Date: Fri, 21 Apr 2000 02:46:42 +0900
From: S
Subject: Re: 歴史と科学



こんにちは、Sです。
ゼミの準備とかで結構慌ただしくしております。

内藤> 「古代城郭と中世城郭の間は連続性よりも断絶の方が大きい」との
内藤> ことですが、確かに、話の中で、非常に時代的にギャップのある
内藤> 形式を比較したのは浅はかでした。

小生も偉そうに指摘できるような知識は到底持ちあわせていませんので、この説もどれだけ正当性があるのやら。
古代・中世の教養不足を痛感しています。
多賀城とか厨川とか、やはり阿部氏・奥州藤原氏は中央と違った建築のメソッドを持っていたと考えるべきでしょうね。
戦国時代ですら地域毎には明白な縄張りの差が見出せるので。
朝廷直系の城とはやはり異なっていたんでしょう。
琉球の城は、台風の多い山の乏しい風土で、珊瑚礁と言う手頃な石材(多分土塁より入手し易かったんでは)という地域の独自性もあったでしょうが、中国の影響も大きそうです。

内藤> 石材の使用という観点からは、東西日本の地質学的な差異も
内藤> 気になってきます。小豆島など、石材の産地として有名ですが、
内藤> こういった、建築素材としての石の切り出しに適した場所が、
内藤> 日本国内においてどのように分布しているのか、ということなど。
内藤> 糸魚川構造線を境として、東西で地質的な要素が違う、
内藤> といったことはあるのでしょうか。
内藤> 日本は、4つのプレートの境界にある特殊な形成を経ているため、
内藤> 地殻表面の変動が地域によって異なる、造山運動の分布、
内藤> あるいは平野部と山地の差、なども含めると、何かしら違いがあるのでしょうか。

こういう視点は小生などなかなか浮かんでこないので、非常に面白く感じます。
甲斐で石造りの城に登った話は以前書いたかと思いますが、あの山はたまたま石の固まりみたいな山でした。
登り口が分からず、斜面をしゃにむに登ったのですが、斜面に石がごろごろしているので「石垣が崩れたのかな」と思えました。
ところがそうではなくて、石だらけの山だったのです。
これなら東国でも石造りになるなあ、と納得しました。
武田氏の資金源だった鉱山の遺跡の写真を見ると、坑道が石垣(野面)なので「やはり金かけてるなあ」と思いましたが、 よく考えれば金の鉱脈を含んだ深成岩層が地上に露出しているので、石がそこらにあっただけなんでしょうね。
小生も城数はさほど回っていませんね。戦史研城郭班ツアーに3回参加の他は、犬山城を名鉄乗りに行ったついでに行ったくらいかと。
「東武電車で行く関東後北条氏城巡り」という企画も計画していますが。
いつか実現させたいです。

科学技術の社会史と言う授業を取っていますが、その教官曰く、ケンブリッジの数学科での乾杯の音頭で
「我々の研究が地球上の誰の役にも立たないことを祈って、乾杯!」
とやったそうです。
当座の生活に役立つことは、すぐに役に立たなくなるという見方が厳然と存在し、そしてすぐに役には立たない純粋科学(数学や理論物理)で偉大な業績を挙げている大学ならではの逸話ですね。
日本でも教育改革が叫ばれてますが、どうも大学に関してはいわば企業社会の即戦力を養成することにしか主眼が無いような印象がします。
少なくとも財界人なる連中の利益代表紙である日本経済新聞など読む限りでは。
教育の危機などの日本の諸問題を、経済的な国際競争での地位にすり替え、その競争に勝つことで、その諸問題を克服できるとでも思っているのでしょうか。
「科学」の、「学問」の拠って立つ所、指し示す所をそのように矮小化してしまうのは、危険なことですし、なによりつまんないと思うんです。

なんか偏見に満ちた愚痴話をしてしまいました。
小生は月曜日は3限が空いています。もし内藤さんのご都合が宜しければ、昼食会でも開催しませんか?

それではまた。