中原中也ーMy Loving Files


中原中也  1907(明治40)年〜1937(昭和12)年

1907(明治40)年4月29日山口市湯田横町で父謙助・母フクの長男として生まれる。小学校時代は成績優秀。中学時代は詩才に耽り3年の時落第。京都の立命館中学校に編入。18歳長谷川泰子とともに上京。1933(昭和8)年26歳の時、上野孝子と郷里で結婚。翌年長男文也誕生。処女詩集『山羊の歌』刊行。1936(昭和11)年長男文也病死。次男愛雅誕生。1937(昭和12)年 10月22日30歳で死去。1938(昭和13)年1月次男愛雅死去。友人小林秀雄に託された詩集『在りし日の歌』が4月刊行。


中原中也記念館
1994(平成6)年2月開館(山口市湯田温泉1-11-21 Tel0839-32-6430)
中原中也記念館

(中原中也記念館発行パンフレット)

◆◆読売新聞1996(平成8年)10月22日夕刊◆◆

「中原中也の会」について


各世代、十色の受け止め方


新しい顔に向き合う

詩人・佐々木幹郎(ささき・みきろう)


 「あゝ おまへはなにをしてきたのだと……/吹き来る風が私に云ふ」と、かつて中也は歌った。この言葉は不思議なほど、人の心を素直にさせる。昭和二十二年、戦地から復員してきたばかりの大岡昇平は、山口市湯田温泉にある中原の生家を訪れたとき、一枚の写真を見せられたという。その中原の写真から聞こえてきた声も、同じ言葉を告げていた。「あゝ おまへはなにをしてきたのだと」。大岡はこの声を聞いたときから死ぬまで、四十二年間、中原をめぐる論考を書き続けることになった。
 昭和十二年に三十歳で死んだ中原中也という詩人は、普通の声で、普通のことを語り続けた。宮澤賢治のように未来の宇宙図を描いたのではない。萩原朔太郎のように詩の言語の変革を志したのでもない。使い古された日常語の中に、新しい言葉が宿されている、ということを、あたりまえのように言い続け、「身の周囲の材料」だけで考えることを自分に課した。それが人間の根源的な行為だったからこそ、今も人の心を打つのである。

 中原の生誕地、湯田温泉で九月二十二日、「中原中也の会」の創立記念大会が開かれた。全国から百五十人を超える参加者が集まり、第1回総会で、戦後最初に大岡とともに創元社版『中原中也全集』を編集した中村稔氏を会長に選出。そして、秋山駿氏の講演、樋口覚、黒川創氏らによるシンポジウムなどが行われた。
 この会は、いわゆる「学会」ではない。中原の研究者も集まるが、一般の詩の愛好者に広く開かれた会である。「中原中也学会」という名称ほど、中原の詩の世界から遠いものはないだろう。そんな名称をつけたら、中原に怒られる。最初の発起人会が開かれたとき、誰の意見も同じで「学会」という名称はまっさきに外された。
 創立記念大会は、何という風通しのいい会になったことだろう。まるで中原中也が風になって、中原のファンたちに「おまえはなにをしてきたのだと」問いかけてきたようだった。秋山駿氏は講演で、敗戦直後の少年の眼から見た「内部の人間」としての中原像を語った。逆に樋口、黒川両氏のシンポジウムでは、問題を外側に拡げて、中原と同世代の朝鮮の詩人のモダニズム詩が比較された。

 これまでの中原の詩の受けとめ方は、世代ごとにまったく異なった色合いを見せてきた。小林秀雄や大岡昇平らの同世代から、遺稿を借りて筆記して読んだという中村、いいだもも氏らの第二世代、そして北川透氏や秋山氏らの第三世代、さらに七十一年に大岡、中村氏とともに、吉田煕生(ひろお)氏が編集した角川版『全集』が出て以降、戦後生まれの第四世代の読者が登場した。そこから言うと、今回のシンポジウム出席者である黒川氏は、第五世代ということになるだろうか。
 その黒川氏は、中原の詩が「みだら」でないのはなぜかと、前世代からは絶対に出てこないような思いがけない問いかけを行った。これに敏感に反応したのは、会場にいた第二世代にあたる飯島耕一氏。飯島氏は朔太郎などの大正期の詩人の言葉の「みだら」さが、昭和期になると日本の詩人たち全員からなくなったことを指摘。その原因をめぐって、今度は会場から中村、北川氏などの意見があいつぎ、話題は沸騰した。
 中原中也は面白い。読者世代によって詩との出会い方が異なり、また詩の構造が柔軟でありながら頑固に出来上がっているので、どのような問題からも、考古学のように発掘が可能なのだ。

 九四年に中原中也記念館が生家の跡地にできたが、現在までの入館者数は十四万人を超えたという。第一回中原中也賞の受賞者が決まったのは今年だった。「中原中也の会」の機関誌「中原中也研究」創刊号も、刊行された。また、来年の生誕九十周年の秋をめざして、全面改訂版『新編中原中也全集』も角川書店から刊行を予定されている。わたしも新編全集の編集委員の一人なのだが、現在までの編集作業で新発見資料があいついでおり、旧全集とはかなり違った中原像が提出されるだろう。
 新しい中原中也の顔。わたしたちはようやく、六十年ほど前に死んだ一人の詩人と、素直に向き合える時間にめぐり合おうとしているのである。

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