こんにちは。Sです。
アメリカでのご見分は是非詳しくお聞かせいただければと思います。
「能動的な知性を尊ぶ心が乏しいのではないか」という以前話し合った
懸念からすれば、アメリカのその状況は学ぶに足るものを
備えているかもしれません。
さて、小生は今日、一冊の本を読了いたしました。
「技術屋の心眼(Engineering and the Mind's Eye)」(平凡社)という本ですが、
ご存知でしょうか。95年発行、去年で7刷なのでそれなりには売れているようです。
小生も未だ一読したばかりで、内容をしっかりと把握できたという自信が
あるわけではないのですが、極めて興味深い内容であることは確かです。
以前、「科学技術」と一言で括られがちな科学と技術の関連について
話し合ったこともあったと思いますが、それについて啓発される所大なる
ものがありました。
かいつまんで言えば、技術者は科学者よりも芸術家に近い存在であり、
科学の手法を持って解析的に示すことが出来ない、五感による経験に基づいた
ものの見方−心眼こそが技術者にとって重要なのであるということです。
しかし二次大戦後のアメリカでは、「科学」が「技術」よりも大切であるかに
思われたが為に(それには冷戦による政府主導の軍事技術開発も
大きく影響しています)、技術のあり方が歪んでいるとしています。
そして、工学教育の問題点を列挙しており、数学的に解析できることの
方が教え易くテストもしやすいので、学生の心眼を養うよりも
そちらに偏りがちなのだと述べています。
さらにはコンピュータ化の問題点にも触れています。
具体例としてハッブル望遠鏡の話なんかも載ってるので、内藤さんが
読まれても面白いと思います(既に読まれてましたらごめんなさい)。
小生は要塞の写真が載っているのを見て衝動買いしたのですが・・・
話を少し戻しまして。
内藤> 大人たちが熱心に天文台の説明を聞いている姿は、羨ましい程でした。
内藤> もちろん、日本にも天文に興味のある人は多いですが、
内藤> アマチュアでもマニア的な人ではなくて、全くの素人が
内藤> ああいうところで高い関心を示せるというのは、日本にはない気がします。
最近新聞で読んだんですが、考古学がはやりらしいのです。
先日飛鳥で石の定遠か、もとい庭園か何かが出土した遺跡に
万単位の人が押し寄せたとか。これはどういうことなのでしょう。
日本人は素人が考古学に高い関心を示しているのでしょうか。
「古代史にはロマンがある」そうです。
小生は考古学概論の授業を受けましたが、以前に書いた文章を再録しますと、
S> 教授はモノから歴史を探るのが考古学の特徴であり、
S> モノは嘘をつかないと力説していました。
S> そして、考古学の日常の研究はモノを巡る地味なものだが、
S> それを通して人類の文明の形成を知るという根元的な
S> 目的があるのだと説き、その話で終わりました。
ということです。しかし、今日考古学に「ロマン」を求める者の大半は
自らの幻想を古代のモノの上に投影しているだけのような気がします。
少なくとも、彼らにはモノを地道に研究して人類の文明の成り立ちを
知るということに関心があるとは余り見えません。それは下手をすれば
彼らの幻想とあい反することがありうるから。
関心を持ってもらうのはよいことですが、しかしこのような受容の
され方でいい筈はないのです。
何やら愚痴っぽくなって申し訳ありません。
いろいろと思う所は多いのですが、纏めて書くのがどうもうまく行きません。
断片的な所はご容赦ください。
今週は駒場にしばしば足を運ぶ予定ですので、機会があれば
お会いしましょう。また水曜日には映画「宋家の三姉妹」を見に
岩波ホールに行くつもりです。今月一杯で終わりなので。
もし時間があるならば見に行きませんか?
それではまた。