Date: Wed, 13 Oct 1999 17:57:43 +0900 (JST)
From: NAITOH,Seiichirou
Subject: パキスタン情勢を懸念



内藤です。

先日のパキスタンの軍事クーデターは、今後どのような
展開をするでしょうか。印パ両国間が双方に緊張の要因を
抱えつつも外向的な融和の可能性が模索され、
昨今は対話の道も開かれていたと思うのですが、
それら一連の努力が振り出しに戻ることを懸念しています。
とりわけ、パキスタン軍機の撃墜等火種は燻ぶっており、
文民政権の失脚によって、民族感情の激化による
紛争再燃が危惧されます。

印パに限らず、イスラム世界と異文化の接線上では、
種種の歴史的要因もあることですが、文化の衝突が非常に
多発しているという印象を受けます。
トルコのように、イスラム主義勢力の政教一致を軍部が
押さえている例は希少で、大半の国家ではイスラム至上主義
が国策となっていると思います。この辺りについて、
私が正しい認識を持っていないということもありましょうが。
アラブ諸国が対ユダヤ人、対米の強い反感を抱いていること等も、
歴史的に欧米先進国の政策失敗の遺産であるでしょう。
今後、中近東〜アフリカ第三世界と先進諸国との軋轢があるとすれば、
目下のところの世界対決の構図としてありうるのではないかと思います。

さて、アニミズムから世界宗教、そして科学へと、世界認識の
主たる手法が移行をして現在に至っているという点では、
議論はコンセンサスを得ていると考えます。
そして、その移行の各段階は、断絶して後進が既存の観念を
根絶するのではなく、あるいは内包して、あるいはなんらかの
解釈を施すことによって影響を残したまま進行するということも
同意を得ているといってよいでしょう。
この部分については、拙文「科学する心」の中に当時の認識の
幾許かを書かせていただきましたが、およそ今回の議論によって
その内容をさらに掘り下げる形になったと思います。
示唆にとんだご意見を毎回楽しみにしています。

世界認識としてアニミズムが最も完璧であるという主張は、
論理的に破綻し得ないという観点からいえば非常に重要です。
しかし、歴史上人類は体系化された理論を持つ宗教、そして科学へと
世界をよりシステマチックに理解する方向へと進んだようです。
アニミズムは事象を個別に説明することに関して強力な手法であるとして、
人間が求めたのはより横断的、統一的な世界観であるといえます。
物理学という学問領域の目指すところも、最終的には科学の全ての範囲を
一つの理論の元に解明しようという態度が見えています。
化学、生物など、18世紀より進歩した各分野は、
見ての通り対象を個別化して発達してきました。
現在の物理学では、素粒子などの量子、生物物理、脳神経科学、その他、
化学や生物まで物理的手法と論理をもって蹂躙しようという
膨張を続けています。このことからも、世界を認識したいという
人間の欲求のある部分に、自己完結を目指す心理があるかと思うのです。

自己完結という言い方は少し語弊があるかも知れませんが、
自分のいる世界を、普遍化したい、統一的に把握したいという
心情といっていいでしょう。世界宗教も科学も同様です。
アニミズムについても、全ての現象を直ちに内包し得るという意味で
汎世界的な認識手段だと思いますが、何かしらの不確定性に
人間は次なるステップとしての体系として一貫した世界観を
求めていったのではないかと考えます。
一神教にしても、アニミズムが生み出した具体的事物の象徴である神々が
絶大な力を人間にたいして行使するべく発達するわけです。
旧世界では都市ごとに神を持っていた時代があり、それらが互いに
抗争しながら興廃を繰り返す中で、勝者に淘汰されていくという
側面もあるのかも知れません。多元的な宗教観が残っている社会は、
文明の肥大化から立ち後れ、そのような抗争の舞台とは無縁だった
例えば孤立した少数民文化などかも知れません。
これはまた、別の議論になりますが。

科学的認識という手法もまた、理論化された宗教が処理しきれなくなった
現象理解のために発達したものなのでしょう。ただ、
こと科学に関していえば、それ以前から原理は不明ながらも
社会に普及していた数多くの技術とのかかわりがあります。
科学と技術の問題は、不可分でありながら、全く異なるものだと思います。
現在の科学に対する不信感は、技術に対する不信感でもあるかと思います。
つまり、原子力というものを例にとれば、物質の構成要素としての原子や
核反応のメカニズムなどの解明の努力が懐疑的に見られているということ
ではありません。あくまでも、社会と具体的に関連している
技術の面で不安要素が人々の嫌疑を呼び起こしているといえます。
では、科学自身は相変わらず安泰かといえば、これは先日の議論に
戻りますが、必ずしも真理追究が望まれているばかりではありません。
どうなるかわからない世界観への不安ということではありますが、
実際科学がここまで構築した世界観、完全なものではないですが
少なくともその方向性についていえば、今後もその地位を
急速に脅かされることはないでしょう(あっても困りますが)。
しかしながら、そう言ったものを求める関心より、
大衆の視線はそれつつあります。あるいは、この国においては、
戦後高度経済成長とバブルが過去のものとなり、先行きの不透明さと
不安が、余裕をなくしているという非常に実際的な影響と、
教育により文化水準の高いこの国では、以前科学という響きが持っていた
夢想性や神秘性が失われ現実的な認識に取って代わられたともいえるでしょう。

一世代前、21世紀はとてつもなく進んだ明るい科学技術の世紀でした。
しかし、それが目前に迫って、成長も陰りもはや日常の延長でしかない
となったとき、信仰的な科学への憧憬は遠ざかったのかも知れません。
世紀末という曖昧で得体の知れない概念と、戦後半世紀を過ぎたという
この時期の社会的な先行き不安という、非常に社会心理的な要因が、
無視できずに働いているとも思います。

時間がないので、ここで擱筆しますが、
今回は科学自体が世界認識として不安定な印象を与えているかどうか
考察できませんでした。今後のメール、あるいは直接あっての
お話の中で、少し取り上げられるよう、自分の中でまとめておきたいと思います。

では。