地域情報

弊社の所在地であります甘楽町は、織田信長の次男信雄より8代(約150年)にわたり織田家の城下町として栄え、江戸時代の面影を色濃く残している町です。物産センターの周辺に城下町の家並みや武家屋敷、大名庭園跡など現存する建造物や今に伝える人々の暮らしを訪ねることができます。


●城下町小幡桜まつり「武者行列」
甘楽の春を彩るビックイベント。これは小幡藩が、織田信長の次男、信雄を初代として七代にわたって織田家に統治されたことに由来するもの、春の1日、満開の桜の下で華やかな戦国絵巻が繰り広げられます。

桜まつり武者行列 桜まつり武者行列
●先人の知恵「雄川堰」
甘楽町を南北に流れる雄川堰は、古くから住民の生活・農業用水、精米などの多目的に利用されてきた用水路で、日本名水100選にも選ばれています。
雄川堰
●江戸時代の武家屋敷「高橋家」
小幡の武家屋敷の中でも、昔の様子を最も残しているのが、高橋家の庭園と屋敷です。心字池を中心にした庭園には、蓮莱の滝がむかしのままにさわやかな音をたてています。

高橋家行灯 高橋家武家屋敷
●ちぃじがき蕎麦の里「那須庵」
厳選吟味した地元産そば粉100パーセントを石臼挽きし、目の前で手打ちにしてくれます。全てにこだわり、手抜きのないその味に、各地から蕎麦ファンが足を運んできます。
那須庵
●織田信長の系譜「織田宗家七代の墓」
小幡は元和元年(1815年)に織田氏の所領となり、以来150年にわたって治められました。初代信雄から七代信富までの墓が今は崇福寺の旧境内に建っています。
織田宗家七代の墓
●身を守る為の「喰い違い郭」
旧陣屋の中小路に面して造られた「喰い違い郭」。戦の時の防衛上のために造られたとか。また、下級武士が上級武士に出会うのを避けるため隠れたともいわれています。
喰い違い郭
●大名庭園の跡「楽山園」
織田信長の次男信雄がここに城下町を築く際に造られた庭園です。7年と数万両を投じて造られたという池泉回遊式の庭園は、当時の格調の高さが忍ばれます。
楽山園

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