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強烈なおっさん 1/31/99

世の中いろんな人がいるとはいうものの、久しぶりに強烈なおっさんに会った。月亭八天さんの「第一回落語じゅずつなぎ」という落語会にそのおっさんはだらーっと出現した。やたらとでかい声で「そんなんあるかええ」とか「まちがえんなよおまええええ」などとだらーっとした野次をとばすので、かなんおっさんがおるなあと思っていたらなんとそのおっさん主催者のひとりで、あとの打ち上げでも野次と同じ喋り方を続けたのである。いちびっていたのではなくそういう人だったのだ。これには驚いた。どういう喋り方かというとだいたい一音節一秒くらいのゆっくりした口調で、やたらと響く低い大きな濁声による何種類かの同じフレーズを適当に組み合わせて喋るという喋り方である。その雰囲気はたとえばファンタジー映画などで地の底から悪魔の声が響いてくる、というようなシーンで使われる声を、だらだらの大阪弁にしたような感じか。まあなんにしろ筆舌に尽くしがたいというのはあのおっさんのことであろう。一番頻繁に現れるフレーズは「おまえに言われたないんじゃあ」というもので、これに続いて「だまってえあほお」あるいは「殺すどお」あるいは「こっち見るなあ」というような展開をみせることもある。自分でさんざん野次をとばして落語の邪魔をしておきながら打ち上げでは「一回目からなにもかもうまいこといくと思うたらいかん」などと言うし、あんたが邪魔しとったんやがなと八天さんが突っ込んでも「おまえに言われたないんじゃあ」ほな誰が言うねんと思うところ、別のまじめな人が「そやけどああいう野次にも、そのままネタをきちんと続けていくというのは、やっぱり落語という芸能の力やねえ」みたいなことを言うと件のおっさんはいたく感心したように「えらいがなあ」何度も言うがこのおっさんが邪魔をしたのである。「あんた歳なんぼ」とぼくに訊くので「三十六ですが」と言うぼくの言葉に重ねてすかさず「三十六や三十六。三十六やと思うた三十六や」あんた後出しじゃんけんみたいなことやめなはれと突っ込まれると「おまえに言われたないんじゃあ、この顔は三十六の顔やないかわしにはわかるんじゃあ」と怒る。また別の話になり「ああいうことはしたらいかんのや」と珍しく真剣に言ったあと、別の誰かが「しかしたまにはしてもええんとちゃうか」と言うと重ねてすかさず「いやどんどんせなあかんでえそれはあ」自分の意見ないんかあ、とぼくといっしょにいた田中啓文さんがひっくりかえって笑っていると「おまえらなにひっくりかえっとんねんわしは前向きやいうことやないかえ」前向きてなにに前向きなんですかと訊くとにやあと笑って「おまえらいつか仕返ししたるからなあ覚えとけよおほんまあ」ああおもしろかった。


体の節々が 1/30/99

痛い。まず右肩が痛い。筋肉痛のような痛みである。右腕を動かすたびに痛い。首も痛い。普段はなんということもないのだが、ちょっと斜め上を見たり、首を傾けて耳の穴を指で触ったりすると首の筋がきききっと引き攣ったようになってしばらく動けなくなるほど痛い。背中も痛い。じっとしていても筋肉の奥の方が鈍く痒いような気持の悪い痛さである。ストレッチなりマッサージなりすれば楽になるかと思うのに、どこをどう伸ばしても押さえても重苦しいその鈍痛には届かないのだ。この痛みは吐き気と連動している。それから尻の上半分が痛い。これも背中の痛みに似ているが、大腿骨と骨盤が接するあたりの体側面の筋肉を押すと、きんきんとした痛みが脚全体に走り、なぜか膝の外側までもが痛くなる。膝のお皿のすぐ下のあたりも痛い。これは椅子から立ち上がった直後や、階段を降りるときに痛む。ほんの少しきりきりと痛む程度なのでたいしたことはないと思っていると、おなじ動作を続けていてもときどき前触れもなく脳天を突き抜けるほどの痛みに襲われることがあって油断ができない。このときの痛さは実にものすごく、一瞬息がつまって視界が黒く染まるほどである。さきほど風呂に入って触るまで気づかなかったがどうやら土踏まずも痛い。親指でぐいっと押すと全身粟立つ痛みが背筋から後頭部にかけて駆けのぼる。痛くてつらいのだが、その反面どこか心地よいものもあって吐きそうになりながらも何度も押してしまう。この全身の痛みすべて、風呂で温まればましになるかと思い本を読みながら一時間も風呂に浸かったのだが逆効果だったようでかえって体全体が固くなってしまった。しかも風呂に入る前にはなんともなかった前腕までもがだるく痛いのだ。体の節々が痛いときに一時間も同じ姿勢で本を読むのはよくないのだなあと思う。ああ痛い。


グレゴリーのデイパック 1/29/99

先日27日はどうやらぼくの誕生日だったようで、36歳になった祝いになんとなく目に付いたので買ったこれをくれてやるおまえ前から欲しがっておったのであろう、と心優しいが口が悪くてすぐに人を全力で叩く美人がなにを思ったかグレゴリーのデイパックをくれた。おおグレゴリー。あなたのおうちはどこ? 知らんが欲しかったのだ。コピーライターをやっていた頃、走る時間が取れないのでなんとかして走ろうと考え、そうや会社の帰り明石駅で降りて大久保駅まで走ればけっこうな距離やないかと実際走ってみたらダイエーで2800円だった背中のデイパックが跳ねてずれて邪魔なことこのうえなく帰ってみれば中の書類はばらばらインク漏れ漏れ昼の残りのサンドイッチ流動食化、これはいかんなんかもっとしっかり背中にひっつくデイパックがいるなあ、とさっそく買いにいったのだった。なんであんなに走りたかったのか今ではまったくわからない。アホちゃうかと思う。大阪アメリカ村のスポーツ用品店で相談すると「ああそれやったらやっぱりグレゴリーがええんちゃうかなあ。これええよほんま」と、おまえは高校時代のツレかというようななれなれしい店員(アメリカ村の店員は全員なれなれしい。たいてい店に入ったとたん「自分どんなん探しきたん?」とガムを噛みながら肩を組んできたり女性店員(絶対不細工)の場合は腕を組んできたり奥のベッドに誘ったりする)にすすめられたが、少々高価であったのと「ようはやってるしこれええで、そのへんの高校生なんかもよう持ってんの自分も見たことあるんちゃうん」と言われていやになって無理矢理他のにしてしまった。大阪の高校生たちにはやっているものなどぜったいいやじゃ。しかしあとになって目を背けずに大阪人を観察してみるとそんなにはやっているわけでもなく、勢いで買ってしまった別のデイパックはほとんど値段はグレゴリーと変わらなかったのにけっこう重くていろいろ使いづらかった。我慢して使ったが、それ以来ずっとあああのときグレゴリーにしておけばよかったと悔やんでいたのである。しかし今さら自分で買おうとはあまり思わなかった。特に山歩きをするわけでもなく、荷物を背負って走ることもないのに、そんな上等必要ないからだ。でも欲しかった。今目の前にある新品のグレゴリーはなにやらものものしい装備までついていて、バッグの中にセットしたタンクから背負ったまま水が飲めるようになっていたりする。こんな装備は死ぬまで使わないと思うがついていると嬉しい。嬉しいので今日はこれ持って寝よう。しかしなんでぼくがグレゴリーを欲しがっていたことがあの美人にわかったのかは謎である。言った覚えはない。世の中には科学では解明できないことも多い。


することはいろいろある 1/28/99

予定どおりであれば昨日あたり『猿はあけぼの』は脱稿していたはずなのだがまだまだである。他にひとつ早急に取りかからねばならない仕事があるが全然手を着けていない。次に書こうと思っている時代物の資料を読まねばならないのに元々歴史関係のものは嫌いなのでなかなか読めないなにほな時代物なんか書くなほっとけそれでも書く。それとほぼ同時に書こうと思っているサスペンスというか冒険アクションというかなんかよくわからないやつの資料はなんと現時点だけで十数冊もあって一応ぼちぼちと読んではいるがいいかげんプロットを作るなりなんなりしなくてはならない。短編もひとつ早いところ取りかかりたいのがある。資料ではないが読んでおくべき本は多数あるものの、あとまわしになってしまって読めない。仕事場の中がどんどん乱雑になりほこりもたまっているのでいいかげん掃除をしなくてはならない。腹が減ると自分で食事を作らなければならない作れば食べなくてはならない。ビールを買いにいかなくてはならない買えば飲まなくてはならない。車のワイパーも換えなくてはならない換えれば食べなくてはならない食うな食うな。主従をはっきりさせておくためときどき犬を裏返しにしなくてはならない裏返せば食べなければならない食わんでよいというに。ビデオデッキを修理に出さなくてはならない出せばもうええかはいはい。女の子に電話して機嫌をとっておかなくてはいざというときにつらい。天満に行く前には傘を尖らせておかなくてはならない。スノーボードにも行きたい。北海道に行きたいなんなら夏にはニュージーランドにも行きたい新しい自転車も欲しい腕時計も欲しい早寝早起きもしたい友達も欲しい結婚もしたい妾も欲しい五人くらい欲しいどれも若い脚の綺麗な美人がよい。と、やるべきことしたいことはいろいろあって余裕などないはずなのだが日曜日の待ち合わせの時間を決めるだけの電話に四時間かかるのだった。相手? あのおっさんしかおるまい。


えーと 1/27/99

一昨日の「悪口発見」ですが、実のところは全然怒っていないのでみなさんご安心ください。「百倍にして返してやれ」とか「あれは失礼すぎる」とか、わざわざ件のページを探し出してまでしての怒りのメールを数通いただきましたが、あれはめちゃくちゃ些細などうでもいいことに必死で怒っているような馬鹿な姿はおもしろいかなあと思って書いただけで実際には一瞬むっとした程度です。お気持ちは嬉しいのですがくれぐれもへんなことはしないでください。ぼくが迷惑します。ぼくはこの世で自分が一番大切です。なにを隠そうここのこの「日記」は恐ろしいほど膨大な数の嘘でできあがっているのです。いちいち真に受けてどうします。へらへらと怒ってない腹も立たない立ちませんなどと書いているときの方が実は大変怒っていたりするのですそうですパーティで名刺捨てられるようなああいうことですちくしょう忘れへんぞ。(12/1-2/98参照)それに悪口と言っても「よくわからなくておもしろくなかった」というのは、わざわざ本を読んでくれた人はどんどん言っていい範囲のことであります。ぼくだってしょっちゅう言ってます。満員電車の中で茶色い女子高生が大声で「野村の嫁はんあのおばはんほんまどんならんであれはえっらそうにぶっさいくな顔して」と言うのと似たようなことですえげつない女子高生ですなあしかし。こっちはそうかおもしろくなかったかよっしゃ次はおもしろがらせたろやないかと思うのでそれでいいのです。

そうそうぼくは気づかなかったのですがメールをくれた方の中に「田中啓文さんとまちがえて買ったとか書いてあった。あれも失礼だ」という内容のものがあって、へえと思ってもう一度検索して見にいってみたら本当にそう書いてありました。「『蒼白の城XXX』が全然おもしろくなかった田中敬文(ママ)の本だと思って買ったら」みたいなことが書いてあった。前に読んだものが全然おもしろくなかったにもかかわらず、名前をさっと見ただけでその本を買ってしまうというのはすごい。やみなべが全然おもしろくなくても、それでも次の本も買ってくれるんでしょうかなあ。そらあんたええ人やないですか。

ところで田中啓文さん、悪口書かれてまっせ。ほっといてええんですかほらほらどないかしなはれどないかしなはれ。


キーハンター 1/26/99

ニューヨークに住む友人からメールがあった。学生の頃から国の金で留学をくりかえし、結局日本はしんどいというのでアメリカに住み着いてしまった人物である。このページも読んでいてくれると言うさすがインターネット。なんでも向こうで知り合った日本人と昔の日本のテレビ番組のことで盛り上がり、そういえばキャプテンウルトラの主題歌はかっこよかったとか、マイティジャックの音楽はあれは富田勲そんなことを言うならジャングル大帝もリボンの騎士もそうではないかどれもよかったなあみたいなことを話していたところ、そのうちもっと盛り上がったのがソニー千葉の話題で、そうそう「キーハンター」というのもあったなああれは好きやなあ見てみたいなあビデオとかあるのかなあ、ということになったらしい。そこでその友人、日本は兵庫県高砂市に住む妹に「キーハンターのビデオとかLDとかて、そっちでは売っとんの?」と流暢な英語から泥臭い播州弁に切り替え国際電話で訊いてみた。すると看護婦としてばりばり働く独身の妹は「ああ、あるある。いっつも行くレンタル屋にあったわ」ではそれを借りてダビングした後送ってくれ頼んだぞということになったのである。数日後ビデオテープが送られてきた。ああ懐かしい、あんな古いテレビ番組を今このようにして見ることができるとは、よい時代に生まれたものだなあ、と行動力のある妹に感謝しつつビデオデッキのボタンを押すと妙に鮮明で美しい風景、なんでこんなに綺麗なカラーなのかしらと見ていると、続いて出たタイトルは「ふるさとの自然シリーズ15」なんじゃこりゃと思う間もなく出たのは『紀伊半島』


悪口発見 1/25/99

あまりよく知らない検索エンジンで『やみなべの陰謀』を検索してみたところ、とある個人のホームページにヒットして、なんとなく見てみるとぼろくそに書いてあった。めちゃくちゃ腹が立つ。五つの短編がつながったからそれがなんなのかなんにもおもしろくない読むの疲れたなどと書いてある。理解できんのはおまえがアホやからじゃと逆上し誰やこいつ京都テクノ式いやがらせしたろかとつぶさに見ていくとこのページ一日のアクセスは十件に満たないというようなことも書いてあって、出版関係の人でもないしまごうかたなき普通の人なのだがそれでも腹が立つことには変わりがない。考えてもみてくれ例えばあなたが駅の便所に行ったとして、そこで見知らぬガキが便所の壁にあなたの名前をでかでかと書いてあろうことかその隣に「このおっさんはアホです」と書く現場を発見すればその子供蹴り倒すでしょ。え。子供相手に大人げない放っておくなにを言うそんな子供そのままにしておいては世の中腐りますぞ殴れ叩け蹴り飛ばせ張り倒せ売り飛ばせ他の人はともかく俺の悪口は言うな。


ゲリョ後 1/24/99

ゲリとゲロと両方を一度に表現するのにゲリョという言葉はどうかもしかするとどちらも語源はゲルではないかと実に本当にどうでもいいことをわざわざ言ってくる人がいるのだがみなさんどう思いますか人が苦しんでいるときに。しかしなんとかおさまったようで安心した。戻したり吐いたり、あ、おんなじか、下したり下したり、あ、おんなじか、をえんえん続けた結果得た知識は、吐くならバナナが一番ということである。下痢の方はもう途中からはただの液体なので何を食おうが関係はないが、吐く方は食べたものによって吐きやすかったり吐きにくかったりする。たとえば今なにやら納豆がはやっているらしいので、気分が悪くて食欲などまったくないにもかかわらずただ400回かきまぜるとうまいというのをやってみたくてしようがなくなってやってしまい、なるほどうまいような気がすると思って生協で買ってきた3パックすべて食べたりしたあと吐くのは、けっこう気持ち悪い。吐いていて気持ち悪くてさらに気持悪くなる。いつまでも嘔吐しつづけるうち尻の方も危なくなってきてパニックに襲われる。その点バナナは爽やかで喉ごしも大変よい。一発で吐き終わる。吐き味すっきり見た目も美しい。みなさんもぜひどうぞ。

おかげでズボンのウエストはすかすかとなり、鏡を見ると顔もやつれている。さぞかし痩せてしまったことだろうと久しぶりに帰った実家で体重計に載ってみると驚いたことに体重は増えていた。しかも生涯最高の数値である。なんとなくほっとしたがよくわからない。吐きながらもとりあえずなにか食べていたのでそれが身についたのかとも思ったが、それならばなぜウエストがすかすかになるのか。ジーパンがのびたのかと洗濯したてのものを履いてみたがやっぱりすかすか。なにかとてつもなく密度の高い物質が体内に蓄積されているのではないか。バナナは水銀くらい重いのではないか。脳になにか寄生したのではないか。肩になにかのっているのではないか。などいろいろと考えたがやはりよくわからぬ。毎日10キロ走り、週三回ウエイト・トレーニングをし、週二回プールに行って3000メートル泳ぎ、週一回は自転車で100キロ遠乗りをするというような鬼のトライアスロンメニューを三ヶ月もこなせば、脂肪すっきり筋肉もりもりとなって体重は増えてもウエストすかすかというのがありそうだが、正直な話そんなことをした覚えはまったくない。嘘ではない。このところぼくがやっていたのはそんなハードなトレーニングではなくうんことげろである。実に不思議である。もしかするとウエスト以外に脂肪がついてしまう恐怖のひょうたん化現象なのではあるまいか。なんとなくそんな気がする。昨日からうすうすそんな現象名が脳裏をよぎっていたのではなかったか。そうですあれです。さあみなさんごいっしょにどうぞ。ひょーうたん化ひょうたん化。

いっしょに歌えなかった人は冬樹さんの間歇日記を参照してください。


下痢と嘔吐、コックとその妻 1/23/99

タイトルわけがわからんかそうかそれどころではない大変なことじゃ寝とられんのじゃ下痢と嘔吐で。今日は一日ふらふらで、夕方なんとなく落ち着いたがどうにもならぬ。天満にも行けなかった。面と向かっての失礼なコメント対策として先の細い傘を選んでさらにヤスリをかけて尖らせいつでも目を突けるように準備までしたのに無駄に終わった。実に残念なことじゃ。突きたかった。餃子も食えなかった。氷点下氷点下と歌う元気もないのであった。今日はもう早く寝ようと思うのにビールが少ししかない。なに飲むのかと訊くか飲むに決まっておろう。


下痢と嘔吐と男と女 1/22/99

昼前ごそごそと起きるとお腹は何事もなく平穏なので、治ったなおったと安心して昼飯にニンニクタカノツメどっさりのペペロンチーノもどきを作って食べ、どうにかなるか、なるならなってみろと開き直って胃腸の反応をみていたがなにごともなく、よっしゃ全快やと喜んで少し外を走り、するとどういうわけか胃がむかむかしてきたのでじっと静かに『ディプロトドンティア・マクロプス』を読み、そうかやっぱりこういう人やったんやそうやと思とったんやと嬉しくなり、しばらくすると胃も軽くなったのでよっしゃ全快や腹が減ったと喜んで実家から持ってきていたコロッケをいっきに三つ食べ、なんとなく気持悪いかなあむかむかするなあどうかなあというところで田中啓文氏からなんの用事もないという用件の電話がかかってきてしばらく仕事の愚痴を喋り、電話を切ってからなんとなく下痢かなあという気はしたもののなんともないような気もしたので、予定どおり外出し、ジュンク堂で資料になりそうな本を七冊も買い、例の軍事・兵器・警察・特殊部隊・クーデター・テロリズム関係資料満載の友人に資料になりそうな本を見繕って持ってきてくれと頼んでいたらなんと六冊も持ってきてくれたので喜んで驚き、米俵のごとく重くなったデイパックを担いでケンタッキーフライドチキンへ行って胃腸のことなどすっかり忘れてピリカラなんとかチキンという唐辛子満載の鶏肉のフライとビールをかっ喰らい、二人して明石の町おこしグループの集会に出席してブラックコーヒーをがぶがぶ飲みながらやっぱり原人祭りやなあというような話を聞き、それから数人でファミリーレストランへ行ってコーヒーを何杯もおかわりしつつ夜中十二時までだらだらし、仕事場に帰ってきてさあ仕事やと思ったところ、下痢と嘔吐にみまわれた。治ったと思ったのになあ。なんでぶりかえしたのかさっぱりわからぬ。明日わたくしが天満に現れなかったら、それは下痢と嘔吐のせいだと思うように。田中啓文牧野修のホラー漫才はともかく「実物は見本より量が多い」と明記された中華料理店の餃子は食べたい。なんとかせねば。


下痢と嘔吐 1/21/99

下痢と嘔吐で大変困った。

それだけかとはなんですか下痢だけでも嘔吐だけでもけっこう大変なのに下痢と嘔吐ですぞ。うんことげろですぞわかってるんですかほんとに。


図書館 1/20/99

返却期限が十日も過ぎてしまっていたのであわてて本を返しに図書館へ行った。手ぶらで帰るのもなんなのでなにかないかと物色し、数冊資料になりそうな本を借りたのだがどういうわけか図書館は暑い。なんであそこまで暖房するのか。室温七十度は越えていたはずだ。あまりの暑さに眩暈がし脱水症状を起こして何度か気を失いそうになった。殺す気か。仕事場から歩いて三十分程度かかる場所に図書館はあって、これだけの道のりを歩くと誰だって体は暖まる。今日はそれほど寒くなかったので少々汗ばむほどである。その時点で充分暖かいのである。したがって図書館の中も外気温と同じ程度でまったくなんの問題もなく快適なのだ。暖房なんか必要ない。上着もセーターも脱いでシャツの袖まくってもそれでも汗がだらだら出るような暖房ははっきり言って無駄である。迷惑である。やめていただきたい。他の人々はコートを着たまま平然としていたようだが、そういう妙な我慢はせずに、正直に暑いとなぜ文句を言わぬ。なぜ汗をだらだら流しているぼくのことを伝染性の狂人を見たかのようにぎょっとして避けるのだ。図書館も図書館だ。三十分歩いたあとあの温度では暑すぎるぐらいのことがなぜわからぬ。今日ぼくが三十分歩いて充分体が暖まった状態でやってくるだろうくらいのこと、なぜ予測できないのか。これだから市の施設はサービスが悪いと言われるのだ。暑いぞおまえなんぼなんでもあれは。

腹を立てつつ帰ってきたが仕事は進まない。しかもまたしてもひとつ仕事がボツになったような気がする。まあよいこれはまだプロットの段階であるし絶対おもしろいはずなので他でもいけるだろうと無理矢理納得する。しかしまあ今書いているやつと違うのが早く書きたい。あれもあれもあれも書きたい。思えば『やみなべ』は苦しかったけど楽しかった。もうなんでもええから早よ書こ。

アイリッシュの店で飲んだギネスビールはキンキンに冷えてましたよ。(私信)あれはほんまにおいしかった。


かまいたちの夜 1/19/99

ビデオデッキが壊れてしまって、テレビ放送まで映らなくなったため、毎日寝る前にビールを飲みながらこつこつと『かまいたちの夜、特別篇』をやっていたところ『ピンクの栞』に続いてさっき『金の栞』というのが出た。へんなラジオドラマみたいなのも聞いた。これで全部終わりなのだろうと思うのだが違うのかなあ。香山のカラオケは笑いました。ロンダケてあなた。チュンソフ党てあなた。カマ、板、血、ばんざーいばんざーいこんなふざけたものやとは思いませんでした。いやあおもしろかった。いやしかし、ドラゴンクエストの2だったか3だったか忘れたがファミコン本体とソフト両方借りてやりはじめたもののどこがおもしろいのかさっぱりわからず、世の小学生どもが人の金盗んだり恐喝してまで手に入れようとしたものがこんなに退屈なはずはないなんで毎回全員死ぬんじゃこんなはずはないそのうちきっとおもしろくなるに違いないと信じ毎日十五分はすることに決めこつこつやったところが船を手に入れてそろそろ終わりかと喜んでいたら、最後までいったという友人に「まだ三分の一くらいかなあ」と言われて挫折してやめてしまい結局おもしろいとは一度も思わず、バイオハザードはめちゃくちゃすごいよと言われて中古のソフトを買ってきてやりはじめたものの毎回犬に噛まれて死ぬのであほらしくなってやめてしまいやはりなにがおもしろいのかわからず、マッキントッシュのマラソンはデモをやって酔って便所で吐き、これまでにおもしろいと思って必死でやったのは鉄拳と鉄拳2だけ(このためのみにぼくはプレイステーションを買ったのだ)だったぼくが、はじめてこつこつタイプのゲームを最後までやることができた。これを自慢せずにおれようか。というわけでここに自慢する。どんなもんや。はっはっ。これからはぼくのことをゲームキングと呼ぶように。はっはっ。


恐い夢 1/18/99

今朝めちゃくちゃ恐い夢を見た。あまりの恐怖に力いっぱい息を吸いつつ悲鳴をあげ、覚醒して今のは夢かと思いつつも動悸は激しくしばらくはあはあと荒い息をついていたほど恐かった。夢の内容と寝ているその状況とに密接な関係があったためもしかすると恐怖はまだそこにあるのではないかと思ってしまい部屋の隅に目を向けることすらできない。便所に行きたい気もしたが、とてもその勇気はなかった。印象的な夢を見た場合、無理してでも起きてその内容をメモするようには心がけているのだが、ベッドを出てメモまで行くのが恐い。しかしこのまま怯えていても、あまりに恐くて二度と眠ることなどできまい、どうしたものかと恐る恐る枕元の時計を見るとまだ朝の六時過ぎであった。寝てから二時間も経っていない。メモなどしなくても、これだけの恐怖を覚えたのであるから忘れるはずはないと考えた。正直なところ、早く忘れてもう一度眠りたい、この恐怖からなんとかして逃れたいと思ったのだ。恐怖の余韻はなかなか去らず、悪寒がおさまらない。恐い夢はとりあえず忘れて楽しいことを考えるのだ。あれは夢だったのだ。そうやって無理矢理目を閉じて布団にくるまっていると部屋の隅で衣擦れの音がした。くく、と押し殺したように笑う女の声が聞こえたように思った。ぎし、と床が鳴り、やはりそこになにかがいるのだと悟った瞬間髪の長い女が尖った歯を剥き出しにして覆い被さってきた。ぼくの頭を両手で抱えて顔と顔を突き合わせ、瞳のない目をかっと見開いたかと思うと吐き捨てるような大声で「夢やと思うたかあっ」というのは嘘で忘れよう早く寝ようとした結果ふたたび眠りにつき、お察しのとおり昼前に起きたときにはなんにも覚えていなかったのである。とてつもなく恐かったな、ということは覚えているのに内容はというとその片鱗さえ浮かんでは来ない。めちゃくちゃ損をした気分である。しかし恐かった。あれほどの恐怖を覚えることは、日常生活ではまずあり得ないというほどの恐怖であった。どんな夢だったのだろう。気になる。


偉い人やったんや 1/17/99

今日は大震災から四年ということでテレビでも震災特集みたいなことをやっていたようだが、実家の方でとっている地元地方新聞の震災特集別冊に、ぼくの友人が写真入りで大きく載っていた。大学での研究が震災などの災害時に役立つものらしく「どうすればトリアージを効率的に行えるかを分析・予測するシミュレーションを試み」てきたのだそうだ。トリアージというのは「災害時などに患者の負傷の程度を判断し、どの患者の治療を急がねばならないかを決めること」らしいがなんだかとてつもないことのようである。「放射能を除去する装置を宇宙人にもらいにいく」と言われるくらい吹っ飛ぶではないか。こういうことをされると昔からぼくは恐れ入ってしまうのだ。かつて大学を出て、そのあとふらふらと修士課程などというものにまで進んだところがぼくの専門は国語学であった。その学校では日本語学と呼んでおったが、まわりの仲間は方言調べたり係り結びについて論じたりしている。そういうとき久しぶりに会った高校時代の友人が農学部で「ガン細胞の研究」をしていたりすると「ああボロ負けや」と思ったものである。なにしろ向こうは人の生き死にに関わる研究。こっちは、特にぼくなんかは言語遊戯とか俗語とか見事にどうでもいいことをこつこつ調べておったわけで、これをしたから誰が助かるというようなことはまったくない。怪我して痛いときに「あなた知らずにずらしたなあ」(これは卒論に載せた)と回文ができたところでなにになりましょう。それがあなた今は小説書いて暮らしているのですぞ。向こうはトリアージ。こっちは素人にまでアホ扱いされる馬鹿小説。「役立たず」という言葉が背中からバスのワンマンカーにのしかかられるほど重く感じられるのである。まいったまいった。ただ空耳アワー集めるだけの人ではなかったんやなあ。

「美しい色」とりあえず締め切りました。応募総数27通。ぴったり賞は篠原さんと洞丹下さんのお二人。メールをくださった方々どうもありがとうございました。メールにてきちんとお礼は言いたいと思っていますがとりあえずこの場を借りて感謝いたします。いただいた中でぼくが一番おもしろいと思った「美しい色」は「新鮮なサンマ(生)の背と腹の間にある、薄いメタル・ブルー」神坂一さんでした。二十世紀の所産で一番おもしろかったのは「その都市名がかかれたペナント。草津とか、伊勢とか。同類で○○饅頭(都市名がはいる)」というやつで、なんのことかいなと思ったらタイトルが「二十世紀の土産で後世に伝えたい物」となっていた。「所産」ですよー「土産」じゃなくて。


腹立たしい 1/16/99

年賀状のお年玉がなあんにも当たらなかった。毎年当たらないが今年も当たらなかった。毎年必ず来ていたのに今年は来ていない年賀状というのが何通かあるが、あれはどこかの家に誤配されてしまっており、そのままこっちへ届かないということから考えて誤配された方の家の人間はお年玉の抽選があるのでもしもこれが当たっていたら丸儲けだと考えてこっそり自分のものとして取り込んでしまうような根性の腐った吐く息の臭い目つきのうつろな友達のいない気色の悪い頭の馬鹿な人間に間違いないのだが、そういうところへ行ってしまったハガキがワイドテレビとかデジタルビデオカメラとかポータブルMDプレーヤーとか高級掛け・敷きふとんセットとかふるさと小包6個とかの当たりだったりするのではないかと思ってめちゃくちゃ腹立たしい。それは俺のや。返せ。ふるさと小包てなんやっ。


アイルランド人の店 1/15/99

急遽飲みに行くこととなり、明石へ出る。明石のジュンク堂には『やみなべの陰謀』がなかった。同時に出た他の電撃文庫はある。『蒼白の城XXX』も平積みで置いてある。なんでじゃあ。ぐああ。田中啓文『水霊ミズチ』は角川ホラー文庫の棚にはなく、やはりこれは売り切れておる。と思ってレジの奥を見るとそこに「角川ホラー文庫フェア」という台があって、大量の『黒い家』の横に小さく三冊積まれているのだった。いっしょにいた、年に一回第九を歌うのが楽しみという友人に買うよう勧めたらふんふんと頷きつつ『黒い家』を買った。この人は本屋に行く前「そうや写真集買わないかんのや」と言うので「誰の写真集」とにわかに「巨乳」とか「ヘアヌード」とか「緊縛」とかいったイメージに頭を支配されたぼくがへらへら訊ねるとぼつりと「ドイツ軍」そんな写真集買うてどうするのかと思うところだが、ぼくのこれまでの作品の中で軍事や兵器に関連した部分はすべてこの人から借りた資料に頼っているのでもっといろいろ買うよう勧める。それからまずいと評判の居酒屋へ行ってビールを飲み、そのあとアイルランド人のやっている小さなパブへ連れていってもらう。こんな店が明石にあったのかと驚くようないい雰囲気の店である。デヴィッドという店長らしき人をはじめ、他の店員数名もほとんど外国人で、英語が飛び交うあいだに変なアクセントの播州弁が混ざる。「Oh,Thisナントカカントカyou? Yesナントカカントカやて言うとうやろあの人は。そやからWhen I saidナントカカントカ言うてごっついことしとってん」ギネスビールというのを飲んだが、これはいつまでたっても泡がクリーム状のままで非常にうまかった。よくわからなかったがなんでも少々特別なギネスビールでここ以外ではあまり飲めないのだかいうようなことだった。あれは気に入った。ジャック・ヒギンズの書く酒場はこんなんなんかなあと思ってなんとなく嬉しい。「トム・クランシーもアイルランド人やで」と、デヴィッドさんは胸を張っていた。また行こう。


おお 1/14/99

おおもう十五日。なんともう一月は半分も過ぎたのか。わしはこの二週間なにをしておったのか。なぜ十一日とか十二日だとまだまだ今月も長い楽勝楽勝と思うのに十五日になると半分もなくなった気がするのだろう。いや本当になくなっておるのだ。えらいこっちゃがな。こんなん書いとう暇あれへんがな。なにまだ十四日ほんまや。なんや。まだまだや。


よだれそっくりの犬 1/13/99

実家のすぐそばでよだれそっくりの犬を見かけた。と言っても、透明な粘液状の犬がいたというわけではないのでまちがえないように。だいたいそんなものが存在したとして、なぜそれを「犬」であると認めるのかがよくわからん。どんな感覚で生きとるんじゃ。それはともかく「よだれ」というのは実家で飼っている犬の名前である。車で家のそばまで帰ると、そいつがいた。大きさも毛の色もアホ顔もよく似ていて、おまけによだれと同じように普通の首輪の他にノミ取り用の白い首輪もしている。また逃げやがったかあのアホは、と思って実家の前に車を停めて「こらこら。こっちへ来なさい。また裏返しにされて口を開けられないように握られて鼻の穴を指で押さえられて窒息ごっこされたいのか(しばらくは無表情なのに、突如苦しくなるのかばふっとじたばたするので実におもしろい)」などと脅してもこっちをちらちら振り返りつつ逃げていくだけ。この逃げ方までもがよだれとそっくりであった。いっきに逃げればいいのに、あまり離れると心細いのでこっちの位置を確認しつつ、見える範囲で逃げつづけるのである。アホな上に気が小さい馬鹿犬でどうしようもない。ここはひとつ騙すしかないと判断して「ほれほれ怒らへんからおいでおいで。もう一生裏返しはナシやでえ」としゃがんで手をひらひらさせてやると「お?」というような顔をして、二三歩こっちへ来るがそこで首をかしげて止まる。「ほれほれ。おいでおいで」とさらに言うと、笑顔の仮面に隠れた殺意を感じたかばばっとふたたび逃げやがった。めちゃくちゃ腹立たしい。捕まえたら絶対裏返し窒息ごっこプラス目の前のごちそうオアズケ十分地獄の刑じゃ、と思ったとき、実家の方から屠殺場へ連れて行かれる死にかけの年寄りロバのごとき悲鳴が聞こえた。よだれの声である。散歩に行きたいときはこの声である。ぼくの気配を感じて鳴いているのだ。ということは、目の前のこのアホはよその犬か。と、そこでよくよく見ると多少よだれよりも賢そうな目をしているし毛並みも美しい。なあんや、とよその犬は放っておき、車を車庫に入れ、しかし腹立ちはおさまってなかったのでよだれを裏返して窒息ごっこをする。オアズケもちゃんとしてやった。


嫌われている貴乃花 1/12/99

貴乃花は嫌われているようですなあ。負けるとみんな大喜び。勝つとあーあと言っている。ぼくはいつもニュースで相撲の結果を見るとき、相撲そのものよりも背後のお客さんたちの反応ばかり見ているから知っているのだが貴乃花が勝つと、あーあ、という顔をする人がほとんどなのである。貴花田の頃からぼくはこの人あんまり好きではないが、ここまで嫌われると応援したくもなるのである。曙もいっときかなり嫌われていて、ぼくはこの人は最初から好きだったのでずっと応援していたのだがやはり負けるとみんな喜んでいた。なんでやどう見てもええやつやないか。思うのだが野球でも相撲でも、勝つのが誰であるかは関係なく、誰かが負けるのを楽しみに応援するというのはあまりよくないのではないか。とりあえず巨人が負けると嬉しいみたいな。ああいう応援のしかたはよくない。曙が横綱になるかならないかくらいの頃、大阪場所で曙が土俵に上がったとき、子供の声で「あけぼのーっ」という声援がとんだ。当時としては非常に珍しいことであった。テレビで見ていたぼくは、ああこんなにみんなが嫌っている曙を応援する子供がいるのだ。この子は曙のあの鉄人28号のような無表情な目にも、スターウォーズジェダイの復讐のジャズバンドにいたエイリアンを思わせる高い腰と細い脚にも惑わされず、ときおり見せる幼児のごとき純真な笑顔を知っているのだなあ大阪の子供も全部が全部金のためなら犬の糞でも舐めるアホばっかりとは限らんのやなあと思って感動していると、続いて響いたその子の声は「負けれーっ」ああいうネガティブな応援はいかんと思うのである。

世界で一番美しい色へのメールは、全く来ないというわけではないのだがほとんど反応がない。メールをくださった方への返事はまとめてしますのでしばらくお待ちください。とても感謝しています。出版関係の人からは皆無である。なんでや。みんなぼくのこと嫌いか。


世界で一番美しい色 1/11/99

友人の童話作家から来た年賀状に、次のような質問があった。絵本づくりに必要なのだそうだ。

問1 あなたが世界で一番美しいと思う色は。(〜の〜色、の形で)

問2 二十世紀の所産で、後世に伝えたいものを一つ選ぶとしたら。(有形・無形を問わず)

どなたでもかまいません。これをお読みのあなた、いいのを思いついたら田中哲弥までメールをくだされ。どちらか一つだけでもいいです。タイトルは「世界で一番美しい色」か、あるいはそれに類したものにしていただけると区別がつきやすくて助かります。また同時に、これに応募してくれるメールの数がいくつになるかの予想も書いておいてください。ぴったり賞のあなたには素敵な「『大久保町の決闘』此路あゆみ画ポストカード田中哲弥サイン入り二枚組」をさしあげます。三通以下の場合は、全員にさしあげます。嘘ではありませんなにそんなもんいらん? そうか。いらない場合は「サイン不要」とお書きください。サインなしでお送りします。参考までに、最近のこのページのアクセス数は一日平均だいたい130くらいです。ああそうそう。締切はだいたい17日。だいたいなので少々の遅れはかまいません。

ぼくの予想は五通。よろしくお願いします。


マユミではない人 1/10/99

冬樹蛉さんの日記(1/8/99)を読んでいて、昔JRの快速電車の中で妙な人を見かけたことを思い出した。二人ずつ向かい合って座る四人掛けの椅子の、窓際の一つにその女性は座っていて、乗り込んだ瞬間からなにやら奇妙な雰囲気に襲われた。女性はまだ若く、やや小太りではあるものの整った顔立ちをしており、人物を見る限りなにも変わったところはない。ところが車内は混雑しているというのにその女性の前と隣が空いていたのである。斜め向かいに座っている中年男性はというと、きちんと前を向いて座らずどういうわけか通路に両足を出し、手すりに肘をついて件の女性に背を向けるようにして座っている。なぜ空いた席に誰も座ろうとしないのだろう、おっさんはなにを恐がっているのだろうと思っていると電車が発車し、理由がわかった。突如その女性が「あたしマユミちゃうねん。ちがうねん。キョウコやねん」と誰もいない目の前の座席に向かって大声で文句を言い始めたのだ。その声の大きさ激しさに車内が凍り付いたように沈黙した。その女性も黙ったが、しかしすぐに沈黙を破って「せやからキョウコやて言うてるのに。あたしマユミちゃうねん」それから十分ほど、マユミではないキョウコさんはときどき発作のように同じことを繰り返した。車内の全員がアノヒトハマユミデハナクキョウコナノダナと理解したはずである。次の駅で電車は五分ほど停車したが、そのあいだもときどき思い出したようにマユミちゃうねんちがうねんと言いつづけるので乗ってきた人は誰も座らず、そのままマユミでない人は降りないのかと思っていたら、発車間際になって「ほんまにもうっ」と言いつつあわてて飛びだしていった。かくして、おっさん一人通路側に膝を出したまま取り残され、他の人々もなんとなく気持悪がって誰も座らず、三人分の空席は次の駅まで空いたままだったのだが、ぼくは座りたくてしようがなかった。なぜなら、ぼくがマユミではないキョウコさんの席に座り、二分ほど我慢したのち「おれマユミちゃうねんテツヤやねんっ!」と叫んだら、みんなびっくりするやろなあと思ってうずうずしたからである。


天満で時代小説とファンタジー 1/9/99

田中啓文氏が「時代小説の書き方」を五代ゆう氏が「ファンタジー小説の書き方」を講義するので聴きにいく。時代小説はもうなにを書いてもかまわん時代考証なんぞせんでもよいおまえは見たんかとさえ言えばそれですむというような内容であった。実にためになった。ファンタジー小説の方はちゃんとした講義だったのでこっちはとても一言では書くことができない。実にためになった。こっちは本当にためになった。

『やみなべ』読みました、と言う人がいたのでありがたいことだと思って礼を言うと、第五話はあれはよくなかったですね、みたいなことをいきなり言う。面と向かって言うのであるから、なにかフォローがあるのかなと思って黙っていると「立ち読みですましたんですけど」と言ってからからと笑っておった。先日『蒼白の城XXX』について実に失礼なコメントを面と向かって吐かれたと言って怒っている作家がいたが、ああいう失礼な人、最近多いような気がする。次からは傘で目を突いてやろうと思う。


田中啓文邸訪問 1/8/99

我孫子武丸さんが来るというのでぼくも行った。前からキリンの復刻ビールをもらう約束になっていたし、こっちも渡したい大きな荷物があったのでちょうどええなあということで。我孫子さんが啓文さんのノートパソコンを設定し、説明をしてくれるあいだじゅうぼくと啓文さんとで(ぼくは少し気を使って普段よりは少々控えめに)アホなことを言っていたのだが、我孫子さんはコンピューター関係の説明に徹し、あまりにアホなことには「全然わからん」と素顔で言ってふたたび説明を始めるのであった。あとで行ったラーメン屋では、啓文さんが「十字屋、という店の看板を見るとレイ・チャールズのジョージア・オン・マイ・マインドを思い出してついじゅーじやーあと歌ってしまいますよねえ普通」と言うのを聞いて我孫子さんははっきりむっとした顔をし「そんなことはない」と言うのでなにか文句でもあるのかと思っていると「やっぱり、今何時? と訊かれたら、ビーフ味でしょう」などと言うのであった。少しずつ、我孫子さんの中でなにかが変わり始めているのではあるまいか。次にお会いするときが楽しみである。

我孫子さんにプレイステイション版「かまいたちの夜 特別篇」をいただいたので、帰ってきてから夜十二時すぎにちょっとやってみようと始めて朝五時半までやってしまった。ぼくには犯人の目星がついているのに、ゲームの中の「哲弥くん」は恋人の「よだれさん」といっしょに、どんどん違う人を疑ってしまうのだ。意地になって休憩もなにもなしにビールを飲みつつひたすらやり続けたのだが、まだちゃんとしたエンディングをむかえられない。ゲームで仕事が滞るようなことがあってはいかんと思い「鉄拳3」を買わずに我慢しているにもかかわらずこのありさまである。しかし犯人を当てるまではやめられぬ。なんとか仕事と両立させつつ鉄拳3も買おう。


若く見られる 1/7/99

若々しい雰囲気がある、というよい意味でなく若く見られてしまうのである。つまりなんとなく子供扱いされるのだ。今日も郵便局へ小包を出しにいき、ついでに郵便番号の本(ポスタルガイドというらしい。ポスタルてなんやろ)をくれと窓口の女性局員に言うと「近畿だけのやつと全国のとあるけど、どっちがいいい?」などと明らかに子供に言うような口調でにこにこしている。全国のやつが欲しい、と、まあこの女性が可愛い人だったのもあってぼくもにこにこ嬉しそうに言ったのだが、いったん奥へ入って一冊「ポスタルガイド」を持ってきてくれたその人はまたしても「はい、どうぞ」おりこうおりこうみたいな顔で微笑むのであった。でも絶対ぼくより十歳は若いはずなのだ。実家近くの新興住宅地の主婦たちはもっとすごいぞ。犬の狂犬病予防の注射が年に一回あるが、毎年同じ場所であるにもかかわらず毎年ぼくはすっと行き着くことができず、入り組んだ道をあっちこっちとさまよい、アホ犬は恐がってどんどん体の硬直を激しくししまいには蜘蛛のように路面に張りついて動かなくなり、そのうち時間がなくなってくるのでそのつど洗濯物を干していたり庭掃除をしているできるだけ美人の奥さんを探して場所を訊くのである。去年も訊いた。するとどう見ても二十代にしか見えないショートカットの可愛い奥さんが、あわてたように「あ。あ。ちょっと待ってねちょっと待ってね」と言うのでなにをするのかと思ったら、玄関の奥に向かって「お母さん犬の注射の場所ってどこかわかりますう?」と叫び、恐るべきことに「あのぼくが道わからへんいうて」ぼく。三十五のおっさんをつかまえて「あのぼく」髪の毛の寝癖がひどかったので野球帽をかぶっていたということもあろうが「ぼく」はなかろう押し倒したろか。

でももう四十を越えている牧野修さんはぼくよりもまだ若く見える。


大失敗 1/6/99

とんでもない大失敗をやらかしてしまった。生まれて三十数年こんな失敗は初めてである。脳になにか問題が発生したのではあるまいかと少々恐くなり、今日は車の運転も自転車に乗るのもやめて外には出ずおとなしくしていた。二度ほど玄関チャイムが鳴ったが、恐いので居留守を使い、電話にも出ずただひたすら怯えて暮らす。とにかく大失敗だった。聞いて驚け日清焼きそばUFOを食べようとして「かやく」を入れずに湯を入れてしまったのだ。湯を捨てソースを混ぜてから気がついた。あわてて「かやく」を湯につけ、ふやけたのを確認してから混ぜてはみたがかりかりしていて妙な感じであった。まあしかし考えようによってはあのかりかり感がたまらないというので、いつもそうやって食べている人も世の中にはいるかもしれおらんかそうか。


女性に人気 1/5/99

大森望氏の日記によると、このページは女性にもてもてだそうである。だからといってなにかいいことがあるかというとなんにもないのだが「女性にもてもて」などという言葉は耳にするだけで陶然となるではありませんか。ああ生きててよかった。今までの人生でもてもてだったなあと思うのはただ一度教育実習で出身校である高校へ行ったときだけである。元々教師になりたいなどとは一度も思ったことはないのだが、ゼミの教授がとりあえずもらえる資格はもらっておけというのでしぶしぶ取った資格であった。自慢ではないが中学国語高校国語の一級教員免許をぼくは持っている。まあ見事になんの役にも立たぬ。しかしあの実習、あれは大変だった。好意に満ち満ちた目の女子高生に連日囲まれるというような経験は、なかなかできるものではない。それも最近よく見る妙に色が黒くて髪の毛も変な色でバカで不細工で下品で薄汚い生き物ではなくて、一応ちゃんとしたそれらしい清潔な女子高生たちに囲まれたのである。手紙をくれたり、手製のぬいぐるみをくれたりする子もいた。若かったので真面目になんにもしなかった。惜しいことをしたと今ではつくづく思う。ああ実に惜しい。めちゃくちゃ惜しい。あの子もあの子もあの子も惜しい。特にあの子は惜しい。田中先生の家に行ってみたいどこでもいいから連れていって欲しいと言うのでそんなことを若い男に言ったらどうなっても知らないけどそれでもいいならおいでと冗談半分に言うと頬を赤く染めわたしそれでもいいと真剣な目をして言ったあの子は惜しい。なんで我慢したんや。一番可愛かったのに。今からなんとかならんものか。いやしかし狭い世界に生きるアホな教師たちの醜い一面を立て続けに見ることがなければ、ぼくはその勢いで高校教師になっていたかもしれないくらいうっとりするような経験であった。ときどき三面記事などで、教え子数人とややこしいことになってどうのこうの、というようなのを見ることがあるがあれはぼくにとっては人事ではない。テレビのワイドショーなんかではこういう破廉恥教師はどうにも許せませんねえ、などと言っていたりするが、あれを見ていていやいやあんた普通はやってまうでそれは、と思うのはぼくだけではないはずである。制服姿の可愛い純真な女子高生が、先生好きです、なんて目に涙浮かべて抱きついてきたら、いけないよ美佐子君、なんてだれが言うものか。ぼくも好きや、おまえだけや、と来るやつ来るやつ順番に同じことを言いつつ全員と関係したあげく最近相手にしてくれないのねと拗ねた一人に密告されて大変なことになるというのが普通なのである。ああ、人生まちがえたかなあ。失敗したかなあ。


母校 1/4/99

友人から電話があって、とりとめのない話をしていると昨日かいつか知らないが高校生のサッカーの試合で、滝川ナントカカントカが勝って嬉しいなどと言う。その友人は明石市内の県立高校の出身であって滝川ナントカとは無縁のはずである。それのなにが嬉しいねん、と言うと静岡の学校に地元の学校が勝ったのが嬉しいと言う。わけわからんのである。たとえ出身校であったとしても、卒業して数年もすれば知っている後輩もいなくなり、教師だって転勤して知らない人ばかりになるわけで、そんなもん母校であろうがタンザニアの僻地の学校であろうが、たいした違いはないとぼくは思うのだが、そう言うと、なんと冷たい性格なのだおまえは昔からそういう冷酷で無慈悲で凶悪で人でなしなところがあるとぼろくそに言われた。オリンピックなんかを見ていても、やはりぼくは日本人を応援するかというとそうとは限らず、見ていておもしろそうなやつがモンゴルの人だったりイタリアの人だったりすると、そっちを応援してしまう。ぼくの出身校である大学はアメリカンフットボールがけっこう有名で、テレビでも試合が放送されたりするのであるが、なんの気なしにその試合を見ていても、相手の、例えば近畿大学とか立命館大学とかがかっこいいプレイを連発すれば、もうその時点からぼくはそっちの味方になるのである。出身校が負けて、やったやったなどと喜んでいるのをそばで見ていた知人に「おまえそんなにあの学校嫌いなんか。どんないやなことがあったんや」と言われたこともある。嫌いなのではないのだが、別に好きでもない。なんの思い入れもない。特に行きたくて行った大学ではなかったのでそうなのかというとそういうわけでもなく在学中はけっこう好きだった。高校も中学も小学校も同様である。出身校のナントカ部が全国大会に出場します、つきましては寄付してください一口三千円で二口以上ほななんで六千円よこせと言わんのじゃ。などというような案内は今でもときどき来るが、そのつどなんで俺が、と思ってしまう。関係ないやん。みんなはそうやないの? なんで? なあ。なあ。なんで?


郵便の誤配 1/3/99

配達されてくる年賀状の二十枚に一枚くらいは他人宛のものである。田中さんはたしかにたくさんいるとはいえ、こんなにまちがえてよいものか。うちにこれだけよその分がまわってくるということは、うちに来るべきものもよそへそれだけの割合行ってしまっているはずでえらいことである。たとえばぼく宛に来た年賀状を友達の少ない根性のひねくれ曲がった独身の不細工な男の人が受け取ったりしたらどうなると思うのだ。うまい具合にそういうのは女の子から来た可愛い年賀状なのである。去年はとってもとっても楽しかったです。今年もいーっぱい遊んでくださいね。チュッ。とか書いてあったりするのである。腹立ちまっせーこれは。腹立ち紛れにその年賀状を捨ててしまうかというとそんなことはしない。入念に住所氏名をチェックする。女の子の住所が近所だったらわざわざ出かけて顔を見にいったりする。ぼくは極端な面食いなので相手は当然びっくりするような可愛い女の子である。腹立ちは倍増する。その女の子の家へ毎日無言電話をするようになり、一日中つけまわしたりする。けどまあ女の子の方になにをしようとぼくには関係ないので別にかまわない。仲がよかろうと他人は他人じゃ知ったことではない。問題はぼくの方へのいやがらせだ。近所で悪口を言いふらされたりするかもしれない。近所でのぼくの評判はもうこれ以上落ちるところがないほどめちゃくちゃなのでまあこれは大丈夫か。しかし車のガラスを割られたり、玄関に猫の首を置かれたり、ベッドに馬の首を入れられたりするのは困る。牛乳に毒を入れられるかもしれない。家に放火されるかもしれない。牧場の牛を全部殺されたり、森を焼き払われたり、酒場で撃ち殺されたりするかもしれない。いつどこで日本刀を振りかざして斬りかかってくるかわからないのである。おちおち外も歩けない。郵便局はそのあたり、どう考えておるのだ。


キムタクが 1/2/99

元旦の新聞を今頃読んでいると時計屋の広告の中で「キムタクがドラマでつけていた時計」と書いてあるのを見つけた。G-SHOCKの一番シンプルなモデルである。映画『スピード』で人気が出たモデルの復刻版でオリジナルに比べて裏蓋がちゃちになっていてやたら軽くておもちゃみたいだけどそんなことは普通の人にはどうでもいいことである。そんなことを書こうとしていたのではなかった。「キムタクがつけていた時計」とか「アムロが履いていたスカート」とかで人気が出てしまうのであれば、たとえばキムタクがドラマの中でぼくの本を読んでいたら、どっと売れ出したりするのかなあと思ったのである。なんとなく売れそうな気がする。そういう動機で買う人は、たとえそれをおもしろいと思わなくても、もしかすると半分文盲で漫画以外はろくに読めなかったりしても、まわりでみんなが「これはおもしろい」と言えば読まないまま「お、お、お、おもしろかった」と言ってくれそうな気がする。するとそういう人の言うことをまともに聞いてしまうさらに頭ののんびりした人が、またいそいそと買ってくれそうな気がする。そうやって買う人もやっぱり読まずに軽快に「めっちゃおもしろかったわあ」と言うような気がする。めちゃくちゃ売れそうな気がする。そうそうそう言えばクーンツの『ベストセラー小説の書き方』の中に「ドラマでキムタクに読んでもらえ」という項があった。今思い出した。なに。そんな売れ方をしてもちっとも作品が評価されたことにならぬとな。あほか売れたらそれだけで偉いんじゃ内容なんか関係あるかい。誰かキムタク紹介してくれ。


年賀状が遅かった 1/1/99

毎年午前中には来ていた年賀状が二時になっても来ない。どういうことじゃと実家で暴れて犬の首を絞めていたら二時半にやっと来た。午後の便で、しかも一番あとになってしまったので遅くなってしまいました云々と言わずもがなのことを言いながら配達の兄ちゃんが階段下のポストに入れずわざわざ玄関まで届けにきたということから考えてなにか問題が発生したのではないかと思うのである。誰や。誰の企みや。知り合いの顔全部を思い出して全員を正月早々疑う。しかし夕方四時頃仕事場へ自転車を走らせていると、年賀状配達中とおぼしき兄ちゃんたちがまだあちこちにいた。町内各地で陰湿な企みが跋扈しているらしい。恐ろしいことじゃ恐ろしいことじゃ。



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