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雪山で鹿に会う 2/28/04

 ああいや鹿と待ち合わせしたというのではない。波賀町サイクリングターミナルというのがあるのでそのへんを中心に山を走ろうということになり自転車で走っていたら突然巨大な鹿が目の前に落ちてきたのである。
 同行Y氏のランドナーでは雪と悪路に阻まれなかなか坂を登れず、先に行って待つことにしたぼくがひとりこちこちと狭い山道を登っていたときのことだ。右側の崖のように切り立った斜面から突如どったーんというような音をたてて鹿が落ちてきた。実際とんでもない崖であり、そこからなにかがやってくるとすれば「落ちてくる」以外ないはずなのだが、落ちてきたそいつはぼくの目の前ですっとんすっとんと軽やかに二度ほど跳ねると今度は左側の崖下へと落ちていったのだった。あわてて下を覗いたが見えるのは林立する木々と遙か下方を流れる川のみ斜面さえ見えない状況である。すでに鹿の姿はどこにもなかった。人間なら立って歩くことはおろか尻を地面につけた状態でも怖くてなかなか降りられないような急斜面である。そこを飛び跳ねながら降りていくとはもはやこれは人間業ではないあたりまえや鹿や。
 しかしでかい鹿だった。そのへんの牛より大きいほどである。なにそのへんに牛などおらぬか、うちの近所にはいっぱいいるのだ大丈夫気にするな。角も大変立派なものが生えており、たぶん角だけで十六メートルくらいあったと思う。奈良の公園で年老いた観光客に襲いかかるような生やさしい鹿ではなく単に鹿というのでは言葉が足りぬまことにもってなんというか「しかーっ!」と大声で表現したくなるような鹿であった。ああびっくりした。
 そもそも今回雪の中を走る予定はなかった。自転車が汚れるし傷むし濡れるだけでも困るのに雪の中などわざわざ泥水をばざぶざぶと自転車にかけつづけるみたいなものであってそのような蛮行もってのほかだと思っていた。ところが、いざ目前に雪の積もった道が出現すると「行ってみる?」ということになってなぜか「ちょっとだけ行ってみますか」とどういうのが「ちょっとだけ」なのかよくわからないまま雪に突っ込み、一度入ってしまうと「もうどうでもよくなる」のだった。小学校の帰りかなんかに雨上がりの水たまりにそろそろと足を入れ、最初は長靴の中に水が入らないように気をつけていたのに水が少し入ったとたんどうでもよくなってじゃぶじゃぶ遊んでしまうのとおんなじ感覚である。
 サイクリングロードなどと謳っているしレンタサイクルの看板もあったりしたので、そのあたりはのんびりなだらかなものかと思っていたところが、コース入口が雪かき後の雪で閉ざされていたり(おかげで我々は間違った山道に入り込んでしまいえんえん雪の山道を登り、そしてまた引き返すこととなった)落石や倒木で道がふさがれていたり、シーズンオフだったせいかとは思うもののまったくやる気のないサイクリングロードであった。どうせならもっと荒れ果ててくれた方がおもしろくなるような気がする。
 波賀町サイクリングターミナルには温泉もあって、というか温泉くらいしか見るものはないのだがなぜかびっくりするほど混雑しており狭い温泉にあたふたと浸かってから帰り、自転車のあまりの汚れよう傷みようにしばらく呆然とした。しかしまあこんなんなっちゃったらなあともうどうでもよくなってズタボロの自転車のことは忘れビール飲んで寝る。

浮く光点 2/24/04

 広告関係の仕事にちょっとだけ関わり、どういうわけか北野勇作の所属する劇団の座長に来ていただいたりして、もうなんかほんとによくわからない状況となったのだがそこで知り合ったひとりのおっちゃんがまあものすごい人だったのである。仕事が終わり酒を飲みながら、いやあ便所なんかでも便器の中に光の点が綺麗に浮かんでるんやこれが、などと言い出すのでそういう設計のものがあるのかと思ったら日常どこにでもあるという。よくよく話を聞くと凹面に反射する光は右目と左目にずれて入ってくるため、その焦点を自然に合わせると光の点は浮いているように見えるというのである。と言われて居酒屋であれこれ皿を見ると驚いたなあ確かに浮いているではありませんか。理屈を説かれるとこれはもう誰でも納得するしかないのだが、言われるまではまったく気にしていなかったのに皿の上に光点が浮きまくっている状景に驚くばかり。これまでなかった身体能力が突然身に付いたほどの感激だった。こんなものすごい光景を今までの人生でぼくはずっと見逃してきたのかと思い愕然とする。あまりの衝撃にこれはすごいと本当に驚喜していたのだが、ぼくのようにいきなり喜んだ人間は初めてで、これまで何百人かにこれを伝えたがあんたみたいな人は大変珍しい言われた。けどそんなことよりわーあそこもここも光が浮かんでいる。見えると思ったとたんあっちもこっちも光の点が浮いて見えるめちゃくちゃおもしろいなんで今まで見えなかったのか不思議でしかたがない。しかしこの人、浮く光点のみならずこういう人間の目と脳の構造が原因となる不思議な現象ばかり追い求め突き詰め、そのネタだけで本を一冊書いてしまっているのである。で著書(『亜空間 日常に潜むもう一つの空間』秋岡久太著 行路社)をいただき拝読したがいやもう奥さん聞いてえなほんまにこれがおもしろくてしかたがない。なんでこんなすごいことが全世界的に話題にならないのかと思ったのだが、これは見えない人にはなかなか見えず、また見えてもそれがどうしたのとしか感じない人もいるので、あんまりしつこく人に言うと嫌われますよと注意された。そんなはずはない普通見えるでしょとその後友人何人かにほれ見てみいここのこれがなといろいろ説明したのだがなるほど誰一人感激してはくれない。こういうこと絶対大好きなはずと期待した人までだめなのだった。おもしろいのになあ。

一月はなーんにもなかった 1/1-31/04

 実際なんにもなくて一月というような月間が現実にあったのかどうかさえ判然としないほどであるがある日とある女友達が朝早くに、というかまあ昼前なのだが電話してきていきなり、えーまだ寝とったんアホちゃうかから始まって自分の話したいことを機関銃のように話しはじめたことだけは覚えている。あーとかうーとか相槌を打ちつつ半分寝ていたのだが「鳥人間コンテストでえらいことになってるみたいやなあ」と言うのでちょっと驚いたのである。「こんな寒い時期に?」「寒いからちゃうのん?」「で、なにが大変なん」「なんか死んだ人もおったりするらしいよ」「ほんまかいな。こんな寒いときするからちゃうんか」誰でもそう思う。ところが「寒いとき流行るもんちゃうのん」「普通夏やるもんやろあれは。琵琶湖で」「なんで琵琶湖なん。台湾の話やろ」「へー台湾でも鳥人間コンテストなんかやっとんのかあ」しばらく無言のあと「あんたアホか。なんでそんなこと言うのん人が真剣に話してるときに」「え?」「鳥インフルエンザて言うてるやんか」
 めちゃくちゃ混乱したが、当の本人はハナから自分は「鳥インフルエンザ」と言っていたつもりらしいのである。最初鳥人間コンテストと言うので混乱したのだと説明しても聞く耳持たず、なんでもかんでものべつふざけておもしろかったらなんでもいいのかおまえはそういういいかげんなところが昔からあるがいいかげんにしなくてはいけないこんな時間まで寝ているのもどうかと思うまったくあれがいかんこれがいかんこんなこともしたあんなこともあったと三十分くらいえんえんぼろくそに言われた。ぼくなんもに悪くないのに。

いろいろあった 12/1-31/03

 昔コピーライターをやっていた頃、いろいろと世話になったデザイナーからなんかいまいちよくわからない仕事を頼まれてその打ち合わせにいき、そのあと田中啓文と月亭八天さんと三人で飲んだのがまず十二月の初めである。さらにもっとよくわからない仕事をこつこつとこなしよくわからないまま終わって結局よくわからなかったのでやっぱり小説書かなあかんなあとうじうじ思った頃には十二月もほぼ半ば。ちょうどこの頃、向かい風のきつい中ボロ自転車で実家へ帰ろうとしてゆるゆる走っている小太りのお兄ちゃんのロードバイク(ちらっと見ただけだけどたぶん三十万円くらいするなあれは)をなんとなく追い越したところ、むっとしたようで(まあ無理もない)必死の形相で(見たわけではないけどきっとそう)迫ってくる相手に抜かれてはならじとさらに必死の形相で(これはまちがいない)走って死にかけた。三キロほど走って突き当たりとなりふと振り返ると敵は十メートルほど後方で路地に入るところであったわっはっは壊れかけのママチャリでロードバイクに勝ったぞどんなもんじゃしかし疲れた降りてしばらく眩暈がしたほどだなにを隠そうこのとき風邪もひきかけておりこれで一気に悪化した毎年思うがぼくばかかもなあ。そのうちロードバイクも買おうと決意する。21日にはいつもお世話になっているY氏に無理矢理誘われなぜかヤマハ音楽教室の発表会みたいなものでトランペットを吹く。エレクトーンのアンサンブルにサックス数本、クラリネット二本、トロンボーンにぼくのトランペットが入った不思議な編成で、演奏するのはジャズ風に編曲されてはいたもののこれがあなた聞いて驚け「おもちゃのチャチャチャ」しかしまあ他のグループの演奏をいろいろと聴くうちその独特の雰囲気に圧倒され物陰とか岩陰とか草むらとか穴とか塹壕とかもう綺麗なお姉さんの背中でもなんでもいいので逃げ場を探す。学生時代女の子に騙されて金集め宗教のとてつもなく大規模な集会に連れていかれたことがあったが、あのときとよく似た怖さであった逃げ場はなかった。「ヤマハの演奏方法」とでもいうべきものが確立されているようで是即「全員同時にものすごく大げさに体を上下させ」「極端なクレッシェンドデクレッシェンドを多用」之事也。全員やっていたのでそういうのがヤマハ内部ではよしとされているのだろうと想像するのだが部外者から見るとこれはめちゃめちゃへん。この異様さは日本の吹奏楽コンクールなんかと実によく似ている。目指すは音楽性や個性よりも統制された美しさであり、この究極は北朝鮮のマスゲームかと思う。協調性ゼロのぼくみたいな人間はひきまくりぼくヤマハの人でなくてほんとによかった。しかし聞けば現在のエレクトーン(この名前もどうかと思うなあ)は、鍵盤を押し下げる強度による音色の変化や鍵盤の左右への動きによる音程の変化(つまりグリッサンドができる)まで可能となっていて、実際金管楽器の音色でのソロなど本物との区別がつかないほどの完成度なのである。これは言ってみれば現在の映像表現におけるVFXみたいなことが可能なマシンであるわけで、使いようによっては無限の拡がりを持つものではないのかとわくわくしたのだがしかし演奏されるのはクラシックにしろポピュラーミュージックにしろ既存の音楽のまるまんまコピーばかりなのだった。これでは最新鋭のCGを使って古典映画の名作を忠実にコピーするみたいなものではないかとがっかりした。技術的にはものすごいところにいながら芸術的拡がりはまったくないのである。単なるコピーは永遠に本家を越えられるはずもないのになぜジュラシックパークマトリックス方面もやらないのか不思議。エレクトーンでなければできない新しい音楽がきっとあるはずなのにもったいないことだ。あんなおもろい楽器ならぼくも欲しい(なにを隠そうぼくはピアノが弾ける)と思ったのだが、いろいろできるいいやつは百数十万円すると言われ仰天してあきらめる。音楽教室の生徒募集を呼び掛け生徒には友達を紹介するようすすめ入門するや高価な楽器を買わせる(この日の演奏会も聴衆は二千円ほど払い、なんと出演者もひとりあたり五千円だったか七千円だったか払うのだそうで親の総取りしかも発表会のために特別のレッスンもあってこれもまたもちろん有料)というのは実になんともアレとかアレみたいで見事だなあと感心していたら我々はこの日驚いたことに「優勝」したのであった。ぼくはコンテストだと知らなかったので面食らったが、これはこれでけっこう嬉しかった。表彰式のあとルミナリエ真っ最中の三ノ宮でヤマハ関係の大変陽気なお姉さんたちと優勝を祝って飲む。三ノ宮では必殺の混雑を恐れていたのだがどこもそれほど混んでおらず、最初はいやいやだったのに優勝じゃ優勝じゃと結局浮き浮き帰る。その数日後麗しい美人と飲んで幸せな気分になり、翌日は別の飲み会で美人の面影ふっとばすほんまにこれは人類の一種なのかと頭抱えるほどのものすごいのが来ていたためできるだけその姿を見ないよう声を聞かぬよう臭いを嗅がぬようまかりまちがっても触れぬよう努力しつつ過ごしたもののさすがに我慢できず途中で逃げ出し這うようにして帰り、テレビでM1グランプリ見て「笑い飯」に爆笑する。これはすごい。漫才の笑いの部分だけを抽出しようとしているかのようだ。このままでもめちゃくちゃおもしろいけど、これがもっと凝縮されていけば「笑い飯」は史上無敵の「Wヤング」を超えるコンビになるかもなあ。そんな漫才見てみたいなあと期待しつつ大晦日計算してみると2003年のぼくの年間自転車走行距離はおよそ5800キロメートルであった。うち四月に買った新車での走行距離は1000キロちょっと。いろいろ改造した古いマウンテンバイクがだいたい2000キロくらいで、ということはつまり残り3000キロ近くをぼくは今年ぼろぼろのママチャリで走ったのであった。ランニングがだいたい月100キロくらいなので、総合計7000キロ自力で走ったことになる。7000キロと言えば地球を十六周しさらに月まで三往復できる距離である嘘である。しかしまあ空が曇っているとか地面が濡れているとか些細なことで乗るのをためらっていたけど、結局乗らない方がもったいないので来年は新しい自転車ももう少し乗ろうと思う。はいはい仕事もしようと思うはいはいはいはい来年もよろしく。


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