環境案内

ここは戦後からほぼ変わらない日本の原風景・農村の姿を残しています。

キャンプ場のマップ

キャンプ場の横を流れる栃原川。源流に近い清流です。

栃原という集落は応仁の乱で京都からのがれてきた侍大将と従者が開いた村。侍大将が正源寺住職の祖先で従者が朝倉の祖先。正源寺は親鸞聖人真筆の名号が伝わる由緒あるお寺です。約550年前、騎乗の侍大将板倉さんに徒歩で従った朝倉は、背に仏像を負い両手に経本を持ってやってきそうです。

施設は昔の庄屋の家で、昔の蔵や離れが残っています。古いため新築がいつか記録は残っていませんが大きな改築は明治33年。かや葺から瓦葺にしたのが昭和37年。かまどが現役で火吹き竹で火を大きくしてご飯を炊きます。他にも木の臼で餅つきや、石臼できな粉引きなど昔の生活を体験してもらえます。

川に入ると網に水生昆虫や魚や川エビがかかります。川遊びが楽しくなると呼びにゆくまで帰ってこず、チェックアウトまでゲーム機を忘れていたり…ということも。自然工作で竹細工や草木染めをしたり、季節の草花遊びに押し花、昆虫採取をして図鑑調べや顕微鏡で観察したり星座観察など、四季・昼夜を通して遊びと学習のプログラムを楽しんでもらえます。

戦前の栃原の原風景

栃原川上流より村内を縦横に流れる用水路から、水車で田んぼに水を引いていました。今でも用水路が残っています。
養蚕の桑の木、紙の原料ミツマタ、自生するお茶の木など昔の暮らしが偲ばれます。

田植えは村人総出で助け合うこと。朝倉(庄屋)の家に昭和36年まで牛(名をゴロウという)を飼っており村の共有財産でした。牛にひかせる耕運道具、とうみ、千歯こきなどの農具も庄屋が管理していたということです。