
しかもそれを主に担っているのは企業です。
アメリカのある科学者が喋ってましたが、科学の進歩→生活が豊かに
(この場合は寿命が延びる)→めでたしめでたし、
という構図をまるで疑っている様には見えませんでした。
「科学」を世界認識の手法と見なす考えは、時代錯誤なのでしょうか。
そんなことはないと信じていますが。

内藤> 学問領域の再編成なども、結局は培われた学問を知識のこの時代の成果、
内藤> 前世紀から未来世紀へ受け渡していく遺産としての世界体系ではなく、
内藤> ビジネススクールとしての大学教育がもっぱらなのでしょうね。

日本人が「科学技術」という四字熟語をいつ頃作ったのだろうかと
ふと疑問に感じました。「科学」と言う言葉は、明治に普及したと思いますが、
「技術」はどうなのかな?
「科学」の教育が明治の日本で広まり得た土台の一つは
やはり蘭学の基礎があったからだとは思いますが、蘭学は医学・軍事など
実用技術の面で受容されたのであり、世界認識としては考えられなかった筈です。
なぜなら、キリスト教概念の理解なくして西欧文明(の産物たる科学)の
世界観は把握できませんから。
それに、蘭学は主として身分の低い秀才たちの出世の手段として
伝播した側面も影響があるかと思います。世界認識などと悠長なことは
言ってられなかったわけです。
明治になっても事態は変わったとは思えません。
富国強兵のスローガンを実現するために科学は利用されたのですから。
しかし、日本もいい加減、科学と付き合って2世紀(蘭学含む)にもなるので、
「南蛮渡来のからくり」ではない科学概念を考えて教育してもいいと思うんですが。

内藤> もっとも、物理学などでは、およそ日常生活に役に立たない
内藤> 素粒子や原子核や量子力学(まあ、エレクトロニクスの世界ではある程度必要にもなりますが)
内藤> なによりも天文学を扱っているので、自覚症状は少ないのですが。

そういう内藤さんのような人にこそ、次の科学教育を考えてほしいと思います。

日本人と「科学技術」という言葉の歴史、出来ればもうちょっと突っ込んでみたい
気がします。卒論級のテーマたりうるかな。・・・しかしこれはさすがに
日本史じゃなくて社会学論文か。

昼休みにでも時間がありましたら会いましょう。
でも木曜日は三鷹に行かれるのでしたね。では金曜にでも。