| タイトル | TEN MINUTES OLDER: THE CELLO |
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| 名前 | S.Naitoh (管理者)さん |
| 日付 | 2004/01/23 01:06:32 |
| 『イデアの森』ギリギリで見てきました。 やはり、『人生のメビウス』に比べても一層抽象的テーマになっている感じか、 幾分のとっつきにくさはあるのかも知れません。 個人的にはこういうのも楽しいのだけど。 流れ込む情報、特に思惟を追いながら、とりとめもなく自分の中でも言葉や思考が巡るひと時、 とても優雅な思索の時間というのは、贅沢な娯楽だと思う。 ベルトルッチ『水の寓話』は、青年の人生のスナップショットが流れに浮かぶ泡沫のようで、 でもはじめのせせらぎに戻ってくる不思議な感じ。 でも、最初に国境を越えていたのは就労目的の密入国なのかな? 老人はそんな感じには見えないけど。 フィギスの映像は、一つの演技空間を複数のカメラで視点を交錯させながら撮っていたのが面白い。 少年期、青年期のマークが各時代のエゴだとすれば、それに問いかける男性(彼もまたマーク自身)はスーパーエゴか。 プログラムでは10分ワンカットもセンセーションだと書いてあるけど、 90分ワンカットで『エルミタージュ』を撮ったソクーロフはどうなるのかな? メンツェルの『老優の一瞬』は、本当に一人の人生のほぼ全てのように、移ろいゆく人間が描かれていた。 若い頃のスマートさと中年の貫禄、老齢の深遠、かと思いきや各所に溢れる滑稽なほどに生身の人間性。 確かに同じ面差しを残しながら、人は戻らない時を生きているのだな。 自分はどう年をとるのだろう。 イシュトヴァン・サボーは、まさに"一寸先は闇"。 10分で人生が変わってしまうのは『メビウス』のカウリスマキにも通じそうだけど、 それが自分の意思によるものではなく、不可解で理不尽なほどの転換が一瞬で起きてしまうことの呆然。 ただ、気分の面ではあまりすっきりしなかったかも。 デュニの『ジャン=リュック・ナンシーとの対話』は、一番好き嫌いがあるかも知れない。 退屈する人も多いんだろうけど、これは面白かった。 対話そのものが、見ている自分の中に思惟を呼び起こし、思索の渦を起こす。 いつの間にか、ナンシーの対話を真剣に聞いているアナでなく自分自身がいる。 フランスという一国家のみの問題でなく、全て人が見える"自己"という同一の世界への"侵入者"の存在を考える。 シュレンドルフは、アウグスティヌスの著述を普遍的な時の哲学として蘇らせたのか。 しかし、あの女性、男性は互いにあれで幸福な出会いだったのだろうか。 ラドフォードの『星に魅せられて』。 "浦島効果"は、SFは知らないけど古典的としてさえ使い古されそうな概念だけど、 父子の対面、その感情そのものが、噛み合ってこなかった時間の実感、リアリティを双方に突きつけている。 Trailerの「少しだな。10分か」って、このシーンだったのか…。 ところで、プログラムに異議。"80光年"じゃ銀河系の外は愚か、ごくごく近傍も出ないんですが。 映像の科学考証に突っ込んでみようとは思わなかったけど、この記述だけは完全に余計だね。 さて、トリのゴダールは、映像のインパクトが強烈だった。 短く切り替わるテーマ、シーンを畳み掛ける演出もそうだったし、映像そのものの生々しさでもあるけれど。 最後の瞬間、最後の映像。 10ミニッツ・オールダー全てを見終えた、という区切りがついた。 | |