Date: Wed, 12 Apr 2000 04:34:39 +0900
From: S
Subject: 石垣とか宗教とか



Sです。

未だ慣れぬ本郷の生活に戸惑っておりますが、何とかやっています。
それにしても複雑怪奇な構造の建物が多いですね。
バリケード築いて立て篭もることを想定しているのかしらん?

内藤> 先日、何とはなしに江戸城を訪れてみました。
内藤> 公園として、そして宮城として遺構が完全に保存、維持されているため、
内藤> 私のような素人が勉強するのに非常によい教科書になりますね。
内藤> 石垣が美しい。あの時代になると、技法的に完成しています。

「切り込みハギ」「打ち込みハギ」「虎口」などの言葉を使いこなしておいて
素人とは言わせませんぞ(笑)。
それはともかくとしまして、城巡りはまた出掛けてみたいですね。
今年の初めに甲斐の城を巡る戦史研城郭班の旅に行きましたが、
殆ど土塁だけで構築されている城ばかりでも、それはそれで
興味を引く点が多くありました(ご存知とは思いますが、石垣の
築城術は西国で開発された物で、東国では織豊大名の時代まで
いわゆる石垣はありませんでした)。また、石の多い山では
手近の石を野面積みにしているところもあり、美しい近世城郭の
石垣とは異なった、荒々しい魅力がありました。
支配の象徴としての近世の平城と、戦国時代真っ盛りの山城の
相違はありますが、どちらもそれぞれ面白さがありますね。

内藤> 「遠い空の向こうに」(原題October Sky)をみてきました。

面白そうな映画ですね。未だやっているのであれば、
出来れば見に行きたいと思います。
そういえば、宮崎駿がまた新作を出すんだとか?
内藤> 科学教育ゼミでは、先日も、子供たちの認識段階をテストするとか
内藤> (ピアジェ的な感じもするが)理科に対する意識とかを議論しています。

すいません。「ピアジェ的」とはどのような意味合いでしょうか。
ご教示願います。

日本の教育は全体的な平均点は高いが、トップを伸ばす様には
出来ていないといいます。格差が出てくることが、生き方の価値観の
多様化という方向転換に繋がりうるのならそれでいいのかもしれません。
格差を認め、別な生き方を提供し、再チャレンジもしやすくするというような。
しかし、国旗国歌を教育現場に押し付けているような目下の
教育行政を見る限り、そのような期待は空振りに終わり、
受験戦争の弊害は変質して残ることになるだけでしょう。
(東大新聞社が出す『東大は主張する2000』というのに、頼まれて
国旗国歌法制化について原稿書いたので、こんな事を連想しました)

内藤> 研究者として、学問領域の閉じこもっていたこれまでの態度を反省して、
内藤> 日本でも教育的な試みがようやく生まれ始めたところですが、
内藤> 日本国民の現状は、未来に暗澹たる予感を拭わせてはくれません。

日本史一つとっても、研究体制自体が専門蛸壺化を起こし易く
出来てるような気がします。その中で、専門外の人に教養として
いかように学問領域の成果をアピールするかという問題は大きいと思います。
しかしそれが受容されるだけの素地が今の日本にあるのでしょうか。

少し話題を変えて、宗教学の授業で、ちょっと面白い話を聞きました。
日本では、いわゆる「日本人論」が盛んであるというのはよく言われる
ことですが、1980年代はバブル経済を背景に日本文化の
特徴的優位性を主張する言説が流行りました。
その一種として、日本の宗教をアニミズムであるとし、それは
欧米や中近東の一神教と比べ多元的であるためにすぐれた
共生の精神をもっているというのがありました(教官は自己中心的
日本宗教論と呼んでいました)。この理論は現在においても尚
梅原猛などにより主張され支持を受けているといいます。

これに対する宗教学者の批判があり、それは万物を神とする
アニミズムは宗教ではない、それは宇宙観が欠けているからだ
というのです。以前話題にしたことと直に繋がるかと思いますが、
日本人は宗教や科学が世界認識の手段であるという意識が
乏しいのでしょう。世界認識の手段として宗教(一神教のみならず
多神教を含むが、アニミズムを除く)や科学がアニミズムより
不完全であるということは以前述べましたが、しかしアニミズムの
世界観は世界に対し何らの疑問を抱かない、言い換えれば
知的好奇心の乏しい世界であります。論理的破綻をきたさない
アニミズム世界観の許では、世界観を追及する必要が無いのです。
その世界では、その代わり世界観は安定しており揺らぐことがありません。
それは恰も母の胎内の如き安心感を人々に与えるのでしょう。
そしてこの言説がバブル崩壊後の現在も生き延びているのは、
この動向の不安定な世でこの言説が安心感を与えてくれる存在である
からに他ならないと思います。

日本人論というのは「売れる」そうです。需要が大きいんですね。
それが学問の一般社会へのフィードバックの一手段であるならば、
あながち否定する訳にもいきますまい。しかし実態は売らんかなの
言説が主力を占めるのみならず、さらには真摯な世界観を問う研究ですら
そのような文脈に矮小化されて解釈されてしまうのではないでしょうか。
ここにおいて、小生の抱く憂鬱なる心情が、内藤さんのおっしゃる「暗澹たる
予感」と通じてくるような気がしました。

なんだか内藤さんに返信を書くようでいて、結局言いたいことを
言い散らしただけになりましたが、詳しくは後の機会にということで、
またお会いして話しをしましょう。

それでは。