Date: Mon, 17 Apr 2000 03:17:44 +0900
From: S
Subject: ロマンといふもの



こんにちは、Sです。

少々用事に追われていた事と、プロバイダ不調のためお返事が遅くなり
申し訳ないです。

内藤> このあたり、西日本の石塁の起源なのでしょうか。

小生はそれ程知識が無いので確言は出来ませんが、この場合は
古代城郭と中世城郭の間は連続性よりも断絶の方が大きいのではと
思います。近世城郭の石垣は朝鮮の技術(例の如く朝鮮出兵時に
石工を連れてきたらしい)とかの影響があるという説も聞きましたが。

内藤> 一方、東方について考えると、東北地方などでは古くは蝦夷の形式でしょうか。
内藤> 北海道で見たチャシ跡は、土塁(判然とはしなかったが)でした。

チャシとか古くの蝦夷とかは、北アジアのオホーツク沿岸文化
(だったかな?)の系列に属し、沖縄のグスク同様、いわゆる本土の
城郭とは同列に扱えない様です。
先日佐倉の国立歴史民俗博物館に行ったら、日本各地の城みたいな
展示でそのように書いてました。ただ、それでいてグスクやチャシも
あくまでも「日本」の一部のような、つまり現在の国民国家たる日本の
枠組みがアプリオリに設定されているような印象を受けなくも
ないのでしたが。
それは小生の勘繰り過ぎかも知れませんが、ベネディクト・アンダーソンの
『想像の共同体』曰く、博物館も「国民」の形成に多いに寄与したわけ
ですから、そういう勘繰りは必要なことではないかと思っています。

内藤> 石材を用いた建築技術の伝来の歴史を考えることもできそうです。
内藤> ただ、中世以降はそれなりに技術の混合が進みそうな気もしますが、
内藤> どの時代に、どのあたりを境界にしていたのか、初学者にはわかりかねます。

内藤さんは初学者ではない様な気もしますが(笑)。ともあれ
このような技術面での歴史は追っかける価値があると思います。
小生は近頃、日本史に関する基礎的教養の欠如を痛感しております。

内藤> 技術史的な理由意外に、当面の戦闘に備えた即効的な要因もあるのでしょう。
内藤> 近世城郭が統治のため、平野やそれに近い場所に築かれるのと、様相がだいぶ違うことは明らかです。

あるいはまた、社会情勢の変化と城郭・要塞の関係でしょうか。
国情によっても城郭の位置づけは当然変わってくるわけですよね。
ヨーロッパ中世の騎士の城郭は要塞であると同時に平時の居館でも
ありましたが、日本の中世の山城は平時の居館と分離されてましたし。
そういう城の置かれた条件が、それに必要とされる技術の受容も
変化していくのではないか、と思われます。余談ですが、
フランスでは絶対王権の確立と共に、内陸の騎士の城は廃止され、
貴族が暮らす館に変化します。デザインに城の名残はあっても、
目的は快適な生活に変わっています。一方で国境に正多角形の
要塞都市が建設され、対外戦争に備えるように、城の地理的状況も
変化します。
日本が戦国時代、山々に非常時の山城があったのが、
江戸時代に入ると一国一城令が出ましたよね。そして明治になると、
対馬などに海を睨んで要塞が出来る一方、かつての城は取り壊される
ものが相次ぎました。フランスの変化にちょっと似ているように思います。
小学生の頃、明治政府が城の取り壊しを行ったと本で読み、
もったいないなあと思いましたが、それは反乱対策を考えれば
当然なのです。
西南戦争で熊本城は西郷軍の包囲を耐え抜きましたが、逆に
ああいった城に反乱士族が立て篭もったら、鎮圧には梃子摺るわけです。
ルイ14世が要塞を築く一方で古い城を壊させたのも同じ理由でした。

内藤> ただ、構造上の問題として、石塁の傾斜角の物理的限界や、
内藤> 高さの限界など、石垣それだけの機能としては、どうしても過渡期のものですね。
内藤> 元も、こういった時代の城郭は丘陵あるいは山地など地形を生かした縄張りであり、
内藤> 単に石垣一つの造りの問題ではないので、総合的に見ていくと面白いですね。

これも興味深い所で、日本人は基本的に自然地形を生かした縄張りを
好みます。一方でヨーロッパの近世要塞は、日本の五稜郭のように
幾何学的に火器の射程を考えた設計です。中国の城郭都市はまた
異なった様相を見せます。ヨーロッパの要塞はルネサンス以降の
数学の発達を受けた世界観に基づいていますし、中国の四角形に
こだわった城郭都市はやはり陰陽五行とかの影響があるのでしょう。
で、日本は・・・アニミズム?
(無論、軍事上の要求や予算という切実な問題もあるので、
一概には言えません)

映画は、小生もネット上でちょっと調べてみましたが、
どこでも好評ですね。
だけど、時間が取れるかなあ・・・
教育に関するご説明、ありがとうございました。
もうちょっと教育分野についての知識を得ようと、教育学部の授業を
受けることを狙いましたが、便覧入手に失敗。話の種に藤岡信勝の
授業を受けておきたかったのだが。

内藤> 少なくとも日本人は共生というよりも
内藤> 「ムラ」的な共同性の中に安住していようという傾向が強いようにも思います。
内藤> 戦って自分を守るという発想ではないのですね。

非常に重要なご指摘だと思います。そしてそれこそがアニミズムの
いわば場当たり的世界観の孕む問題点なのです。五感で感じ取れる
共同性の秩序さえ維持されれば、それ以上のことは考えなくて済む、
否、考えることはその秩序を乱す元にすらなる。五感で感じ取ったことを
抽象化・体系化することは出過ぎた振る舞いと見なされるのです。
野辺山の天文台での「宇宙は謎だから美しい」という発言の底を
探れば、ここの問題に行き着くのではないでしょうか。

内藤> 歴史はほとんど知らないので、誤った考えを展開していると思いますが、
内藤> それは、もしかしたら、明治期の近代国家、西洋化の努力がある程度達成された後
内藤> 大正期にデモクラシーが沸き起こるのも、そうだったのかもしれません。

目下、ゼミで扱う範囲なので、もう少し検討してみたいと思います。
ただ、目下二三の文献を読んだ範囲では、日露戦争後、特に1次大戦を
契機に日本人の世界観は変容を迫られ、日本人自身そのことを
意識していたと言えるようです。この場合の世界観は、「国際関係における
日本のあり方」くらいのものですが、多くの知識人が世界観を巡り
文字どおり右往左往していたようです。そして、「大衆」という言葉は
まさに大正時代に発明されたものなのです。

内藤> けれど、ただ「ロマンだ」とだけ騒いで、
内藤> 求めることを「ロマンをぶち壊す」とくくってしまうような危険性、

「ロマン」とはなんぞやと思うことがあります。
内藤さんの示された「宇宙は謎だから美しい」という例は大変示唆に
富んでいますが、結局「美しさ」が世界認識を求めるきっかけにならず、
そこで思考が停止しているわけですね。「きれいだからそれでいい」という。
歴史での例を考えますと、「英雄にはロマンがある」などという言説が
該当しましょうか。そりゃあ何にロマンを感じるかは人様々というのは
もちろんですが、小生なんかは古い鉄骨に刻まれた製鉄所の銘で
ロマンを感じたりしてますが(笑)、英雄のロマンというのはPHPなどの
書籍ではそれが「職場での人間関係に役立つ」というレベルでしか
受容されていません。自らの日常レベルに矮小化・単純化しなくては
理解できず、その複雑で壮大な世界を少しでも詳しく知りたい、
という方向には向かわないのです。もちろん人の好みはありますから、
すべての分野で「詳しく知りたい」という欲求が起こるとは
限らないでしょう。
しかし、先程の内藤さんの示されたような例を見ると、「知りたい」
と思うこと自体に価値を見出していない、という問題が浮かび上がって
くるのではないかと思います。

実はまだ書きたいことはあるんですが、時間の都合上(1限があるので)
ここで一旦切ります。昼休みにでも今度お会いしたく思います。
小生は目下、昼休みは火曜日を除き学内におります。
それではまた。