Date: Wed, 12 Apr 2000 17:18:42 +0900
From: NAITOH,Seiichirou
Subject: Re: 石垣とか宗教とか



内藤です

S> それにしても複雑怪奇な構造の建物が多いですね。
S> バリケード築いて立て篭もることを想定しているのかしらん?

安田講堂の上に石を積んだり。今の人は知らないらしいです。

東西の城の発達の差異というものは非常に面白いですね。
西側についていえば、白村江の役後に、大和朝廷が防衛線として
九州、中国地方に多くの山城を築いています。
これらの城は、いわゆる「朝鮮式山城」と呼ばれるものですが、
石垣を備えた遺構が数多く残っています。
このあたり、西日本の石塁の起源なのでしょうか。
一方、東方について考えると、東北地方などでは古くは蝦夷の形式でしょうか。
北海道で見たチャシ跡は、土塁(判然とはしなかったが)でした。
石材を用いた建築技術の伝来の歴史を考えることもできそうです。
ただ、中世以降はそれなりに技術の混合が進みそうな気もしますが、
どの時代に、どのあたりを境界にしていたのか、初学者にはわかりかねます。
野面積みは、やはり戦乱の時代に築かれた城など、
技術史的な理由意外に、当面の戦闘に備えた即効的な要因もあるのでしょう。
近世城郭が統治のため、平野やそれに近い場所に築かれるのと、
様相がだいぶ違うことは明らかです。
実践的であり、実際に激しい戦いを経た名城などを見たいですね。
そういう意味で、非常に興味深いです。
ただ、構造上の問題として、石塁の傾斜角の物理的限界や、
高さの限界など、石垣それだけの機能としては、どうしても過渡期のものですね。
元も、こういった時代の城郭は丘陵あるいは山地など地形を生かした縄張りであり、
単に石垣一つの造りの問題ではないので、総合的に見ていくと面白いですね。

S> 面白そうな映画ですね。未だやっているのであれば、
S> 出来れば見に行きたいと思います。

絶対にお勧めです。まだやっているのかな。4月中旬までという話も聞いたので、
間に合わないかもしれませんが。日比谷シネシャンテで上映されています。
ネット上でもほとんどの評判は好意的です。ロケット技術の話だけでなく、
ドラマとしても、オーソドックスではありますが、過剰ではない演出が
むしろ実話としてのリアリティーを感じさせます。泣かせます。

S> そういえば、宮崎駿がまた新作を出すんだとか?

そうらしいですねえ。詳しく知らないのですが。
とりあえず、「もののけ姫」英語版を見に行こうかどうしようか迷っています。

「ピアジェ的」というのは、教育学はわからないので、いいかげんな説明ですが、
ピアジェが唱えた教育心理上、というよりは認知心理上の概念で、
子供の認知の発達段階を 区分したものです。
個別の具体的現象に対する認知から、複数の現象の認知、
それらの相互関係を複合的に認知する具体的認知段階から、
最終的には抽象概念の認知に至る、発達段階に分けたもので、
今回は、直接ピアジェではなく、教育段階の問題で、
子供の教育内容の理解を、個別の内容理解以前で、理由付けができない(前段階)、
個別の内容理解で、一つの理由のみを認められる(単構造)、
二、三の側面を考察して理由付けができる(重構造)、といったものから、
現象のさまざまな面を把握し、考察できる関係構造までの発達に分けたものです。
簡単に言うと、試験の大設問[1]中に、小問が(1)から(3)まであって、
(1)と(2)を組み合わせると全部解ける、というような問題で、
個々の問題の理解と、それを相互に組み合わせる能力を見るテストの話でしたが、
調査に使った問題が悪いとかサンプルが少ないとかで
今回考察した調査については否定的な意見が多かったです。

アニミズムの世界というのは、結局は、自分の外側の世界を
漠然と覆うことで、あえて踏み入ることも外側を探求することもしない世界観なのですね。
仏教などを見ると、曼荼羅は一つの宇宙を表しており、須弥山図などが描かれていることからも、
そういった世界観がありますが、原始アニミズムという意味では、
そういった体系化はなされていないのですね。
私は、宗教レベル、文化レベルに上下を施そうとしてこうして考えているわけではないので、
優位論には賛同しかねますが、多元性と一元性の発達の違いは、やはり異文化、異民族との交流、
何より衝突の有無ではないでしょうか。
日本人が共生をよしとする多元的世界観をもつというならば、夷荻に対する
強烈な排他性はどこからくるのでしょう。
日本の島国という特殊な地理的要素が、同属あるいは近親の文化を保証してくれたために、
ことさらに他文化との衝突を繰り返す必要もなく、あるいはむしろ
中国という当時の先進文化に対して、それをいただくような文化の摂取があったため、
堅固な文化的防壁を持つ必要はなかったのではないかと思います。
「選民思想」を振り回す必要は、少なくとも日本のうちにいればなかったのではないでしょうか。
ただ、こうした漠然とした考え方では、世界に対する好奇心の希薄さには
ほとんど理由付けができていませんが、少なくとも日本人は共生というよりも
「ムラ」的な共同性の中に安住していようという傾向が強いようにも思います。
戦って自分を守るという発想ではないのですね。

S> あながち否定する訳にもいきますまい。しかし実態は売らんかなの
S> 言説が主力を占めるのみならず、さらには真摯な世界観を問う研究ですら
S> そのような文脈に矮小化されて解釈されてしまうのではないでしょうか。

「大衆」という言葉を再び持ち出したくはないですが、成長期にはあるリーダーシップが
強く先導することができますが、ある程度落ち着く(実際は停滞ですが)と、
一般の人の集団というものが発言力を持ちますね。
歴史はほとんど知らないので、誤った考えを展開していると思いますが、
それは、もしかしたら、明治期の近代国家、西洋化の努力がある程度達成された後
大正期にデモクラシーが沸き起こるのも、そうだったのかもしれません。
ただ、そういったときに群集、多くのものを併せ呑んだ不透明で無性格な集団に
語る言葉としては、耳障りがよかったり、目を引いたり、あるいは過激であるもののほうが
理性的、論理的あるいは正確であることよりも効果をあげてしまいます。

「宇宙はロマンチック」であるという感覚は、恐らく誰にも(われわれの中にも)
あるでしょうし、否定はできません。むしろ、そういった、「きれいだ」「不思議だ」
という感情が探求心の源にもなります。けれど、ただ「ロマンだ」とだけ騒いで、
求めることを「ロマンをぶち壊す」とくくってしまうような危険性、
これは、Sさんが以前通俗歴史に懸念しておられたことと近いのかもしれませんが、
これは、科学の世界にもやはりあるのです。
国立天文台野辺山宇宙電波観測所は、年間10万人近い見学者を迎えていますが、
訪れた人の感想の中で、大きさに感動したり、天文学にロマンを感じる人が多い中、
「宇宙は謎だから美しいのだ。それをいちいちつつくために金を使ってほしくない」
という意見がありました。もちろん、それだけではなくて、地上で、社会に多くの課題が残っている時代に、
税金から大きな予算(といっても、数100億とかですよ、全体で。銀行救済に導入した公的資金で
どれだけ観測施設を作れることか)を割くことに疑問を持っているというのが本音のようでしたが、
ただ、「地球の寿命がわかったら、それをも傲慢に作り変えようとするのか」という意味の発言は、
科学技術に対する不信感とともに、やはりある種の神秘主義というか、好奇心や探求心といったものが
もつ開拓性を嫌悪する閉塞性を感じてしまいました。

まとまっていない文章ですいません。 今度、昼休みとかにでも、どこかでお話しましょう。
どちらも構内にいることですし。

では。