TRONのX680x0物語ページ (更新 1996/3/18)
もくじ
ファーストコンタクト
それは1986年10月のエレクトロニクスショーだった。(もうすぐX68000
と出会って10年やないけ^^;) たいした期待もなく会場に現れたTRON
は、X68000を目撃し驚愕の表情で立ちつくす事になる。
「な、な、な、なんやこれ(^^;;;;;;;;;;」
「どないでっか(^-^)」
いかにも大阪商人みたいな変なおっさんが話しかけてくる。(そのおっさん
こそX68000の開発責任者 鳥居准将本人であった事に、のちに雑誌で顔写真
を見て知る事になる。)
「す、凄いですねぇ〜(^^)」にこにこ顔が止まらないTRON(^^;
「いくらなら買います?(^^)」ずばり聞いてくる大阪商人
「よ、40万円くらいなら...」
その時TRONはこれくらいのスペックなら50万円を切るのは大変だろぉ
.....と想像した。当時、電産の68000UNIXマシンは数100万円したし、
68010のSUN2は1000万円以上したのである。MAC+は60万円くらいの時代の
はず。68000のYAMAHAグラフィックターミナルも70万円くらいだった...
鳥居准将ニヤリと笑う「そんなに高くていいんですか(^o^)」
「え(^o^;;;;; え! えええ!!!!(^^;;;;; さ、さ、30万円?(@_@)」
「期待してて下さい(^_^)」ふてきに笑う鳥居准将.........
発売と同時にX68000を買う決意を堅めたTRONであった。
X68000購入\(^_^)/
結局X68000は368000円で発売される事になった。(なんだ30万より40万
円に近いじゃないか...っとちょっとだけ思うTRON。でも安い!(^^))
1987年1月に石丸電気で予約。発売予定は1月から2月、3月決定から結局
4月15日にまでのびた。OSのバグ出しとマニュアル書きやってたんだろー
なぁー(^^)。
1980年に買ったPC8001いらい7年ぶり2台目のパソコンであるが、PC8001
からの性能の進化は驚愕の連続であった(^^) グラフィックが160*100か
ら1024*1024に、カラーが8色から65535色に、外部記憶がCMTからフロッピ
ーディスクに、日本語が不可から読み書き可能に、主記憶が32KBから1MB
に...(^^) 会社で使ってたSUN2、VAX11/780、Macintosh、ApolloDOMAIN
等に使い勝手ではぜんぜん負けていないぞ(^^)
所で購入ではちょっとした失敗。CRTを買わなかったのだ。実はX68000
登場以前に将来のパソコン購入に備えてSONY KX21-HD1マルチスキャンプ
ロフィールを購入していて、KX21の水平周波数が15kHz〜35kHz自動追尾
で、X68000の水平周波数が15.75kHz,24kHz,31kHzの3段階で十分対応でき
ると考えていたのだが、X68000が水平同期、垂直同期別々なのに対し、
KX21がコンポジット同期信号のみである事に購入後マニュアルのコネク
タ信号規格を見て知りがくぜん(^^;;; KX21のマニュアルにあるコンポ
ジット信号タイミング波形を見て水平、垂直信号からコンポジット同期
信号の合成をしようと論理回路を考えてみたけれど、ハードに弱いTR
ONはその実現に手間取り(一応IC買ってきて基盤作って見たりしたが火
花が飛んでICをダメに^^;)、結局ディスプレイテレビを追加購入したの
であった。
インターネットからパソコン通信へ
TRONはこの感動を誰かと共有しようとインターネットニュースに
X68000の使用レポートを流し始めた。インターネットでのX68000の話題
第1号である(^^)
当時のインターネットfjニュースグループには、fj.recもfj.sysも存
在せず、僕たちバイク乗りやアニメファンはfj.generalにてバイクやア
ニメの話題を書きまくっていた(このままではfjはバイク乗りとアニメフ
ァンに占領されてしまうとおそれられたほど(^^))。
マイコンの話題用にfj.micro.ibm,fj.micro.apple,fj.micro.fujitsu,
fj.micro.nec,fj.micro等が用意されていた(なぜかfj.micro.sharpは無
かった^^)が、fj.micro.appleでMacintoshとApple][の話題が流れる以外
はまったく利用されていなかった。
fj.microでX68000の使用レポートを流し続ける一方、他にX68000ユー
ザーが現れない事に孤独を感じたTRONはパソコン通信の世界へ進出
する事を決意する。ちょうどその頃明治乳業がマスターネットというパ
ソコン通信の開設をアナウンスし始め、タイミングがいいので加入する
事にする。加入してさっそくX68000の会議室を作るが、テスト運用期間
で無料なのはいいとしてもやはり他にX68000ユーザーがいない。やっぱ
りメジャー所のパソコン通信に加入しなければダメかぁーっと、ASCII-
NET,NIFTY,PC-VAN,日経MIXのうちどれに入るか検討を始める。何処にX6
8000ユーザーがたむろってるかの情報が無かったのだ。
そんな時書店でBBS電話帳を発見する。そうだ草の根BBSだ(^^) ある
ある、シャープMZシリーズの草の根BBSがあるではないか(^_^) そうい
った草の根BBSを回っているうちに、大阪のNANNO-NETという富士通FMシ
リーズの草の根BBSにX68000ユーザーが集まっているという情報をキャッ
チ。神奈川県から大阪にアクセス。おお、今までで一番沢山のX68000の
記事があふれている(^_^) よろこぶTRON(^^)
北京誕生
NANNO-NETでX68000の話題で盛り上がってるうちに、X68000専用のBBS
を立ち上げようという事になった。BBSのホストシステムはNANNO-NETの
FM-11のシステムを使い、場所は東京にて立ち上がった。名前はPEKIN-
NETになった。神奈川県川崎市在住だったTRONは、アクセスが大阪
から東京へとぐぅんと近くなり電話代がたすかる上に、PEKIN-NETは話
題でもフリーソフトでもぐんぐんぐんぐんハイペースで増えていった。
とても嬉しかった(^^)
X68000にはROMファイルという形で最初からターミナルソフトが付属
してきたのでモデムを買うだけでパソコン通信を始められたが、PEKIN
-NETでABTermという通信ソフトも手に入り、X68000ライフはどんどん快
適になっていった。
やがて大阪では初めてX68000をホストにしたクックNETが立ち上がる。
アセンブラで記述されたそのホストプログラムの爆速には驚かされた(^^)
そして大手のNETではNIFTYのFSHARPに人が集まり始めているとの情報
を得て、NIFTYに入会。更に勢い余って日経MIXにも入会する(^^)
CG製作
X68000を購入してさっそく作り始めたのがCGアニメーションだ。
TRONは1983,84,85年とURACON II,IIIオープニングアニメーション
の製作に関係し、85年には個人で8mmカメラ(FUJI ZX550)を購入、86年
に関東で自主製作アニメーションの上映会をやっているアニメーション
研究会連合の参加団体「コンピュータグラフィックス連合」に参加して
いた。86年の時点では幽霊会員だったTRONだが87年4月にX68000を
手に入れ、87年6月のアニ研連上映会で製作したFILMを上映した。作品
はX-BASICによる関数模様をZX550でコマ撮り(管面撮影)した物だった。
X-BASICの関数再帰呼び出し能力はPC-8001のN-BASICでは考えられない
ほど簡単に関数グラフィックを記述できた。
上映会の後、TRONはX68000上でのアニメーション製作環境構築
にとりかかり、手描きアニメーション支援システム「トレス台」のコ
ーディングを始めた。
第1回日本CG大会
夏
TRONは1987年度の第26回日本SF大会「URACON 87」で、「第1回
日本CG大会」を企画する。企画は、SIGRAPHからの最新CGアニメーシ
ョンビデオ上映会、CG連で製作したアマチュアCGアニメーションの
8mm上映会、X68000やPC9801を使ったCGアニメーションの製作講座、合
宿会場の旅館での朝まで討論(宴会)等で構成した1泊2日の企画であっ
た。(前泊合宿ではアニ研連のアマチュアアニメーション8mm上映会を
行った)
ここでこの企画に強い興味をもっていただいたのがOUCC大阪大学コ
ンピュータクラブプロディージュ、KMC京大マイコンクラブ、GR大阪工
業大学グラフィック研究会からSF大会に遊びに来ていた皆さんであっ
た。彼らと知り合う事により、TRONのX68000ライフはますますゆ
たかになっていくのだった(^^)
秋
OUCCプロディージュからは、東京のショー(ビジネスショーかなんか)
のシャープブースに展示するMZ2861で面白いデモを展示してるとの情
報を得て見に行く。プライオリティ法による高速ポリゴンレンダリン
グで、のちのDoGAを想像させるカッコいいデモであった(^_^)
冬
X68000のX-BASICで記述した手描きアニメーション支援システム「ト
レス台」にて作成したアニメーションを1987年12月のアニメーション
研究会連合の上映会にて上映した。この後TRONは、第1回日本CG
大会を遥に上回る規模の第2回日本CG大会を第27回日本SF大会MIGCON
で企画するべく動きだすのだった。
この冬X68000ブラックモデル登場。1988年春には318000円のX68000ACE
が登場する。
DoGAプロジェクト
鎌田さん、ついにASCII誌上にてCGAコンピュータグラフィックスア
ニメーションの連載を開始する。この時はまだ大阪大学コンピュータ
クラブプロディージュの名前であったが、この動きは更に大きな物へ
とどんどん発展していく(^_^) 当時、OUCCやKMC等、関西の大学のコ
ンピューターサークルが集まった近畿学生コンピュータ連合(近コン連)
という団体があり、そのなかでCG好きを集めてDoGAプロジェクトを立
ち上げたのだった。
やがてポリゴンモデラーのCAD.x、レンダラーのrend.x(この頃はま
だプライオリティ法)、リアルタイム動画再生のsranim.xが届き、想像
もしていなかったリアルタイム動画再生によるビデオ録画のアイディ
アにびっくり仰天したのでありました(^^;
TRONの方は87年12月のアニ研連上映会に「トレス台」によるア
ニメーションを上映。新たにマルチセルシミュレータ「撮影台」の開
発にとりかかるとともに、第2回日本CG大会での作品コンテスト「日本
CG大賞」への作品募集に飛び回っていた。当時のほとんどのパソコン
雑誌に募集の記事が載った(中でもビデオコムは1ページの記事を作っ
てくれた(^_;))ので、皆さんの書庫の中にも当時の募集記事が残って
るかもしれません(^^)
X68000 3Dグラフィックス入門
87年夏の日本SF大会終了後、SF大会実行委員の1人で、BUG News Net
workで編集員をやっていた人から、「X68000が発売されて話題になっ
ているし、太田さんの日本CG大会やCG連を見ていると面白そうな人が
集まってるので、X68000とコンピュータグラフィックスを題材に本を
作ってみようと思ってるんだ」ともちかけられ、X68000 CG本の企画が
スタートした。当時X68000の単行本というと月刊マイコンのX68000紹
介本ぐらい。X68000のちゃんとしたマニュアルともいうべきX68000テ
クニカルデータブック(シャープテレビ事業部監修 アスキー)が出たの
が87年9月1日。
ライターや開発の出きる人を集めて企画会議。本はコンピュータグ
ラフィックスの入門部分と、CGの実現部分、CGの理論部分の3部構成と
し、CGの実現にはPHIGSをX68000上に構築する事を決定。開発には発売
予定のCコンパイラーPRO68Kを予定し、暫定開発にはPC9801を使う事に
した。開発とメインライターにはメーカーでCAD開発にたずさわってい
る人があたった。この本「X68000 3Dグラフィックス入門」は88年6月
19日 BNNより出版された。
「はじめに」の謝辞の部分に名前が載って嬉しいTRON(^^)
fj.sys.x68000
インターネットのfjニュースグループ管理人が(い)さんからコアラ
大将さんに変わり、ニュースグループの構成を大幅に変更する動きが
出てきた。リクリエーションの為のfj.rec.*の新設や、コンピュータ
マシン単位で話題を扱う為のfj.sys.*の新設。それによるfj.microの
廃止等である。
TRONはさっそく次の3っつを提案し、すぐに作成される(^^)
fj.rec.animation
fj.rec.bikes (のちのfj.rec.motorcyclesとfj.rec.bicycles)
fj.rec.sf
しかしfj.sys.x68000の提案は行わなかった。だってX68000の記事を
一番出していた本人が提案するのは気が引けるでしょ(^^;
でも、fj.microでのX68000の話題にはTRONの他にも何人も参加
する様になってて、記事の量もfj全体でそれなりのパーセンテージを
しめていた。そこで他の人(たしかシャープのわだまんさんだったかな
ぁ)がfj.sys.x68000の提案をしてくれて、TRONも賛成。fj.sys.sun,
fj.sys.macなんかと同時期にX68000のニュースグループは出きたので
あった(^_^)
インターネットでのX68000の話題はニュースグループもできて、話
題に参加する人も増え、PEKINネットから持ってきたフリーソフトの投
稿も加わり順調に増えていった。そしてTRONはX68000の話題を中
心にした投稿量で、fjニュースグループ全体の投稿ランキング第1位に
なってしまうのであった(^o^)
PEKINネットの方もものすごい勢いでフリーソフトが増えていた。そ
してPEKINのホストのある運営者の自宅でのPEKIN-NET OFF会に参加。
フェアチャイルドのキーボーディストだった戸田さんや女性ボーカ
リストのRIKAさんなんかが来てて、メジャールートのCDを出してるプ
ロのミュージシャンに会うのは初めてだったTRONは緊張(^^) RIKA
さんのいかにも芸能人なファッションに感動してしまう(^^)
NIFTYのFSHARPでも順調にX68000の記事が増えていた。そして発売予
定がどんどんのびるCコンパイラPRO68Kに変わって、GCCの移植がちゃ
くちゃくと進行していったのでした(^^)
日本CG大賞
1988年に入り、第27回日本SF大会MIGCONでの企画「第2回日本CG大会」
でのCGアニメーションコンテスト「日本CG大賞」の応募作品もぞくぞく
集まりだし、最終的には20作品近くになった。司会者には後にデルタシ
ティ等の単行本を出す大竹氏を向かえ、会場もかなり大きな宴会場をMI
GCON側に用意してもらって、大会当日は熱気ムンムン(^^) 大成功をお
さめる事ができました(^^)v DoGA CGAシステムを使ったプロディージュ
の作品も登場。鎌田さんも大会の熱気に楽しんでた様子で、のちのCGA
コンテスト上映会開催へのエネルギーの一部になったのではないかと思
うと嬉しいです(^^)
#第27回日本SF大会の実行委員長はGAINAXの武田さんで、作ったばかりの
#「トップをねらえ」第1話2話先行上映会より人が多かった様な(^^)
TRONがX68000とコンピュータグラフィックスにかけてた情熱はこ
の頃がピークだった様な気がする(^^)
マルチセルシミュレータ「撮影台」の開発はあまり進まず、アニメー
ション研究会連合の上映会にはDoGA CGAシステムで作った作品を出して
行きました。8mmでコマ撮りする為にDoGAに頼んでsranimのコマ送り再生
を作ってもらったりしました(^^)
ANCIS02,ANGEL,TOYBOX,EDEN4D
第1回日本CG大会で知りあったGR大阪工業大学グラフィック研究会の
そむにうむさんからは、なかなか興味深い統合CGアニメーション製作
システム「ANCIS02」が届けられた。
ANCIS02は、形状記述や位置の指定、レンダリング命令がすべてイン
タプリタで細かく指定できる様になっており、アニメーションの自由
度の高いシステムでした。最初はX-BASICで記述され、やがてGCCにな
り、操作コマンドがグラフィカルインターフェースになり、DoGAとの
データコンバージョンや部分更新レンダリング、高速アルゴリズム等
毎年毎年確実にバージョンアップされていきました。その開発はほと
んどそむにうむさん1人により続けられ、名前もANCIS02からANGEL、
TOYBOX、EDEN4Dと変わり、TOYBOXではOh!Xの付録ディスクにもなりま
した。現在ではIBM互換機とマッキントッシュでの開発に移行していま
すが、彼のライフワークと言えるこのシステムに、1987年からかかわ
る事ができて、X68000での最も楽しい思い出の1つになってます(^_^)
そむにうむさんとはコンピュータグラフィックスや形状モデリング
について、良く討論しました。日本CG大会でANGELやTOYBOXの紹介コー
ナーをもうけたり、一緒にパソケットやコミケでディスクを販売した
り、東京にいるCG連のメンバーで集団で大阪に遊びに入った時にDoGA
の鎌田さんと共に大阪を案内して頂いたりと、この9年でいろんな事が
ありました。そむにうむさんの最新のCGシステム「EDENAS」は、1996
年夏の日本SF大会(北九州市小倉)コクラノミコンで見れると思います(^^)
第1回パソケット
パソコンソフトのフリーマーケットの話が何処からともなく流れて
きた。たぶんコミケットでチラシをもらったんだと思うけど、主催者
の名前を見るとどっかで見たよーな.....あ! 廃刊になったSFイズム
の編集長ではないか(^^;;; 雑誌が潰れて何やってるんだろーとか思
ってたら(^^; SFイズムさんにはURACON III OPAをカラーページで紹
介して頂いたりしてるのでちょっと親近感が(^^)
#調べたら彼はその頃キャプ翼オンリーコミケなんてのもやってるのね(^^;
CG連の皆でイラスト集を中心としたディスクを何枚か作り、第1回
パソケット会場に出向く。蒲田かどっかのちっちゃい公会堂だが、既
に会場には長蛇の列(^^; 晴海のコミックマーケットには毎回スペー
スを取っていた(アニメ同人誌(魔法少女系^^;)を売っていた)経験でデ
ィスクは20枚用意していったのだが、開場と同時にすべてのスペース
に人が殺到、用意したディスクは5分で完売してしまった(^^;
なんなのこの売れ行きは(^^;;; CG連内では、スペースハリアー
が出る前のX68000 ACE時代の事ですが「あまりに市販ソフトが少い為、
皆ソフトに飢えているのでは?」とか「実はパソコン通信していない
人が沢山いるのでは?」とか話題になりました(^^)
第2回パソケットに向けて新しいディスク(LISPインタプリタ、会話
シミュレータ、イラスト集等。主にCG連の森村なしみ氏とTRON
が作成)を用意し、今度は100枚ディスクを準備してのぞんだ。しかし
1時間で完売してしまう(^^;
コミケではオフセット印刷の同人誌を売るのにあんなに苦労してい
たのに(^^; 需要と供給のバランスが崩れている(^^; そして第3回の
パソケットではついに売り上げが10万円を突破(^^; 参加費とディス
ケット代を引いた利益でその後高性能8mmカメラFUJI ZC1000の購入資
金の一部にしたり、CG連や日本CG大会の連絡費に使う等、サーク
ルの活動資金はだいぶうるおったのでありました(^^)
DoGA CGAコンテスト
(福題「セカンドコンタクト」又は「PRO/EXPART登場」^^;)
ASCIIでのDoGA CGAの連載も回を重ね、CGAシステムの雑誌での配付
も進み、ついに第1回CGAコンテストの告知が行われた。場所は東京の
中央線いちがや駅の近くにあるシャープ東京営業所ビル内のホール。
上映会の開催日は1989年の確か1〜3月ごろ。
準備を手つだおうと開場時間より早く行く。
おお、シャープの営業所だ(^^) 良くこんな会場が取れたな(^^)
もちろんシャープの営業所に入るのは初めてだ(^^) 日曜日だったけ
ど人がいなくて静かだ。(休日出勤はしないのかぁ?とかよけいな事
を考える^^;)
DoGAの皆は1BOXのレンタカーにかんずめ状態で大阪からやってきた(^^;
この時か第2回だったか忘れたけど、車の振動で持ってきたビデオデ
ッキが壊れるというハプニングも(^^;
鎌田さんにあいさつ「ちわー」
「新機種があるよ」
「え!? ろくはちの?(^^;」
ホール横の部屋には89年春の新機種、X68000PROとEXPARTが並べら
れていた(記憶があやふやなのでPROだけだったかも知れない)
「げ、横置き(^^;;;;;」PROはマンハッタンシェイプではなかった。
しかしキーボードはかなり良さそう。おお!外部スロットが4っつも
ある(^^)v その頃既に68881ボードとMIDIボードとスキャナI/Fとメ
モリボードで「いったいどーしたらいいんだぁー」状態だったのだ(^^;
しかし驚いたのはそれだけではなかった。X68000PROの横にいたの
はシャープテレビ事業部第4商品企画室長の鳥居さんなのだった(^^;
「げ、鳥居さんがいる(^^;;;;;」今回は顔を知っているのでびびる
TRON(^^)
上映会は第2回以降に比べれば小粒な作品が多く、会場の席も全部
埋まりませんでしたが、楽しい上映会でした。司会進行の工夫がねら
れててTRONは感心する事しきり(^^) ここで「次はかならず僕も
作品を出すぞ!」っと決意するが、それは決意だけで終る事になる(_ _;;;;;
表彰式ではなぜかCG連がCGA普及に貢献したとして特別賞を受け
る(^^; 代表してTRONが段上に上がるが、福賞のアスキー1年分は
7年たった今でも送られて来ないぞぉー > ASCII(^^;
上映会の後で打ち上げが行われた。なんと鳥居さんも参加の宴会で
ある(^_^) パソコンユーザーがそのパソコンの開発責任者と酒を飲
みながらパソコンの未来についてかたり合う事ができるんなんて、な
んと幸せな事であろうか(^^)
鳥居さんはパソコンを通して提供できる夢について熱っぽくかたっ
て頂きました。鳥居さんはパソコン少年の心が分かる珍しい管理職で
した(^_^) 鳥居さんはユーザーからの要望が高速化ばかりなのに対
してその想像力の無さをなげいていました。鳥居さんからはX部隊自
身の夢を実現していく力を見せる事によって、ユーザーの想像力と実
現力を刺激したいとの感じを受けました。この1年後に出るSX-Window
が頭にあったのだと思います。(でも2年後には高速化に踏みきったXVI
が出る訳ですが^^;;;)
その後、DoGA CGAコンテストは毎年確実に開催され、応募作品のレ
ベルはどんどん上がり、X68000に限らずCG関係者の多くにその活動が
つたわり、X68000ユーザーの多くにCGAシステムが広まっていったの
でした。

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ディスク北京
北京NETのフリーソフトはぼうだいな数に登り、この資産を北京NET
内だけにとどめるのはもったいないという事でディスク北京が誕生し
た。配付は北京NET参加者のつてであちこちにて行われ、fj.sys.x68000
でも名簿を作って回覧が行われた。ツクモ電気では熊さんがディスク
のコピーをボランティアで行い、話を知ってる者はツクモ電気でディ
スク北京が手に入った。
TRONがX68000を買ったのは石丸電気であったが、この頃、秋葉
原へ行けばまずツクモ電気へ行く様になっていた。ツクモ電気はX68000
に好意的な扱いをしていた。
インターネットではfj.sys.x68000の他にfj.binaries.x68000が誕生
した。遠く北海道では南京NETが誕生した。NIFTYのFSHARPは会議室がオ
ープンしてもすぐに記事で満室になる状態で、NIFTYのフォーラム内で
も1,2位をあらそうアクセス数なのではないかと言われる様になった。
やがてFSHARPはおしゃべり重視のFSHARP1、映像音楽中心のFSHARP2、プ
ログラマーの情報交換中心のFSHARP3に拡張される事になる。
TRONはすべてのX68000関係NETに顔を出す時間が取れなくなり、
日経MIXのX68000会議室や大阪のCock-NETには行かなくなった。又、X6
8000会議室をみずから作ったマスターネットからは脱会した。
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ページ作成 1996/3/18