| タイトル | LIFE&DEBT "ジャマイカ楽園の真実" |
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| 名前 | S.Naito (管理者)さん |
| 日付 | 2005/08/22 02:42:09 |
| 昨日の深夜、NHKでサルサ・ミュージックの源流を探しにキューバを巡る番組を放映していた。思ったより長尺だったので途中で諦めて寝てしまったけれど。情熱的なラテンの空気、陽気なダンスミュージック、無邪気な外国人観光客。サトウキビ栽培以外に唯一頼るべき外貨獲得のための“ハレ”の表情ばかりが映し出されていた。壁のCheに反応してしまったのはご愛嬌ということで。 その明るい昼の公園でピーナツを売る老婆の、華やかな夜にダンサーとして弾ける青年の、旅行者には見せないキューバと言う国の現在、そこに生きる人々の本当の姿を切り取ったフェルナンド・ペレス監督の『永遠のハバナ』は記憶に新しい。逼塞しそうな日常にそれでも愛しさを込めて故国を撮ったペレス作品と違い、完全に客観であるこのドキュメンタリーは、より凄まじい迫力を持つ。 クラシックにしろロックにしろ欧米カルチャー志向の私にとってレゲエ文化などは縁もゆかりも無いのだが、チリに行き、またキューバ革命の闘士に興味を持ったことで“ラテンアメリカ”という世界が意識野に入ってきた今、『"ジャマイカ楽園の真実"LIFE&DEBT』は見ておきたい映画だった。 グローバル経済の歪が、弱小国家の経済を直撃し、暮らしを破綻させていく。これは、歴史を顧みれば植民地支配の下でも起こり、あるいは急激な近代産業化が拡大しようとした明治期の日本国内でも生じた格差であろうし、富裕者の独占による貧困の拡大生産は現代に特有の現象ではないのだろうが、国際的な制度・機構によって世界規模で二元化の流れが統合的に進んでいると言うのは確かに21世紀が抱える大きな問題であるのだろう。 「我が事」が描かれていることに気付かなければならない。“貿易自由化”による農業の打撃は、多少緩やかな姿ではあるが日本の国内農業生産者も同じように直面している問題であり、農産物を輸入に頼るが上に、この点において“富者”であるはずの我々もまた被抑圧者になり得るのだという警鐘を鳴らす。豊かな日本ではまだ“安全な国産志向”も余地を持つが、それでも安価を第一とするmass consumptionは既に国民意識を席巻したし、アメリカの輸入自由化要求は順次拡大するばかりであろうし、今後ますます都市型産業への労働力の偏重が加速するだろうと思うと、“悪の結社”のごとき描かれ方をしていたIMF―職業柄こう書くと“Initial Mass Function(初期質量関数)”以外の何ものにも見えないのだが―の第2の出資者であるこの国さえも特権的ではなく己の産業構造の崩壊に晒されるほど、この経済の潮流は強烈であるようだ。 一方で、「より安いところから買う」という資本主義では当然の選択が、効率化に対応できない農民を困窮させる現実は我々が純粋な被害者ではなく加害者になり得ることを忘れさせてはくれない。 “FREE ZONE”の単純労働者の姿は、まるで明治期の女子織工を髣髴とさせる。まだ“人権”という言葉も理解していなかった時代の悪習が、21世紀の世界でもまだ存在し、そしてこれから幾度も繰返されるのだ。彼らの国で、働く者が(我々の感覚で)現代的な権利を主張できる日が来るとして、先行モデルを多く持つはずの今、日本がそれを獲得するまでにかけたより短時日にかなうであろうか。日本企業も海外に多くの生産拠点を移しているが、あそこまで劣悪な事例を生んではいないことを願う。しかし、全てコストダウンの要請から来ていることだから、安く生産した部品を人件費の安い国で組み立て再び輸入するというシステムは双生児と言える。ラインは設置しても、企業として出せない部分を覆えば“技術移転”が促進することも難しいであろうし、現地に落とすコスト以上にベネフィットを確保すれば結局資本は再分配ではなく集中しているのであり、グローバリゼーションの建前は永遠に建前のままなのだろうか。 『ハバナ』では、それでも生きる人々への思いが余韻になったのだが、『ジャマイカ』ではただひたすらこの世界とこの国のあり方への思索の要請が残っている。 現代では、キューバのように武装革命が成立することも無いだろう―キューバ革命は時期的にも成果的にも稀有な事例なのだろう―。仮にそれが起きたとして、キューバでさえアメリカの封鎖の前に困窮し、独自の工業化政策も果たせず結局旧ソ連に経済を依存してモノカルチャーからの脱却には失敗した。冷戦構造も無い今、旧宗主国からの温情関係にすがるばかりでは出口も見えないだろうに。 | |