内藤です。
どうも、たいした知識もないまま話してしまったので、いろいろと間違った理解や
いいかげんな判断が目立ってお恥ずかしい限りです。
「古代城郭と中世城郭の間は連続性よりも断絶の方が大きい」とのことですが、
確かに、話の中で、非常に時代的にギャップのある形式を比較したのは浅はかでした。
S> チャシとか古くの蝦夷とかは、北アジアのオホーツク沿岸文化(だったかな?)
S> そういう勘繰りは必要なことではないかと思っています。
平安期の多賀城や厨川柵では、どういった様式だったのでしょうね。多賀城は中央(西側)
でしょうが、安部氏はどのような建築を施していたのでしょう、というくらいの気持ちで
比較していたので。それから戦国期を経て近世にいたるには、もっと大きなギャップがありますが。
一方、グスクは、中国の匂いを強く感じます。構造物の様式、何より、石材の使い方など。
琉球地方では、十分な石材が産出するとは思わないのですが、やはり、
そういった土地でああいう建築になるというのは、牽引した外国文化の存在を強く感じます。
石材の使用という観点からは、東西日本の地質学的な差異も気になってきます。
小豆島など、石材の産地として有名ですが、こういった、建築素材としての石の切り出しに
適した場所が、日本国内においてどのように分布しているのか、ということなど。
糸魚川構造線を境として、東西で地質的な要素が違う、といったことはあるのでしょうか。
日本は、4つのプレートの境界にある特殊な形成を経ているため、地殻表面の変動が地域によって
異なる、造山運動の分布、あるいは平野部と山地の差、なども含めると、何かしら違いがあるのでしょうか。
ただ、技術的、思想的背景として、大陸からの伝播を早期に受ける西側から発達するというのが、
最も大きな要因なのでしょうが。そういう意味では、「朝鮮式山城」も、渡来技法によるものですね。
S> 内藤さんは初学者ではない様な気もしますが(笑)。ともあれ
S> このような技術面での歴史は追っかける価値があると思います。
S> 小生は近頃、日本史に関する基礎的教養の欠如を痛感しております。
といっても、ここ数年は城郭に関する文献に触れていないので、やはり門外漢ですよ。
私が城郭を研究したのは、中学の一時期と高校で少しくらいですから。
実物に触れていないというのも弱みですね。見たことがある城といえば、
姫路城、松本城、上田城、小諸城、江戸城、佐倉城、高崎城、躑躅が崎館、二条城(外周)、
通りかかりに見かけたのが大和郡山、伏見桃山、福知山、小田原、諏訪城、
あとはいったことがあっても覚えてないのとか、それくらいしかないですから。
やはり、実用上の要請から作られる軍事拠点という特殊な存在ですから、
歴史的な状況の変遷というものも重要な要因ですね。
そういったものを考慮しながら、どこか訪れてみたいと思います。
世界認識や科学的態度やといった話がまったくできませんでしたが、
また改めて。私は、木曜に三鷹に行く以外の平日は本郷にいます。
本郷の理学部と浅野地区キャンパスを行ったり来りな生活ですが、
何曜日か、都合をつけてお話しましょう。
では。