内藤です。
今日から講義が始まりました。
久しぶりなので憑かれますね。いや、疲れる。
さて、私は、今回の東海村の事故は、今後の日本の原子力開発の
一つの試金石になるのでは、と思っています。
特に、死者が出た場合。
あまりにも杜撰な管理体制という、きわめて人為的な事故で呆れておりますが、
この事態をいかにして将来に結びつけるか。
たぶん、反原発の気運は再燃するのでしょう。
その一方で、エネルギー資源としての原子力はもはや必須。
この相反する利害を止揚する形で今後の対策が要求されるはずです。
ところで、一般にはもはや安易に廃止することでは
すまない時代であることは認識されているのでしょうか?
東京臨海部に一基原発建設するというのが私の将来像です。
もう、ゼロにはならないでしょうから。
皆、たとえば「放射能」がなんであるか、なぜ危険かという知識もなく、
その言葉に反応しています。これも、科学的側面の理解欠如ではないでしょうか。
もちろん、フグの毒素の名前や構造などより、
フグの毒は危険であるということだけで、十分なのかも知れませんが、
科学のブラックボックス化は、単にそれが専門化しているという
科学の側の問題だけでなく、事象の理解に対して無頓着な
大衆性というものも影響するのではないでしょうか。
専門家が象牙の塔の中にあると同時に、その知識も
外部に還元されることなく、また社会もそれを求めていないように見えます。
国立大学の独立行政法人化によって、学問は外部評価により
その存続を脅かされる時代を迎えます。
たとえば天文学は、実際的利益はなにも産出しません。
文学、史学に関しても、同じ危惧を感じます。
(まあ、日本は役に立つものと全く役に立たないものには寛大だという声もありますが)
そのような状況で、ますます学際での、そして社会での
空洞化が進むのではないでしょうか。
まあ、私のまわりは、「青い光」、おお、チェレンコフ光!
とかいって喜んでいるやつばかりなので、文系側の科学理解についての
実感は少ないですが、むしろ社会的動きなどまで配慮することも
少ないのかも知れません。
S> これは疑似科学批判本ですが、今から半世紀近くも前の
S> 本です。しかし、そこに挙がっている本のなんと「トンデモ本」
S> に似ていることよ。なんというか、目眩を覚えます。
S>科学技術万能になったと安易にいわれがちなここ半世紀、
S> しかしてその実態や如何に。
いやなに、きっと人間なんてソクラテスの時代から進歩していないんですよ。
先ほどの話にもかかわりますけど、知識を持った上でそれを楽しむ余裕は、
なくなっている気がしますね。 むしろ、科学的な世界観などに対する反動化というか、
非科学的、非論理的なものへの執着というか、
なにしろ、これまでは科学万能的な知識翼賛の時代だったのが、
情緒的に回帰している感じがあります。誤った神秘主義というか。
いま、理科教育についてのゼミを国立天文台で有志で開いているのですが、
もしかしたら、その弊害の一側面なのかも知れません。
科学が強権的に押しつけられた結果なのでしょうか。
もちろん、安易に情操教育への転換を唱える気などありません。
ただ、技術的進歩の影で、科学というものの本質的部分は
今後人々から失われるのではないかと危惧しています。
それは、教育指導要領の中身を減らして先送りすることによって
国民の水準を低下させることではなく、学問の本質が
世界認識、世界記述のために発達したものである
(これは何についてもそうだと思う)という概念を育てなければ
いけないのかも知れません。
今の人々は、世界にたいしてあまりに無関心だと思います。
表層的愉悦で満足していても、その根底には明らかに
物事に対して無関心な(しらけた)空気が蔓延している気がする。
妹を見ていて、どうしてこんなに世界(自分の環境)に
関心がないんだろうと思うことがあります。
彼らにとっては、どうでもいい遠いことになってしまった。
それにたいして殊更注意を喚起するような声高な議論は、
耳障りなのではないか。だからこそ、反動的に、
表層的なものや、エキセントリックなものに集まるのかも知れません。
いや、本当のところはわからないですけどね。
長くなりました。
たまたま今の時間は休講だったので、必要以上に迅速かつ
長々としたまとまりのない文章を書いて暇をつぶしてしまいました。
そのうち駒場に行きます。では。